欲求と傷跡

                1 2 3 4 5  6  7 8  9




事の発端は思い出しても気恥ずかしい。
だから、いつまでも、共にある、と言う事だけを信じて、
それがどんな形なのかまでは全く予想もつかないけれども、

今は、ただ、今と今とを繋ぎ合わせて、その中で温もりや優しさを
二人で少しづつ、戸惑ったり、迷ったりしながら拾い集めている。

そんな時期だった。
仲間としてしか知らなかった事がいかに表面的なモノで、お互いがどれだけ
違う人間なのか、また、同じモノを持っていたのか、時を重ねて行く事は、
新しい事の発見の連続だった。

けれども、言葉では伝え合う事がゾロもサンジの苦手だから、そのかわりになるものが必要だった。

(もっと)触れ合いたい。
寒い訳でもないのに、誰もいないところで二人きりになった時、
唇や掌だけでは温もりが足りなくて、それなのに、その正直な気持ちを形にする事が
出来ずにいた。

了承を得て、次の段階へ進む、なんて却って恥かしくて出来ない。
「ガキじゃあるまいし、このままなにもしねえって訳じゃすまねえんだろうな。」と半ば照れ隠し、半ば投やりにサンジは思い切って二人きりの時間にそう切り出した。

三日月と星の光りが波間に落ちて行くのを見ながら、二人はフィギアヘッドの傍らに
凭れ、甲板にうっすらと影を落している。

「あんまり、気乗りしねえんだろ。」とゾロはサンジの無理な虚勢を見透かして、
そう言って肩をそびやかして少し軽い感じで笑ってみせた。

「女が大好きだもんな、お前エは。」とさして、気にもしないような、
サンジをからかうのと変わらない口調でそう言い、
「俺に申し訳ネエから、なんて理由でヤるのは俺だってゴメンだ。」
「腹が決ってからでいい、別に焦ってネエし。」

口ではそう言いながら、口付けをしたらそれ以上、と思うのがゾロの本音だった。
顔だけを近づけてする時はまだいい。
だが、腰に手を回して、体を密着させたら、目を開くと柔らかそうな耳たぶや、
触ったらスベスベしていそうな瞼が目に入る。
髪に触れたら、ふと、触れる指先に首筋の皮膚とその温かさに背筋にゾクっと
寒気に似た、性欲の信号が頭から下半身へと駆け下りて行く。

仲間、としてしか認識していなかった時は女を見るとだらしない顔をするし、
性経験ぐらいはあると勝手に思っていたが、実際にこういう、特別な関係になってみると、それは全くの思い違いだと知って、正直、驚いた。

これがサンジの素顔だったと誰も知らない事を知って、嬉しかった。

「だから、ビビにも手を出せなかったのか。」

女を口説くのに、あれだけ口が回る男が、本気で恋をした女にキス一つも出来なかったのは、その行為をサンジ自身がとても大切に思って、特別に思っているからで、
それをやっと自分と抵抗なく交わせるようになってから知って、ゾロは嬉しくて
そう言って、サンジをからかった事もある。
「キスくらい、しときゃ良かったのに。」

「そんな事してたら俺は今ここにいないかも知れねえぜ。」
「すればするほど、離れたくなくなるからな。」と
サンジはバツが悪そうに言い返して来た。
キスをすればするほど、回数を重ねるほど、相手を好きになって行く。

言葉の裏に正直なサンジの心が見え隠れする。それを見落とさない様に、
ゾロはサンジの口から出る言葉から気を逸らす事が出来ない。

そんな時期の事だった。

居心地の良い島に着いた。
「ログはちょうど、1週間程度ね。」
「ちょうど、海軍もいないみたいだし、少しは羽根を伸ばせそうね。」

幸い、船を港に停泊し、それなりの金を払えば、ちゃんと警備もしてくれる
と言うシステムがあった。
ナミは「お金は惜しいけど、たまには全員で宿でゆっくりしたくない?」とルフィに
提案し、全員揃って下船する事になった。
だが、「先立つ物がいるから、稼いでネ。じゃないと宿代はおろか、次の航海の為の
物資も買えないから。」と言う事で、全員揃って、陸上での海賊稼業に精を出す事になった。

ナミはロビンと掏りや盗みを。
ウソップとチョッパーはルフィの冒険のお供に。
サンジとゾロは賞金稼ぎと強奪。

「俺達がやる事はいつもと変わってネエな。」とゾロは苦笑いしてサンジと二人で街を
標的を捜して歩く。
「ああ。」とサンジは短く答えた。

今朝からあまり口数が多くはない。
片側だけ見えている顔もいつもより顔色が悪いように見えた。
表情が冴えていない所為かも知れない。

「どうした。」とゾロはいつもと違う様子が気になった。
「何が。」とサンジは考え事を急に中断したような唐突さでゾロの言葉に
反応する。その違和感のある反応がますます訝しい。

「何がって、お前エ、寝不足か。」とゾロはいつもと変わらない口調で尋ねる。
気遣って、心配した顔をサンジに見せるのはまだ、気恥ずかしい。
仲間の時とはあまりに違う自分の態度をサンジに指摘される事を想像すると、
恥かしくて、それらしい、優しい言葉が喉から簡単に出せなかった。

「ま、そんなモンだ。」とサンジはいつもよりも少し血色の悪い肌の色のままで、
それでも、くしゃっと笑った。
サンジらしい、どこか強がっている時に良く見た、見慣れた顔だったが、
ゾロはまだ、その時のサンジの様子をそれ以上、深くは気にしなかった。

程ほどに奪い、程々に狩って仲間と合流する。
賑やかに夕食を摂り、その後、女同士、男同士に別れて宿の部屋に入った。

ゾロは普段、海の上では殆どが不寝番だ。
しかもこう、居心地の良い場所だと却って目が冴える。
仲間が安心して熟睡している時こそ、気を張っていなければ、と言う心構えもあり、
ゾロは同じ部屋で眠っている全員が寝静まっても、一人、ベッドの上で
起きていた。

二人だけの部屋じゃなくて、良かった、と思う。
喧しい程のルフィのいびきと、それにかき消されそうなウソップやチョッパーの寝息、
そして、横を何気なく向けば、窓からさし込む細い星か、月のあかりで
朧気に見えるサンジの瞼を閉じた横顔が見えて、規則正しい寝息が聞こえてくる。

退屈になったので、ゾロは刀の手入れをする為に、ベッドから起き上がった。

三振り目の雪走の手入れをしている時、ゾロは部屋の中に異様な息遣いを感じて、
手を止める。
誰かが、魘されている、とすぐにわかった。

ウソップは暢気に寝ている。
チョッパーも丸くなって静かに眠っているし、ルフィの鼾は相変らずうるさい。

「おい。」

息が詰まった様に苦しげな顔でサンジがうめいている。
魘されている人間を無理に起こしては行けない、とか言い伝えられているが
まるで首を締められているのを振り払おうとするかのように空を切っていたサンジの手首をゾロは掴んだ。

「おい、目を覚ませ、」と両手首を引っ掴んで、無理矢理ベッドから起き上がらせた。

「っ・・・っは。」

頭突きするかと思うほど、ゾロとサンジの顔は接近して、やっとサンジは我に返った様に目を覚ます。
突き合せた額には、じっとりと汗で濡れていた。

「うなされてたぜ。」「俺がか。」

ゾロの言葉にサンジは息を荒く吐きながら答える。

「怖エ夢でも見てたか。」と尋ねたゾロにサンジは答えず、掴まれていた手首を
迷惑そうに振り払い、
「頭痛エ。寝る。」と言うや、うつ伏せにベッドに倒れ込む。

「うなされてたんじゃねえ、寝ぼけてただけだ。」と枕に顔を埋めたままそう言うと、
布団を頭からすっぽりと被ってしまった。

翌朝。

「ね、サンジ君、昨日の人、知り合いだったの?」

全員が揃って同じ食卓を囲んでの朝食、というのは珍しい。
大抵、サンジはテーブルにつかずに皆に給仕しているからだ。
今朝は宿が朝食を用意してくれたので、全員揃っての食事だった。

「こんなの全然足りねえ。」とルフィは不服そうだが、ナミは黙殺し、
珍しいサンジの食事風景を見ながら、サンジに唐突にそう尋ねた。

「昨日の人って?」とサンジはナミの質問ににこやかに応対する。
今朝も昨日と同じでどこか顔色が悪いようにゾロには見えた。

あれから、サンジは何度もうなされていて、その度にゾロが叩き起こしていた。
恐らく睡眠は殆どとれていないだろう。
ゾロの様に、短時間でも熟睡して疲労を吹き飛ばす事が出来るなら何も心配など
必要はないだろうが、夢見が悪くて眠れないと言うのは、ただ寝つきが悪いのと
違って、寝ていても疲れが溜まって行く筈だ。
けれど、その心配を口にしたところで、きっとサンジは「気色の悪い心配をするな」と言うに決っている。

「船着場で声を掛けて来た人よ。サンジって名前を呼んでたのに、」
「サンジ君、無視したでしょ。」

1秒にも足りない沈黙の後、サンジは
「そんな事ありました?ちっとも気がつきませんでした。」
ナミの言葉に笑っていても、サンジのその言葉には何かを隠そうとしている匂いがゾロには、感じられた。

トップページ   次のページ