追憶の旅シリーズ・コラム集

追憶の旅
先日、外回り中たまたま実家の近くに立ち寄った。
ふと、あの店はまだあるだろうか?と想い出した。
私鉄の線沿いにある少しだけお洒落な喫茶店である。

高校時代に友人達と通った所である。
特に高校の卒業式が終わった春休みほぼ毎日通った。
進学する者、浪人する者、就職する者、フリーターになる者
それぞれ、期待や不安を胸にしまいながら
とりとめのない雑談を交わしていた。
私がいちばん最初に持った溜まり場だったかもしれない。

私は懐かしい匂いのする『追憶の旅』に出かける事にした。

行ってみると、今でもその喫茶店はあった。
店の名前も白塗りの壁も変わっていない。
中に入ると昔よりすごく狭い感じがした。
一軒家の店なので広さが変わるはずがないので多分記憶違いだろう。
なんせ、15年前以上の話である。
8人位が座れるカウンター席と、4人がけのボックス席4つか、5つほど。

客はカウンターに高校生の男の子二人のみ。
一人の男の子はに茶色に染めた長髪。
もう一人はスポーツマン風のガッチリした体格で短く刈った髪。
店員はその二人とさほど年が変わらない若い女性が二人。

店に入っていくと4人はガヤガヤと話に盛り上がったいるところ。
私は隅のボックス席に座った。
私のコーヒーが運び終わると
また、一端中断していた話をし始めた。

別に耳を澄ましている訳ではないが、声が大きいので聞こえてくる。
長髪の兄ちゃんは自分のセックスの方法について語っている。
店員の女性も、嫌がることもなく『私の彼はこうするの〜』
とかなんとか言って嬉々として返答している。

私はコーヒーをこぼしそうになりながら
手に取った雑誌に集中することにした。
いつしか、二人の客は帰り、
入れ替わり年取ったご婦人が一人店に入って来た。
店は急に静かになった。

やっと当初の思惑どうりあの頃の追憶を辿ろうとした。
が、さっきの4人のドギツイ話に
少なくとも彼等から較べると
大人の私は思考能力を奪われてしまっている。

店を出て、帰りの電車の中で考えてみた。
あの頃、我々は、一体毎日、何時間も何を話し合っていたのだろうか?
よく想い出せない。
でも、真剣にその時は何かを語っていたはずだ。
でも、セックスの話ではなかったのは確か。

我々は仲間のほとんどが達成できなかった
淡い恋の傷をそっと抱えていた。
彼等が羨ましいとも下衆だとも思わない。

時代が違うとも思わない。
我々も恐らく周りの人の迷惑を省みず
大声で話していたはずだ。
それは自分の居場所の心地良さからくる安心感でもあった。

あの時代から現在に到るまでずっと、
私は溜まり場を求めて彷徨っている気がする。
それは、深夜のファミリーレストランであったり、
静かなバーであったり、場末の居酒屋であったり。
笑ったり、怒声を上げたり、時は涙を流したり。

今度、堂島に私達の新しいスタイルの店ができると聞いた。
また、素晴らしい溜まり場になり得るのだろうか。

◆祭 作太郎

 

追憶の旅 2
ふと、むかしの事を想い出してしまうことはないだろうか。
ぼやっとしている時など、何気なく脳裏をよぎる瞬間がある。
前後の行動や思考に何の関連もないのにだ。

夢の世界などもそうだ。
学生時代、喉を乾かせながらグランドを懸命に走っている場面に遭遇。
あるいは、気まずく別れた彼女の面影が突然迫ってきたり。
目が覚めると汗ビッショリなんてことも。

つい先日、田園地帯を走る電車に乗っていた時のこと。
祖父のことを想い出した。
私の場合は『おじいちゃん』といった方がしっくりいく。

私の父親は5人兄弟である。
父の兄弟は、全員子供が二人ずつ居る。
つまり私の、『おじいちゃん』は孫が10人って事になる。
だから、孫の少ない現代のおじいちゃんと違って
孫全員にとても世話は焼けない。
私も特に溺愛されてというわけではない。

私が小学校に上がる前までは
父親もおじいちゃんも大阪市内の同じ会社に勤め、
その敷地内にあった社宅に住んでいた。
同じ家ではないが、味噌汁の冷めない距離であった。

おじいちゃんは、私の手を引き、近所のうどん屋に連れて行ったくれた。
おじいちゃんは、肉うどんを注文、私はカレーうどんを注文。 
実は、これだけの情景を年に何度も
ふと思い出してしまうのだ。

おじいちゃんは、その後故郷の四国に帰った。
私が、成人するまで元気だったし、
何度も四国に遊びに行った。
だから、他にもたくさんのおじいちゃんの思い出は存在する。

だが、なぜだか私がまだ幼いころに行った
このうどん屋の思い出が時について回る。
しかも、全場面の記憶が鮮明でということもなく、
ところどころのシーンを思い出す程度だ。
なにせよ30年前の話だ。

『ぼく、カレーうどん』
『おじいちゃんは肉うどんや』
そんな短い会話しか、その場面では出てこない。

なぜ、そんなに印象に残っているのか
我ながら不思議でならない。

聞ける人がいないので仕方なく憶測してみる。
つまり、あの頃、外で食事をすることなどほとんどなくて
おじいちゃんとうどん屋に行くのが
子供心によっぽどうれしかったのではないだろうか。
その当時の楽しさの記憶の力が、
頭のどこかに焼きつかせているのかもしれない。

おじいちゃんは、山のふもとのみかん畑の近くで永眠している。
そこからは、瀬戸内海が遠く眺めることができる。
夏でも風が吹けばさわやかで、ときどき乳牛の泣き声がする。

考えれば、おじいちゃんが亡くなって以来
その土地に行っていない。

平成13年10月27日 ◆祭 作太郎    

 

今週の話題 翼があった頃
先日、レンタル屋さんに行きふと『中村あゆみ』さんのCDアルバルを借りた。
その当時大ヒットした『翼の折れたエンジェル』が急に聴きたくなったからである。

私は、芸能関係や音楽関係に興味も知識も興味も薄く
『中村あゆみ』さんのこともよく知らなかった。
でもあのかすれ声で元気よく響く『翼の折れたエンジェル』は
なぜか心に残っていた歌だった。

あの歌がリリースされた年、私は学生時代を謳歌することもなく
場末のガード下の小さな居酒屋でバイトに精を出していた。
ホール(接客)係兼サラ洗い担当である。
夕方5時から夜12時頃まで結構重労働だった。
そして有線放送であの歌が繰り返し流れていた。

13才で出会った少女と少年が恋心をあたため、
17才で初めての朝を向かえ、18才でため息を覚える。
中華料理屋を二人のやる夢を淡く胸に秘めつつ、行き先を迷っている
『翼の折れたエンジェル』・・・・歌はそんな内容である。


ある日、私の働いていた店に、女の子の二人連れが飲みに来ていた。
その内の眼鏡をかけていた一人の娘は、
近所のブティックで勤めているのだと言った。

私はちょうど店が早番で終わることになっていたので
着替えを済ませて店を出ようとすると
眼鏡の彼女は散々酔っ払った挙句、私にどっか連れていけと絡んだ。

彼女の連れの女性にも頼まれ仕方なく、私は彼女と一緒に店を出た。
聞くと彼女の家は、店の近くなので私は送っていくことにした。

私は、その時点でたいして彼女に興味を覚えることはなかったし
その年の春高校を卒業したばかりで
初めて少し髪の毛を伸ばした世間知らずの青年だった。
それは正直下心というものではなく、
実際女性の扱い方さえも知らない頃だった。

直ぐは家に帰りたくないと彼女がいうので
私達は深夜、二人でスクーターを連ね
ファミリーレストランでお茶を飲むことにした。

私と彼女は同い年だった。
彼女は、高校を中退し、転々として後
今のブティックに数ヶ月前から勤めていると話してくれた。

彼女は少し崩れた感じのある空気を漂わせ、少々不良っぽく見えた。
でも、彼女が眼鏡を取り、近くで見るととても美人だったことに気がついた。
小柄だったが目が大きく唇が小さく整った顔をしていた。
ストレートの長い髪は肩まであった。
今まで化粧した女性と一定の時間を一緒に過ごしたことがなく
彼女が凄く大人に思えたのかもしれない。

その夜がきっかけで二人はなんとなく交際をはじめた。
でも太陽の元で弁当を食べるというふうではなく
いつも深夜、二人でお酒を飲みに行く、といった程度。
実際、彼女は中ジョッキなら3,4杯は軽く飲む程の酒豪だった。

性格は、とてもわがままで、私を散々振り回し、
自分から勝手に私から去ってしまった。

私は昼間は学校、夜はバイトと、忙しくて寝る時間も充分になかった。
彼女の相手をじっくりするゆとりもなかったのかもしれない。
今思えば、春から初夏にかけてのほんの短い期間だった。
私が幼かったのかほぼプラトニックに近い交際だった。

彼女との短い恋を終え、8月の夏休み
私は同じ学校の韓国留学生に連れられ韓国に2週間ほど旅した。
何もかもが楽しい時期である。
終わった恋の感傷に浸る暇さえない。

帰国して、秋を迎えた頃彼女が新しい彼氏らしき人を連れ
私のバイト先の居酒屋に飲みにきた。
もう私は、その時すでに何の思いもなかった(・・・はずだ)。

ただ、私が大好きだった長い髪が、
短くカットされカールかかっていたのが
少し寂しく思えた記憶がある。

その後、そんなに長い期間を置かず彼女は
ブティックを辞めその町から消えた。それ以来である。


『翼の折れたエンジェル』を聴きながら
こんな思い出が急に脳裏を覚醒させた。

さて、『中村あゆみ』さんとはどんな人物なのだろうとパソコンで
CDを何度となく聞きながら急に疑問に思った。
今の世は非常に便利である、インターネットで検索すれば
すぐにある程度のことはわかる。
そして初めて知ったのだが『中村あゆみ』さんと私は
同じ年で誕生日さえも10日ほどしか違わなかった。
新鮮な驚きだった。

『中村あゆみ』さんはお子さんも出産し
今も現役で音楽活動をされている。
(私はその手の情報にうとく本当に申し訳ない・・・・・)

つまり、私と同じ19才の時『中村あゆみ』さんは
そのハスキーボイスを全国に提供していたことになる。

私は、『翼の折れたエンジェル』を聴きながら恋や夢の
青春の喜びを感じていたのだ。
ウォークマンも持っていない音楽無知人間の私は
あの時、まさか同い年の歌手だとは想像さえつかなかった。
だから、歌詞が『18才でため息を覚える・・・・・。』など
自分の年齢とオーバーラップしていたので
強い印象を覚えたのかと改めて今思うのだ。

あれから月日は怒涛のごとく流れて続けている。
例えば、19才のお嬢さんから今の私をみれば
『翼の折れたおじさん』に見えるかもしれぬと一人ホゾを噛む。

そうそうその年は、阪神タイガースが17年振りに優勝した。
とにもかくにも忙しかった1985年の
春から初夏にかけた私の短い恋物語である。

平成14年9月7日 ◆祭 作太郎

 

 

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