「帰って来るなり、部屋に篭ったって?」
「そうなんだ、変だろ」

ゾロは、帰りの遅いサンジを待ちわびて宿をほんの少しだけ出た路地にいたのだが、
その路地を通る事無く、サンジは帰って来たので出会わなかった。
そうして、行き違いになった事を疑い、宿に帰って来て、ウソップにサンジが
帰ってきた事を聞き、そして具合の悪いナミ達の様子を見もしないで、
部屋に入ったきり、出て来ない、と聞いて怪訝な声を出した。
そのゾロと同様にウソップも不信な面持ちを浮かべている。

「お前や俺ならともかく、ナミとロビンが熱出して寝込んでるってのに、騒ぎもしねえし。・・それに様子がおかしかった。あいつの方が妙だ」とウソップは言う。

「妙ってなんだ」とゾロは眉を僅かに潜めて尋ねた。
「真っ青な顔してた。口数もいやに少なかったしな。具合が悪イのはサンジの方かも」と言うウソップの言葉を最後まで聞き終わらない内にゾロは踵を返して、
サンジのいる部屋に足早に歩き出す。

無言のまま、ノックもせずにゾロはドアを開けようとノブを回した。
(鍵が締まってるなら、蹴破ってでも)と思っていたのに、それはあっさりと回る。
その事自体が、(確かに妙だ)とゾロに思わせた。
サンジが「篭った」と言うのなら、絶対に内側の鍵を締めるだろう。
ナミやロビンの様子を見れない程の何か大きな問題を一人で抱えていて、それを
隠そうとして篭ったのなら尚更だ。それが鍵を開けっぱなしにする、と言う迂闊をやらかしているのは、鍵を閉める余裕さえ無い、と言う事になる。

ゾロはなんの遠慮も無く、ドアを開いた。
「ナミとロビンの事、聞いたのか」とまるきり別の話題を口にしながら、
この部屋にいる筈のサンジを目で探す。

(?)狭い部屋で一瞬、どこにいるのか、目がさ迷った。
サンジは床に両膝をついて、ベッドに取り縋るようにしゃがんでいた所為で、
突っ立ったままのゾロの視界から僅かに外れていたのだ。

「なんの用だよ」とサンジはゾロの方を見向きもしないでそう言った。
その声は絞り出すように苦しそうにゾロには聞こえる。
(どうしたんだ)(大丈夫か)(どこか、具合が悪イのか)とゾロの頭の中で
1度に色々な言葉が浮かんだ。それを順序良く口に出すよりも先にゾロは
サンジの側に屈む。

「側に近寄るんじゃねえ!」といきなりサンジは吠える様に怒鳴って
ゾロを突き飛ばした。それぐらいの衝撃では、ただ、胸板の肉がドン、と鈍い音を立てるだけでゾロはよろめきもしない。
だが、「なんだ、いきなり」と少々、驚きはする。

ゾロを睨みつけるサンジの目は血走っていた。
額には汗が滲んで髪がそこにへばりついている。どう見ても、普通の状態ではない。
「お前、」お前もどこか具合が悪いのか、と言い掛けたゾロにまた、サンジは
怒鳴った。「出て行け、今すぐ!」
ゾロも気の長い方でもなければ、そんな理不尽で意味不明な暴言を吐くサンジを甘やかすほどヌルい男でもない。「いい加減にしやがれ!」とサンジ以上の声で怒鳴り返した。

「側に寄るなだの、出ていけだの、ワケのわからねえ事喚いてンじゃねえぞ」
「うるせえ、お前には関係ねえ事だ、俺は寝てえだけだ、出ていけ!」

「関係ねえだと?」ゾロはサンジの暴言を聞き咎める。
瞬間的にゾロは腹が立った。関係ない、と言うサンジの言葉はあまりにも無神経に
ゾロを傷つけ、けれども、その傷はゾロに哀しさよりも先にまず、腹立ちを感じさせた。

「関係ねえと思うなら洗いざらい言ってみろ、言えねえから部屋に篭ってんだろうが!」ゾロがそう怒鳴るとサンジはキッときつい目つきをして顔を上げる。
が、唇を噛み締めてゾロを睨むばかりで何も言わない。
睨み合う様に暫く、二人はじっとお互いの目をまっすぐに見ていた。
そして、その攻めぎ合いに決着をつけるつもりなのか、サンジはようやく、
「お前には、関係ない事だ」と搾り出すような声で一言、一言を区切る様に
そして、これ以上、何があっても絶対に心の中のものを漏らさない、と言う決意を
はっきりと篭めた強い口調でそう言い切った。

「俺の事はいいから、ナミさんやロビンちゃんの具合を」
「サンジ!」とサンジの言葉が最後まで終らない内にチョッパーがいきなり
駈け込んできた。

「この薬、どこで手に入れて来たんだ?」と息せき切って尋ねる。
「どこって・・・」とサンジはそのチョッパーの剣幕に押されたのか、即答できずに
口篭もった。
「一人分しかないんだ。もう一人分、調合しようと思っても、この薬を作り出す
機材も材料も無いんだ。手に入るなら、もう一人分、なんとか出来ないか」

そのチョッパーの言葉を聞いて、サンジの喉が小さく、息を飲む様な動きをしたのを
ゾロは見逃さなかった。

「俺も行くよ、案内してくれ、サンジ」とチョッパーはサンジを急かす。
余程、慌てているのか、サンジの顔色や態度がいつもと違う事に気付いていない様に
ゾロには見えた。
「いや、俺一人で行く」
「お前は、ナミさんやロビンちゃんに付いててくれねえと」
「そんなに具合が悪いのか?ナミさん達は」

サンジの質問にチョッパーは素直に頷いた。
「熱も高いし、呼吸も辛いと思う。内臓の炎症もどんどん酷くなってる」
「このままだと、」とチョッパーの顔が僅かに曇った。

「判った。すぐに貰って来る」とサンジはチョッパーの言葉を最後まで聞く事なく、
ドアの外に向かって歩き出した。

「もう、一人分だけでいいんだよな?それで薬は足りるんだな?」と
サンジは1度だけ、降り返ってチョッパーにそう尋ねる。
「うん。なるべく、早く帰って来てくれ」

チョッパーを振り返ったサンジの目が一瞬だけ、ゾロに向いた。

助けてくれ、

その蒼い瞳の奥でそんな悲鳴を帯びた光が宿っているのをゾロは見た。
けれど、それを再度確認しようとした時にはもう、サンジは背を向けて
歩き出している。

「場所はどこだ。俺がいく」ゾロはサンジの肩を掴んだ。
「余計な真似、するんじゃねえ」とサンジは振り向きもせずに低くそう言った。
「お前には関係ねえって何度言やあ判るんだ」
「お前に指図されるとムカつくんだよ」とゾロは即座に言い返した。

「あの、お客さん」と廊下で今にも殴り合いになりそうな雰囲気の二人に
宿の者がオズオズと声を掛けてきた。

「あのう〜サンジって人にお客さんがこられてるんですが」
「「客?」」とサンジとゾロが同じ言葉に同じタイミングで反応する。

サンジを尋ねてきたのは、ケイだった。
泣きはらした目をして、しょんぼりと通された小さな部屋の椅子に腰掛けて
いる姿は、やはりとても頼りなくて、小さい。

サンジはその姿を見て、目を逸らしたくなる。
(もう、関りたくねえ)と本気で思った。
ケイの身の上は確かにこれ以上無い程憐れだと思うけれども、ケイが毒針で
サンジを眠らせた所為でケイの兄にサンジは意識のない状態だとは言え、
辱められたばかりなのだ。いくら女性に対して特別優しいサンジでも、
(裏切られた)、と感じても仕方のない事だった。

「2度と俺の前に現れないでくれって言われたんですけど、でも私」
「謝りに来たのかい」とサンジはケイから目を逸らして、床の模様を見つめる。
そう言う表情を作りたくはないのに、自分でも自覚出来るくらいにケイとケイの兄を
心から軽蔑しきった、侮蔑の感情をたっぷりと篭めた自虐的な笑みがサンジの
唇を歪ませた。

ケイは「謝りに来たのか」と言うサンジの言葉に返答しかねて、俯いた。
「それも」と歎息混じりに言葉を少しづつ、ケイは紡ぐ。
「あります」と消え入りそうな声だった。

(彼女を責めるのは違う)と頭では判っているのに、サンジの感情がその理性に
ついて来ない。口を開けば、ケイを傷つける皮肉をぶつけそうで、
煙草に歯型がつくほど強く噛み締めてサンジも黙り込む。

「解毒剤を、持って来ました。家にあるだけ、全部」とケイは肩に下げていた
バックをサンジに向かって差し出した。

「本当にもう2度と、あなたの前には現れません。約束します」と言ったケイの
声は震えている。
「君は、あいつの奴隷のまま一生、終えるつもりか?」とサンジは思わず、
ケイに詰め寄った。何故、そんな言葉が唐突に思い浮かんだのか、自分でも判らない。
けれども、まるで濁流に呑み込まれた枯れ木の様に、浮かび上がれないで苦しんで、
生まれて来た幸せを何も感じる事もなく、自身の心には一片も穢れなど無いのに、
兄の犯す罪を一緒に被りつづけるケイが余りにも憐れ過ぎて、サンジは自分の痛みと
同時にケイが放つ苦しみを心の中に受けとめて苦しくなる。

「どんな形であれ、」とケイは真っ直ぐにサンジを見つめ返す。
その目には縁から溢れそうな程涙が堪っていて、長い睫毛でようやく、堰き止められていた。「必要とされるなら、そこが私の居場所なんです」と言い終わった時、ケイの双眸からそれぞれ、一滴づつ、涙が零れ落ちる。

「君は間違ってる」としか、サンジは言えなかった。
長い年月に沁みつき、こびり付いた価値観をそう容易く変えれない。
まして、ただの同情や憐れみだけでは人生を諦めるほど絶望しながら生きている
ケイの心の扉を開く事など出来る筈も無かった。

「誰かを傷つけて正しい生き方を今更出来るとは思いません」
「私はどこまでも兄といきます」
「身勝手この上無いとは思いますけれど、どうか、サンジさん」
「私達の事は早く忘れてください」

ケイはそう言って、サンジに深深と頭を垂れて詫びた。
「君は自分を判ってない」
「足が無くったって、火傷の跡があったって、君は人をこんなに思い遣れるじゃないか」
「潔く、自分の罪を認めてるじゃないか」
「まだ、諦めるのは早い。あんなヤツよりももっと君を必要とする人が
きっといる、君は幸せになる事を諦めちゃダメだ」
心からサンジはそう思い、口に出さずにはいられなかった。
さっきまで顔も見たくないと思い、恨んでいたのに、
目の前でサンジに対して犯した罪を心の底から悔いた涙を流したケイを見て、
サンジの心は強い同情で息苦しくさえなる。


「私は色々なモノと戦わないと幸せは勝ち取れないんです」とケイはサンジの言葉を
哀しげに微笑んで最後まで聞いてからそう言った。

「私には最初から、戦う力がなかったんです」

(続く)