2001年の総括 「頭の中の雨雲」
「勝ち組」と「負け組」
というビジネスの上の表現が流行しているような気がする。
私はこの言葉が大嫌いだ。
商売のうまい人が 「勝ち組」
商売の下手な人が 「負け組」
他にも解釈はあるだろうが、私は単純にこう理解している。
組織が小さい所から徐々に学歴信仰が薄れてる感じがする。
難関大学を出ようが、良い家の出身であろうが
売らないことには話しにならない。
なぜなら、今はモノが売れないからだ。
「勝ち組」と「負け組」という表現は企業レベルだけではなく
部門単位、個人単位にまで落とし込まれ論議される。
つまり、同じ会社の同じセクションでも
売上の多い人 「勝ち組」
売上の少ない人「負け組」
と二極化されて、「負け組」は自然に淘汰されると言うのだ。
ある記事か何かで読んだのだが、
外資系日本法人の米国人マネージャーの話。
「私の好きな部下は2通りだけだ。
懸命に働き実績をあげる人間。
もうひとつは、まじめに働かないが実績をあげる人間。」
背筋が寒くなり、何となく怒りが込み上げてくる談話だが
今の「勝ち組」と「負け組」発想の根源と同類のような気もする。
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つい先日、今年6月に発生した
大教大付属池田小児童殺傷事件の初公判があった。
裁判の内容は私にはよくよくわからないが
朝刊の社会面にお子様を亡くされたご家族の悲痛な談話が掲載されていた。
私は立ちながら電車でそれを読んでいたのだが、次第に涙があふれ出た。
私の横に立っていた通勤途中のOLさんが不思議そうな表情で、
何度も私の顔を覗き込んでいた。
朝っぱらから新聞を読みながら泣きっ面をしていれば、奇異と思われて仕方ない。
どう考えたって被害者の親御さん達の悲しみは他人にはわかるはずないであろう。
また、この腹立たしさを転換させる術もない。
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昨夜のこと。遅い時間に古くからの友人が突然訪ねてきた。
酒も飲まず夜中の2時まで彼の話を聞いた。
様々なことに話は及んだが
彼が本当に語りたかった事はこんなことだ。
12月28日(金)・・・今年この日を仕事納めにした会社は多かったことだろう。
彼の会社でも午前中までは通常営業(残務処理)で
午後から大掃除、夕方に納会こんな段取りだったらしい。
大掃除の時、彼の部下達は掃除をやらない。
彼は30名ぐらいの小さな支店で勤務していて、
その中で総勢7〜8名の営業部門を率いる立場にある。
午後、経理など他の部門は一斉に掃除に取り掛かった。
営業はそうはいかない。午前中、集金やあいさつ回りに行く者もいるし
午後に入っても顧客から何かと電話が入ったりする。
彼は、そのあたりの事情は充分理解しているし
だからこそ、いつも自分が率先して掃除を始める。
トップの人間が動かないと下はついて来ない。
午後3時も過ぎた頃、部下達はやっと自分の机などを拭き始めた。
ただ、窓や書庫など公共の場所をやろとしない。
挙句の果て、部下の中の一人は自分の身の回りを簡単に片付けると
さっさと自分の仕事を再開する始末である。
彼は極力怒りを押えた声を出した。
「一度、自分のことは手を止めて、皆でやらなあかんやつ先にしてくれへんか。」
部下達はう〜ん、と唸り返事を出し渋った。
大声を張り上げてやろうかと脳裏をかすめた瞬間
「ええ、ええ、まず、手の空いた者からやったらええんや。」
その支店の最高責任者が口を挟んだ。
部下達はその言葉を都合よく受け取り
最後まで、営業部門が割り当てられた公共の場所を掃除しようとしなかった。
彼はその部門ではただ独り、
他の部署の人間と協力して重たい物を持ったり汚いものを洗った。
一人冷たい雑巾をしぼっていると、
怒りをとおり過ぎて段段と「さみしく」なってきたそうだ。
誰だって掃除はいやだ。
通常は、清掃会社の方が毎日掃除をしてくれているし
別に大掃除をしようとしまいと大したことではない。
また、営業部隊最前線にいる部下達が本当に忙しいこともよく知っている。
ただこれは会社の決まりごとだし、年に一度の行事の一つでもあるのだ。
その支店責任者でさえ、自分の書類を終始整理するだけで
決して公共の場所を掃除しようとしなかった。
彼とてやることがないわけではない。
決して独りだけ手が空いているわけでもない。
仮に仕事がなくても、する振りをしようと思えば簡単にできる。
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ただ、年に一度の掃除ぐらい
利他の心で取り組むのが
様々な意味での社会への礼儀であるのはずだと語った。
最低の礼儀さえ、満足に遂行できない、
そんなすさんだ心に胸が曇ると。
彼は大人だから掃除の時間が終わり
お酒やお寿司などが運ばれ納会が始まると、あえて怒りを忘れた。
明るく快活に皆と会話を弾ませ1年を締めくくったそうだ。
ただそれは怒りを腹の底に一時的にしまっただけで
憤慨の気持ちは収まる理由がない。
爆発するのを自制する自信がなかったので
誘われた社外での2次会を断った。
真直ぐ、帰宅するつもりだったのだろうが
結局、友人である私の所に足を運んだ。
この話を誰かに聞いてもらいたかったのだと思う。
特に忙しくしていた20代の部下は
部門責任者である彼を追い越し、今期好成績を納めようとしている。
彼は常に雑務に追われ、不運も重なり、
彼自身の営業成績は下降の一途であるらしい。
彼の評価は下がり、部下達の評価は上がる。
営業成績を基準で言えば
「勝ち組」と「負け組」の論理が充当するのだろう。
その部下達を新入社員の頃から面倒見て来たのは
他ならぬ彼であるのだ。
管理能力や部下育成能力より何より、
今求められているものは「売上」である。
もちろん、彼は重々それを承知しており、
上司にも、部下にも恨み辛みを言うつもりはないはずではあるが・・・。
私「祭 作太郎」の価値観では
こんな利己中心的猫野郎どもは絶対大成しないと思う。
いくら営業成績がよくても他人の心を慮ることのできないヤツ、
自分の利益しか関心のないヤツは長い目で見ると良くならない。
それらの風土を産む組織自体がそうであろう。
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現在、日本の空では大型不況の暗い雨雲が長く居座っている。
究極のところはモノが売れないのではなく
モノが要らない状態なのだと思う。
前出の外資系のマネージャよろしく
懸命に働こうが、不真面目であろうがどちらでも良い。
要は「お金」を稼いでこいという事に他ならない。
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ふと、小学校の頃を思い出した。
子供の世界は無知である分、ある意味で大人社会よりも非情である。
いじめるやつ、いじめられるやつ、いじめるやつに媚びを売るやつ
要領よくズル賢いやつ。自分のことしか考えないやつ。
「勝ち組」と「負け組」を子供世界では
「強者」、「弱者」と言葉を置き換えることができるかもしれない。
いや、子供世界だけではないかもしれないが。
目標とする旗をたてないまま進められている今の教育制度。
(少なくとも私はそう思う。)
確立されない倫理や道徳。
はてさて、どうなるのだろうこの国の行く末は。
大人になるということ、社会というもの
この国はそんな一番大切なことを子供に教えないことをまだ続けるのだろうか。
第二次世界大戦が終わり、都会は焼け野原になり
それまでの価値観はひっくり返った。
その後、焦土の中から日本は立ち上がった。
先進諸外国と比べても第二次世界大戦前以上に豊な国になった。
それは米ドル換算した場合の国民総生産の額という意味に置いてだ。
そして、高度成長をくりかえし、モノを大量に生産し、消費した。
所得も、株価も、家賃の値段もどんどん跳ねあがり、
土地神話を捏造した。
受験いう名の戦争をでっちあげ「一流大学=大企業」という
おすすめコースをも創った。
これが「勝ち組」と「負け組」或いは「強者」と「弱者」の発祥かもしれない。
そして、我々は何を手に入れたか、何を失おうとしているのか。
つまり、私が言いたいことは
「学歴エリート社会」は崩壊を始め
それが、「売上エリート社会」にすり代わろうしている今
本質を見落としては元の木阿弥になる。そう言いたいのだ。
特定の宗教や、〜〜主義などの言葉遊びに振り回されず
本物の心を見つめる方法を手に入れないと明るい未来はない。
希望に満ち溢れた子供達。
そのかわいい子供達の命を奪った「悪夢」のような事件。
こんな事件を2度とおこさない為に。
こんな事件をおこしてしまう犯罪者が生まれる土壌を絶対に作らない為に。
我々は、今一度、本物の価値観を見つけ出す必要があるはずだ。
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「悪夢」そして「戦乱」
大切な命を無念にも奪われた方々の
ご冥福を心からお祈りする。
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今年の締めくくりの話にしては湿っぽくなり、いささか胸が痛い思いです。
これにて、2001年、最後の「エッセイ」を終える。
頭に宿る雨雲はまだ立ち去る気配がない。
2001年12月29日 ◆祭 作太郎
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