「航海士さん、」ナミの何気ない好奇心をロビンが横合いから穏やかに
嗜める。
「言いたくなくて、黙っている事をほじくり返すのは、はしたないわ。」
「別にそんなんじゃないよ、」
ナミがロビンの言葉に反応を返す前にサンジがロビンの言葉に即座に反応した。
「本当に気がつかなかっただけだよ。」と言って立ち上がった。
この話題には、もう、触れないで欲しい、と言う気持ちをその行動で
サンジはロビンとナミに示した様にも見える。
「野郎の顔に関しては、憶えが悪いんだ、俺。」
「女性の顔なら一度でも話せば忘れないんだけどね。」と言っていつもどおりに笑って、
煙草を口に咥え、そのまま、外へ出て行った。
出会うまで、バラバラに生きて来たのだから、それぞれ、出会うまでに
積み重ねてきた過去があり、それらを全て、仲間だからと言って、
曝け出す義務はない。知られたくない事もあれば、知る必要もない事もあるだろう。
それくらい、ナミにだって分別があったのだが、まさか、そんな複雑な事情がありそうな反応をサンジが返して来るとは思わなくて、引っ込みがつかなくなってしまい、
それをロビンに窘められ、自分も素直に反省し、口をつぐんで食事を続ける。
(気にはなるけど、)サンジが知られたくない事なら興味本位で根掘り葉掘り
(聞く訳にはいかないもの。)だが、ナミはそれとなく、ゾロの顔を見る。
黙って食事を終えると、やはり、すぐに席を立った。
ナミよりも、ゾロの方がずっとサンジの挙動を気にするのは当然だった。
「さて、今日はどうする?」サンジは玄関の外にいて、何事もないように、
いつもどおりの態度で、ゾロを待っていた。
いつもどおりに、煙草を口の端に咥えて、いつもどおりに傲慢な態度で。
「お前は、今日、寝てろ。」とゾロは腰に刀を挿しながらそう言った。
「顔色が悪イ。そんな面見てたら、気が散る。」
仲間でいたなら、サンジの過去に興味など持たなかっただろう。
だが、今のゾロはサンジをただの仲間だとはもう思っていない。
ゾロがサンジにさっき話題に出た男の事について聞きたい理由は、
ただの興味ではなく、惚れた相手が腹に苦いモノを抱えているのなら、
その原因を知って、
出来るなら、その原因を取り除きたいと思ったからだ。
それが出来ないなら、せめて、取り除く事が出来ないのなら、ログが貯まってこの島を出るまで、その原因と遭遇しない様にした方がいい。
「会いたくねえ奴がいるんだろ。」
ゾロのその言葉にサンジはナミやロビンに返した反応とは全く違う表情を浮かべた。
取り繕う事もない、息を呑んで竦んだ顔だった。
嘘を突き通すか、何もかもを話すか、決められないと言う迷いが
一見無表情に見える中に、ほんの僅かに顰められた眉と揺れる様に一瞬だけ
戦慄いた唇と忙しない瞬きに見て取れた。
以前のゾロなら見落としていたサンジのその微妙な表情、
ナミやロビンの前でももしかしたらそんな顔をしたのかも知れないが、
サンジの胸の内までもをその表情から読み取れるのは、やはり、ゾロだけだった。
「だから、」1秒にも満たない沈黙の後、サンジは曖昧に笑って、
「気がついてなかっただけだって言ったじゃねえか。」と答えた。
(こいつ、)嘘をつくと決めたな、とその言葉でゾロは悟る。
誰に対してなのか、何に対してなのか、じわりと悔しさが心の中に滲んだ。
自分の独り善がりだった、と気恥ずかしくもなる。
「そうか、」とゾロは答えるしかなかった。
触れないで欲しいと言う過去に触れて、もしも、そこに傷があるのなら、
その痛みを触れる事で呼び覚ましてしまう事もあるかも知れない。
そう思うとゾロは、「それなら、いい。」としか言えなかった
そして、いつもどおりに行動する。
二人は、その日宿に帰る道で、「ケイ」と言う女性に出会った。
出会った、と言うよりも、その道で彼女はサンジを待っていた様で
彼女の方から「サンジさん、」声を掛けて来たのだ。
その時のサンジの反応も明らかに妙だった。
「女性の顔なら一度でも話せば忘れないんだけどね。」と言っていて、
それはほぼ、間違いない事実だとゾロは思っていたが、サンジはその「ケイ」と言う
女性を見て、笑顔よりも先に訝しげな表情を浮かべたのだ。
そして、「ケイです、」と彼女が名乗った途端、ゾロは隣にいて
はっきりとサンジが息を呑んだのを見た。
「驚いた、こんな所で会えるなんて。」と答えたサンジの声がやはり、
いつもの軽薄な感じが全くしないのも違和感がある。
突然の事に驚き、目の前の状況をどう処理していいのか、と言う困惑が
サンジのほんの少し上ずった口調に現れていた。
ケイはサンジと同じ色の髪の色、同じ色の瞳をしていた。歳もそう差はないだろう。
清楚で、気弱そうな、普段のサンジなら、絶対に好きそうな容姿だった。
「サンジさん、少しだけ、お時間がありますか。」と
ケイは胸の前にギュっと自分の手を握り合せ、縋るようにサンジを見ている。
(またか。)どうせ、サンジはこの女とどこかへ出掛けていき、帰って来るのは
夜も更けてからだろう、とゾロは何も言わずにその場を離れようと先に歩き出す。
「俺といると禄な事にならないよ。」
(え?)
思い掛けないサンジの言葉にゾロは思わず振り返る。
サンジが女の誘いをこうも毅然とキッパリ、断わるのを初めてゾロは見た。
意外な展開に固唾を飲んで経緯を見る。
「お願いです。」とケイは尚もサンジに取りすがらんばかりだ。それに対して、
「俺は今、海賊やってんです。」サンジの口調は思いの外、厳しい。
こんなに女性に対して、険しい表情、迷惑そうな口調で相対するサンジをゾロは
初めて見た。
「俺なんかと一緒にいると海軍にも、賞金稼ぎにも狙われますよ。」
「そうなったらあなたのお兄さんも困るんじゃないですか。」
「サンジさん。お願いです。」
「少しでいいですから、話しを聞いてください。」
サンジはケイから顔を逸らした。
「悪いけど、聞けない。」
そう言って、ゾロとも目を合さずにケイに背を向けた。
「いいのか。」とゾロは必死で懇願するようなケイの表情に憐れを感じて、
つい、サンジにそう声を掛ける。
「お前には関係ねえ事だ。」とゾロよりも前に立ったサンジの背中から
冷たさを感じさせるほどきっぱりとした声でそんな言葉が返って来る。
「聞いてくれないと、私、兄に折檻されるんです。」とケイは泣き声の混じった声で
そう叫んで、サンジを追い駆ける。
その時、初めて、ゾロは彼女が杖をついている事、左足を引き摺る様に歩いている事に
気がついた。
「ゾロ、先に行っててくれ。」
サンジは前を向いたまま、苦しそうな声でそう言った。
(俺に聞かれたくない話しなのか。)とサンジとケイの只ならぬ雰囲気にゾロは
疎外感を感じながらもその場を離れる。
だが、二人の会話が聞こえない場所でサンジが話しを済ませて戻ってくるのを待った。
「彼女は、バラティエが開店した当時の常連客のお嬢さんだった人だ。」
その夜、サンジは皆が寝静まった後、ゾロが尋ねる前にケイについて
ゾロに話した。
端目で聞いている者がいるとすれば、サンジの態度も口調も、
普段となんら変わらない。
けれども、ゾロだけが判る、本当に微妙で些細な表情の曇りと妙に整理されすぎている簡素な言葉で、ゾロにはそれはまるで、妙な詮索をされない為に、
必要最小限の情報だけを漏らしている様に見えた
「そのお嬢さん相手に随分、つれない態度だったな。」
「ガキの頃の事、色々知ってる人だから恥かしかっただけだ。」
ゾロの疑問にもそれを予測してあらかじめ用意した答えを淡々と答えるのも、
訝しい。
「あと、4、5日でこの島を経つからその間に1回くらい食事でもどうですかって」
「兄貴に折檻されるとか言ってたが。」
そのゾロの問いに対しては答えを用意していなかったのか、サンジは言葉に詰った。
「腕にも殴られたような痣があったよな。足も悪そうだったし。」
「また、人助けか。」とゾロはここぞとばかりにたたみ掛ける。
「そんなんじゃない。」とサンジは眼を伏せた。
それから、長い、長い、沈黙があった。灯りを落して、仲間の寝息だけが聞こえる、
紺色の空間の中の心地良い温度の空気が張り詰めて行く。
サンジはじっと何かを思い詰めて考えているような気配を隣に並んで壁に凭れている
ゾロは感じて、何故か、息が詰って来た。
(何か言え。)とゾロは心の中でサンジを急かす。
そして、自虐的に喉の奥で小さく笑って、サンジは呟いた。
「やっぱり俺はツいてねえんだ。」
「惚れたの、惚れられたのなんて贅沢、やっちゃいけねえって事なのかも知れねえ。」
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