銅製の釈迦誕生仏
 
 明治8年5月、以前高取小学校の校舎のあった場所、すなわち、元高取藩家老林氏屋敷のあった所から銅製の釈迦誕生仏が発掘されました。現在は大阪市立美術館に保管されています。同町の津田氏所蔵のこの写真の像は江戸時代後半に作られたものです。
 当時の像は、高さ約8.5cm、台も含めると約11.8cmあり、当初は鍍金されてあったのが火中したらしく、残部は見られないが、鼻先に残滓らしいものが付着しています。螺髪(らはつ)は明らかでないが顔はよく残り、裸形で、腹掛けをして、左手は天を指し、右手
は体側に沿って垂下させ、地を差して直立する幼児の姿です。朝鮮系誕生仏で新羅統一前の三国時代のもので7世紀初頭のものと考えられます。
 
  「扶桑(ふそう)略記」に、522年漢から百済を経由して日本にやってきたという渡来人の司馬達等(しばたつと)が檜隅の自分の草堂に仏像を安置して礼拝(らいはい)していたことを伝えており、この仏像も朝鮮半島から渡来した東漢氏の一族が持ち込んで自分の草堂に安置して礼拝していた仏像であると思われます。

【用語解説】

  ・飛鳥時代の仏像の大きさの種類・・・一番大きいのが飛鳥大仏の「丈六仏」、その次が法隆寺の三尊仏に代表される「半丈六仏」、その下が小さい「持ち運びできる仏像」、一番小さいのは一寸五分とか二寸とかいう「懐中仏」の四種類あります。
 
  ・誕生仏・・・右手を高く挙げ、左手は地を指して直立する幼児の姿で、頭髪は羅髪(らほつ)(髪の毛が右巻きの貝のようなものが並んでいる頭髪)が原則であるが小像であるため省略されているものもあり、上半身は裸形、下半身に裳を付けるのが一般的な形です。釈尊(釈迦)の誕生直後の姿をかたどったものです。中国南部や東南アジアなど南方系の誕生仏は、わが国と異なり左手を挙げるものがほとんどで、朝鮮半島でも左手を挙げるものがあり、裳を着けず全裸のものが多い。