2001年の時事エッセイ



も く じ

●米国テロ事件
●続・米国テロ事件
●ウィルス
●2001年について
●頭の中の雨雲

 


 



「米国テロ事件」


江戸時代の末期、極東の田舎小国であった日本が、
なぜ急速に列強国と肩を並べる事が出来たのか。
一つは、己の志を信じた幾人かの若者達が
幕府を転覆させ新しい時代の扉をこじ開けたからだ。

もう一つは、国土に豊富な金・銀を埋蔵していた。
長崎・出島の非常に狭い土地にて、オランダ、清(中国)の2ヶ国ながら
その金・銀の力を用いて高度な文化や技術を買い取る事に成功した。
この異国がもたらした新文明が、学術的にも思想的にも
明治維新と言う奇跡の革命を創り上げた潜在的な土壌になったのだと考える。

原動力となった長州、薩摩、土佐などの国々は、辺境と言って良い程
江戸、京と言った中央から離れていた。
また、海に囲まれている地理的条件が列強の恐怖を肌で感じ、
外向きに危機感を募らせる要因にもなった。

突如、江戸の喉元である下田沖に現れた4隻の黒船(米国)に
天下泰平の眠りを覚まされた。
が、この黒船に乗り込もうとした、特異な若者が居た。
長州人吉田松蔭である。
この突拍子もない行動力は、旧秩序の人々を恐れさせやがて罪を問われる。
この吉田松蔭や、後の門下生達(萩・松下村塾)の後の物語は悲痛さえ憶える。
長州は、その悲痛さの中で、幕府連合軍に囲まれ完膚なきまで叩きのめされた。

が、薩長同盟が締結され、いつしか錦の御旗を掲げ新正義となり
今度は、旧秩序を守ろうとした会津藩などが悲痛な戦いを余儀なくされた。
しかし、時代は皮肉である。その錦の御旗の中心にいた
西郷隆盛や薩摩士族達は後に四面楚歌となり、血を流すことになった。
この事は今から多寡だが100年と少し前の事である。

時代は移り富国強兵を国策として列強に追いつけ追い越せで
近隣諸国を侵略し、帝国主義国家を打ち立てた。
やがて、当時も今も最列強国である
アメリカ合衆国に宣戦布告、真珠湾攻撃を仕掛けた。
結果、悲痛な報復を受け国土は焦土化した。
英国、フランス、ロシアにしても短期的に日本本土に攻め入り、
炎とする力はなかったはずである。

その力を温存していたのはアメリカ合衆国だけである。
アメリカ合衆国は幾度の世界大戦、紛争においても国土を攻められた事がない。
現代に至ってなお真珠湾攻撃がある意味唯一かもしれない。
第二次世界大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と
言わばアメリカ合衆国にとって外での戦いであった。

今週、摩天楼ビルディングにハイジャックされた飛行機が突っ込み
多くの罪なき多くの人々を殺めた。許されるべき行為ではない。
平和な日本の住民をはじめ、世界上にその事実の映像を見せ付けられ
震撼させられた。

早くも、経済面など間接的にその事件の影響を受けている。
いや、日本人もこの事件で何人の人が大切な命を落としたのか依然不明である。
が、いつ直接的にその悲劇の洗礼を受けるかも知れないと言う恐怖も覚える。

南京大虐殺、広島・長崎原爆投下などその悲しい殺戮史。
米国艦隊に特攻を命ぜられ、未熟な訓練で戦闘機に乗り込み
片道だけの燃料を積み海に散った若者達。
悲痛としか私は表現できない。
これらの事は多寡だが50年と少し前の事である。

今回のアメリカ合衆国のテロ事件は
決して許されるものではない。関わった人は罪を償うべきである。

ここで今一つ深く考えたい。
幕府連合軍に囲まれ完膚なきまで叩きのめされた長州の若者達。
薩南戦争で四面楚歌となり命を落とした薩摩士族達。
最初から死を覚悟の上、空から露と散った、特攻隊の人々。
そして、アメリカ合衆国の象徴に自らの命を爆弾に突撃した
今は謎の人々。
その状況、その立場による思想、正義、観念それぞれ違うと思うが
私はそれぞれの悲痛さを感じずにはいられない。

大切な事は、この事件の
「考え方の方向性を安易とらえてはいけない」と言う事だ。
背景にある底の深い真実をまず見つめる事が重要である。
平成13年9月15日 祭 作太郎 
 



続・米国テロ事件


ここ1週間、マスコミ関係は明けても暮れても
『米国のテロ事件』の事ばかり。
これだけの多くの人の命を奪った大事件だから至極当然。
ですが、解決の糸口さえも全く見えてこない気もします。

他の国際関係事情と関心度違う所は日本にも
間接的に直接的に大きく関係している点です。

◎米国の景気下降現象に連動しますます日本経済の先行きが見えない。
◎自衛隊の米国後方支援(海外派遣)による多方面の影響。
◎いつ、日本にもテロの矛先が向けられるかわからない。
◎日本各地に米軍の基地がある不安。
◎サイバーテロ(コンピュータ・ウィルス)の身近な脅威。
◎世界中が緊迫すると海外旅行が気軽に行けなくなる。

発生より1週間余り、いまだ明確な
犯人の論証などがはっきりとされていない感もします。

しかし現実は、アフガニスタン(をほぼ実効支配するタリバーン政権)
を標的にしたアメリカ合衆国(及び日本を含めた同盟国?)の
軍事行動の準備を着々と進めているのが現状でしょうか。

アフガニスタンは近い過去
旧ソ連の10年に及ぶ戦争(軍事介入)もあり民は疲弊し
また、その低経済力は先進国とは比較対象にもならない
ほどだと聞き及んでます。
例えばアフガニスタン国民の年収ベースでは、
恐らく日本人の学生アルバイト代の半月分にも満たないと言う事ことです。

私はこの件で何かを提言出来る地位も見識も持ち合わせておりません。
ですが、宗教・イデオロギーが違えども、同じ人間が仕事に励み、
子供を生み育て、幸せな生活を願っている事は確かなはずです。
何とか罪のない一般庶民の命まで奪わないでと・・・
切に願うばかりです。

核爆弾の出現で戦争形態が全く変革した第二次世界大戦後も
朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争と繰り返されてきました。

何年か先、この今の軍事行動(戦争)を振り返り
我々はまた様々な事を反省するのでしょうか・・・・・・。

平成13年9月22日  祭 作太郎




 「ウィルス」


ウィルス問題が深刻になってきている。
人間の病気のことではない。
コンピューター・ウィルスのことである。

私自身パソコンを持っていない時分は
メディアなどで話題になっても関心がなかったが、今は違う。
高価な機器はもとより、大切なデーターが破壊される恐怖がある。

また、被害者が、知らず知らずの内に加害者になりうることも少なくない。
つまり自分がウィルスに犯されていることに気ずかず
他人に移してしまうのだ。

本当に人間の病気とよく似ている。
「性病」と比較すればよりわかりやすい。
予防するにはコンドームは欠かせない。
例えばコンピューターの場合はアンチ・ウィルスソフトが
コンドームに充当するのかもしれない。

ウィルスなんて作っているヤツはとんでもなく悪い
・・・・・・・と一般的には言われている。
至極当然なのだが、私はあえて誤解を恐れず違う側面からとらえてみたい。

私の、口の悪い友人は
「ウィルスを作っているのはソフト会社とグルとちゃうか?」
などど言っている。

とんでもない発言だが、彼の論理はこうである。

新OSなどが発売される前後から
急激にウィルスが蔓延していると言うのだ。
旧バージョンのOSを持っているユーザーがウィルスで犯された場合
「いっそう買い替えようか」・・・・・こんな心理が働き
どんどん新OSが売れるとのこと。

う〜ん、余りにも信憑性のない話だ。

第一、OSを作っている所は、新しいウィルスがでる度に
ブラウザなどを無料公開(アップグレード)していて、
その経費は相当なものだと思う。

ただ、新しいものが売れるという観点からは
ウィルスも一種の★「必要悪」だという気がしないわけではない。

まず、「アンチ・ウィルスソフト」作成会社が発展する。
それを売る販売店も潤う。
企業などではセキュリティー担当者が必要だし
外注(アウトソーシング)するケースもある。
ハード自体開発されるし、データーをバックアップする為の
外付メディアなども売れる。

いずれにせよ、ウィルスの出現によって
各個人においてもその手間ひま(対策作業)はアホらしい。

愚痴のひとつも言いたくなるのが人情であろう。 

2001年12月1日 ◆祭 作太郎 



 「2001年について」


 

そして、なにも解決していない。

商談でもお互いの意見が食い違い、話が前に進まないとき
・・・では、次回にまた打ち合わせしましょう・・・と
結論を先延ばしにする。
今年はまさにそんな1年だったと感じる。

私などが1年を総括しなくても、これから各メディア関係が
これでもか、これでもかという具合に「2001年を振り返って」
特集をやってくれるはずである。

ただ、私の視点としては「何も解決していない」のだ。
こんな意見を小々述べたいと思う。

2001年・・・21世紀の記念すべき年。
「ニューヨーク・ツインタワービル爆破テロ」に代表される
国内外共に大きな事件が続いた。
しかも「衝撃的な」との言葉の組み合わせが必要な。

 

簡単に列挙するだけでも

えひめ丸沈没
新宿歌舞伎町ビル火災
池田小事件
現役教員による女子中学生事件
外務省不祥事
狂牛病
炭素菌
アフガニスタン侵攻

と衝撃的な事件が頻繁におこった。

また、各事象同士が複雑に絡み合う、
今風に言えば相互リンクする1年であった。

例えば、米国テロ事件からも様々な問題が浮き出てくる。
各産業に及ぼすマイナス減少。
国際情勢の不安から、海外旅行客が激減。
飛行機の心理的恐怖で国内線旅客も減少。
近年人気のあった修学旅行地「沖縄」にキャンセルの打撃。
学校側の本音の所は沖縄には米軍基地がある(・・・から危険)
との理由であるらしい。

で、何が解決したか。

何も解決していない。
そもそも当事者(政治家達)には、
敢えて「米軍基地」まで論議が及ぼうとしない。
自衛隊海外派遣にしろ、えひめ丸事件の対応にしろ
根本的には「今ある日米関係の姿がどうなのか?」
をまず考えるべきである。

この事を先延ばしにする限り
直接、間接的に様々な「沖縄」問題が今後も発生する。

そもそも、21世紀というが西暦は誰が決めたのか。
アフガニスタンから、ある組織を壊滅させれば何が解決するのか。
基本的な根源は何なのか。
そして、なにも解決していない。

次に、狂牛病。
3頭目を発見。で、話が中座していないだろうか。
世間では、気にする人は食べない、気にしない人は食べる。
だけで流されている感じがする。
「気にする人」がやや多くて食肉業者・飲食店は大変。
それだけのような気がする。
そして、なにも解決していない。


根本的に日本の、いや輸入肉も含めて
牛肉は本当に安全なのか、或いは一端待つべきなのか
早く科学的根拠がほしいと思う。

長期不況・・・失業者増大・・・デフレ・・・金融再生・・・構造改革。
そして、なにも解決していない。

何も問題解決しないのは小泉首相を始めとする政府・官僚だけの責任ではない。
誰にも「批判だけをする」資格はなく、責任は共有すべきである。

貴方は今年選挙に行きましたか?
出張の場合、不在者投票に行きましたか?
私は、選挙の投票率が50〜60%前後ではきっと何も変わらないと思う。
国政選挙であろうと、地方選挙であろうとだ。

詭弁かも知れないが「選挙の投票率99%」
ここから全てが新たに始まると私は思う。

次回に結論を引き延ばすかどうか、
それは我々自身が決めること。
投票に行っても何も変わらない。
そして、なにも解決していない。

それで良いのだろうか。

2001年12月22日 ◆祭 作太郎

 



2001年の総括 「頭の中の雨雲」


「勝ち組」と「負け組」

というビジネスの上の表現が流行しているような気がする。
私はこの言葉が大嫌いだ。

商売のうまい人が 「勝ち組」
商売の下手な人が 「負け組」

他にも解釈はあるだろうが、私は単純にこう理解している。

組織が小さい所から徐々に学歴信仰が薄れてる感じがする。
難関大学を出ようが、良い家の出身であろうが
売らないことには話しにならない。
なぜなら、今はモノが売れないからだ。

「勝ち組」と「負け組」という表現は企業レベルだけではなく
部門単位、個人単位にまで落とし込まれ論議される。
つまり、同じ会社の同じセクションでも

売上の多い人  「勝ち組」
売上の少ない人「負け組」

と二極化されて、「負け組」は自然に淘汰されると言うのだ。


ある記事か何かで読んだのだが、
外資系日本法人の米国人マネージャーの話。

「私の好きな部下は2通りだけだ。
懸命に働き実績をあげる人間。
もうひとつは、まじめに働かないが実績をあげる人間。」

背筋が寒くなり、何となく怒りが込み上げてくる談話だが
今の「勝ち組」と「負け組」発想の根源と同類のような気もする。

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つい先日、今年6月に発生した

大教大付属池田小児童殺傷事件の初公判があった。

裁判の内容は私にはよくよくわからないが
朝刊の社会面にお子様を亡くされたご家族の悲痛な談話が掲載されていた。

私は立ちながら電車でそれを読んでいたのだが、次第に涙があふれ出た。
私の横に立っていた通勤途中のOLさんが不思議そうな表情で、
何度も私の顔を覗き込んでいた。
朝っぱらから新聞を読みながら泣きっ面をしていれば、奇異と思われて仕方ない。

どう考えたって被害者の親御さん達の悲しみは他人にはわかるはずないであろう。
また、この腹立たしさを転換させる術もない。

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昨夜のこと。遅い時間に古くからの友人が突然訪ねてきた。
酒も飲まず夜中の2時まで彼の話を聞いた。
様々なことに話は及んだが
彼が本当に語りたかった事はこんなことだ。

12月28日(金)・・・今年この日を仕事納めにした会社は多かったことだろう。
彼の会社でも午前中までは通常営業(残務処理)で
午後から大掃除、夕方に納会こんな段取りだったらしい。

大掃除の時、彼の部下達は掃除をやらない。
彼は30名ぐらいの小さな支店で勤務していて、
その中で総勢7〜8名の営業部門を率いる立場にある。

午後、経理など他の部門は一斉に掃除に取り掛かった。
営業はそうはいかない。午前中、集金やあいさつ回りに行く者もいるし
午後に入っても顧客から何かと電話が入ったりする。

彼は、そのあたりの事情は充分理解しているし
だからこそ、いつも自分が率先して掃除を始める。
トップの人間が動かないと下はついて来ない。

午後3時も過ぎた頃、部下達はやっと自分の机などを拭き始めた。
ただ、窓や書庫など公共の場所をやろとしない。
挙句の果て、部下の中の一人は自分の身の回りを簡単に片付けると
さっさと自分の仕事を再開する始末である。

彼は極力怒りを押えた声を出した。
「一度、自分のことは手を止めて、皆でやらなあかんやつ先にしてくれへんか。」
部下達はう〜ん、と唸り返事を出し渋った。

大声を張り上げてやろうかと脳裏をかすめた瞬間
「ええ、ええ、まず、手の空いた者からやったらええんや。」
その支店の最高責任者が口を挟んだ。
部下達はその言葉を都合よく受け取り
最後まで、営業部門が割り当てられた公共の場所を掃除しようとしなかった。

彼はその部門ではただ独り、
他の部署の人間と協力して重たい物を持ったり汚いものを洗った。
一人冷たい雑巾をしぼっていると、
怒りをとおり過ぎて段段と「さみしく」なってきたそうだ。

誰だって掃除はいやだ。
通常は、清掃会社の方が毎日掃除をしてくれているし
別に大掃除をしようとしまいと大したことではない。
また、営業部隊最前線にいる部下達が本当に忙しいこともよく知っている。
ただこれは会社の決まりごとだし、年に一度の行事の一つでもあるのだ。

その支店責任者でさえ、自分の書類を終始整理するだけで
決して公共の場所を掃除しようとしなかった。

彼とてやることがないわけではない。
決して独りだけ手が空いているわけでもない。
仮に仕事がなくても、する振りをしようと思えば簡単にできる。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ただ、年に一度の掃除ぐらい

利他の心で取り組むのが

様々な意味での社会への礼儀であるのはずだと語った。
最低の礼儀さえ、満足に遂行できない、
そんなすさんだ心に胸が曇ると。

彼は大人だから掃除の時間が終わり
お酒やお寿司などが運ばれ納会が始まると、あえて怒りを忘れた。
明るく快活に皆と会話を弾ませ1年を締めくくったそうだ。

ただそれは怒りを腹の底に一時的にしまっただけで
憤慨の気持ちは収まる理由がない。
爆発するのを自制する自信がなかったので
誘われた社外での2次会を断った。

真直ぐ、帰宅するつもりだったのだろうが
結局、友人である私の所に足を運んだ。
この話を誰かに聞いてもらいたかったのだと思う。

特に忙しくしていた20代の部下は
部門責任者である彼を追い越し、今期好成績を納めようとしている。
彼は常に雑務に追われ、不運も重なり、
彼自身の営業成績は下降の一途であるらしい。

彼の評価は下がり、部下達の評価は上がる。
営業成績を基準で言えば
「勝ち組」と「負け組」の論理が充当するのだろう。

その部下達を新入社員の頃から面倒見て来たのは
他ならぬ彼であるのだ。
管理能力や部下育成能力より何より、
今求められているものは「売上」である。
もちろん、彼は重々それを承知しており、
上司にも、部下にも恨み辛みを言うつもりはないはずではあるが・・・。


私「祭 作太郎」の価値観では
こんな利己中心的猫野郎どもは絶対大成しないと思う。
いくら営業成績がよくても他人の心を慮ることのできないヤツ、
自分の利益しか関心のないヤツは長い目で見ると良くならない。
それらの風土を産む組織自体がそうであろう。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

現在、日本の空では大型不況の暗い雨雲が長く居座っている。
究極のところはモノが売れないのではなく

モノが要らない状態なのだと思う。

前出の外資系のマネージャよろしく
懸命に働こうが、不真面目であろうがどちらでも良い。
要は「お金」を稼いでこいという事に他ならない。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

ふと、小学校の頃を思い出した。
子供の世界は無知である分、ある意味で大人社会よりも非情である。
いじめるやつ、いじめられるやつ、いじめるやつに媚びを売るやつ
要領よくズル賢いやつ。自分のことしか考えないやつ。

「勝ち組」と「負け組」を子供世界では
「強者」、「弱者」と言葉を置き換えることができるかもしれない。
いや、子供世界だけではないかもしれないが。

目標とする旗をたてないまま進められている今の教育制度。
(少なくとも私はそう思う。)
確立されない倫理や道徳。
はてさて、どうなるのだろうこの国の行く末は。

大人になるということ、社会というもの

この国はそんな一番大切なことを子供に教えないことをまだ続けるのだろうか。

第二次世界大戦が終わり、都会は焼け野原になり
それまでの価値観はひっくり返った。

その後、焦土の中から日本は立ち上がった。
先進諸外国と比べても第二次世界大戦前以上に豊な国になった。
それは米ドル換算した場合の国民総生産の額という意味に置いてだ。

そして、高度成長をくりかえし、モノを大量に生産し、消費した。
所得も、株価も、家賃の値段もどんどん跳ねあがり、
土地神話を捏造した。

受験いう名の戦争をでっちあげ「一流大学=大企業」という
おすすめコースをも創った。
これが「勝ち組」と「負け組」或いは「強者」と「弱者」の発祥かもしれない。
そして、我々は何を手に入れたか、何を失おうとしているのか。

つまり、私が言いたいことは
「学歴エリート社会」は崩壊を始め
それが、「売上エリート社会」にすり代わろうしている今
本質を見落としては元の木阿弥になる。そう言いたいのだ。

特定の宗教や、〜〜主義などの言葉遊びに振り回されず
本物の心を見つめる方法を手に入れないと明るい未来はない。

希望に満ち溢れた子供達。
そのかわいい子供達の命を奪った「悪夢」のような事件。
こんな事件を2度とおこさない為に。
こんな事件をおこしてしまう犯罪者が生まれる土壌を絶対に作らない為に。
我々は、今一度、本物の価値観を見つけ出す必要があるはずだ。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「悪夢」そして「戦乱」

大切な命を無念にも奪われた方々の
ご冥福を心からお祈りする。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

今年の締めくくりの話にしては湿っぽくなり、いささか胸が痛い思いです。

これにて、2001年、最後の「エッセイ」を終える。

頭に宿る雨雲はまだ立ち去る気配がない。 


2001年12月29日 ◆祭 作太郎



 

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