「もう、今更騒いでも遅エ」とゾロは逆に落ち着き払っている。
「それより、説明しろ。その体の痣はなんだ」
「あんな火事の真っ只中に突っ込もうとしてまで助ける気だった女はお前のなんだ」

もう、「関係ない」「放っておけ」などと言う言葉では逃がさない。
そう強く決意してゾロは真っ直ぐにサンジを見据えた。

凍った表情を哀しみや憤りが溶かして、ゾロを見返す目に憎悪とも取れるような
力が篭っている。

サンジは唇を噛み締めている。どんな言葉がサンジの心の中に渦巻いて、
飛出そうとしているのか、ゾロは息を飲む思いでただ、待った。

「お前にはなんの関りもねえ事だ」と搾り出されたサンジの声は低く、震えている。
「俺は、説明しろ、と言った筈だ」とゾロは即座に言い返した。
「聞いてどうする」とサンジは吐き捨てる様に言ってゾロの強い眼差しを
受けとめているのが苦痛になったかのように、ほんの小さな溜息をついて目を逸す。

「なんでお前がそんな目に遭わなきゃならねえのか、わからねえから聞きてえんだよ!」とゾロは心に浮かんだ感情のまま怒鳴った。

「お前にはわからねえのか?」とゾロは拳を握り締める。
「俺の腹の中にどんな気持ちがあるのか、お前にはなんにも判ってねえのか」
その怒鳴り声にはまるで、ゾロがサンジの替わりに悲鳴をあげている様にも聞こえる程に哀しみと怒りが篭っていた。

自分はサンジの痛みをこんなにも感じている。
何故、こんな辛い想いをしなければならなかったのか、その理由が判らないのに、
サンジが感じている筈の憤りや哀しさをゾロは自分の心も
同じ悲鳴をあげてしまいそうな程強く感じられるのに、その痛みはサンジには伝わってはいないのか。それがもどかしくて、やるせなくて、悲しくなってくる。

「なんでそんな面する・・?」と長い、長い、沈黙の後、サンジが
伏せたままの顔をあげもせずに呟いた。

「まるでお前の方が辛エみたいに」
サンジはゾロの顔を見ていなかった。
それでも、ゾロの顔が辛そうだ、と言う。その言葉の中には、ゾロの心の中にある
ものをサンジも感じ取ったと言う何よりの証拠になる。

心と心が繋がった、とゾロは確かにその瞬間、言葉ではない、経験したこともない
感覚でしっかりと感じた。

「なんにも判ってねえ癖に、なんでそんな面をしてるんだよ」と言うサンジの声は
息をするのさえ苦しそうに聞こえて、ゾロの心を揺さ振る。

これ以上、言葉を使って分り合うのは難しい。
多分、今、サンジの心が自分の胸の中にあるかのように痛みも哀しみも判るのに、
言葉を使えばその感覚が消えてしまう。

そして、言葉をぶつけ合えばぶつけ合うほど、サンジの傷を広げ、ゾロの憤りを
深めてしまうだろう。

他の誰にも出来ない事、自分にしか出来ない事をゾロはやっと判った。
理性でもなく、衝動でもなく、そうする事を生まれる前から知っていたかのように、
ゾロの腕がサンジを包む。

強く、ひたすら強く、サンジを抱き締める。
心の中の憤りや哀しさが薄れて、空のコップの中に哀しい色をした水が
注がれて来るように、ゾロの心の中へサンジの心を曇らせていた全てのモノが
流れ込んで来る。

何があって、何をされたかなどどうでもいい。

「なんで止めたんだ」とサンジは殆ど聞き取れない程小さな声でうめく様に
そう言った。
「止めるべきだと思ったからだ」とだけゾロは答える。

「俺に触るな」と言うサンジの声が揺れて濡れている。
ゾロは返事を返さない替わりに抱き締める腕の力を更に強めた。

爆発しそうな感情がサンジの心の中に込み上げて、喉をせり上がってきている。
忙しく、短くなる呼吸のリズムと胸に直接響いてくるサンジの鼓動が
より確かにゾロにそれを伝えてくる。

なにもかも受けとめられる。
そうして受け止めることで自分の感じている、
愛しいと想うからこそ同調して感じる痛みも哀しみも苦しみも、憤りも
消せる、だから 全てを晒して欲しいと言う気持ちのありったけを
ゾロはサンジを包む温もりに篭めた。

「ゾロ」サンジはゾロの名前を呼んだ。
しっかりと抱きすくめられたまま、圧迫されて苦しくなる呼吸の所為ではなく、
助けを求める様な声だった。

少しづつ、少しづつ、サンジの喉からゾロがまだ知らないでいる、
こんなにも傷ついた本当の理由を一人で持ちきれなくなった苦痛が込み上げてきた。

「彼女は何も悪くないのに」
「俺は助けてやれなかった」
「自分が傷ついた事で彼女を責めて、恨んで、出来る事は沢山あった筈なのに」
「何もしようともしないで、追い詰めたんだ」

そのサンジの悲痛な、小さな叫び声はゾロの心に深く突き刺さる。
言葉を吐き出す事でますますサンジの心に痛みが増すのを、自分の心にも
全く同じ痛みとしてゾロは感じとって目の奥が熱くなる。

「自分の汚い過去から逃げたくて、俺は彼女を見捨てたんだ」
「もう、いい」

お前は何も悪くない、と言ったところで今のサンジにはなんの慰めにも
ならないとゾロには判っている。だから、サンジの言葉を遮った。
聞きたくなかったのではなく、これ以上、サンジが苦痛の言葉を吐けば、
心の痛みは倍増する。
客観的にではなく、ゾロは自分の胸までがキリキリと痛む事でそれを悟り、
サンジの肩に顔を埋めた。

「もう、なにもかも終ったんだ。なにもかも消えたんだ」
そんな言葉しか思い浮かばないのが歯痒くて、もう、折れても壊れても
構わないと思うくらいの強い力でゾロはサンジを抱き締める。

「何も消えたりしねえ」

そう言ったサンジの語尾が途切れて消えた。



「俺は、あの子を助けてやれなかった癖に、
まだ、もう2度とあんな目に遭いたくねえって腹の中で思ってるんだ」
「俺は自分勝手で、傷つく事が怖くて」
「お前に軽蔑されることが怖くて、逃げるしかなかったんだ」

「サンジ」ゾロは少しだけ強くサンジの言葉を名前を呼んで遮る。

「どんなお前でも、お前はお前だ」
「それ以上でも、それ以下でもねえ。それでいい」

もう、自分を責める必要はない。
言葉で言ってしまえば簡単な事でも、逆に簡単過ぎて心には響かない。
だから、ゾロはそれだけを言って、腕の力を緩めて体をずらした。

自分の傷を晒して、哀しみに打ちひしがれていても、意地を張って怒鳴り散らしていた
姿とは比べ物にならないくらいに、ゾロの目にはサンジが愛しく映る。

薄暗がりの中でも向日葵色の髪が鮮やかで、水滴がこびり付いて重たそうな
睫毛も見惚れてしまいそうだった。

ごく自然にゾロの唇がサンジに近付く。
腕の中でサンジの体が拒絶する様に強張った。

それにも構わずにゾロは自分の唇でそっとサンジの唇を覆った。

「俺にはそんな資格はねえ」と軽く触れた接吻が終るか、終らないかのうちに
サンジの腕がゾロの胸を押し返した。

「そんなもん、どうだっていい」
ゾロはまた、逸らそうとするサンジの目を逃がさないように
強い眼差しを注ぐ。

「資格があろうと、なかろうと欲しいモノは欲しい」
「いらないモノはいらねえ、それだけを言え」

「俺が欲しいか、欲しくないか」
「俺に取って大事なのはそれだけだ」
「どんなに傷だらけでも、その痛みごと、俺はお前が欲しいって言える」

心の中にある感情が不思議なほど明確な言葉になってゾロの口からこぼれて行く。
さっき、サンジの心の中の感情を零した水を受けるようにゾロが受け止めたのと
同じで今度はサンジがゾロの言葉と感情を受けとめる。

かつて自分の体をまさぐった手には感じられなかった温もりが確かにここにはある。
いつまでも、感じていたいと思う程温かく、優しく、肌に沁み込み、血液に溶け、
細胞の隅々まで染み渡り、遂には、魂までにその温もりと、偽りも裏表もない
純粋な優しさと思いやりと、それからもっともっとたくさんの感情が詰まった
熱い想いが届いて来るような。

「教えてくれ」とゾロが乞う。
答えなどすぐに出せるのに、サンジはその答えを口にする力をゾロの温もりから
得たくて、目を閉じてゾロの鼓動を聞く。

ケイを忘れる事など出来ない。
そして、自分の罪に苛まれる事からも逃げられそうもない。

一生、心の中にそれは傷跡になって残るだろうけれども、その傷跡と、
ゾロの温もりを欲しいと思う欲求の両方を持って、いつか、運命が許す時まで
(俺は、誰よりもこいつの側にいたいんだ)とサンジは自分の気持ちを素直に
受け入れた。
「もう少し、このままでいてくれ」とだけ言い、
サンジはゾロの腕の中でいつまでもその鼓動に耳を傾ける。

それがサンジの欲求だとゾロが気付いた頃には、
新しい1日のはじまりを告げる朝陽が部屋に差し込む頃だった。


(終り)

最後まで読んで下さって有難うございました。
もともとの欲求と傷跡とは 全く違う話しになりましたが、前の作品をご存知の方も
ご存知でない方も、もし、以前の話しと読み比べて見たい方はご一報下さいませ。