「やっぱり俺はツいてねえんだ。」
「惚れたの、惚れられたのなんて贅沢、やっちゃいけねえって事なのかも知れねえ。」

ゾロはその言葉に含まれているサンジの気持ちも、過去に起こった事柄も判らない。
だから、何も言葉を返せないで、じっとサンジの漏らす言葉の続きを待った。

また、長い、長い沈黙があった。
サンジは隣のゾロの方を見もせず、真正面を向いて、他人事の様に
そして、自棄を起こしたような投やりな口調で、
「俺、やっぱりお前とは無理だ。」と言い放った。
「なに?」当然、ゾロはその突飛な言葉を聞き返す。

「これ以上の繋がりは持てねえ。」
「お前を尊敬してる。信用もしてる。」
「でも、それ以上抱えていくのは 俺には無理だ。」

「何が無理なんだ。」とゾロは怒るより先に呆気に取られて重ねて尋ねる。
「まるきり話がみえねえぞ。」
「抱えるってなんだ。」

サンジはそう尋ねられて、またすぐに言葉に詰まっていた。
そして、また、考えあぐねた割りにゾロには理解出来ない事を言い出す。
「俺はお前が思ってるような男じゃねえって事だ。」
「俺のなにもかもを知ったらお前は俺を軽蔑するか、同情して憐れむか。」
「そんな惨めな目に遭いたくねえから、もう、勘弁してくれっつってんだ。」

「勘弁してくれってなんだ、それ。」とゾロはイラついてくる。
「いい加減にしろ、判るように言え。」

「お前がご立派過ぎて俺なんかには勿体無いって言ってんだ。」とサンジの方も
徐々にゾロの理解が得られない事に苛立ちはじめ、言葉の内容も語気も荒くなってくる。

「あア?皮肉か。」
「もういい。」

サンジは溜息をついて立てていた両膝の中に顔を埋めて溜息をついた。
「ちょっと放っといてくれ。」

サンジは明らかに何かを隠していて、そして迷っている。
あの「ケイ」と言う女とその兄とサンジの間で、過去になにかがあって、
その所為なのは、明らかだった。

「サンジ。」とゾロは珍しく、名前を呼んだ。

反射的なのか、サンジは顔をあげて、ゾロの方に顔を向ける。

「過去に何があろうと、今の俺とお前には関係ねえ。」
「まして、そんなもん、これからの俺達にはなんの問題にもならねえ。」
「俺だって、野郎に、しかも無類の女好きの野郎に惚れこんだ以上、」
「それなりの腹ア、括ってる。」
そこまで言うと、ゾロは一呼吸おいて、サンジの瞳を見据えた。

「俺を信じろよ。」それだけの事を言うのに、少し勇気が必要だった。
この言葉までもを拒否されたら、どうしていいのか判らなくなる。
自分の思いだけが空回りしている虚無感を感じるのは惚れた相手に
必要とされていないのだと言う寂しさに等しい。
けれども、ゾロの真剣でひたむきな想いはサンジに的確に届いた。

「ああ。」とサンジの緊張していた瞳が僅かに緩む。

「そうだな。」とサンジは煙草を新しいものに咥え直した。
「彼女は、バラティエが開店して本当に間のない頃に常連になってくれた客の」
「娘さんだったって言ったよな。」


それは、サンジがまだ、11歳になるか、ならないかくらいの頃だった。

当時は、まだ、ゼフが海賊ッ気が抜けず、客席には良く、柄の悪いゴロツキや
クック海賊団に恨みのある賞金稼ぎや海賊がひっきりなしに訪れては、
店の中で暴れていた。

「大抵、ジジイが一人で奮闘して追っ払ってたんだが。」
「運が悪イ時もあったんだ。」まだ、パティやカルネなど海賊崩れのコック達を
雇うまで、サンジとゼフの二人だけで店を切り盛りしていた時にその事件は起こった。

バラティエでのその乱闘騒ぎの末、公衆の面前で叩きのめされた男が
昼間の営業時間を狙って、バラティエのフロアに油をぶちまけ火を着けた。

「逃げ遅れたケイさんは酷い火傷を負って。」
「焼け落ちた屋根に足を挟まれて、足も不自由になっちまったんだ。」

大事な妹の体を傷モノにした代償を払え。

そう、ケイの兄はゼフに詰め寄った。

ゼフの宝を全て注ぎ込み、その上、多額の借金までして開店したのだから、
店の修復にさらに借金を重ねなければならない。
その上に、とんでもない額の賠償金を請求されて、それを支払うとなれば、
とても店を経営して行く事など不可能だった。

「それで。」

サンジはケイの兄になんとか、その賠償額を少しでも減らしてもらえないかと、
頭を下げたのだった。

そこまで話すと、サンジの口調は重たくなった。
「なんとか、話しをつけて、それで事は済んだ。」

(それだけなのか?)とゾロはサンジの歯切れの悪い言葉に疑問を感じたが、
口には出さずに「そうか。」とだけ答えた。

「そんな経緯があったから、ケイさんにあって顔の火傷とかすっかりキレイに」
「なってたから驚いただけだ。」

(嘘をついている、)とゾロは思った。
けれど、この期におよんで、まだ何かを隠そうとしているのだから、
これ以上尋ねる事は止め、素知らぬ顔をしていた方が、サンジも楽だろう。

サンジは、翌朝一人で、ケイに会いに行った。

街の高台にある、門構えの立派な家だった。
「来て下さったんですね、サンジさん。」と重たそうな鉄の扉の玄関から、
ケイがヨロヨロとした足取りで出てきて、サンジを迎えた。

「どうぞ。」「いや、中には入らない。」とケイがサンジを家の中へと
案内しようとするのをサンジは即座に断わった。

「何をされるか判ったもんじゃないからね。」
「それに、俺は君の兄さんと仲良く話すつもりで来たんじゃないよ。」

それを聞いて、ケイの顔が強張った。
「兄をどうするつもりですか。」
「君の兄さんこそ、俺を呼びつけて何をするつもりだったんだ。」

サンジはケイに対しても敵意剥き出しだった。
「俺が君の兄さんに何をされたか知らない訳じゃないのに。」

ケイはサンジのその言葉を聞いて怯えた様に立ち竦んだ。
「私は、ただ、サンジさんを呼んで来いと。」と言う声が震えていた。

「君が折檻されるって言うから、来たんだ。」サンジは吐き捨てる様にそう言って、
苦々しい顔でまるで、監獄にも見えかねない趣味の悪いケイとその兄の家を睨みつけた。

「もう、2度と君を折檻出来ない様にしてやる。」
「兄に何をするつもりなんですか。」とケイはまた、同じ事をサンジに尋ねる。

「俺も君もお前の玩具じゃないって事、身を以って教えてやるだけさ。」
サンジはケイを見下ろして淡々とした口調でそう答えた。

サンジのその言葉を聞いて、ケイの顔は真っ青になる。

「俺を呼び寄せたって事はそれを覚悟の上だったんだろ。」
「もう、10歳そこそこのガキじゃない。」
「何年も海賊やってるんだ。ただの商人の一人くらい、簡単にぶっ殺せる。」
「実の妹の体を玩具にする様な変態野郎が生きてるだけで反吐が出る。」

サンジがそう言った時、ケイの後に人の気配がした。

「随分、乱暴な事を言う様になったんだね、サンジ。」

真っ暗な玄関の闇の中から、大柄な男がゆっくりと二人に近付いて来る。
やや白髪の混じった金髪に眼球の色さえ判り難い細い目、薄い唇、
どこか、爬虫類のような血の冷たい動物を彷彿とさせる神経質そうな男だ。

「兄さん。」とケイはますます、顔色を真っ青にさせて半ば叫ぶ様にその男の事を
そう、呼んだ。

「昔は二人とも、そりゃあ、可愛かったのに。」
と男は下卑た笑みを二人に向け、値踏みをする様な目つきでケイとサンジの二人を
代わる代わるに眺める。

サンジはその男の顔を見た途端、猛烈な吐き気がした。

「変態野郎。」とサンジは自分の背中にじっとりと嫌な汗が浮いてくるのを感じながら、
搾り出す様にそう悪態をついた。

「そんな事を言ってもいいのかい?」
「君の仲間が皆、原因不明の心臓病で全員がポックリいっても知らないよ。」

「何?」とサンジはその男の言葉に眉を顰めた。

「この町の水はね、僕が所有している井戸から全て賄っている。」
「もちろん、君の仲間が泊っている宿の水も私が売っている水だ。」
「その水の中に微量の毒を混ぜておいたんだよ。」
「毎食、料理にも当然、水を飲むだろう。」
「女性なら、髪を洗うだろうし、体も洗うだろうね。」
「少しづつ、体に沁み込んで行く毒だから、医者がいたって気がつかない。」
「もう、二日も飲めば致死量に達するだろうね。」
サンジはその男の言葉を愕然としたまま、聞いていた。
「そこで、取引だ。」男は、君の悪いほど、優しげにサンジに向かって微笑み掛ける。

続く