☆清流茶屋☆  無題

余りこの手のことは書きたくないのだが、書かずにおられない。
昨日の朝日新聞の社会面で読んだ記事。

出会い系サイトで出会った男性と会うため、家出した未成年の少女が
(その男性の周辺を含めた人間に)騙されて監禁。
売春をさせられて、1日ノルマ6人の客を取るよう強要。
8ヶ月の間、売春した人数は800名、総額約1,200万円の稼ぎ。
もっともこの少女は食事代程度しか渡してもらってなかった。
http://www.asahi.com/national/update/1107/047.html

この記事では詳しいことは書かれていないが
疑問点が多くあることは確か。

例えば、客の一人に頼むとかして
少女が逃げることが出来なかったのか。
また、買春した客の中に市の要職にある人間も含まれていたことを
朝日新聞はやたら強調していたが、一体なんの意味があるのか。
ネクタイを締めない肉体労働者なら買春してもいいのか。


それはさて置き、この事件から
単に『日本が病んでいる』ということで片付けていいのか。
インターネットの出現でこのような問題が起こるとか、
買春する人がいるからだとか、そんなことだけではない。

果たして、拉致事件を起こした国の体制がオカシイと
堂々と批判ができるのか。

違法で、春を売り買いする類の事件は頻繁におこる。
では合法とはなにか。
セクハラ、痴漢、ストーカー、レイプなど性に関する問題は多い。

『身体的正常な男性からすれば、性欲は生理現象であるが
制御するのは理性だ。』とこんなお説は聞き飽きた。

また、今回の事件は別にして短期間に体を売って
お金を得るとか、借金を返そうとかの女性側の話もよくあること。

私は、あえて売春も買春も否定しない。
そもそも、法や世論で縛るから
その反動でオカシナ現象が起こるのではないだろうか。
ではあっさり、法律で緩和してはどうか。

お隣中国では、共産党政権が樹立する時
麻薬と売春を厳禁という法律を立てた。
今では、有名無実化していて、各地の公安(警察)がテリトリーを持ち
管理(売春組織から袖下をもらって)しているとの話も聞く。
事の真偽は別にして。
善悪ではなく現実とはそういったことかもしれない・・・。

なぜ、教員が風俗店に行っただけで問題になるのか。
そのような世論があるから、抑圧で学内セクハラが起こるのではないか。

私が言いたいことは、女性蔑視論でもなんでもない。
売春を合法的にせよとの安易な論議でもない。

だが、現実を正確に捉え、根本を考えないとイタチごっこに過ぎない。
このような、性の知識や人生哲学を持たない内に
若い少女がオカシナ事件に巻き添えになるのは耐えれない。
病気の蔓延にもつながる。

難しい話である。
ただ、現実を正視しないでキレイ事を言っても始まらないのではないか。
今日は結論もテーマもなく、問題提起である。
一人でモヤモヤしていて、読者の皆様と意見交換したいのが本心だ。
ご投稿をお待ちしている。

平成14年11月9日 ◆祭 作太郎

 

−−−−−【読者の投稿】−−−−−−

うーん、難しく考えすぎじゃないでしょうか。

 そんな、世の中、犯罪も騙しあいもなく、きれいにいくもの
ではないっていうのは、今更だし。

 それなら、そのまま、現状を維持していこう、と考えるか、
それでも、なんとかしてやろう、と考えるか、の決断は、
多分、作太郎さんも、以前に、既にされているのではないでしょうか。
 
 買売春や臓器売買が一般的に人に嫌悪を催させるのは、
それが、人を金で扱うことにより、人権を切り崩しているからでしょう。
相手の価値を臓器或いは性に限定しているわけですから。

 仕事においても、相手の人格を認めず、という人は、
不快感を起こさせます。

 人はそれぞれに価値があり、それは、性別や国籍や出生や年
齢によって左右されない、という認識の下に、今の世界は動いています。

(なぜ、そのような認識が支配的なものとなったかは、
世界史と、ルソー、ミル、ベンサムほかの先達の話をどうぞ。
雇用機会均等法とかこども権利条約の頭の部分も参考になりますかね。)

 最近少し下火になってきましたが、企業の社会規範無視も根は同じ。
実務の人も、命じた人も、詐欺を好んでするような人
は少ないでしょう。でなければ、まっとうに働いて苦労して
今の地位に上がる前に、詐欺をやらかすでしょう。

記事を見ていると、会社のため、売り上げのため、効率を上げるため、と
いう、社会人なら肯定的に評価される理由が主な動機のようですから。

 消費者を金を出すモノとしかみないから、嘘の表示ができる。
品質を保証していない牛乳が売れる。

 法律の緩和とか、人間の現実とかいうのは、その通りの面は
あるでしょう。ただ、それらを踏まえたうえで、人間一人一人
を尊重する、という理念を目指して、
悪戦苦闘が続いていると私は思っています。
多分、今後も100年単位で続くでしょう。

とはいえ、うまくいかないから、現実の壁がこうだから、とぐっとこらえて、
そしてそのまま、そこにとどまって、というのは、
こらえるところまではともかく、そこにとどまるのは、
社会人としては、甘えの部分だと思います。……誘惑は激しいですが。

 辛いのは当たり前。うまくいかないのも当たり前。

 それを踏まえたうえで、どうにかしていこうとするものでしょう。
……いや、しない人も多いとは思いますが。

 でも、関西交流大学って、なんとかしよう、
とする人の集まりだと思います。
対象は社会問題でなく、ビジネスですけど。

◆平成14年11月16日 若井美香家 世理 (関西交流大学・会員)

 

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