「地域性」

2002年2月23日 祭 作太郎

宮崎 駿監督の「千と千尋の神隠し」のアニメーション映画が
ベルリン国際映画祭のグランプリ(金熊賞)に輝き話題を集めた。

様々な論評があると思うが、私が強く感じたことは地域性と言うことだ。
その土地、その土地の独自の風習、文化と言うものは
世界に通じる普遍性がある。
「神隠し」や「もののけ」は日本独自の昔話的文化で
映画が評価されたのは、その主張する地域性(ローカル色)の面白さだと思う。

都市文化であれば、世界中がニューヨークの摩天楼を模造した
ビルディング文化を真似しても面白いともなんともない。
日本のどの都市を見ても駅前がほとんど「リトル東京化」しているし
商店街の名前も「・・・・・銀座」が多い。
そのネーミングする発想の素自体が創造性に乏しい気がする。

堺東、布施、枚方など大阪周辺の私鉄沿線都市も、
個性を感じることなく、どこも似たような印象を受ける。
それは、地形的なもの(山や川があるとか、海が見えるとか)でははく、
その都市の建物の外観や発信する空気の個性が希薄だと言うことだ。

文化情報発信も同じことで、例えば鹿児島であれば、
他地域の人は鹿児島独自の地域文化情報が欲しいのであって
鹿児島発、全国版情報は必要ではない。
全国版情報は東京にまかせれば良いのだ。

では、地方の独自文化は普遍性がないのか?
それは、違う。その地域の強い独自性のみが全国津々浦々、
世界の隅々の方々に関心を与えるのだ。

日本人だって、「パリ」には憧れても他の国が真似した
プチ・パリには興味がないはずだ。
京都は世界で一つしかないし、所詮京都でしか味わえないものがある。
他の地方観光都市が「手前は小京都どす」と言う看板はそろそろ外すべきだ。

その京都自体も、部分的にはリトル東京化が始まっている所があるし
鴨川にフランス橋を作るとか作せないとかの話があった。

人間は、勤務先と家庭と地域コミュニティー(住んでいる場所)
3つの場所で働く義務があると欧州で聞いたことがある。
町衆と言う素晴らしい言葉も残っているのに
日本人は勤務先でしか働かない人が多い気がする。

多分、どの会社でも「町内会の行事があるので出張できません。」
とは言いにくい風潮であろう。
つまり、仕事(お金を得る)最優先社会なのだ。

しかしながら、地域コミュニティー
(町の外観、清掃、規律などを地域住民で協議・運営など)
は本来は一番大切なことかもしれない。

幼児虐待、学級崩壊、青年の凶悪犯罪、政治無関心
こんな社会の歪(ヒズミ)を生んでいるのは
仕事最優先、地域蔑視が生んできた産物かもしれない。

私はいたずら盛りの小さい頃、祖父母が住む田舎に行くと
他家のみかんを勝手に取ったり、畑を走り回った。
「そんな悪い子は、神隠しになるで・・・」と怒られたものだ。


ところで、世の中には「神隠し」してやりたいヤツが山ほどいる
・・・・・そう思いませんか?


◆祭 作太郎

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