稲村山古墳
 高取町大字観覚寺(かんがくじ)に所在する古墳である。昭和7年2月開墾して果樹園とされた際、すでにそれ以前石室の天井石がなくなっていましたが、そのとき全て破壊されてしまいました。現在はそのとき出土された石室の一部と出土品の記録が残っているだけです。
 
出土した遺物は銀釧(ぎんくしろ)四個、銀匙(ぎんさじ)一本、金環一対、玉十五個、土器類などでありますが、銀釧や銀匙などは県下でも数少ない出土品で、舶載品であると思われます。
  
 被葬者は渡来系氏族である東漢氏の一族であると考えられます。

【用語解説】
  ・釧(くしろ)---ひじに、はめた古代の装飾品