刎頚(ふんけい)の交わり


人文学部歴史学科コラム・『歴史から学ぼう』シリーズ

●中国歴史(古典)交わり編● 真の友情、交流を考えよう!

中国:春秋戦国時代の話

春秋戦国も末期を向かえ、小国は徐々に併呑され、
七雄と呼ばれた斉・楚・燕・秦・韓・趙・魏が残った。
中でも、秦の国は急速に力を付け周辺国を脅かしていた。
(後々、中国を統一するのはこの秦の国(始皇帝)である。)

 

和氏の璧(かしのへき)

和氏の璧(かしのへき)、この説話から、
卞和(べんか)と言う人物が、楚の国で粗石を見つけた。

磨けば宝石(璧)になる場合もあれば、

ただの石に過ぎない場合がある。
卞和は璧であると信じて、楚の王家に献上した。
王家は3代にわたって璧に変身するのを待った。
が、磨けど、磨けど宝石(璧)に変わらなかった。
璧の献上者である卞和は、王をたぶらかした罪を問われて両足を切断された。
卞和は涙も枯れて血の涙を流した。
が、後世にその美しさを認められ『和氏の璧(かしのへき)』と名付けられた。
天下に2つとない至宝として名を轟かした。

完璧

どうゆう経路かは不明だが、
趙の国王(恵文王)が
この『和氏の璧(かしのへき)』を手に入れことが出来た。

秦の国王(昭王)をその事を伝え聞いた。
何とか、『和氏の璧(かしのへき)』が欲しいものだ。
秦王は、当時一番の隆盛を誇る実力者である。
その権勢を誇る為にも、天下一の至宝を自分のものにしなければならない。

家臣と相談した結果、一計を案じ趙に使者を送った。
『秦の十五の城(邑)と、和氏の璧を交換したい。』
と使者に言わしめた。
無論、秦王は本心から交換などしようと思っていない。
趙から珍宝を無理やり取り上げたいだけである。

趙、重臣達は悲壮な思いで協議した。
趙は返答の使者を送らなければならない。
事は、璧一つだけの事ではない。
璧を交換しなれば秦はそれを口実に攻めてくるだろう。
だが、秦は城邑を引き渡す気などないだろう。
と言って、簡単に璧を与えれば趙王の面目にかかわる。

結論が出せないで皆困っているところに
宦官の令(長官)である繆賢(ぼくけん)が進言した。

 「 私の食客に藺相如(りん・しょうじょ)なるものが居ります。
知勇を兼ね備えた人物にて難をうまく対処できると思います。 」

趙王はさっそく藺相如を引見して意見を問うた。

「 秦の申し入れを断れば、事が起こった場合、責任は我が国にあります。
我が国が申し入れを承知し秦が欺けば、責任は秦国にあります。
どちらかを、取るのなら我が国は信義を示すべきです。 」

「 では、秦に和氏の璧を持っていく使者は、誰か居るか? 」

「 適任者がおられないのでしたら、私が和氏の璧を持って参りましょう。
十五の城が手に入りましたら、璧を秦に置いて帰ります。
秦王が約を違えた場合は、璧を完(まっとう)いたします。 」

 

 藺相如は秦王の元に使いした。
藺相如は和氏の璧を差し出すと、秦王は大喜びした。
ところが、会見した場所は正宮ではなく別邸である。
しかも、その壁を官女と弄び、城との交換の事は一切口にしない。

秦王の意思を確認した、藺相如は静かに進み出た。

「 実話、その璧には小さなキズがございます。お教えしましょう。 」
藺相如は、そう言って機転を利かし一端、璧を取り戻したのだ。
そして、璧を持ったまま柱のところまで後退した。
 
「 最初、趙国では、和氏の璧をお渡ししない事になっていたのです。
しかし、私は庶民の交わりでも欺くことは良くない。
ましてや国と国の交わりではございませんかと趙王を説得いたしました。
趙王は5日間も斎戒(身を清めて)して、私を貴国に使いさせました。
その使者に対して秦王は礼が欠けておられる! 」

藺相如の髪は逆立ち、凄まじい形相で秦王を睨み付けた。
そして、さらに恫喝した。
「 城を引き渡す気のないことと私は見ました。
私の頭は、この璧と一緒に柱に打ち砕いてしまいます。 」

秦王は、和氏の璧を砕かれる事に恐れをなした。
あわてて、十五の城を直ぐに引き渡すと言った。
藺相如は、秦王の申し出は口先だけのものだと悟っていた。
そこで、一計を案じる事にしてた。

「 趙王は天下の至宝を贈り物するのに、5日間も斎戒したのです。
秦王も同じく礼を尽くされたし。そうすれば璧を必ずやお渡しましょう。 」

 秦王は仕方なく藺相如の言うとおりにした。
5日間斎戒した後、正宮にて最高の礼にて藺相如を再度迎えた。

「 では、和氏の璧(かしのへき)をもらおうか 」 秦王が言った。
「 ここにはございません。すでに、従者に持って帰らせました。 」
「 なんだと! 」秦王は怒った。
「 先に城を趙国にお引渡しください。秦は強国、趙は弱国。
和氏の璧惜しさに、約束を違えるような事をしましょうか! 」

さらに言った。
「 しかし、私は秦王を欺いた罪は承知しております。
存分に処罰してください。 」

秦の重臣達は怒り、藺相如を引き捕らえようとした。
だが、秦はそれを静止させた。
「 こやつめを殺したところで、もう和氏の璧は手に入らぬし、
趙国と友誼を絶えさせることになるだけだ。」

秦王はあきらめ、藺相如を国賓として遇し趙へ無事、帰国させた。

趙王は藺相如の帰国を大歓迎した。
趙をまったく辱める事なく、和氏の壁を守りきった功績を称え
藺相如を上大夫(上官)に任命した。

この故事から、現代日本で使用されている
『完璧』(壁をまっとうする・・・転じて完全なる事の意)・・・と言葉が生まれた。

繩池の会

和氏の璧の事件後、秦国は趙に武力で攻め入った。
秦は趙のいくつかの城邑を占領した。
そこで、勝ち誇った秦王は臣下の礼を趙王に取らせようと企み、
酒宴(和平会議)を提案した。
後に言う、『繩池(べんち)の会』である。(繩池=地名)

最初、趙王は行くのを嫌がったが
「王がお出かけにならないと趙は弱国で卑怯と思われます。」
上卿の廉頗(れんぱ)と上大夫の藺相如二人に説得され、
趙王は重い腰を上げた。
百戦錬磨の廉頗(れんぱ)将軍が留守を守り、
先に秦王と渡り合った知勇の士・藺相如が同行する事になった。

 酒宴が始まると、秦王は言った。
「趙王は音楽が得意と聞く。瑟(ヒツ・琴に似た楽器)を奏してくれぬか」
秦王の物言えぬ威圧感に押され、趙王は応じた。
すると秦王は書記官にそれを記録させた。
絶えがたい屈辱である。
 


「秦王様も音楽がご堪能と聞いております。ひとつお願い出来ませんか」
陪席していた藺相如は、口上すると秦王は嫌な顔をして応じない。

藺相如は秦王に近寄り、缶(ほとぎ:瓦で作った打楽器)を突き出した。
「今、私と秦王の距離は直ぐ近く。私の血を王にそそぎましょうか!」

秦王の左右の家臣は藺相如を斬ろうとした。
藺相如を目を見開き、怒鳴りつけると、家臣達は思わず後ろに下がった。
秦王は仕方なく、缶を一つ打った。
すると、藺相如はすぐに
・・・何月何日秦王、趙王の為に缶を打つ・・・と記録させた。

まだ、まだ緊迫した状況は続く。
秦王の家臣は言った。
「秦王の長寿を祝って、趙国の城邑を十五ほど譲ってくれませんか」

藺相如は、一瞬の内に秦王に近寄った。
さらに、怒気を発した形相で秦王を睨み付けた。

「ならば、趙王の長寿を祝って咸陽(秦の都)を献じてくれませんか!
秦国が優勢だと言っても、まだ最終的な勝敗が決まったわけではありますまい。
この宴席においても秦王様の命は私の手の内。望まれるなら受けて立ちましょう」
懐の小刀を暗に誇示しながら、そう言い放った。

まだまだ盛んな趙国・留守兵の軍営の気配も伝わり
ついに、秦は趙を屈服することが出来なかった。

面目を大いに施した趙王は藺相如の大功を褒め称え
右の上卿(筆頭大臣)に昇格させた。

刎頚の交わり

 無事、秦国の脅威を跳ね除け
一時的に平穏を取り戻した趙国の主従だった。
 
さて、面白くないのは、元々、上卿の位にいた廉頗である。
藺相如が右の上卿に昇格した事により筆頭大臣になった。
廉頗は、同じ上卿ながら藺相如の下風に付く事になる。
彼は多くの武功を残している歴戦の将軍である。
実戦派の廉頗からすれば、一食客から急に自分より出世した
文官の藺相如が憎くて仕方がない。

「元々育ちの卑しいアイツに何の功があるのだ。口先だけではないか」

廉頗はその武勇を持って
藺相如を一度、大いに辱めてやろうと彼を付け狙った。

その噂を聞いた藺相如は徹底的に廉頗を避けることにした。
廉頗と同席する会議には仮病をつかい欠席し
道で廉頗とすれ違いそうになると脇道へ逃げる。

藺相如の部下はあきれて辞表を叩きつけながら言った。

部下   「わたしは、こんな臆病な上司に仕えることができません。」

藺相如 「ならば、聞くお前は廉頗将軍と秦王とどちらが怖い。」

部下   「それは、秦王の方がずっと恐ろしいです。」

藺相如 「私はその恐ろしい秦王と常に互角に渡り合ってきたのだ。
      廉頗将軍を本心で怖がっているわけではない。」

部下   「では、なぜ、コソコソと逃げ回るような事をなさるのですか?」

藺相如 「あの強国の秦が容易に攻めてこないのは
     我が趙国には、私と廉頗将軍の二匹の虎がいるからだ。
     もし、虎同士が争えば、隙を与え、秦国に打ち滅ぼされる。
     今は私的な憎悪よりも、第一に国家の大事を図るべきではないか。」
 
 この話を伝え聞いた廉頗は自らを大いに恥じた。

上着を脱ぎ、いばらの鞭を背負い藺相如に心から詫びた。

「・・・育ちの卑しい私!・・・は貴方様の寛大なるご考慮に及びませんでした。」

二人は和解し、後々まで大いに協力し国事に当たった。

そして、互いに刎(くび)を頚(はねられても)後悔しないと誓いを立てた。

この契りが『刎頚の交わり』である。


◆出展 「史記(廉頗藺相如列伝)」
 
★あとがき★

藺相如は決して口先だけの徒ではありません。
推挙した人が語ったとおり、勇気と知恵を兼ね備えた
(行動派知識人!)人物だと思われます。

また、恐ろしい相手(秦王)にも一歩も引かない胆略を持ち合わせているが
先輩(廉頗)には謙虚に一歩引く、バランス感覚が素晴らしい。

現代社会(会社内)でも、常に反目する組織や人間関係があります。
製造と販売、経理マンと営業マン、本社と支社などなど。
我々の部署があるから会社は持っているとか
自分の方が偉いのだと、他のセクションと争ってませんか?
でも確かに内輪もめしていてはライバル会社に勝てる訳などない。

これは、夫婦間でも、兄弟間でも同じ事かも。
しかし、悲しい人間の性うまくいかないように出来ているのですね。

さて、この話の中で一番偉いのは、廉頗かもしれません。
人はそうそう逆転された立場を受け入れれるものではありません。
実は、廉頗はわざと、そのタイミングを計っていたかもしれませんね。
いずれにせよ、卑弥呼もまだ現れていない気の遠くなるような紀元前のお話。

このコラムについてぜひ、ご感想などを
お寄せくださいね♪
 
作・加地 光広 

 

コンテンツの泉に戻る!