呑谷(のみだに)(松山)古墳
  高取町大字松山字呑谷に所在する古墳で、同町の清水谷遺跡の南西約500mの所にある呑谷墓地の南西の丘陵に連る十基の円墳の群集墳です。最大のものは高さ約3m、直径約10mの円墳で、切石を使用した小型の横口式石槨であり、明治29年頃、そのうちの一基から海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)一面、鉄鏡(てつかがみ)一面、鉄釘五十四個、金銅製棺金具八個が出土しました。
 
  とくにこれらの遺物は古墳時代末期の古墳出土資料として高く評価され、現在東京国立博物館に一括して所蔵されています。
  
  海獣葡萄鏡は、唐鏡の一種で葡萄唐草文(ぶどうからくさもん)の禽獣(きんじゅう)を配した文様が鏡の背面に刻まれているところから名付けられたものです。鏡の直径は約10cmたらずの小型のもので、
(つまみ)に獣形を表し、内区・外区共に葡萄唐草文をおき、さらに内区には獣形、外区には小鳥、蝶を唐草文の間に配し、外縁には蕾のようなものを配列している。材質は白銅で、鋳上(いあが)りが極めてよく、中国の唐時代に鋳造されたものです。
  
  鉄鏡は、直径13cmで鈕の部分は金銅製のものをはめ込んだ極めて例の少ないもので、これも中国では漢代から唐代にかけて作られたものです。
  
  被葬者は、渡来系氏族である東漢氏の一族であると考えられます。