☆清流茶屋☆ 勘の時代
貴方は砂漠の真ん中でポツンと独り捨て置かれたとしよう。
砂漠ではなく樹海でも、海でもいい。
右に行くのか、左に行くのか貴方は何を持って判断するのであろうか。
携帯電話など通じない。いや通じたところで誰もよい方向など指示できない。
南に行くとオアシスがあるかも知れない。
北に行くと野垂れ死にするかも知れない。
頼るべき者はなく、どちらに行けば良いか誰も知らないし、わからない。
人間には五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)というものがある。
これは目・耳・鼻・舌・皮膚の五官を通じて、
五鏡(色・声・香・味・触)を得るものだ。
そしてもう一つあるもの。
第6番目の感、第六感。即ち勘である。
英語でも、直訳に近く a sixth sense (sense=感覚、機能) という。
(intuition とも表現する。)
勘をインスピレーション(inspiration)と表現する場合もあるが
こちらは正確には霊感である。
キリスト教などの影響からくる神霊という観念から来ている
語源だと思もえるが、それはまあいい。
つまり、肉体的(物理的)に説明のつかない心の動きを、
勘だとか霊感だとか古来より人はそう呼んできたのであろう。
冒頭の話に戻るが、
日本経済もいよいよ砂漠に中にポツンと置かれた状況に似ている気がする。
各企業、各個人共、頼るべき羅針盤を持ち合わせていない。
右に行くか、左に行くか、はたまたそこで留まり枯れ木になるか。
誰も教えてくれない。いや、誰も知らないし、わからないのだ。
言い方を変えれば、そう思った方が気が楽である。
人知を超えた世界で、天災と言うものがある。
例えば突然今日、地が裂けるかもしれない。
裂けた地のどちら側にいけば助かるか、死ぬか
その判断は、もう勘しかない。
情報のない初めて行った町でどの店に入ったら
美味しいご飯を食べれるかどうかも結局は勘だ。
仮に情報があったところでその情報が正しいかどうかわからないし
果たしてその事を信じるかどうかも勘しかない。
よい師匠や仲間、伴侶と巡り合えるかどうか。
よい仕事や楽しみが得られるかどうか、古今東西実のところ
己の勘しかないのだ。
私が言いたいのは悲観論ではない。
何もせずに、じっとしていれば良いという意味では決してない。逆だ。
こう考えてみよう。
砂漠の中にもきっと泉の湧いている所があるはずだし
歩かないことには辿りつかない。
どの向きに行けばよいのかわからないが、己の勘に任せて進むしかない。
でも、余り深刻に考えても結果はやってみないとわからない。
駄目な場合はその時考えれば良いし、諦めればいい。
ただ、歩きながら悲壮を背負う感覚だけは捨ててしまおう。
2003年は『勘の時代』であると私は宣言したい。
明るく笑顔で迎えよう新年!
2002年12月29日 ◆祭 作太郎
☆清流茶屋☆ 不思議な出会い
不思議な出会いというものが世の中にはあります。
私は、松屋町と上本町4丁目にそれぞれ
古いお付き合いのお客様がいらっしゃいます。
その中間地点に昔ながらの小さな商店街「空堀通り商店街」(谷町筋より東側)
があります。
今は店を閉められましたが、その商店街の中に素朴な食堂がありました。
私は、そこの和定食をお昼にするのが楽しみで
松屋町のお客様は午前中に、上本町4丁目は午後から営業に行くという
スケジュールをよく組んでいました。
今から5年ほど前になるのでしょうか。
私は商店街とのタイアップ販促企画を作りました。
そこでその食堂のファンであった私は
迷わず「空堀通り商店街」にその企画を持ち込みました。
特に紹介者があるわけではなく、
飛び込みでその商店街の理事長を訪ねました。
その理事長(ふとん屋)さんは、お店で弁当を食べていらっしゃいました。
最初迷惑そうな顔でハシを使い口を動かしていましたが
弁当を食べ終わる頃には、
私の話(持ち込み企画)を次第に熱心に聞いて頂きました。
そして翌日には「あんたの話、もっぺん詳しく聞かせてくれへんか?」
と電話を頂戴したのです。
結果、私の会社と「空堀通り商店街」のタイアップ企画が実現しました。
その縁で商店街の実行委員として紹介されたのが
金澤(服屋)さんという好青年(その当時?)でした。
なぜか金澤さんとはウマが合い、タイアップ企画が終了した後も
金澤さんの店に雑談をしに顔を出すようになりました。
ある時、私の周辺で知人同士が集まってビジネス勉強会を
立ち上げる話が持ち上がりました。
私はメンバー入りを金澤さんに持ちかけると、彼は二つ返事で快諾。
これが現在の関西交流大学の原型なのです。
「一メンバーとして参加するつもりが
まさかメイン幹事に押し立てられるとは思っていなかった。」
と、いまだに金澤(総務担当幹事)さんは口にすることがあります。
さて、関西交流大学も立ち上げ時からそろそろ3年になります。
最初は、知人の集まり(10人未満)だったのですが
設立半年後ぐらいに、新しい仲間を増やそうということで
インターネットを活用し広報することにしました。
その積み重ねで新しい方、(全然知らなかった人)が
続々とメンバー入りされるようになりました。
そして所帯が徐々に大きくなってきたのですが
元々の知人・友人人脈とインターネット人脈が融和し
今や複雑に入り組んだ「溜まり場」化となりました。
現在、金澤さんのお店(空堀通り商店街)を
関西交流大学・事務局にさせて頂いておりますが
不思議な出会いはどんどん膨らんでいます。
まず、空堀通り商店街の最寄の駅は地下鉄谷町線:谷町6丁目駅ですが
その周辺に関西交流大学のメンバーが非常に多いのです。
これは何かを意図をしていたわけではなく全く偶然なのです。
しかも、そのメンバーの経歴を洗っていくと?
どこかで何かの繋がりがあるのが発見されるのです。
(親同士が知り合いだったとか、学校の先輩後輩関係など)
そうそう私と金澤さんも同年生で、金澤さんの奥様も
私の同郷であったのも後で知ったことです。
大阪というこの人口の多い町で、
本当に人の縁の不思議さはうまく形容できません。
ただ一つ言えることは、連続した「出会い」を大切にできるかどうかが
本当に新しいものを生む可能性そのものだという気がしてます。
私が、空堀通り商店街の食堂を知らなかったら、
飛び込み企画を持ち込まなかったら
金澤さんを紹介されなかったら
金澤さんが関西交流大学の設立に関わらなかったら。。。
この幾層にも連続したキッカケが繋がらなかったら
今こうやってメールマガジンをお届けすることもなかったのかもしれません。
逆に言えば、あの時〜していたら、こうやっていれば・・・・・と
タラ、レバを繰り返えしていると何も起こらなかったのかもしれません。
関西交流大学に置いて、私と金澤さんの不思議な出会いは、ほんの一例であり。
私とその他の方との出会い。
また、私以外の方同士の数奇な出会いもあります。
そして素晴らしい講師の方や逸材と呼べる方が
何らかの縁で次第に集まって来てくださるようになりました。
いずれにせよ、人生は長いようで短いもの。
今日、生命が突然終わる可能性を誰もが平等に持っています。
ならば何かをためらっている暇(いとま)はないはず。
関西交流大学は、出会いを大切にする人
何かを一緒にやりたい人をお待ちしております。
但し、「継続性」のある方を。
昔ながらの長屋が残る空堀通り商店街には
芸術の町として新しい風が吹いていると聞き及んでいます。
町も、事業も、お祭も人がそこに居るから何かが始まるのです。
はやり一人では何もできないのです。
平成14年10月13日 ◆企画担当幹事
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