今週の話題 「書家とちょうちん」

平成14年4月6日


書家って何?習字の先生とは違うらしい。
実際はよく知らないのだが受け売りで言うと
書いた字で飯が食えるプロ書道(芸術)家、
で、習字の先生はレッスンプロそんな所であろうか。
もちろん学校でも教えてもらう教科の一つだ。

近年ワープロが発展しビジネスではなくてはならないものになった。
今や手書きの書類を探すのが難しいくらいだ。
でも、15年前はワープロ自体が高価なもの、周辺ではほとんどなかった。
現在はどんなささいなことでもワープロ文書にする風潮が世に蔓延している。
年賀状の住所宛名書きさえも機械まかせだ。
ビジネスに置いては日本中が手書きの書類は不可ってな感じさえする。

私自身、15年前からワープロ(専用機)に取り組み、
今やパソコンなしでは夜も明けないってな感じだ。
なぜなら私はうまい字を書くのが苦手だ。
筆もペン字もぜんぜん駄目。
ものを書くのは好きだったが
自分の字を他人に見せるのが嫌いだった。

ソロバンが出来て、字が綺麗でないと出世しないよ!
子供の頃親から言われたものだった。

字のうまい下手は先天的な部分が大きいのではないか。
私は自分の字に諦めていた。
しかし天は我を見捨てず、世にワープロが登場した。
自分の為にこの機械は生まれたのだとほくそ笑んだものである。

「昔は根性で乗り切れた〜!」
あのパソコン教室のCMで叫ぶオジサンの気持ちがよく分かる。
現在のビジネス実務の世界は少々字がうまくても自慢にはならず
それよりパソコン(OA)機器などで効率化をはかった方が良いと言われる。

・・・・・ところで、本当にそれが効率化なのだろうか?

なんでもかんでも(いちいち清書しなくて良いものまで)
ワープロ文書化する必要があるのだろうか。
電話の方がよっぽどわかり易いことでも全てEメールで済まし
記録はデジタルデーターに。

本当に進化し効率が上がっているのだろうか。
私は電子化推進派だが最近疑問に思う。
実は、非常に大きな錯覚でわざわざ遠回り(余分な作業)をしているのではないか。

また、手書き、毛筆でないと出せない表現力もある。
例えば卒業文集。字が下手なやつ(自分のことはいざ知らず)は読みずらい。
だが、その人の持つ字ずらそのものが彼・彼女を際立たせる個性かもしれない。

いずれにせよ、パソコン(インターネット)の発達・普及のお陰様で
ますます自由に使える時間が少なくなった。そんな気がするのは私だけだろうか。

さて、大阪の谷町と上本町との間に、上汐という古い町がある。
そこで、ちょうちん(提灯)を作っているお店を偶然見かけた。

ちょうちんは昔の電灯であり、日本の伝統工芸でもある。
今でも居酒屋などには店先に飾りとして活躍している実用品である。
電気製品の方が丈夫で長持ち、しかも安価かもしれない。
でもやはり私はちょうちんの灯る店でうまい酒を呑みたい。

◆祭 作太郎