高  取  町  の  歴  史  
区分 項  目 要          約 関連歴史遺跡
古代  プロローグ

律令国家建設への道のり
  6世紀前半継体天皇の時代に大和王権の国内統一が実現し、聖徳太子、蘇我馬子、中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原鎌足)、大海人皇子(天武天皇)等や推古天皇等の女帝達(女性)により、先進技術を持つ朝鮮半島からの渡来人を重用して、律令国家が建設されていきました。
その1




古代国際都市




高取町




6世紀


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8世紀初頭
「いにしえの渡来人」が活躍した古代の国際都市高取町
(1)朝鮮半島の百済や伽耶などの渡来人が闊歩していた国際都市高取町
  飛鳥を歴史の主舞台におしだし、そこに最初の仏教文化を開花させたのは、蘇我氏と、そして蘇我氏を多様な先進技術・文化で支えた、朝鮮半島から渡来して檜隅から高取町域に定着した渡来人たちで、その一族を東漢氏と称しました。
(2)蘇我氏の台頭と東漢氏の活躍が飛鳥時代幕開けの原動力
  新興豪族の蘇我氏が、渡来人の東漢氏のバックアップを受け、廃仏派の物部氏を倒し、豪族たちを主導して飛鳥朝廷を確立していきました。
(3)大化の改新の陰の立役者は高取町在住の豪族東漢氏と巨勢氏

     大化の改新は中大兄皇子と藤原鎌
   足が蘇我入鹿を誅して成就したことで知
   られていますが、中大兄皇子の命により、
   巨勢臣徳陀(こせのおみとこだ)が蘇我氏の最
   大の軍事氏族である東漢氏(やまとのあやうじ)
   を説得して中大兄皇子の味方に付けたこ
   とが、大化の改新成就の決定的な要素で
   あることは余り知られていません。

(4)渡来人がもたらした最先端の技術と仏教文化が飛鳥文化を開花させました
  渡来人は日本の古代文化の根幹をなしたものであり、彼らが居住した高取町は、飛鳥文化の源流地としての役割を果たしました。



清水谷遺跡



観覚寺遺跡



呑谷古墳



稲村山古墳



銅製の釈迦誕生仏



ホラント遺跡



キトラ古墳



於美阿志神社(檜隅寺跡・檜隅蓋 入野宮跡)



その2
万葉集に詠われる高取町

6世紀末 

8世紀初頭
  飛鳥から高取町域を経て西南方向へのび、遥か紀ノ川河口に達する古道を古代には、紀路と称され沿道にある天皇陵などが、万葉集に詠われています。紀ノ川河口は6世紀末まで大和朝廷の外港として重要な機能を果たし、異国の文物や渡来した人々は、紀路を経由して大和に入ってきました。 紀路(紀州への道)
束明神古墳(草壁皇子陵)
森カシ谷遺跡
斉明天皇越智岡上陵
   その3
  古墳に見る
   高取町
     
   6世紀
    
  8世紀初頭
  高取町は大和盆地にあってまだ美しい自然環境の多く残された土地です。この自然環境に育まれた私たちの祖先の生活の痕跡も、今や自然の一部として土中の奥深く眠っています。あまり知られていませんが、高取町は県下有数の古墳の多い地域で、古墳密度では圧倒的に県下一の地域です。その内でも、最も規模が大きく平坦地に位置する前方後円墳の市尾墓山古墳は、周辺の住民が春になるとワラビ採りや草刈などを行い、周辺地域のシンボルともいうべき存在です。古代の豪族「巨勢氏」がこの市尾墓山古墳に眠っています。 古墳密度県下一(700基を超える古墳)

市尾墓山古墳

市尾宮塚古墳

高取町にみる国名集落
その4

奈良時代

平安時代

8世紀初頭

12世紀末
東漢氏の一族である最初の「征夷大将軍」坂上田村麻呂の活躍
   「日本後紀」に、赤面黄鬚にして、勇力人に過ぐ、将帥の量あり、帝、壮として、延暦二十三年征夷大将軍に拝し、功を以て従三位に叙す。但し往還の間、従うもの限り無く、人馬給し難く、累路費すところ多し。大同五年大納言に転じ、右近衛大将を兼ぬ。---薨じ、従二位を贈らる。時に年五十四と記されています。
坂ノ山古墳

子嶋寺(京都清 水寺の本山)

壷阪寺(西国三 十三ヶ所第六番札 所)
五百羅漢

国府神社(大和国の国府所在地