市尾宮塚古墳
                                   
  高取町大字市尾に所在する古墳で、近鉄吉野線市尾駅の西北西約400mの天満神社のある独立丘陵頂部にあり、北東約200mには市尾墓山古墳
があります。

  平成10年1月30日高取町教育委員会は、横穴式石室から金色に輝く鈴や馬飾りなどが出土され、時期は6世紀中頃と考えられ、飛鳥から紀州にあった古代の外港「紀伊水門(きのみなと)」を結ぶ古代の道「紀路(きじ)」沿いにあることから、「外交に従事していた豪族の首長の墓」であると発表しました。全長44mの前方後円墳で、後円部の横穴式石室は四角く削った巨石をやや内向きに積み上げた構造です。現在は、石室に近付くと自動的に照明がつき実物の石棺が見られ
るようになっており、訪れた人の意表をつき楽しませてくれる工夫が施されていて感動します。

  床面から多数の副葬品が見つかった。馬の装飾に使った金銅製の杏葉(ぎようよう)や刀の柄に装飾されていた水晶の三輪玉、金銅製の耳環(みみわ)、金銅製の鈴、冠を飾っていた銀製の歩搖(ほよう)と呼ばれる魚形の銀製品などが出土した。金銅製の鈴は天理市のタキハラ一号墳に続いて県内では二例目で、いずれも盗掘の際に取り残されたとみられ、金銅製や銀製の馬具や太刀の装飾品など国際色
豊かな副葬品が多数あり、遺物の豊富さは藤ノ木古墳を上回る内容があったことをうかがわせる古墳です。
  
  被葬者はこの地一帯を本拠地としていた「巨勢氏」の一族であると考えられます。