(63) △ 彼女がその名を知らない鳥たち (沼田まほかる:幻冬舎文庫) 2011.12.31 最近書店の文庫本コーナーに行くと、「沼田まほかる」という名をよく見かけた。 3冊ほどあって、その中で恋愛小説風の本書を選んだ。 途中悪くない感じもあった。でも、主人公の女性の言葉遣いや急な人間関係の 進展にやや違和感があった。最後は無理やり展開を考えて終えたかのようで、 納得できなかった。 著者を売り込もうとする戦略に乗せられたようだ。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(62) ○ 弱い日本の強い円 (佐々木融:日経プレミアシリーズ) 2011.12.31 東日本大震災後、米ドルに対して円高になった。また、国内の株価下落と 円高が同時に進むのも疑問に感じてきた。本書はその理由を説明している。 日本が資金の出し手で、経常黒字国で、債権国であるので、日本の投資家や 企業がリスクを回避しようとして資金を戻そうとすると円買いになる。だから震災時も 円高方向に動いたし、景気の良くない時にも円高に動く。 この20年、日本はデフレ気味で物に対する円の価値が下がっていない。 結果的にインフレ率の低い日本の通貨は世界で最も強い通貨になっている。 リスクヘッジの話がよくわからなかった以外は概ねわかりやすく書かれていて とても勉強になった。 (メモ) [為替相場の見方] ・クロス円(対米ドル以外の円相場)の動きを見る必要がある。 米ドル/円相場下落=円高ではない。 ・・・当たり前だけど米ドル/円だけに捉われやすい。 ・世界的な株価上昇時に、円・米ドルとも弱くなる。 世界的な株価下落時に、円・米ドルとも強くなる。 お金を持っている投資家や企業が多い国の通貨だから、リスク回避する時 資金を手元に戻そうとする。 ・さらに円の場合、短期、長期金利が主要国で最も低水準で資金調達もしやすい 環境にある。世界の好景気時は円を借りて海外に投資するので円を売り円安に。 ・日本は経常黒字なので、円買い方向になる。米国は経常赤字なので米ドル安 方向になる。よって米ドルより円は強くなる。 [日本の財政赤字と円安] ・日本の財政赤字拡大は円安に繋がらない。 国債の95%を日本人が所有、純債権国 財政赤字が拡大すると、長期金利が大きく上昇する。国内機関投資家が外国 債券に投資するインセンティブを失い、国内に資金を戻す。よって円高方向に動く。 ・ただし、それでもなお金利が上昇し、海外投資家が高金利に惹かれて日本国債を 購入。さらに金利が上昇し財政赤字が深刻化し外国人投資家が国債市場から 逃げ出すと初めて円安に繋がる。 [為替相場を決めるもの] ・国力と為替相場は関係ない。 ・15年から20年の長期変動にはインフレ率が重要。 この20年でインフレ率が低かった国の通貨が最も強かったことになる。 それは「円」 ・6ヶ月から10年の中期変動には、貿易収支、証券投資、直接投資が重要。 ・日本の貿易収支は赤字になったとしても、所得収支の黒字があるので 経常収支は黒字が続く。震災後、貿易収支が赤字になったが経常収支は黒字。 ・米国の金利水準が貿易赤字国・債務国でありながら低すぎる。 米ドルが円に対して中期的に上昇するには一定の金利差(リスクプレミアム)が 必要。 ・日米10年債利回りと米ドル/円の関係は2002年以降相関が強い。 1990年代はほとんど相関がない。 1990年代の為替市場が貿易取引のフロー中心だったのが、2000年代に入って から投資資金のフローの影響が強まったと考えられる。 ・ゼロ金利下での量的緩和政策は為替相場に影響するメカニズムがない。 ・円売り介入で円安誘導はできない。 円売り介入が終了したことで円上昇が終了することもある。 円売り介入が行われると、ドル/円相場が不自然に上昇する。跳ね上がってから 緩やかに下落し、また不自然に上がる。跳ね上がったところで米ドルを売れば 利益を得やすい。このため、ドル売りを誘発する。 [企業収益と為替相場] ・米ドル安・円高は日本企業の収益を悪化させると言われているが、製造業の経常 収益と米ドル/円相場の関係を見ると、関係ないか、むしろ逆の相関がある。 米ドル建てでみると、貿易収支は輸入のほうが多くなっている。つまり、米ドル安・ 円高方向に動くと、企業の輸入コストが下がり、日本企業収益全体に対してプラス の影響を及ぼす。 ・日本企業の収益全体にとって有利に働くのは対米ドルでの円安ではなく、対米ドル 以外での円安である。重要なのはアジア通貨に対する円安である。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(61) ○ 神様2011 (川上弘美:講談社) 2011.12.21 本書によって、川上弘美の「神様」は2つの続編と関連を持つことになった。 ひとつは「草上の昼食」 短編集『神様』の最後に登場し、「くまにさそわれて、ひさしぶりに散歩に出る」で 始まる。楽しさと切なさを重ね持つ「神様」は、「草上の昼食」によって切なさを 強めることになった。 「神様2011」は違った続編だ。 「くま」と「わたし」の不思議な日常が放射能の影響を受けている。放射能は人間の 制御を超えた圧倒的な力を有し、それまでと同じ日常であることを許さない。 「くま」と「わたし」の素朴な世界ですら汚染されている。恐ろしく哀しい話だ。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(60) △ 最終戦争論 (石原莞爾:中公文庫) 2011.12.13 昭和15年5月の講演速記。 第一次大戦後、ソビエト、ヨーロッパ、アメリカ、東亜の4つの勢力が世界を 支配する。4つの勢力は対立し、準決勝となる戦争を戦った後、2つの勢力が 残る。それがアメリカと東亜で、その後最終戦争を戦い、戦争後、国家の対立が なくなり世界は一つになる。 今読んで予想が外れたことを指摘しても仕方ない。 関東軍を暴走させて満州事変を引き起こしたこととの関連は僕には読み取れ なかった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(59) ○ 羆嵐 (吉村昭:新潮文庫) 2011.11.24 大正4年に開拓村をヒグマが襲い、6人を殺害した。 この事件を吉村昭が取材して小説化した。 僕の父は台湾で生まれ育った。戦後、両親を連れて北海道旭川の開拓村へと 移り住んだ。自分で家を建て、家族で住んだ。斧で木を倒すのが仕事だった。 1年半ほどいたそうだ。冬もそこで越している。 そういう場所をヒグマが襲ったわけだ。 松明を点けておいても、火を恐れることなく襲ってくる。家に侵入したヒグマは 人を殺し、人を食う。外にいる人間に、人骨を噛み砕く音が聞える。 読んでいる最中、夜ひとりになるのが怖かった。当時の人々の恐怖心の 千分の一の恐怖だけでも十分に恐ろしい。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(58) □ ゴーストタウン(エレナ・ウラジーミロヴナ・フィラトワ:集英社新書) 2011.11.23 著者はバイクに乗った写真家で、チェルノブイリ近辺を回って撮影を 続けている。 チェルノブイリ原発事故から25年経っている。 人が住んでいた家が荒れていく一方で、美しい自然に覆われていくように 見える。野生の鹿や馬が走り回る。放射能の影響は目に見えない。 時間が止まり、「ソ連」が残っている場所もある。 チュルノブイリ原発を覆う石棺について著者は次のように書いている。 「石棺の放射能は、少なくとも10万年残る。エジプトのピラミッドは、5000年 から6000年前に作られた。文化はその区切り区切りに、消えないものを 残してくれる。ユダヤの時代は聖書を、ギリシャの時代は哲学を、ローマは 法律を。そしてわれわれは、この石棺を残す。石棺は、この時代の何よりも 長く、ピラミッドより長く残るだろう。」 写真を見ながら、福島のことを考える。 福島原発近くには25年後も住むことはできないのだろう。 朽ちていく家々もあるはずだ。私たちにはどうすることもできない。 あまりにも哀しい。こんな場所を残す権利は私たちにはない。 こんなものを後世に残すのは子孫に対する犯罪と書いた山本義隆氏の意見に 同意する。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(57) ○ 輝ける闇 (開高健:新潮文庫) 2011.11.22 ベトナム戦争中のサイゴンに取材に出かけた経験をもとに1968年に 発表した作品だ。 何を描写しているのかわからない箇所が少なくない。何をしたくて 軍に同行しているのかもよくわからない。 しかし、胃のあたりに重いものを感じるような迫力と気持ち悪さがある。 この気持ち悪さを共有すれば、戦争は少なくなるだろうか。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(56) △ 書くことが思いつかない人のための文章教室(近藤勝重:幻冬舎新書) 2011.11.21 タイトルから、与えられたテーマに対して、どういうことを書いていけばよいかという 内容に関する本だと思い込んでしまった。 しかし、最初のページから 「よくある質問 いい文章とはどんな文章を言うのでしょうか。 こうすればいい文章が書けるという作文技術があれば教えて下さい」 となっている。 私のミスだ。目次を見れば気づいたはずなのに大失敗。 途中には役立ちそうなことも書かれてはいたが、一度掛け違えたボタンは 元に戻らなかった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(55) □ 国債・非常事態宣言(松田千恵子:朝日新書) 2011.11.20 国債の現状と今後どうなるかを説明している。 今後については、どうしたら非常事態を避けられるかという有効そうな提言はない。 「ソフトランディングできるような時期はすでに過ぎた」と書いている。数年のうちに 国債が急落し、現在の円高は急速に円安に向かい、株価は大きく低落して資産 価値が下がる。増税、社会保障費の上乗せ、または医療・教育のサービス低下、 企業倒産、失業率上昇が一気に押し寄せる。 予想はともかく、現状は数字を踏まえて正確に把握する必要がある。 まず、国債が大丈夫だとの主張の理由を5つに分類している。 結局は国債は大丈夫としたとしても国民生活は保障されないということだ。 @日本が「国」だから 造幣局でお金を刷ればいくらでも借金は返せるが、インフレになり国民は 実質的に資産を失う。 A徴税権があるから ここまできたら国民は重税にあえぐしかない。 B日本国民が裕福だから・・・金融資産の方が上回っている。 普通国債の残高は668兆円だが、特殊な国債やその他債務を含めた 「国債および借入金」は944兆円。地方も入れると1156兆円。 日本の金融資産と言われる1400兆円に近づく。このままいくと2016年に 金融資産と公的借金が逆転する。 さらに、金融資産1400兆円も怪しい。家計の負債366兆円を差し引きすると 1100兆円となり、すでに借金総額を下回っている。 そのうえ、金融資産は2005年に1544兆円だったものが、2010年に 1476兆円と下がっている。 C国内債だから 国債を有している銀行のお金は、国民の預金。預金封鎖をして金融資産を 取り上げることになる。 日本の長期国債を最も多く保有しているのは中国。中国がさらに保有を増やせば 中国が国債を売ろうかなと言っただけで日本経済に大きな打撃を与えることになる。 D対外純資産が莫大だから 対外純資産250兆円 国債が国内で消化されていることで対外資産額が守られている。 多額の国債で国民生活が保障されない状況にあっても、格付け会社による日本の 国債の格付けは依然として高い。 ただ、ここにも注意が必要だと著者は述べている。格付けは「対外的な支払い能力」に すぎず、日本国民に何が起こるかは関係ない。国の債務不履行は民間企業の倒産とは 異なるので、重税をかけようが預金封鎖をしようが債務の支払いをするだろうという評価で しかない。 日本の過去にあった借金踏み倒しも簡単に紹介されている。 昭和21年2月17日に「預金封鎖」と「新円切り替え」を実施。 当時国債残高はGDPの3倍。 国民が一日に銀行預金を引き出せる金額を制限し、日本円を旧円と新円に分けて 一定期間後に旧円を使えなくした。銀行預金を全額引き出す前に移行期間が終了し 国民は旧円の資産をほぼ全て失った。国としては借金をなくすことができた。そして 国民は資産を失った。 これに近いことが今後起きないとも限らないのが現状だ。 本当に何とかしなければならない。 (メモ:重要な数字) [一般会計における歳出・歳入の推移] 本書記載の表などから整理 金額単位:兆円
・国債の残高が大幅に増えているのに利払費は増えていない。金利が低いことで顕在化していない。 もし、7.5%の金利になると、利払いは50兆円に膨れ上がる。 [歳出内訳(平成23年度予算)]
[歳入内訳(平成23年度予算)]
[国債の保有者]
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(54) □ アンアンのセックスできれいになれた?(北原みのり:朝日新聞出版) 2011.11.12 帯に次のように紹介してある。 雑誌「an・an」のセックス特集から 垣間見える、女性の生き方40年史 これを最初に書いておかないと、なかなか苦手分野については書きづらい。 アンアンの創刊は1970年3月 それまでのファッション誌は自分の家で服をつくるための実用雑誌で 型紙付きのものが中心だった。ヨーロッパの既製服を着こなして町を 闊歩する女の子のグラビアは新鮮だったそうだ。 初期のアンアンは自由を求め、男に媚びず、反体制的でもあった。 性的にも奔放で、毎号男女関係なくヌード写真が掲載され、レズビアン 特集も多く組まれた。 80年代に入って、女性の性的欲望を表現するようになる。男のハダカ鑑賞や SEXしたい男ベスト10などの特集が組まれる。 89年から「セックスで、きれいになる」特集が始まる。 自分らしい生き方の模索として、オシャレにきれいにセックスを語ることが 斬新だった。 90年半ばには「カッコいい女は、SEXもうまい」特集も出る。 バブル崩壊の影響を受けてか、ここからは自由が失われ苦しさが表面化してくる。 90年代後半は、自由奔放なセックスから「愛あるセックス」へと移行 2000年に「セックスで、きれいになる」特集は終了し、「恋に効く」に代わる。 男に好かれるようにという媚びが表面化する。 アンアン特集がその時の女性の意識を反映しているかどうかはわからない。 けれども、こうありたいという期待感の少なくとも一部を先取りしていることは たぶん正しいのだろう。 自由を求めてきたのに、時代の閉塞感とともに道徳的な制約を自ら受け入れ 結局、解放ではなく媚びへと没落していく。 女性だけの傾向ではないような気がしてきた。 (メモ) 初期のアンアンには性的な奔放さがあった。 70年代前半にはほぼ毎号、ヌード写真が掲載されていた。 男女関係なく、ファミリーヌード、妊婦ヌード、読者ヌードもあった。 また、ウーマンリブ体質でもあって、男に媚びていない。 反体制的でもあった。ドラッグで捕まった芸能人がカメラの前で 謝罪することに対して、体制に頭を下げるなんてかっこ悪いと非難することも あった。レズビアン特集も多い。 72年を境に政治色が薄れていく。ベトナム、マリファナは消え、快楽としての性、 恋愛が増えていく。 80年代になって、軽く、明るく、おしゃべりで行動的になる。 男女雇用機会均等法施行は86年。まだ働く道は狭かった。 遊べ、遊べというメッセージとともに、就職情報特集を組むなど 働くことへの関心も高かった。 そんな中、セックス特集はハチャメチャだった。 男のハダカ鑑賞、SEXしたい男ベスト10、など。 当時は中年男の好感度が異常に高い。 自分の性的欲望を表現するようになる。 89年に「セックスで、きれいになる」特集でピークを迎える。 (89年は1月に昭和天皇が崩御され、平成に入った。) 自分のためにオシャレにきれいにセックスを語ることが斬新だった。 すべてが女目線。 自分らしい生き方の模索。 91年 宮沢りえヌード写真集「サンタフェ」 90年代半ば、特集「カッコいい女は、SEXも上手い」 松雪泰子のカッコよさ 90年代後半、「愛あるセックス」へと移行 2000年 「男が追いかけたくなる女」 「セックスで、きれいになる」特集は、11年で幕を閉じる。 2003年、「恋に効く」特集に代わる 男への媚び。 2000年代後半に、セックス特集はビジネス書的自己啓発のように なってくる。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(53) ○ 輿論と世論 (佐藤卓巳:新潮選書) 2011.11.4 輿論、世論の言葉の経緯、戦前と戦後の世論調査の繋がりを紹介した後 戦後の時代の世論調査を分析している。 本来、「よろん」は公開討議された責任ある意見、「せろん」は世の中の雰囲気を 示す言葉だった。「よろん」は「輿論」、「せろん」は「世論」と書く。 戦前から区別が曖昧になりつつあったが、決定的だったのは戦後に「輿」が当用 漢字から外れたこと。ここで「世論」を無理やり「よろん」とも読ませて一緒にして しまった。 最近、世論調査に興味を持って、質問文、回答文、調査数字を見るようにしているが 世論調査が雰囲気だけを調査しているような気がしていた。せろん=世の中の雰囲気と いう説明を読むとそうなっていることが理解できる。 世論調査の質問をされた場合、雰囲気なら誰でも回答できる。しかし、しっかり考えた 結論を言うことは簡単ではない。だから多くの人が答えられるように雰囲気を問うて しまうのかもしれない。 (メモ) [輿論と世論の言葉の経緯] ・ 輿論(よろん)と世論(せろん)は戦前までは全く違う言葉として存在していた。 輿論は公開討議された責任ある意見を、世論は世の中の雰囲気を意味していた。 1896年の和英辞典には輿論の訳語はpublic opinion、世論はpublic sentiments となっている。 ・輿論と世論の区別は1925年の普通選挙法成立による「政治の大衆化」の 中で曖昧になってきた。 ・1946年11月16日、内閣は当用漢字表を告示し、「輿」の使用が制限されることに なった。 漢字制限の大義名分は「文化の民主化」。 大量で難解な漢字表記が文化格差を生み出し、ファシズムの温床となったと いう文化批判が当時流行していた。 ・1946年末から毎日新聞が世論を「せろん」だけでなく、「よろん」とも読むようにした のが最初。世論(空気)は操作できても指導できない。ここにおいて「輿論を指導 する新聞」の理想は消えて、「世論を反映する新聞」の現実が残った。 [戦争時の世論] ・満州事変以後の戦時体制の中では、理性的「輿論」は感情的「世論」の中に 飲み込まれていった。 ・ナチ宣伝が手本としたのは第1次大戦中のアメリカの政治広告だった。 ナチ宣伝は文化的反動の産物ではなく、アメリカ民主主義の政治技術を洗練 したものである。 [終戦記念日] ・当初は8月14日が銘記すべき日付だった。 8月14日=ポツダム宣言受諾を米英に回答した日 ・国際的には降伏文書に調印した9月2日が一般的。 ・終戦の日が8月15日に定着するのは、1955年ごろから。 「8・15革命」による民主化を掲げる進歩派と、「御聖断による国体護持」を信じる 保守派の利害が一致した。 [憲法世論調査] ・2008年5月の朝日新聞世論調査で、憲法改正が現実的な問題になってきているとの 回答52% その理由を問う質問に対して 「国民投票法など制度が整ってきたから」20% 「自民党の新憲法草案など具体的な案が出ているから」15% 「国民の間で理解が進んできたから」57% となっている。 解説記事に「国民の理解」という言葉が出てくる。しかし、選択肢の「国民の間で 理解」と「国民の理解」は違う。国民の理解とは国民が担う意見(輿論)であり、 国民の間にある理解とは世間の空気(世論)と読むことができる。 憲法改正こそ、世論ではなく輿論によって判断すべきことだ。 [全共闘] ・全共闘への共感が高まった形跡は、世論調査からは確認できない。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(52) □ 京都今昔 歩く地図帖 (井口悦男・生田誠:学研ビジュアル新書) 2011.10.19 副題が「彩色絵はがき、古写真、古地図でくらべる」となっており、昔の風景を 現在と見比べながら楽しむ本になっている。 「彩色絵はがき」がたくさん出てくるが、文中には説明がない。 彩色絵はがきは少し不思議な絵だ。 人の顔はモノクロ、服はカラーになっているなど、モノクロをベースにして所々を あとからカラーにしたように見える。調べると、やはりモノクロ写真を印刷した後、 手で色を塗っているらしい。だから一枚一枚全部違うということだ。 こういうものが昔にあったことを初めて知った。 取り上げられている場所の中にはもちろん知っている場所もあるが、どこなのか わからない場所も多い。時代祭が22日にあるが、これも見たことがない。 京都をゆっくり見て回りたくなった。(22日は無理だが) 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(51) □ 博士漂流時代 (榎木英介:ディスカヴァー・トゥエンティワン) 2011.10.16 昔、博士号を取得したけれど大学の職に就けない状態の人を、オーバー ドクターを呼んでいた。オーバードクターを救う目的もあって導入された ポストドクターが問題になっている。 本書はポストドクター等の博士を社会がうまく活かしていくことを提言しようと 書かれたものだ。状況はかなり厳しい。 博士課程の在籍者数はずっと増やしてきていたが、特に1991年の大学院 生倍増計画以降の増加が顕著だ。大学を離れている僕にはこの頃に学部と 大学院を別扱いする組織体制になって、大学がどうなったのかよくわからなく なった。この計画にもやはり問題はあった。 1997年に博士課程修了者数が大学教員採用者数を上回ったそうだ。つまり 博士になっても大学には残れないことが明確になったということだ。 以降も博士は増えて、任期付きの研究職(ポスドク)を作ることで救済を図るように なった。ただし、問題の根本解決ではなく、先送りとも言える対応だったので、 しばらくして再度問題が表面化してきた。それは、ポスドクの任期を終えて、再度 ポスドクになっていることによるポスドクの高齢化に現われている。 博士の就職難の状態の影響を受けて、この何年か博士課程在籍者は減り続けて いる。新興国では企業の技術者にドクターが多いことが言われるのに、日本は 博士をうまく活用する前に、博士を目指す人が減ってきてしまっている。 悪い循環に入っているのを断ち切らないといけない。 (メモ) ・博士課程在籍者数 7429人(1960)→13243(1970)→18211(1980)→28354(1990) →62481(2000)→74909(2005)、以降若干減っているが7万人台 ・1991年 大学院生倍増計画 ・1997年 博士課程修了者数が大学教員採用者数を上回った。 ・ポストドクター:任期が付いた非正規の研究職 1980年代半ばに導入され、2000年に一万人突破、現在1万8千人程度で 増え続けている。 ・大学や研究機関は正規職員を簡単には増やせないので、研究費で雇える ポスドクを雇う。 ・任期を終えたポスドクは、再度ポスドクになる。 このためポスドクの年齢が上がっている。 2008年に40歳以上のポスドクは13%になった。女性に限ると17%。 ・こういう状況を受けて、自然科学系の博士課程入学者が近年減り続けている。 2004年に6080人の進学者が2009年に4832人に減った。 理学系を中心に大幅に減っている。 ・1996年から始まる第1期科学技術基本計画に「ポストドクター等1万人支援 計画」が盛り込まれた。 目的は、オーバードクターを救うことと、助手が減って疲弊する研究現場に 働き手を送ること。 ・2001年からの第2期基本計画では、ポスドクを評価しつつも課題を認識し、 「多様なキャリアパス」と言い始めた。大学の研究職以外への進出を支援。 ・2006年からの第3期基本計画ではポスドク支援が明確に述べられ 「科学技術関係人材のキャリアパス多様化促進事業」が始まる。 多彩な進路選択を支援するガイダンス、情報発信事業を行う大学、学会等に お金を出す。予算は3年間。 初年度は、北大、東北大、理化学研究所、早大、名大、阪大、山口大、九大 次年度は、産総研、日本物理学会、東京農工大、京大が選ばれた。 この事業には批判も多い。 ・2009年政府の新成長戦略に、2020年までに「理工系博士課程終了者の完全 雇用を達成することを目指す」と書き込まれた。 理工系以外の人文社会科学系の博士は無視されるのかとの声もあった。 ・大学教員になる人は、ポスドクを経ないことが多い。エリートコースとポスドクに 身分差別のようなものが生じている。この身分差は研究を始めた頃についている。 ・ビルゲイツの講演 「最も優れた頭脳は、最も困難な問題に取り組んでいるだろうか。 その答えは、おそらくノーだと思う。」 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(50) ○ 軽蔑 (中上健次:角川文庫) 2011.10.13 トップレスバーの踊り子である真知子、歌舞伎町に出入りするカズ。 夫婦となった二人の恋を真知子側から描いている。 二人の行動を理解はできない。しかし、共感する部分があることは 否定できない。 何か圧倒的な力を描いている。 中上健次の作品は「枯木灘」を読もうとして、最初でつまづいて以来 手に取ることはなかった。しかし、最近映画化されたようで新刊文庫として 積んであったので読むことになった。 こんな性愛の話を書く作家だったとは、全く予想外だった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(49) □ ダンゴムシに心はあるのか (森山徹:PHPサイエンスワールド新書) 2011.10.2 普段の行動に現われないものを「心」と読んでいる。 そして「心」は普段と違う状況下で、行動に現われることがある。 それを観察することで「心」を見たとする。 こういう手順で「心」を見ようとする考え方にちょっと興味を惹かれた。 ただ、ダンゴムシの実験で見られるのが「心」と言えるのか、すんなりとは 受け入れられない。もっと研究を積み重ねないといけないように思った。 ダンゴムシ以外にもタコの事例なども紹介されていたが、そういう事例は とても興味深い。たくさん紹介されている本を「心」とは関係なく読んでみたい 気がする。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(48) ○ 福島の原発事故をめぐって (山本義隆:みすず書房) 2011.9.30 原発関連の本は最近いろいろ読んだ。本書の特徴は、著者が詳しい自然科学の 歴史的な流れを加えている点にある。今回の事故の背景に近代科学が力を過信し 自然の力への畏怖心を失ったことを指摘している。 放射能汚染物は人間の処理能力を超えていることから、何万年もの間、放射能を 出し続ける廃棄物や事故現場を残す権利は我々にないとして、原発を続けていくこと を明確に否定している。 また、原発を有することで核兵器保有の潜在的可能性を持ち国際的な発言力を強め ようという大国主義を、倒錯した観念と批判している。この点から、脱原発・反原発は 脱原爆・反原爆でなければならないと主張している。 原発に関する情報に新しさはない。けれど今まで読んだ原発関係の本の中で 最も本質的な原発批判だと感じた。 (メモ) ・福島での作業員に対する許容被爆量の限界値をなしくずしに緩和したことや、 児童生徒の屋外活動を制限する放射線量の年間許容量をめぐって示された 混乱は、「唯一の被爆国」を枕詞のように語ってきたこの国が戦後半世紀以上 にわたって被爆の問題にまじめに取り組んでこなかったことを浮かびあがらせた。 ・(岸信介の回顧録より引用) 「(核兵器保有の)潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題 などについて、国際の場における発言力を高めることが出来る。」 ・潜在的核兵器保有国の状態を維持し続け、将来的な核兵器保有の可能性を開 けておくことが、つまるところ戦後の日本の支配層に連綿と引きつがれた原子力 産業育成の目的であり、原子力発言推進の深層底流であった。とするならば、 脱原発・反原発は、同時に脱原爆・反原爆でなければならないと言えよう。 ・(核分裂による)質量減少はもとの千分の一以下で、物質がなくなるわけでは ない。 ・核分裂ではかならず多量の破片がが生みだされ、もとの燃料とほぼ同質量の この核分裂生成物がほかでもない「死の灰」である。 その量は、現在の原発のほぼ平均出力である百万キロワットの原発一基を 一年間稼動させたとして、広島級原爆の死の灰の千倍に達する。 ・理想化状況に適用される核物理学の法則から現実の核工業−原爆と原発の 製造−までの距離は極限的に大きく、その懸隔を架橋する過程は巨大な権力に 支えられてはじめて可能となった。その結果は、それまで優れた職人や技術者が 経験主義的に身につけてきた人間のキャパシティの許容範囲の見極めを踏み越 えたと思われる。 ・地球の大気と海洋そして大地を放射性物質で汚染し、何世代・何十世代も後の 日本人に、いや人類に、何万年も毒性を失わない大量の廃棄物、そして人の近 づくことのできないいくつもの廃炉跡、さらには半径何キロ圏にもわたって人間の 生活を拒むことになる事故の跡地、などを残す権利はわれわれにはない。その ようなものを後世に押し付けるということは、端的に子孫にたいする犯罪である。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(47) □ 夕映え天使 (浅田次郎:新潮文庫) 2011.9.25 全部で6話から成る短編集。一つひとつは悪くないと思うが、話につながりはなく、 一つの本に入ると少し違和感がある。 「夕映え天使」 中華料理店の親子のもとに突然やってきた女性が半年後に消える。 途中までどこかで読んだような感じのする話だ。 「切符」 夕陽の下での「さよなら」が寂しい。1960年代の淡くやさしい雰囲気を感じる。 「特別な一日」 ちょっと外してしまった感がある。 「琥珀」 定年間近の警官が一人旅で重要人物に偶然出会った。 「丘の上の白い家」 シザーハンズを思い出した。 「樹海の人」 樹海で訓練する自衛隊員の不思議な体験。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(46) ○ ドイツは脱原発を選んだ (ミランダ・A・シュラーズ:岩波ブックレット) 2011.9.23 6月6日に、ドイツのメルケル政権が2022年末までにドイツ国内の全原発を 廃止する法案を閣議決定したとのニュースが報じられた。 本書によれば、ドイツは福島原発事故の後、1週間で原発17基のうち7基を 停止し、全原発の安全性チェックを行った。その結果に基づき、8基の完全停 止を決定した。残り9基は徐々に停止し、2022年には全部を停止する。 福島第一原発事故はまだ進行中で、今年中の冷温停止を目指している状態だ。 だから日本では将来に向けての話が遅れているという見方もできなくはない。 しかし、必ずしも脱原発の方向に進んでいないことが問題だ。国内の原発の 安全性に疑問が生じているのに、原発輸出の話が出てきたりしている。 なぜ、ドイツでは脱原発を決定できたのに、日本ではできないのか。 それを知りたくて60ページほどの本書を買った。 ドイツでは1970年代に原子力への反対運動が起き、1980年に緑の党が できた。緑の党は1983年以降議席を獲得している。 緑の党が連立政権に参加していた2002年に2020年代前半に原発を停止 することを一旦決めていた。昨年延期されたが、福島の事故を受けて、元に 戻したということだ。 30年の積み重ねが素早い対応を生んだと考えるべきだろう。 日本でも反対運動はあったはずだ。共産党は反対していたのかもしれないが 国民の中には広がりはなかった。 これほどの事故の後でも、原発停止を求める声は大きくない。 国民意識の問題だ。政治家の問題ではない。 ドイツと同様にいつまでに停止するかを決めて、動き出す時だ。 [歴史] 1975年 最初の原発が稼動 1970年代、原子力への反対運動盛り上がる。 1979年 スリーマイル島原発事故 1980年 緑の党誕生 「原発停止、平和推進、男女平等」 1983年 緑の党が初めて連邦議会で5%の議席獲得 1986年 チェルノブイリ原発事故 環境省設立・・再生可能エネルギー推進、原子力安全管理も担当 (日本より権限強い) 1991年 再生可能エネルギーの固定価格買取制度実施 1998年 SPDと緑の党の連立政権:2005年まで 2000年 再生可能エネルギー法制定 2010年までに1次エネルギーに占める割合を2倍に増やす目標 2002年 2020年代前半までに原発停止を法律で制定 2009年 CDUとFDPの連立政権 2010年 メルケル政権は脱原発路線から原発推進路線に転換、 全原発停止までの期間が平均12年延長された。 2011年 福島第一原発事故を受けて全原発停止までの期間を前倒し(2022年)を決定 「電力状況と原発停止状況] ・福島危機の1週間後に最も古い7基を停止(全17基のうち) ・・・原子力発電の40%、総発電量の8%程度に相当 福島原発事故は日本よりドイツの政策を変えた。 ・その後も電力輸出、輸入を繰り返しており、ドイツのエネルギー需給への影響小 ・ヨーロッパの電力網は国境を越えて繋がり、自由に電力を売買できる単一市場に なっている。 ・7基はまず3ヶ月停止。その間に全原発の安全性をチェック。 17基の原発のすべてがリスクフリーでないことが判明 ・7基とクルメル原発の完全停止が決定。 [放射性廃棄物問題] ・北部ゴアベーレンに放射性廃棄物の中間貯蔵施設がある ・以前はフランスに再処理を委託し、その後ドイツに戻していた。 法律が改正され、国内で処理しなくてはいけなくなった。 [再生エネルギー] ・1991年 再生可能エネルギーの固定価格買取制度実施 買取価格が低く、再生エネルギー導入は限定的 ・2000年 再生可能エネルギー法。買取価格改善 ・2004年 さらに買取価格改善 ・2009年 さらに買取価格改善 ・買取制度で最も裨益しているのは太陽光発電 再生可能エネルギーの2%しかないが、買取費用の50%を占める 太陽光発電より風力、バイオマスにもう少し資金を廻すべきでは。 ・高圧送電線敷設を計画中。 [その他] 1次エネルギー:自然界に存在し、人間が変換・加工して利用するエネルギー CDU:キリスト教民主同盟 FDP:自由民主党 SPD:社会民主党 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(45) ○ どこから行っても遠い町 (川上弘美:新潮文庫) 2011.9.20 あまり力を入れずに読める本を読みたいと思っていたら、書店の新刊コーナーに 本書があった。川上弘美さんの作品はそこそこ読んでいるが、最近はあまり面白く 思った記憶がないので、普通なら買わないはずなのだが、それでも何かありそうな 気がして買った。 さて、本書は久しぶりに良かった。何が良かったのかはよくわからない。けれど もう一回読むことがあるだろうという予感がある。 解説に松家仁之氏(名前を初めて聞いた)が面白いことを書いていた。 『わたしたちはいつからか、未来の奴隷のように暮らしています。中学生や高校生 のうちから早くも将来の職業を考えさせられ、会社員になれば老後の生活資金を 準備せよとうながされ、果ては自分で自分の墓を買ったりもする。死ぬまでの毎日 が、未来からの前倒しの連続で、「いま」は、未来への助走期間でしかない。 私が川上弘美さんの小説にひきこまれるのは、未来からやってくる「ああしてこう しないと手遅れになる、ほらほら」と尻を叩く声が、どんどん小さく静まってゆくから です。』 『川上弘美さんの小説を読むことは、いまを生きる感触が、わたしたちのなかで息を 吹き返すことなのです。』 わかったようなわからないような解説ではあるのだが、うまく言い表しているような 気がする。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(44) □ 「原子力ムラ」を超えて (飯田哲也、佐藤栄佐久、河野太郎:NHK出版) 2011.9.19 原子力発電に関する様々な問題が書かれている。それらは独立するものではなく 根本は同じところにあると思われる。一言でいえば「原子力ムラ」と言うことに なるのだろう。 けれど問題は一つひとつ丁寧に見ていかないといけない。情報を整理する意味で 本書を読む価値はある。 なお、飯田哲也氏は「原発社会からの離脱」では何か嫌な人物に感じられたが、 本書では別にそのような印象はなかった。対談と執筆との違いかもしれない。 [日本の原発における本質的な欠陥] @安全審査が空疎 分厚い安全基準書は専門家が厳しく審査したものと思ってはいけない。 基本的には原子力企業(三菱重工、東芝、日立)が全て作成し、電力 会社は表紙を換えるだけ。 国の安全審査も分厚い安全審査書をその場で見せられた2時間程度の 会議で審査するだけ。 実態は国(原子力安全・保安院)の担当者が事前に詳細なレビューを実施。 それも字面をチャックし、情報公開された時にマスコミに突っ込まれないよう にという視点でのチェックだ。 A技術の本質が底抜け 原子力を導入して50年になるのに、東芝がウエスチングハウスを買収した ことに現われている。原子力企業でさえ、原子炉の基本設計ができない。 [国の組織] ・原子力安全委員会は行政庁から独立しているが、実質的には文部科学省や 旧動燃、旧原研というムラを仕切る。原子力安全・保安院は経済産業省の ムラを仕切る。それぞれが違うムラを仕切るので相手のことに口を出さない。 今回は東電という経産省側の問題なので原子力安全委員会は顔を出さない。 [2002年成立のエネルギー政策基本法] ・自民党甘利明氏と加納時男氏のリードによる議員立法で成立 ・「原子力」という文言がいっさい出てこない。 にもかかわらず原発促進法となっている詐欺まがいの法律 [原発誘致と思考停止] ・お金がないから原発を誘致し、さらに増設をして建設による経済効果や補助金 にすがる。しかし現在、福島県双葉町は町長の給与支払いさえ困難になり 月5万円まで減額されるほどの窮状だ。 ・「六ヶ所再処理工場は生産施設」という詭弁を詭弁と知りながら受け入れた 青森県知事と青森県の政治 ・内容を理解しないままプルサーマル受け入れの先頭に立った古川佐賀県知事 ・遠い将来の衰退を予見しながらも原発誘致に走る山口県上関町の推進派町民 [SPEEDI} ・緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI) 緊急事態が発生した時に、気象観測情報、アメダス情報、放出各種、放出量を 入力することで6時間先までの外部被爆線量、甲状腺等価線量をシミュレーション できるシステム ・発生直後に公表されない。 [需給調整契約] ・東電には大口需要家に対する需給調整契約がある。電力需要が逼迫した時に 電力削減義務を負う代わりに割引料金が適用されている。契約には3種類 @通告後すぐに使用制限する契約(神戸製鋼所など23件) A使用制限1時間前までに通告する契約(約500件) B使用制限3時間前までに通告する契約(約700件) ・東電は上記契約で割引料金を適用してきたのだから、需給調整でまずこれらの 契約者に対する供給抑制をしなければならないはず。 [広告宣伝] ・2007年の広告費のランキングは一位がトヨタで1054億円。18位が東京電力で 286億円。地域独占している企業が広告宣伝を必要とするのはなぜ。 [使用済み核燃料プール] ・六ヶ所村再処理工場の原材料プール容量は3000トンで、既に2700トン搬入済み。 残りは300トン 青森県むつ市に平成24年までに3000トン、34年に5000トンに増量する中間貯蔵 施設を作る計画。それでも7年弱分しかない。 ・六ヶ所村再処理工場が稼動しなければ原発は耐用年数以前に、使用済み核燃料 プールの空き容量で行き詰まる。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(43) △ 大震災のなかで (内橋克人編:岩波新書) 2011.9.16 33人の方がいろいろなことを書いている。けれど、あまり深く印象に残らない。 全体としてやや雑駁になっているように感じた。 もちろん個々には良い視点で書かれていると感じるものもある。 大江健三郎氏は、原発を核兵器と関連付けて、原発事故を広島への裏切りと 捉えている。私はこの意見に賛成できないが、原発反対運動の根本は ここにあることを再確認できた。 竹内啓氏は、避難所などの「逃げる」計画が、防波堤を越えて津波が来ることを 想定せず、「防ぐ」計画と同じレベルまでしか想定していなかったことを指摘 している。2つの対策が違うものを想定しなければならなかったことは今回の 震災の大きな教訓だ。 湯浅誠氏は、被災者にとって被災地は生活の場であることを再確認すべきと 主張している。どうしても私たちは被災地を事件の場として捉えてしまう。生活が 続いていることを大切にしなければいけない。 池内了氏は、今までの原発を擁護する判決を繰り返してきた裁判所に対する責任を 問うべきとする。 三好春樹氏は、「国策に協力してきたのに」と国に対する不満の声が65年前と 同じに聞えると書いた。 適切なことが書かれている。ありきたりなことが書かれているわけでもない。でも、 何故かしっくりこないものがある。それが何かは自分自身でよくわかっていない。 (メモ)・・・(注)引用と書き換えた部分が混在 [大江健三郎] ・日本は、広島から核エネルギーの生産性を学ぶ必要はありません。 ・広島の後で、おなじカタストロフィーを原子力発電所の事故で示すこと、 それが広島へのもっともあきらかな裏切りです。 ・(略)アメリカの核抑止の有効性への、理由のない信頼です。それと原子力 発電所の安全性への理由のない確信とは、つながっていないでしょうか。 [竹内啓] ・(津波)対策は基本的に二段になっていなければならない。第一段は津波を 「防ぐ」ことであって、防波堤などによって住宅や施設を守ることであり、第二段は 防御が破られたときに、津波から「逃げ」て生命を救うということである。 ・避難所の設置や避難訓練に関してはいろいろ問題があったと思う。(中略) 「防ぐ」計画を作成するために詳細に設定した前提条件に引きずられて、「逃げる」 ための対応もそれを前提としてしまった場合もあったと思う。 [湯浅誠] ・被災者にとって、被災地は「生活」の場だが、それ以外の者にとって、被災地は 「事件」の場だ。 ・被災地外は「事件」から「事件」へと飛び移るが、被災者は、どれだけ物理的に 移動しても、それぞれの「生活」から離れることはできない。 ・「すべてが流されてしまったのだから、この際・・」という便乗復興論。被災地で 連綿と続く生活が忘れられている。 ・専門家の責任を明らかにすべき。専門家は原発関係者だけでなく、政府や電力 会社の主張を鵜呑みにしてきた裁判官も含んでいる。「原発稼動差し止め請求」 を提出することが裁判官の責任を問うことになる。(池内了) ・福島第一原発事故で強制非難させられた人の声として「国策に協力してきた のに」「安全だというのを信じていたのに」と新聞の見出しになっている。私は タメ息をつく。これじゃ65年前と同じじゃないか。(三好春樹) ・特区構想は中長期的な地域の復興と災害対策としても問題がある。経済成長 こそ社会の安全性を達成する最大の手段であるという考え方は、災害からの 復興には当てはまらない。経済成長による利益は人々に均等に行き渡るわけでは なく、貧富の格差が復興を困難にしている要因でもある。(中野麻美) ・今回のような大災害が起こると、被災者を支援する人々には総じて気持ちの 昂ぶりがおこる。その昂ぶりは「がんばれ日本」「がんばれ東北」という言葉に 象徴されている。(野田文隆) 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(42) ○ 未曾有と想定外 (畑村洋太郎:講談社現代新書) 2011.8.31 本書の最初に「未曾有」という言葉について書いている。 「未曾有」は「歴史上いまだかつてない」という意味である。この100年の間には起こって いなくても1200年前の貞観地震では同レベルの津波が起こっている。地震や津波の 専門家はこの規模の災害が起こることを当然かんがえておかなくてはいけなかった。 また、今回よく使われた「想定外」という言葉についても次のように書いている。 原子力技術を扱う仕事は、想定外という言葉ですべてが免罪になるような軽いもの ではない。「原子力の専門家」に期待されるのは、今回のような事故を想定することだ。 想定するのが専門家の責務である。 著者は、今回の津波、原発事故に関して、基本的には何が学べるかという視点から 考えたことを紹介している。 釜石市では登校していた小中学生は1人も亡くならなかった。最近充実させた防災訓練 が役立って皆逃げることができたそうだ。 防潮堤が津波の初期のスピードを落とす役割を果たすなど津波対策も全てが無駄だった わけではなく、有効に機能したものもあった。 一方で過去に有効だったがために避難しない人を増やした場合もあり、経験が悪影響を 及ぼす場合もあり、単純ではない。 津波に関しては今回のことから学ぶことが重要になる。 原発事故は絶対安全との考え方に問題があった。今までに周辺部で重大事故が起こっ ていたのにそこから学べなかったことが今回の事故に繋がった。 著者の畑村洋太郎氏は、原発事故調査・検証委員会の委員長に就任した。 調査報告の内容に大いに期待できる。 (メモ) ・田老地区の防潮堤はX字をしていた2重構造になっていた。最初にできた内側は 海に向かって凸型で津波の力を逃す形になっていて壊れなかった。 後でできた外側は海に向かって凹型になっていて津波に対抗する形になっていて 今回の津波で破壊された。 ・津波に「対抗する」という考えと「逃げる」「すかす」という考えがある。 今回の津波ではっきりしたのは、「備えて逃げる」ことの重要性。 釜石市では学校に登校していた小中学生の被害者はいなかった。 3階まで津波が襲った学校でも全員避難できた。2006年から実施した防災訓練が 役立った。防災訓練のアドバイスをしていた片田さんは子どもたちに「これだけ訓練・ 準備しているので、自分は絶対に逃げるということを親に伝えなさい」と教えていた。 ・避難指示に素直に従ったのは被災経験のない新住民で、経験が判断の邪魔をした ケースもある。 ・防災対策を考える際は、「死んだ人が見た光景」が非常に重要になる。(申し訳ない 言い方になるが)亡くなった人はどこかで判断ミスをしている。 ・「情」と「職業倫理」が判断を狂わせる。 防災無線で避難を呼びかけ続けて亡くなった方の話は美談として扱われがちだが 高い職業倫理を持った有意な人材を簡単に死なせない社会をつくっていかなくては ならない。 ・高所移転と低地の再利用の混在型が良いのでは。 高所移転の対象は希望者と自力で避難できない人たち。 現実問題として高所移転を強制するとなると、拒んで海の近くに居続けたがる人が 出てくる。そういう人には社会として毅然とした態度で接することも必要。 ・「コンプライアンス」を「法令遵守」と訳すのは意図的な誤訳で、本質を矮小化している。 本来の意味は、「社会の要求に柔軟に対応する」ということ。 ・2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発で起こった事故は、原発の中枢部では なく、周辺部で起こっている。過去の事故も周辺で起こっている。今回も非常用ディー ゼル発電機がやられ、やはり周辺で起こった。東電の姿勢に問題があった。 ・(東電批判に関して)罵倒している人たちの中には直接被害を受けてない人も含んで いる。そういう人までもが、やり場のない怒りを吐き出して溜飲を下げている姿に違和 感を覚える。 ・日本が手本にしていたアメリカでは、原発は川の近くに作るのが常識になっている。 したがってもともと津波対策を考える必要がない。 ・今回の地震で、福島県の農業用ダム「藤沼湖」が決壊した。ダムが決壊したのは 日本で初めて。ダム決壊によって7人が死亡し1人行方不明と伝えられた。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(41) ○ 武村正義回顧録 (御厨貴、牧原出 編:岩波書店) 2011.8.11 武村正義氏が衆議院議員出馬を決めてから政界引退までを語った記録である。 この時期の出来事は武村氏が2006年に書いた「私はニッポンを洗濯したかった」や 細川護煕元首相が昨年出版した日記「内訟録」等である程度知っている。 それでも本書を読んだのは村山内閣発足からさきがけ解党のあたりの事情を もう少し知りたかったことと、私も参加したことのある砂漠緑化活動に触れていた ためだ。 「さきがけ」と言うと、細川内閣の時が最も注目されていて議員も一番充実して いたのかと思っていたが、本書の武村さんによると、最もやりがいがあったのは 村山内閣の時だったようだ。 消費税を上げることを決めたのは村山内閣だった。村山談話もいまなお健在だ。 自社さ政権は過去にできなかったことをいくつかできた。自公はどうだったのだろう。 今の民主・国民は。本書を読み終えて、最近の連立政権の中で、連立のメリットが 国民にとって最もあったのが自社さ政権だったと思うようになった。 (メモ)・・・「」は引用。後はかなり言葉が違っています。 ・アメリカでは州知事が即大統領になることは珍しくない。自民党の人事システム では知事という前職が評価されなかった。 ・「自分が関わってきた小選挙区比例代表制度に自信がなくなってきたところが あります。」 ・導入前に宮沢喜一氏に話したとき、「武村さん、小選挙区は日本人の体質に 合いますかね」と言われた。 ・「小さな集団ほどまとめるのが難しいと田中秀征が言いました。」 「数人から十人ぐらいのグループで誰かが異を唱えると党自身に亀裂が走る。」 ・自民党環境部会長のときにバングラディシュに行き、サイクロンセンターの提案をした。 1階が空洞、2階が小学校、3階が集会所の鉄筋の建物を作り、水害時に周辺の人が 上の階に避難する。今、バングラディシュの低地に100くらいできている。 ・(金丸訪朝団の経験から)議員外交はあまり自慢できない。一言一句が大切な 仕事なのに、全くの素人が決めてくるのは危険 ・(北朝鮮に5回行った経験から)関わった北朝鮮人は非常に切れる人物が多い。 政治体制が変わるか、韓国と一緒になるかすれば、北が大きな役割を果たすかも しれない。 ・(村山内閣時に社会党が自衛隊を認めたことに関連して)「あの頃も、その後もそう ですが、社会党はその立場になったら柔軟で、柔軟すぎて損したかもしれません。」 ・(村山さんがいい人だったことについて)「組合という組織をバックにして当選を重ねて こられた人でもあるから、一人ひとりの有権者と複雑な人間関係をつくらずにこられた のかな。組織で上がってきているから、わりあい純粋な人が残っているのかと思ったり しました。」 ・(村山内閣時代のさきがけ)さきがけは全員が生き生きとして張り切っていた。 「自民党に戻った連中も、民主党で活躍している連中も、いま会うと「あの時代が 一番よかった」と言いますね。一番やりがいがあったという。」 ・(消費税アップの決定に関して)「減税先行、消費税アップという骨格は、税制改革を 真面目に見つめたときからの一つの考えでした。」 「村山内閣で5%に上げさせていただいてから、もう16年以上も経っていますが、あれ 以後上げられない。」 「自慢するわけではないけれど、社会党の入った自社さ政権で、半年以内に5%に 上げる法案を通したというのは、大きな成果ですね。」 ・(村山談話)「村山内閣1年半の中で、これはいい仕事の一つだったと思いますね。」 ・(中国での植林活動に関連して)「最近の中国は、国を挙げて、本気で緑化を始めまし たね。あの国がそういう方針に変えると、すごくスピードが上がっています。昨年の FAO(国際連合食糧農業機関)のデータだと、1年間に500万ヘクタールも緑化して いるという。」 (関連記載) 「植林活動(2002年)」2008年 「再度、武村正義講演会へ」2006年 「武村正義講演会」2006年 『私はニッポンを洗濯したかった(毎日新聞社)』2006年 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(40) □ 風花 (川上弘美:集英社文庫) 2011.7.31 「熊にさそわれて散歩に出る」と書いていた作者が、最近は現実社会に降りて きている。とはいえ、離婚を考える女性を主人公にしていても、夫の不倫相手に 会っていても、捉えどころの無さは変わらない。 衝撃的なところも無く、深く考えているところも無い。小説としてさほど面白いとは 思えない。それでも僕が読んでいるのは、川上弘美の変化に関心があるからだ。 いったいこの先、彼女はどうなっていくのだろう。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(39) □ 原発社会からの離脱 (宮台真司、飯田哲也:講談社現代文庫) 2011.7.31 日本社会自体の問題に前半のかなりの部分を費やし、その後、原子力ムラ、 欧州の自然エネルギー取り組み、民主党政権の問題、日本での取り組みに 触れている。 内容以前に自分たちの優秀さを披瀝するような話しぶりがなぜか鼻につく。 また日本社会が欧州より遅れている話ばかりが目立ち、原発の多いフランスの 話が出てこないことに感情的に反感を覚える。 書かれていることは正しそうなことが多いのにそんな風に読んでしまうのは 僕だけなのだろうか。 本を読む順番を間違えたかもしれない。原発や自然エネルギーについて正確な 情報を知りたいと思っているときに対談を読むと発散気味に感じてしまうことも 関係しているのかもしれない。 (メモ) ・「今さらやめられない」「空気に抗えない」という悪い習慣 行政官僚制への依存、市場への依存、マスコミへの依存、政府発表への依存 といった「システムへの盲目的依存」が後押ししている。 ・欧州では過剰依存する危険を共通認識としている。 日本では「システム過剰依存」による共同体空洞化が進む。 ・原子力発電の建設コストが飛躍的に高くなってきている。 (炉心溶融が起きたときに支えるコアキャッチャーなど) 現在の原子力発電は第三世代といわれる。30年前の設計。 ・アメリカの調査結果では太陽光発電のコストが原子力と同等か、逆転 ・日本は化石燃料を年間23兆円輸入(2008年):石油、石炭、天然ガス 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(38) ○ 原発労働記 (堀江邦夫:講談社文庫) 2011.7.25 原発の実情を知るために、著者自身が原発の作業現場で働いた記録である。 年月は1978年9月から翌年の4月まで。作業に当たった原発は、美浜、福島 第一、敦賀の3つだ。 30年以上前だが放射能被爆量測定は行われている。表面的には数値の上限値は 守られているのだが、抜け道があって管理は厳格ではない。 作業は粉塵や汚れがきつそう。メンテナンスを考慮した設計になっていなくて 狭い空間に入り込んだり、無理な体勢を強いられたりするなど作業環境が悪い。 作業は下請け労働者が行っており、原発の正社員と下請け作業員との作業環境 の違いも何度も指摘されている。 最後に福島第一原発事故後に加えた「跋にかえて」で、今どうなっているかに ついて少し触れている。年間の作業員の被爆量総量はピーク時の6割くらいに 減ってはいるものの、激減しているわけではない。電力会社社員の被爆量は 全体の3%程度にすぎず、ほとんどは関連会社、下請け会社の作業員が被爆 している。 現在、福島第一原発で対応しているのもおそらく同じように正社員でない方が 多いのだろう。その意味において状況は30年前と大きくは変わっていない。 情報は既にたくさん発信されていたのだ。現在の福島第一原発での作業員や 作業環境について発信されている文章もおそらくあるのだろう。 今と結びつけないと本書を読んだ意味は全く無い。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(37) ○ 私の個人主義 (夏目漱石:講談社学術文庫) 2011.7.23 漱石が明治44年と大正3年に行った講演5つの記録である。 「それから」の代助の職業観や、「三四郎」に出てくる広田先生の世論批判が 漱石の考えを反映したものだったことがわかり興味深い。 例えば、「道楽と職業」という講演で、仕事は人のためにするものと言い、 「人のために」は、人の欲するがままという卑俗な意味だとして普通の職業を 低いものと捉えている。 けれど小説に比べると主張が穏やかなため、やや曖昧な感じを受ける。 (メモ) 「道楽と職業」 ・職業の数が増え、細分化されてきている。学問においても同様。 このため、社会的知識が狭く細く切り詰められてしまい、自ら不具になっている。 ・昔は自分の身の回りのことを自分でやらなければならなかったが、 今は自分の得意なところで人より多く仕事し、不足したところを人に仕事して もらっている。仕事は「人のために」することになる。 ここでの「人のために」というのは、人の言うがまま、欲するがままにという 卑俗な意味。 ・職業は人のためにするもので他人本位である。しかし、芸術家、哲学者、 科学者は自分本位で行うので別だ。 「現代日本の開化」 ・開化を人間活力の発現と捉える。 ・人間の活動は消極的と積極的に2種類に大別される。 消極的とは、活力を節減しようとする方向に働くもの。できるだけ労力を 節約したいという願望に基づく。 積極的とは、自ら進んで行う道楽的なもの。 ・昔は死ぬか生きるかで争った。 今は、Aの状態で生きるか、Bの状態で生きるかの争い。 苦しさ加減は今も昔も変わらない。これは開化の生んだパラドックス。 ・日本の開化は外発的で皮相上滑り。 日本が初めて接触した西洋の開化は日本と比べて数十倍の労力節約、 数十倍の娯楽道楽の開化だった。 ・「(日露)戦争以後、一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようで ある。中々気楽な見方をすれば出来るものだと思います。」 「中味と形式」 ・とかく最後の判断のみを要求する。 最後の判断の範疇は多くないが、複雑なものでもお構いなく約められると 仮定してかかっている。 ・中味がわからなくても形式だけを知りたがる。門外漢だけでなく学者もそう。 ・一つの型を永久に持続することを中味の方で拒む。 中味に連れ添わない形式はいつか爆発しなければならぬと見るのが穏当で 合理的な見解だろう。 「文芸と道徳」 ・昔の道徳は、完全な理想型に向かって努力するもの。 個人に対する倫理上の要求は過酷で、個人の過失に対して厳格。 ・維新後の道徳は、事実を土台にして作り上げてきたもの。 倫理的に寛大で穏やかになった。 ・文芸は大きく、浪漫主義と自然主義に分類される。 浪漫主義は、読者が倫理的に向上遷善の刺激を受けるのが特徴。 自然主義は、普通の人間をありのままに描く。 ・浪漫主義は昔の道徳に対応し、自然主義は維新後の道徳に対応している。 これらの文芸は道徳を反映したものになっている。 「私の個人主義」 ・「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。」 ・自分の個性を発展させたいと思うなら、他人の個性も認めるべき。 ・権力を使用しようと思うなら、付随している義務を心得るべき。 ・「国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いものの ように見える」 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(36) ○ 偶然の祝福 (小川洋子:角川文庫) 2011.6.26 川上弘美の書評集で、小川洋子の短編集ではベストと称していた本。 ただし、川上弘美が書いたのは10年前なので今は違うかもしれないが。 7つの短編から成る。前の話に登場したあの人はこういう人だったのかと 後の話でわかるなど話は微妙に関連していて、うまく興味を惹くようにしている。 さすがに川上弘美がベストと称しただけの作品だ。 それぞれの短編は小川洋子らしい話だ。 嘔吐袋を集める伯母さんが登場する「失踪者たちの王国」、 左腕が動かなくなった元水泳選手の弟の物語が関係する「盗作」 お手伝いさんだったキリコさんの私への影響を描いた「キリコさんの失敗」 弟と名乗る不思議な男が出てくる「エーデルワイス」 病気の犬を風雨の中で病院に連れて行く「涙腺水晶結石症」 恋人の指揮者が遂に表に出てきた「時計工場」 言葉の湧き出る泉を失った「蘇生」 随分たくさんの登場人物とエピソードが贅沢に含まれている。 これだけの話が湧き出てくるのはすごい。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(35) □ 信徒 内村鑑三 (前田英樹:河出ブックス) 2011.6.23 内村鑑三は日露戦争の際に非戦を主張し、新聞社「万朝報」を退社する。 この時に堺利彦、幸徳秋水も同時に辞めている。 堺利彦と幸徳秋水は社会主義の立場から非戦を主張し、内村鑑三は キリスト教徒の立場から非戦を主張したことになっている。内村の非戦論に ついて知りたいというのが本書を読むことにした理由だ。 内村は日清戦争開戦から1ヵ月後に「日清戦争の義」という論説を書く。 戦争には欲によるものと義によるものがあるとし、清の二十余年にわたる無礼を 非難し、清に対する戦争は正しい戦争だと主張している。 しかし、その2年後には日清戦争後の日本を、実益だけが求められ何の大義も ないと考え直し、日露戦争直前には「日清戦争の義」を書いたことを恥じると 書き記している。 にもかかわらず、本書の著者は内村が根本的に考えを変えたわけではないと 考えている。それを説明するものとして内村が西郷隆盛について書いた文章を 挙げている。西郷は朝鮮を制することで、東アジアを強化し西洋列強の侵略 から守ることを主張した。西郷の考えを内村の考えと共通すると考えている。 根本思想を変えていないのに、戦争賛成から反対に変わった理由は何だろうか。 戦勝に沸く日本人を見て考えを変えたように見受けられるが、思想的にはどう なのか。著者は内村の思想に一貫性を持たせようとするが故に、僕が知りたいと 思う変化を説明できていないように思う。この点が最も不満が残る点だ。 内村は日露戦争が始まってからは、戦争反対を主張しなかった。戦争の善悪を 議論すべき時期でないということらしい。 現在から見て、内村の考えを理解することは非常に難しい。いや、当時から 難しかったのかもしれない。非戦を訴えた堺利彦や幸徳秋水の平民社が 言論弾圧を受けたのに対して内村の言動が弾圧を受けることはなかった。 影響力も限られていて、世の中の流れに抗していなかったからだろうか。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(34) △ ニッポンの書評 (豊崎由美:光文社新書) 2011.6.18 ひと月あまり前に書店で「大好きな本 川上弘美書評集」を手に取った。 目次を見て2つの紹介文を選んで読むと、その本を読んでみたくなり、紹介 されていた2冊の本をその場で買った。彼女の本に対する愛情がとても強く 伝わってきて、こんなに愛される作品ならきっと面白いのだろうと感じたのだ。 そういう体験をした直後だったので、当然のように本書を読むことになった。 粗筋紹介は書評になるか、批評との違い、ネタばらしはしてよいか、海外との 違いなどについて書かれている。 批評は作品を読んだ後に読むもので、書評は作品を読む前に読むもの等、 なるほどと思うことがいくつかあった。 当然、著者が良いと考える書評と良くないと考える書評も載せられている。 しかし、本書で取り上げられた書評を読んだ後に、その作品を読んでみようと いう気になったものはなかった。好みの違いかもしれないが、印象に残る書評が なかったので、本書の内容を薄く感じることになった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(33) □ 震える舌 (三木卓:講談社文芸文庫) 2011.6.12 一人娘が破傷風に罹る。その過酷な症状と、それに付き添う夫婦の話だ。 破傷風菌について、作品中で医師の言葉として次のように紹介されている。 「破傷風菌は、嫌気性菌ですが、これは地球上に酸素ガスのない極めて 初期の時代に生まれた古い菌なのです」 舌を噛み切りそうなほどの激しい痙攣が頻発している。痙攣ごとに夫婦の 疲労が急速に増していく。それにつれ夫婦の関係にも亀裂が入り始める。 内容はずっと重苦しい。最後は少し雰囲気が変わって救われる感じがする。 本作品は1974年の作。著者自身が体験したことを書いたそうだ。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(32) △ パレード (吉田修一:幻冬舎文庫) 2011.6.5 5月5日に書店で川上弘美さんの書評集を手に取り、その中で紹介されて いた本を2冊買った。そのうちの1冊が本書。 書評集の文章はたぶん本書のあとがきと同じで、川上さんは本書を 「こわい小説だ」と書いている。 最初からずーと読んできて、最後に至って、「なんだって!」と言いたく なるような話だ。川上さんの「こわい」という言葉が少しわかる。 普通と異常の大きな落差が生じている。けれど、そこに何らかの必然 性や繋がりが感じられなければおかしい。それも感じられないからこそ、 「こわい」のだろうが、小説としては不完全燃焼の感が否めない。 なお、チャットなどの匿名性について書いてあった文章を興味深く感じた ので記しておく。 「もしも私が匿名で何かをできるとしたら、私は決して本当の自分など 曝け出さず、逆に、誇張に誇張を重ねた偽者の自分を演出するだろうと 思う。」 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(31) □ 天空の蜂 (東野圭吾:講談社文庫) 2011.5.27 自衛隊に納入直前のヘリコプターが盗まれる。ヘリコプターは爆弾を積み 敦賀の原子力発電所の上でホバリング状態を続ける。犯人からは原発を 全て使用不能にせよとの要求。この事件に関連して動く、ヘリコプター製造者、 原発職員、警察、自衛隊、そして犯人。展開は興味深く一気に読んでしまう。 ただ、安易に感じられる面があるので、読者が入り込んで一緒に緊張すると いうほどにはならない。どうしてもお話だという距離の遠さが常にある。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(30) ◎ 朽ちていった命(NHK「東海村臨界事故」取材班:新潮文庫) 2011.5.26 1999年、茨城県東海村で燃料加工中にウラン溶液が臨界状態に達して大量の 中性子線が発生し、被爆した2人が死亡した。この事故で2名の作業員が亡くなって いる。本書はそのうちの一人である大内さん(35歳)の治療を取材した記録である。 本書の内容は実に衝撃的だ。放射線被爆とはこれほど恐ろしいものなのかを初めて 知った。病院に運ばれた当初は、とても重症患者には見えなかったそうだ。皮膚が 焼けただれているわけでもなく、意識もはっきりしている。右手が少し赤くはれ、顔面が 少し赤くなっている程度に見えた。しかし、放射線を浴びて染色体がばらばらに破壊 されている。設計図を失った体は新しい細胞を生み出すことができない。白血球、粘膜 皮膚に影響が出てくる。人間の皮膚は2週間で新しい皮膚に代わっていくものらしいが 新しい皮膚を作り出せないと皮膚はわずか2週間くらいの間でぼろぼろになってしまう。 粘膜も同じ状態。ぼろぼろになった皮膚や粘膜の表面からは出血したり水分が染み 出てきたりする。大内さんの全身はガーゼと包帯で包まれる。59日後にいったん心停止 したが必死の処置で心拍再開。体の表面には浸み出してくる体液を栄養分にして アスペルギルスというカビの一種が生えてくる。83日後に心拍停止した時は蘇生措置は 行われなかった。あまりにもひどい状態で言葉を失う。 原爆での被爆者にも同様の症状の人が多数いたはずだ。皮膚がやられたのは熱線 のためだけではなかったのだ。 本書を読めば、原子力発電、原子爆弾の見方が大きく変わるだろうと思う。是非多くの 方々に読んでほしい。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(29) ○ デフレの正体(藻谷浩介:角川ONEテーマ21) 2011.5.25 内需は国内の生産年齢人口の増減の影響を最も受けている、というのが 本書の主張。確かに示された小売販売額などのデータを見ると、景気うんぬんより 年齢別の人口推移で説明するのが良さそうだ。 2002年から2007年までの戦後最長の好景気と言われた時期に、全く実感が 湧かなかったのは個人消費が伸びなかったことに現われているが、それが生産 年齢人口の減少で説明がつくという点が非常に興味深い。 ここでの主張が正しければ、今後さらに若者の人口が減ることを想定すると 個人消費はますます減少していく。著者はいくつか対策を示しているが、書かれて いる分だけでは減少を抑えることができるような気はしない。 なんでも安くという発想で進めた場合、販売量を増やさないといけない。けれど 購入側はさほど量はいらない状態になっている。だからもっと安くしてという循環に なっている。どこかで方向性を修正しなくてはいけないのだろう。量から質への転換が 必要になってくる。何が大切かを見直そうという雰囲気のある今はそのチャンスでも あるのかもしれない。 (メモ) (1)日本は国際競争の勝者 ・日本人の個人金融資産は減っていない。(ドルベース) ・貿易黒字は続いている。 対中国、韓国、台湾も黒字。 貿易赤字は、対フランス、イタリア、スイス。ハイテクではなく、食品、繊維、皮革 工芸品、家具という「軽工業」製品が日本で売れている。 ・クオリティ、デザイン、ブランド力を獲得できるかに日本経済の将来がかかっている。 (2)国際競争には勝っているが、内需は不振 ・国内の新車販売台数は2001年から減り始めた。好景気の時期に当たる06-07年に 大きく減少した。 ・小売販売額は96年度からずっと減少続き。ピークはバブル頂点の90年ではない。 ・国内の書籍・雑誌の合計売上げのピークは96年、販売部数のピークは97年で以降減少。 ・国内貨物総輸送量は2000年がピークで以降減少。 →これらはバブルの90年ではなく、96−98年にピークが見られる。 (3)内需不振の要因は、現役世代の減少 ・例:首都圏(1都3県)で、2000-2005の間で人口106万人増加。 15-64歳:7万人減少、0-14歳:6万人減少、65歳以上:118万人増加 →高齢者の増加、現役世代の減少が、内需減少の原因 この問題は地方の問題ではない。 ・現役世代減少が大きい(実数として)のは、大阪、北海道、埼玉、兵庫、千葉の順。 ・不況のせいとされている現象の多くが、景気循環とは関係なく住民の加齢による現象。 ・就職氷河期と言われた90-95年に、生産年齢人口と就業者数がともに増えた。 (就業者数が減ったわけではない) ・日本は失業率が低く、新卒就職者数−定年退職者数=就業者数の増減となり 個人所得総額を左右し、個人消費を上下させてきた。 ・「生産年齢人口減少に伴う就業者数の減少」こそ、「平成不況」とそれに続いた 「実感なき景気回復」の正体。 (4)対策案 ・高齢者富裕層から若者への所得移転 ・女性の就労と経営参加 ・外国人観光客、短期定住者の受け入れ 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(28) □ 隠される原子力 核の真実(小出裕章:創史社) 2011.5.15 小出裕章氏は京都大学原子力実験所の助教で、原子力の専門家。 だから、本書の副題は「原子力の専門家が原発に反対するわけ」となっている。 先日読んだ『原発のどこが危険か』以上に原発の科学的技術的内容を期待していた 私にとっては期待していた内容とは異なっていた。しかし、本書には重要な指摘が いくつか含まれている。 一つは被爆量について。被爆量が少なくても被爆量に比例した影響が出ると書いて いる。そうであるなら、何ミリシーベルトという数値で線を引く意味は実質的にはない。 二つ目はウランの資源が少なく、枯渇していく石油や石炭の代替にはならないという点。 三つ目は核燃料サイクル計画がうまくいかないために、無理やりプルサーマル計画を 作り出し、安全性を落としていること。 その他に六ケ所再処理工場の危険性にもかなりのページを割いている。 今の原発をどうするかとともに、核燃料サイクル計画全体も見直す時だ。危険なものを 放置してはいけない。 (メモ) ・(50ミリシーベルト以下の被爆領域では被爆の影響がないと主張しているが) 被爆量は少なくても被爆量に比例した影響が出る。 「直線・しきい値なし」(LNT)仮説と呼ばれる。 ・東京電力が有する原発は新潟の柏崎刈羽原発と福島第一、第二原発の3つ。 ともに東北電力の供給範囲で、東京電力の供給範囲である都会には原発を 作ることはできなかった。 ・核分裂性ウラン(235)は0.7%、ウラン235を集める作業をウラン濃縮と呼ぶ。 原発ではウラン235濃度を3−5%にしている。 ・99.7%を占める非核分裂性ウラン(238)をプルトニウムに換えて核燃料に するのが、高速増殖炉を中心とする核燃料サイクル計画。 全く見通しが立たず、10年経過すると実用化予想時期が20年延びている。 ・100万キロワットの原発の場合、1年の運転で1000キロのウランを燃やす。 広島原爆で燃えたウランは800g。 毎年、日本の原発全体で、広島原爆5万発に相当する死の灰を生み出している。 ・高速増殖炉の稼動を前提として、使用済み核燃料の再処理をイギリス・フランスに 委託し、45トンものプルトニウムを保有している。 このプルトニウムの始末のために考えられたのが、プルトニウムを普通の原発で 燃やす「プルサーマル」計画 プルトニウムとウランの混合酸化物燃料(MOX燃料)を3分の1まで入れても安全と なっているが、安全余裕を低下させる。 プルサーマルは、2009年九州電力の玄海原発3号炉で開始。続いて2010年に 四国電力の伊方原発3号炉でも実施。 ・ウラン資源は少なく、利用できるエネルギー換算で石油の数分の一、石炭の 数十分の一しか存在しない。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(27) ○ 其面影(二葉亭四迷:岩波文庫) 2011.5.14 『浮雲』に次いで二葉亭四迷の作品を読んだ。 岩波文庫の表紙では本作品を次のように紹介している。 「中年の大学講師小野哲也は、見込みちがいの彼に失望した妻と養母に 冷淡に扱われ、生きる興味をほとんど失ってしまう。ただ一つの光明は、 出戻りの義妹小夜子の存在であった。やがて二人は道ならぬ恋におちてゆく。」 たしかにそのような筋だ。ただ、本作品が描いているのは哲也と小夜子の恋と いうよりも、二人の想いのズレのように思える。特に行動を共にする時間が増えて からは小夜子の想いの強さに対して、哲也の言葉の軽さが目立ってくる。 ずっと軽いままかと言うと少し経ってからはそういう自分が嫌になって全てを 投げ出してしまう結果になっている。 僕が今から恋に走ったらきっとこんな体たらくだろうなと思う。 発表当時は20年前に書いた『浮雲』より評価が低かったようだし、現在でも あまり評価が高くないようだが、、僕には本作品の方がはるかに面白かった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(26) ○ 新版 原発のどこが危険か(桜井淳:朝日新聞出版) 2011.5.8 1995年出版の「原発のどこが危険か」に、福島第一原発事故に関するあとがきを 加えて新たに出版された。福島第一原発で起こった外部電源喪失が過去に複数の 原発で起こっていて重大事故の可能性に挙げられていた。それらは非常用電源の 稼動によって回避されていたのだが、今回は非常用電源が稼動しないという最悪の 状況に追い込まれた。 アメリカやロシアでは外部電源喪失は非常に重要に扱われていた。チェルノブイリの 事故は外部電源喪失を想定した試験運転中に発生したものだ。 日本では外部電源喪失の可能性は低く見積もられていた面があるらしい。それは 日本では停電が少なく電力供給が安定していることと、非常用電源の信頼性が アメリカ、ロシアより桁違いに優れているためだった。残念ながらそれが裏目に出た。 本書を読むと、原子力発電にはまだ問題があり、小さな事故は多数起こっている。 外部電源喪失や、配管、伝熱管の完全破断(ギロチン破断)がよく起こっている。 非常用電源が注目されているが、課題はそれだけではなさそうだ。 [本書での原子炉の分類] (1)米国型原子炉 @加圧水型(PWA) A沸騰水型(BWA) (2)旧ソ連製原子炉 B加圧水型 C黒鉛減速チャネル型 [2大原発事故] (1)スリーマイル島原発2号機事故 ・・・加圧水型、1979年 2次冷却系 脱塩装置故障 →蒸気発生器2次側に冷却水を供給するポンプ停止 (補助給水ポンプの出口弁が閉じていた:運転規則違反) →1次側の熱除去不十分、原子炉温度上昇、原子炉圧力上昇 →加圧器圧力逃し弁開(圧力は正常値になった) →(圧力正常値なのに)圧力逃し弁開のまま →原子炉の冷却水流出 →緊急冷却装置(ECCS)の高圧注水系作動 →水位系誤動作(満水表示)、オペレータECCS流量減らした →冷却水不足により、炉心溶融 ⇒オペレータ圧力逃し弁を手動で閉(原子炉停止後139分) →圧力上昇、圧力逃し弁開、高圧注水系作動、炉心冠水 *炉心の45%は溶融し圧力容器底に落ちたが、圧力容器の底は破壊されなかった。 圧力容器底の温度が827度以上になっていたら底が破壊し冷却水は抜け落ち 完全なメルトダウンが起こっていた。 (2)チェルノブイリ原発4号機事故 ・・・黒鉛減速チャネル型 1986年 *外部電源喪失事故発生を想定した試験運転中の事故 ソ連の非常用ディーゼル発動機は起動するまでに時間がかかるので 起動までの時間、タービン発電機の慣性エネルギーを利用してECCSなどに 電力を供給することを目的とした試験。 (試験用に)原子炉出力下げ始める。ECCS信号オフ →原子炉出力下がりすぎ →オペレータ 制御棒の本数を許容値より減らし、出力維持 →オペレータ 再循環ポンプ2台追加(通常6台に追加):運転規則では禁止 →炉心冷却機能増、蒸気発生量減少、気水分離器圧力低下 →オペレータ スクラム(原子炉停止)を防ぐため、スクラム信号オフ →第8号タービン発電機の制御弁を閉(試験のため) →原子炉出力上昇 →オペレータ 緊急停止ボタンオン →制御棒挿入、炉心に引っかかりドカンという異常音 →原子炉大爆発(緊急ボタンから20秒後) [その他の事故] (1)外部電源喪失 @(米)ブラウンズフェリー原発1号機 ・・・沸騰水型 1975年 大規模ケーブル火災 気密度チェックにろうそくの火を使用中、火災発生。 運よく、制御用ケーブルは使用できた。 A(東独)グライフスバルト原発1号機 ・・・加圧水型 1975年 大規模ケーブル火災 B(ソ連)クルスク原発 ・・・1980年 停電により外部電源喪失。 非常用ディーゼル発動機が起動するまで90秒要した。 →この事故がチェルノブイリでの試験の背景にある。 C(露)コラ原発 ・・・加圧水型 1993年 竜巻により完全停電。1時間後に非常用電源起動 D(米)コネティカットヤンキー原発 ・・・加圧水型 1993年 人為ミスで外部電源喪失。非常用電源正常に稼動 E(米)ラサール原発 ・・・沸騰水型 1993年 変圧器異常から外部電源喪失。非常用電源正常に稼動 (2)配管、伝熱菅破断 @(米)サリー原発2号機 ・・・加圧水型 1986年 2次系配管の完全破断 A(米)ギネイ原発 ・・・加圧水型 1982年 蒸気発生器の伝熱管が大規模破裂し原子炉圧力急低下。スクラム。 B(米)ノースアンナ原発1号機 ・・・加圧水型 1987年 蒸気発生器の伝熱管が完全破断。原子炉手動停止。 C美浜原発2号機 ・・・加圧水型 1991年 蒸気発生器の伝熱管が完全破断。原子炉手動停止。 (3)システム異常下の運転継続 @(米)ラサール原発 ・・・沸騰水型 1993年 2台の再循環ポンプ(沸騰水型の効率を上げる目的)が停止。 原子炉出力に振動現象が生じスクラム。 出力振動は炉心損傷の可能性がある。 日本で再循環ポンプ停止では原子炉を停止させない。軽く見すぎている。 ・福島第二原発3号機 ・・・沸騰水型 1988年 再循環ポンプ2台のうち1台停止。そのまま稼動 ・浜岡原発、志賀原発等でも発生 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(25) △ どう生きるか、どう死ぬか 「セネカの知恵」(ルキウス・セネカ:三笠書房) 2011.5.5 キリストと同時代の哲学者セネカの「人生の短さについて」「心の平静について」の 「超訳」である。超訳本が今はやっているようだが、何が超訳なのかはよくわからない。 どうも正確さより読みやすさを優先しているということらしいが、言い換えれば無責任に 書いているということにもなる。 だから、本書を読んで、セネカが本当にどういうことを言いたかったのかを判断して よいかどうかはわからない。 こんなことをぐだぐた書いているのは、セネカはもう少し意味のあることを書いたんじゃ ないのかという疑問を持つからだ。それくらい本書に書いてある内容はつまらない。 「人生の短さについて」は、人のために時間を使わず、自分のために使え。とだけ言って いて、何に使うべきかははっきりしない。 さらにひどいのは「心の平静について」で、いい加減な処世術が並んでいるだけにしか 思えず、一貫性が感じられない。 結局、超訳が悪いか、セネカが悪いかはわからない。ただ、書いてあったことのメモを 書いているうちに、案外セネカが言っているのもこの程度のことだったのかもしれないと 思えてきた。(岩波文庫から訳が出ているので機会があれば覘いてみよう) ・セネカ 紀元前4年〜後65年 ・皇帝ネロの暗殺計画に加担したと疑われ自死を命じられて死亡。 ・自分の時間と引き換えにするほど大事なものはない。 ・よりよい人生の計画を立てるために人生そのものを浪費する人々 ・過去とは奪われることの無い財産 ・人は変化を求めすぎ。 ・一つのことに取り組む ・一市民の力なんて何の役にも立たないと考えるのは間違い ・賢人が影響力を持つのは国が混乱している時。 強欲や妬みや悪徳がはびこるのは国が安泰で繁栄している時。 ・自分を正しく評価する。重すぎる荷は運搬人をつぶしてしまう。 ・堕落せず、悲観的すぎない友を選べ。 ・所有は人間にとって苦悩の源泉 ・倹約しなければ十分でなく、倹約しても有り余らない程度が最適 ・自分の環境に慣れろ。望みは近くに持つ。 ・死を恐れない ・誰かに起こり得ることは、誰にでも起こり得る ・能力を浪費せず、行動を抑制する ・気まぐれに翻弄されない ・不幸事は心が嘆く分だけ嘆くのが一番。見せ掛けの涙は不要。 ・時々は肩から力を抜くことも必要。 ただし、手綱を緩めるのと手綱を手放すのとは大きな差がある。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(24) □ 般若心経 262文字のことばの力 (島田裕巳:日文新書) 2011.5.3 妻と一緒に出かける東吉野村のお稲荷さんでは般若心経を最後に唱えることが多い。 神道と仏教が融合することは珍しくない。ただ、せっかく耳にする機会が多いのだから どういうことを唱えているかを知っておきたいと思って読んでみることにした。 全体的には表面的に解説した本だ。だから深みは全く無い。 さほど期待していたわけではないので、まあこんなものかとは思うけれど こんな本でお金儲けをするのも学者としてどうなの、と著者の島田氏には 不満を持ってしまう。 本書によると、般若心経の前半部は全てが「空」を繰り返し唱えているが 終盤には「般若波羅密多」の真言が真実であると教えていて「空」との対立が 生じているそうだ。 どうして般若心経を唱えるのか、短いという以外に有難がられる理由がない ように思える。それ以外の理由は本書からは見出せなかった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(23) ○ 堺利彦伝 (堺利彦:中公文庫) 2011.4.30 社会主義者の堺利彦による自伝。 堺利彦は日露戦争に反対して、幸徳秋水、内村鑑三とともに新聞社「万朝報」を 去るが、本自伝は万朝報に入るところで終っている。したがって、社会主義者に なる前のことを書いていて、社会主義に関する部分は全くといっていいほどない。 それでも2つの点から本書は興味深い。 一つは明治時代の生活がよく描かれていることだ。 堺は明治3年に士族の子どもとして生まれている。堺家の禄が700円の公債証書に 替えられ、7分利付きとして年間約50円の利子が付く。堺家では月5円で暮らしが 成り立ったが、それでも年10円不足になる。公債証書だけでは弱っていくので士族は 「官途に就く」か「士族の商法」を始めた。養蚕や金貸しなどが盛んだったらしい。 こんな話や正月、節分などの風習などがわかりやすく書かれている。 二つ目は堺の人間関係の幅広さがうかがえることだ。人付き合いが大好きな人だった ようだ。そうだからこそ、社会主義者による商売である売文社は成立できたのだろう。 僕は人との関係を大切にしてこなかったので、今になって僕に欠けているものを 持っていた堺を羨ましく感じる。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(22) △ 王国 その1 アンドロメダ・ハイツ (よしもとばなな:新潮文庫) 2011.4.24 既に似たようなお話をいくつか読んだことがあるような気がする。 全く新しい感じがせず、話の展開にも退屈した。 登場人物の会話の口調の変化にも違和感がある。 続きがあるようだが、どうも縁がなかったようだ。 登場人物 ・私(雫石)、おばあちゃん、野林真一郎(恋人?)、 占い師の楓、パトロンの片岡 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(21) □ 三陸海岸大津波 (吉村昭:文春文庫) 2011.4.19 明治以降に三陸海岸を襲った大津波の証言や記録をまとめたもの。 吉村昭氏は5年ほど前に亡くなっている。大津波が再度やってくることは予想していた だろうが、明治29年を越えるような被害がもたらされることは考えていなかっただろう。 明治29年の地震はマグニチュード8.2と大きいが、三陸での揺れは大したことは なかった。ただ、時間は5分続いた。この地震から30分後に大津波が押し寄せた。 津波の高さは各所で10メートルを大きく越えている。 宮城県の死者3452人、青森県343人、岩手県22565人。 著者は明治29年の津波を体験した人に取材し、田野畑村の50メートルくらいの 高台にある家まで津波が来た話を聞いている。その取材には当時の早野村長も 一緒で、村長は、8メートルの防潮堤を設けていて専門家も充分だと言っているが、 「ここまで津波が来たとすると、あんな防潮堤ではどうにもならない」と顔を曇らせた、と 書いてある。なお、3月の津波で田野畑村の死者行方不明者は三十数名である。 昭和8年の地震の揺れは大きかった。揺れの時間は5分から10分程度続いた。 地震の時刻は午前2時32分。天候は晴れで、気温は零下10度近くまで冷え込んで いた。 地震の揺れに驚いた人々はいったん外に出たが、冬期と晴天の日には津波は来ないと いう言い伝えがあり、再び家に戻って眠りについた人が多かったそうだ。 そこに津波が押し寄せた。死者は2995名。 田老村はほとんどの家屋が流失し、911名が死亡した。明治29年の津波でも1859名が 死亡している。 翌年に田老町の海岸線に防潮堤の建設が始まった。昭和33年に最大高さ7.7メートル (海面から10.6メートル)の大防潮堤が完成した。 昭和35年のチリ地震津波では田老町では防潮堤により死者も家屋の流出もなかった。 昭和43年の十勝沖地震でも2メートルを越える津波が押し寄せたが、防潮堤で防ぐことが できた。 今回、防潮堤を越える津波により防潮堤が破壊され死者行方不明者は約200名。 3月の東日本大震災では各所で防潮堤を越える大津波により、大きな被害が出た。 けれど防潮堤によって、多少であれ時間稼ぎができたり、最初の勢いを弱めたり できたに違いない。おそらく何もなければ田老町などの被害はもっと多かったのだろう。 圧倒的な自然の力の前で防潮堤などの私たちの防御は無力に見えるが、人的被害を 少なくするという観点で何が役に立ったかの検証は冷静にしなければならない。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(20) □ トルストイの日露戦争論 (訳 平民社:国書刊行会) 2011.4.17 ひと月ほど前にアルルの喜久屋書店の新刊書の棚の端に本書の背表紙が 見えた。「訳・平民社」となっている。堺利彦だ。これを見たら買わざるをえない。 トルストイは1904年に本文を書いた時、77歳。主張は簡単だ。 隣人を愛し、人のために尽くすべきキリスト教徒がなぜ戦争に参加し人を殺すのか。 悔い改めよ。というものだ。 キリスト教徒としては自然な主張だと思う。ただ、トルストイは信仰以外の理性を 評価していない面がある。人類の技術面での進歩を快楽主義と考えて否定したり、 理性によって紛争を解決する国際会議を無理な企てのように記載するなど、広く 受け入れられにくい考えが随所に見られるのである。 本書を読んでいる途中で、30年近く前に読んだ「クロイツェルソナタ」という作品を 思い出した。はっきり覚えているわけではないが、電車の中で性的な禁欲について 話をする男がいて、周りの人から変な人という扱いを受けていた場面があったように 思う。そのときはトルストイは極端な人間を描いていると思っていたが、本書での トルストイの考えを見ると、極端な人間を描こうとしたのではなく、真っ当な人間を 描こうとしていたのかもしれないと思えてきた。 また、読み返さないといけない。 この文章は1904年6月27日にロンドンタイムズ紙に掲載され、日本では8月初めに 東京朝日新聞と週刊平民新聞が前文を翻訳して掲載した。平民社は翻訳を掲載 した次号に社説でトルストイの文章に対する評を載せ、トルストイに敬意を表しつつ 解決策の違いがあることを述べている。意見の異なる考えを敢えて掲載したことに 関して石川啄木は、次のように書いている。 「当時彼らは、国民が戦勝の恐ろしい喜びに心を奪われ、狂ったかのように叫び、 突き進んでいる間に、ひとり非戦論の孤塁を守り、厳しく酷い当局の圧迫のもとに 苦しい戦いを続けていたのである。だからその時、日本人の間にも多くの信奉者を 持つトルストイが大胆な非戦論を発表したのは、論旨がどうであるかにかかわらず、 彼らにとっては思いがけなく有力な援軍を得たように感じられたに違いない。」 石川啄木の解説はよくわかる。ただ、これは発表後7年が経ってから書いたものだ。 啄木が最初に読んだときの感想は、「さずがに偉い。しかし行なわれることはない」と いうものだった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(19) ○ 浮雲 (二葉亭四迷:岩波文庫) 2011.4.11 二葉亭四迷がドストエフスキーを手本にして「浮雲」を書いたということを 知り、読まなければならなくなった。 「ドストエフスキーを手本にして」ということを抜きにして読むと、非常に 良く出来ている。言文一致体で初めて書かれた画期的な小説がこれほど レベルが高いものだとは思っていなかった。 本作品は3篇からなっている。最もよくできているのは第2篇だ。ここは 身につまされる思いがした。 単純化すると、真面目だが社会の流れにうまく乗れない文三が失業し 好い仲だと思っていたお勢にも急に冷たくされ、社会にうまく立ち回る昇に 気が移っていくというような話。ただ、文三の生き方を必ずしも肯定的に描いて いない点が本作品の優れたところだ。 本作品を発表後、二葉亭四迷は小説を書かなくなった。次に書いた小説は 20年後で、漱石の「虞美人草」の前後に朝日新聞の連載小説として掲載された。 書かなくなった理由は「ドストエフスキーを手本にして」ということと関係している のだろう。ロシア文学を読んでいた四迷にすれば、「浮雲」は表層的にしか 表現できていないと感じたのではないかと思う。目指していたものはとんでもなく レベルの高い小説だったようだ。 読んでいて、夏目漱石の「それから」を時々思い出した。明治という時代に 共通するものがあるからか、それとも夏目漱石が影響を受けたのかは よくわからない。 ちなみに夏目漱石は1867年生まれ、「それから」は1910年の発表だ。 二葉亭四迷は1864年生まれでほとんど同世代だが、本作品第1篇は 1887年の発表で、20年以上前になる。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(18) ○ 活動家一丁あがり! (湯浅誠、一丁あがり実行委員会:NHK出版新書) 2011.3.27 湯浅誠氏は物事を適切に表現するなあ、というのが本書を読んでの一番の感想だ。 彼の「反貧困」も良い著書だったが、本書に彼が書いた文章もとても良い。 本書で湯浅氏は「活動家」を「場をつくる人」と定義している。「自分の求める場が ない」と嘆く前に、自分で場をつくる方法を学ぶべきとして、本書を書いている。 2006年から2008年にかけて12回開催した私の勉強会はまさにこれをしようとした ものだ。私は活動家になろうと試みたことになる。私の失敗は一人でやろうとした ことだろう。もちろん一人でやり続けようと考えていたわけではなく、やりながら仲間を 作りたかったのだが、うまくいかなかったというのが実情だ。 では、本書を読んだ今、もっとうまくやれるのか。残念ながら自信はない。 (メモ) ・生きづらさを伴う貧困の拡大や自殺者の増加などといった課題の大きな要因の 一つは、人や物事が当たり前に持っている多面性や複雑さに耐えられない人々 の余裕のなさにあると思っている ・「活動家」とは誰か。私は、一言でいえば「場をつくる人」だと定義している。 ・(活動という呼び名が避けられ、NPOマネジメントや社会的企業という呼び名が 好まれることに関して) 古いものを古く感じるがゆえにしまい込み、新しいものを新しく見えるがゆえに もてはやす、という風潮は、長期的に見れば断絶に断絶を重ねるだけの結果と なり、新しさの顕揚の裏で蓄積の豊かさを切り捨てることに帰結する。それは 結局、活動全体の貧しさをもたらすことにならないか。 ・昨今よく耳にするのは「政治的リーダーシップがない」という言い方だが、私は それについても「あんた誰だよ」という気分になる。自分を棚上げしているように 聞こえるからだ。 ・何も行動していない人に限って、自分は無力だが、相手にはそれをできる力が あるはずで、それをやらないのはやる気がないだけ、と決めつけがちだ。 ・”傘”の外に「場」をつくる。 その「場」が、企業と家族という”傘”に守られない人たちの”傘”となり、そこから 「がんばる気持ち」が立ち上がっていく。「”傘”+努力」という本来のあり方だ。 (おわりに) ・「一人は寂しいが、人と一緒にいるのは疲れる」 − ”場”を求めながらも、”場”を 忌避する人が多い、と感じる。難しい状態だ。そうした人たちに本書の呼びかけは 届くだろうか。そう考え始めると、心もとない。 ・「コミュニケーション能力が成功のカギ」などというアヤシイ新興宗教が隆盛したために、 経済的・社会的弱者はますます人付き合いに気を遣い、気を遣いすぎて疲れ果て、 疲れ果てて撤退したくなると、そのこと自体が無能さの証だと自己評価し、この「どう しようもない自分」が生きていくのは、死ぬことよりもはるかに大変だと思うに至る。 ・もしかしたら、私たちの言葉もまた、居酒屋でクダ巻く姿しか見せられなかったカッコ 悪いオヤジたちの説教と同じ類のものとしてしか聞こえないかもしれない、とも思う。 結局、投げかけ続けると同時に、聞き取り続けるしかない。そして、聞き取り続ける 中で、頭ごなしに否定したくなるような苛立ちを感じるようになったら、それが私の 「年貢の納めどき」なのだろう。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(17) □ なぜ韓国はパチンコを全廃できたのか (若宮健:祥伝社新書) 2011.3.26 テーマは非常に興味深い。日本のパチンコの問題もある程度理解できる。 でも、肝心の韓国との違いの記述が不十分で表面的すぎる。 韓国でパチンコ廃止になったのは、大統領の親族が関係した贈収賄事件が 起こったことが最大の理由だと思われる。この特殊な状況と日本を比較するのは やや無理がある。 私は過去パチンコを200円分しかやったことがないので日本の状況は全く わかっていないが、TVコマーシャルや新聞の折込広告の多さは最近目に付く。 また、何年か前から非常に大きな店舗が目立ってきた。 この動きの背景の情報がもっと書かれてあると良かった。 それにしても、政治との関係も気になるし、パチンコ台に関わる企業についても 気になる。 (メモ) ・韓国では2006年8月にパチンコが禁止された。 禁止される前にパチンコ店は1万5千軒以上あった。 ・韓国の換金方式は日本と同様。大当たりで商品券が出てきて、店の外の ボックスで現金と引き換え ・2006年パタイヤギ事件。不当な高配当が出るようの改造した機械の 許認可をめぐって、盧武鉉大統領の親族が関与した贈収賄事件に発展。 パチンコ台の製造・販売業者にも不正の追及。 ・日本では韓国でパチンコが禁止されたことは全く報じられていない。 ・日本は本来違法なパチンコのCMをテレビやラジオで流す異常な国 新聞社でパチンコ広告の先鞭をつけたのは読売新聞。 読売新聞は2006年3月に全面広告、朝日新聞は同年8月にパチンコ台の 全面広告を掲載 ・パチンコ業界最大手のマルハンの2010年3月期の売上げは、2兆1千億円、 経常利益554億円 ・パチンコ依存症 ・パチンコのターゲットは年金生活者と主婦 ・ATMが設置されているパチンコ店が増えている。金融庁も警察もすべて黙認。 ・顔認証システムの導入。店の入り口で来店客の顔を検知し、客の管理ができる。 オムロンが開発し、2004年にオムロンアミューズメントというパチンコ機器会社が 取り扱っている。 最近勝っているか、負けているかがわかる。 ・パチンコ業界を告発した記事はボツになる。 ・パチンコ業界を擁護する運動が国会議員によって行われている。 パチンコ業者数十社から構成される「パチンコチェーンストア協会」のアドバイザーに 民主党34人、自民党11人、公明党3人、無所属2人が名を連ねている。 ・民主党のパチンコ業界応援団体は「民主党娯楽産業健全育成研究会」 ・2007年6月 民主党 山田正彦議員の業界擁護の国会質問 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(16) △ 無縁社会の正体 (橘木俊詔:PHP研究所) 2011.3.21 橘木氏の著作は今までに何冊か読んでいる。一番は1998年出版の「日本の 経済格差」(岩波書店)で、日本において経済格差が広がっていることを豊富な データと丁寧な解説で示していた。 しかし、その後の本は上記本の焼き直しの感が否めないだけでなく、データの 分析が徐々に雑になってきているきらいがあった。 本書については、データを示して解説を加えるという手法は同じだが、素人的な 安易な考察しかできていないと感じた。提言もNPOに期待するという程度だ。 素人的な出版でよいという企画かもしれないが、それなら断るべきだった。 (メモ) ・65歳以上のみの世帯 :46.6%(2007)、34.4%(1995)、21.1%(1985)、15.0%(1975) ・単独世帯予想 :31.2%(2010)、34.4%(2020)、37.4%(2030) 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(15) ○ 日本の税制 (森信茂樹:岩波書店) 2011.3.20 6月に社会保障と税制に関する案を政府がまとめることになっていたので 議論がある程度理解できるようにと思って本書を読んだ。 金融関係の税など言葉を含めて理解できない箇所はいろいろあったが、 概ねわかりやすかった。グラフや表が掲載されているページでは詳細説明はなく、 さらっと流しておいて、後の章で前掲のグラフに遡って有効に利用しており、うまく 編集されている。 また、税制全般の解説だけでなく、著者の考えも随所に示されている。 ・所得控除から税額控除・手当に変えていく ・勤労税額控除の導入(英国や米国で導入) ・税・社会保障共通番号の導入 ・租税特別措置の整理による課税ベース拡大 (個人向けも含む:例えば住宅所得者への減税の見直し) ・法人税の引き下げ(他の先進諸国並みに) ・金融所得一体課税 ・消費税の割合を高める 日本では社会保険料負担が引き上げられることには鷹揚だが、税負担の 増加には感情的とも思える反発がある、との記述もある。社会保障や税制を 国民がきちんと理解していないことにも大きな問題があるのだろう。 東日本大震災が発生したため、税と社会保障の改革案の議論は少し先に なるかもしれないが、重要なテーマなので、本書を読み返して理解を深めて おきたい。 (メモ) 税制の基礎 相続税 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(14) □ パン屋再襲撃 (村上春樹:文春文庫) 2011.3.12 短編6つから構成されている。単行本初版は1986年。 面白い作品と、つまらない作品が混在している。 「象の消滅」は面白い作品だった。象が消えた話から女性と出会う話への 展開が一見不自然に見えるのだが、徐々に自然に感じられ、その後の「僕」 の人生に影響していることが当然にも思えてくる。 「何かをしてみようという気になっても、その行為がもたらすはずの結果と その行為を回避することによってもたらされる結果とのあいだに差異を 見出すことができなくなってしまうのだ。」 こういうことを書くのはとてもうまいと思う。 「パン屋再襲撃」は無茶苦茶な話だけど、悪くはない。 この2つは不自然さを感じつつも、それを上回る何かがあるので作品として 成立している。けれど以降の4つはそううまくはいっていない。 「ファミリー・アフェア」は偏屈な男の話。僕の偏屈さとは異なるためか好きに なれない。 「双子と沈んだ大陸」以降の残り3編は面白くない。 主人公の「僕」の会話はどれもうわべだけの薄っぺらな話になっているような気 がする。面白くないのはその辺りによるのだろう。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(13) □ 招かれざる大臣 (長妻昭:朝日新書) 2011.3.7 長妻前厚生労働大臣が大臣就任期間での体験などを書いている。 ただ、今までに菅直人氏などが似た内容のことを書いているので、 それほど新しい内容が書いてあるようには思わない。 ひとつ面白い提言があった。「中学校区」を福祉の基礎的地区とすると いう発想だ。中学校区には幾分かは一体感がある。それを利用して ボランティアも生かしながら福祉を充実させるというのは良い考えだと 感じた。 本書で、長妻氏が「新党さきがけ」に所属していたことを初めて知った。 それを知っていたらもう少し親近感を持って応援できたのにと思うと 残念だ。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(12) ○ 時が滲む朝 (楊逸:文春文庫) 2011.2.19 |
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(11) □ あした、次の駅で。 (高山文彦:ポプラ文庫) 2011.2.17 |
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(10) □ ブランコのむこうで (星新一:新潮文庫) 2011.2.15 先日読んだ恵文社一乗寺店の本で紹介されていたので、たぶん雰囲気の良い話なのだろうと思って読んでみた。 いろんな人の夢の中に入っていく話だ。 本書にピンク色のゾウが登場する場面がある。お酒を飲んでいるうちにピンク 色になってしまったのだ。「お酒を飲みすぎてアル中になると、ピンクのゾウの まぼろしを見るとか、なにかの本に書いてあった。」と書かれている。 我が家にはどこかでもらったピンク色したぬいぐるみのゾウがある。どうして ピンク色なんだろうと以前から思っていた。我が家のゾウは酔っているらしい。 そう思って眺めると面白い。 たぶん本作品はこんなふうにいろいろな見方で楽しんだり共感したりする 作品なのだろう。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(9) △ 大逆事件と大石誠之助 (熊野新聞社:現代書館) 2011.2.12 与謝野寛は大石誠之助の死刑執行後、「誠之助の死」という反語調の詩を発表し、強い感情をぶつけている。詩は次のように締めくくられている。 「誠之助と誠之助の一味が死んだので、 忠良なる日本人は之から気楽に寝られます。 例えば、TOLSTOI(トルストイ)が歿んだので、 世界に危険の絶えたよに。 おめでとう。」 また、大石誠之助と同郷の佐藤春夫も大石が出てくる「愚者の死」という詩を 発表している。 このような詩に詠われる大石誠之助という人物とはどういう人だったのかを もっと知りたいと思っていた。そう思っていたところに新聞の下欄広告に 大石誠之助の名前が出ている本書を見つけたのでさっそく購入し読んだ。 大石については貧しい人には治療費を請求しなかった医師だったことと 自由、人権、非戦を唱えていたこと、情歌を作るなど風流な人でもあったこと などが書かれている。 しかし同じような2、3行程度の紹介が繰り返されるだけでそれ以上のことが 書かれていない。わずかに公娼制度に反対していたことが紹介されていた程度だ。 新聞報道をまとめたという構成と、大石誠之助を名誉市民にという運動を中心に 据えたせいなのだろうが、一番大事な大石本人がおきざりにされてしまっている 印象を受けた。残念だ。 (メモ) ・1905年まで群馬県と和歌山県だけは公娼制度が許可されていなかった。 1905年和歌山県議会は置娼決議案を可決。県内3箇所の設置場所の一つが 新宮に決まり、活発な誘致運動が行われた。 大石らは反対運動をしたが実らなかった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(8) ○ 本屋の窓からのぞいた京都 (恵文社一乗寺店:毎日コミュニケーションズ) 2011.2.10 1月23日の朝日新聞の書評欄で恵文社一乗寺店が紹介されていた。その店が執筆した本があることを知りネットで購入した。 (残念ながらアマゾンで) 本書は写真とエッセイで京都の店や人・場所などを紹介している。 僕は2年間、恵文社一乗寺店から徒歩10分くらいのところに住んでいた。 店の前にかつて京一会館という映画館があったと書かれている。京一会館で なぜか桃井かおり主演の「もう頬づえはつかない」を見たことがある。 映画館の前に恵文社は既にあったのだ。けれど、そういう店は知らなかったし、 知っていても多分行かなかっただろう。僕の文化的でない、くすんだ生活には 縁がなかった。 そうだからこそ、恵文社の周辺の文化を見せられると、もし今そこにいたら というあこがれのような想いに、甘く苦しい後悔が混ざってくる。 そこには過去と現在の僕には無い種類の豊かさがある。でも少しだけお金と 時間をかければ手に入る豊かさかもしれない。 近いうちに一乗寺にまた行くだろう。というよりも行かざるを得ない。 夜に紅茶を飲みながら、眺めるようにして読むと幸せな気分になれた。 読み終えてしまうのが残念な本はそうはない。 また、こんな本とめぐり合いたい。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(7) □ 日露戦争 勝利のあとの誤算 (黒岩比佐子:文春文庫) 2011.2.8 日露戦争講和条約に対して国民の反発が強く日比谷焼打ち事件が起こったと昔習った記憶がある。本書を読むと日比谷だけで起こった 事件ではなく東京全体の大事件になっていたようである。 非常に激しい行動であったにもかかわらず、英国艦隊来日歓迎会や 陸海軍の凱旋に国民の関心が移っていき、政府を批判する力が失わ れた。関心の移行には新聞社も大きく貢献した。 新聞社の発行禁止と新聞社の協力という形がその後も繰り返され、 アジア太平洋戦争の時も同じことが起こった。 「勝利のあとの誤算」というのは、当時の桂内閣にとって日比谷焼打ち 事件が誤算であったという意味ではなく、国民にとって日露戦争勝利が 言論統制に繋がってしまったこと、さらにはその後の戦争に繋がって しまったことを意味しているのだろう。 (メモ) ・1905年8月30日、31日に日露講和条約がスクープされた。9月1日以降 講和条約に対する不満の声が上がり、新聞各社も講和反対を主張する。 そんな状況下、「講和問題同志連合会」が9月5日に日比谷公園で国民 大会を開催することを決める。同志連合会は講和条約反対を主張する強 硬派で、衆議院議員や弁護士がリーダーになっている。 国民大会を前に警察は日比谷公園の門を鹿柴と呼ばれる柵で封鎖。門の 前に大勢の群集が集まり、封鎖を打ち破り公園内に殺到。大会に集まった 群衆は3万人。大会は30分で終了。大会を終えた群集は二手に分かれて 御用新聞と見られていた国民新聞社や内務大臣官邸などを襲い始める。 警察との衝突が起こり、警察は抜剣命令を出し、群衆を切りつける。それに 対して群衆は建物に火をつける。この辺りから一気に暴動は広がった。 5日、6日で東京全市の交番の8割に相当する264箇所と警察署・警察分署 9箇所が焼打ちされた。 ・御茶ノ水のニコライ堂にも群集は押し寄せた。軍隊が警護に当たったため 焼かれずにすんだ。群衆は軍隊には向かわなかった。 (現在のニコライ堂は関東大震災後に改築されたもの) ・当時は桂首相。桂の愛妾お鯉は有名で、お鯉宅も群集に狙われた。直前に 逃げてお鯉は無事だった。(桂57歳、お鯉24歳) ・キリスト教会十数か所も標的に。 ・市街電車15台も燃えた。市街電車は1903年開通。人力車の利用が減り 車夫の一部が失業。この恨みとの説もある。 ・この騒擾での死者は民衆17名 ・日比谷焼打ちのシナリオは桂太郎首相が用意し、黒龍会の内田良平、 玄洋社の頭山満が演出したとの説がある。 ・9月6日夜、政府は戒厳令と新聞雑誌取締令を発した。東京の戒厳令は 11月29日まで3ヶ月近く続いた。 新聞発行停止権は1897年に廃止されていたが、この取締令で復活し強化された。 ・騒擾は7日朝に大雨が降った影響で収束した。 ・民衆を煽動する記事を掲載した新聞は直ちに発行停止を命じた。2日間以内の 新聞が多かったが、東京朝日新聞は15日間停止は解除されなかった。 見せしめの要因が強い。 ・平民社の機関紙「直言」は無期発行停止処分となり、9月10日号が終刊号と なった。 ・9月27日 日英新協約締結を発表。(締結日は8月12日) 直後に英国艦隊の10月中旬に来日を発表。 ・10月4日 講和条約 枢密院で可決 ・10月5日〜7日 東京朝日新聞に無署名の「ひとりごと」掲載 二葉亭四迷が書いた。桂の口を借りた新聞愚弄 新聞社は桂太郎に利用された。日露戦争に向けて国民を煽り、戦時中は挙国一致 体制を作るのに協力。外交上の機密は一切新聞社にもらさず講和に持ち込んだ。 ・10月6日 英国艦隊 神戸入港。以降、京都、大阪、横浜、東京で大歓迎会。 ・10月7日 講和問題同志連合会 解散決定 ・10月から年末にかけて陸海軍の凱旋。 国民の心は連日の凱旋と歓迎行事で占められた。 新聞も次々と新しいネタを提供した。 ・11月11日 国民大会開催の中心人物6名が警察に兇徒嘯聚罪で拘引 (河野広中、大竹貫一、山田喜之助、桜井熊太郎、小川平吉、細野次郎) 河野、大竹、小川は現職の衆議院議員 翌年4月21日 無罪判決 ・11月29日 戒厳令と新聞取締令解除 騒擾の記憶は薄れ、人々の不満や怒りはあきらめに変わり、凱旋の嵐がそれらを 吹き飛ばした。既に2つの緊急勅令で国民と新聞を縛る必要はなくなっていた。 ・12月 満州軍総司令官大山巌元帥、総参謀長児玉源太郎の凱旋 ・1906年1月 乃木希典大将凱旋 凱旋と歓迎会は各地で5月頃まで続いた。 ・新聞弾圧の後遺症は根強く残った。数年後の社会主義者取り締まりなどに対して 新聞は政府攻撃に向かわなかった。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(6) □ 日本人のためのフェイスブック入門 (松宮義仁:フォレスト出版) 2011.1.29 フェイスブックをやってみようと思った時に、おそらくネットで方法を調べる人が多いだろう。でも僕の場合は本を買ってそれを読んでからやろうとする。 それが良いのかどうかはわからない。 さて、本書はフェイスブックの使い方が書いてある本なので、やってみないと 本書が役立つ本なのかどうかはわからない。 フェイスブックの登録は本書を買う前に終えている。フェイスブックは基本的に 実名でするものなので、個人情報をどこまでオープンにするかが気になる点だ。 登録する時に名前は書いた。次に写真を聞いてくる。写真は載せなくても良いが ここでまず迷う。こういう点をどう考えるかが一応書かれている。 明日から本書を参考にやってみようと思っている。 チュニジアの政変、エジプトでの反政府デモに影響を与えているとされる フェイスブックだが、何が違うのかはまだわからない。 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(5) △ 僕と妻の1778話 (眉村卓:集英社文庫) 2011.1.28 作者の妻が癌に侵され余命を作者に告げた。作者は余命少ないことを妻に伝えた。作者は妻と相談し、毎日1話を作って妻に読んだもらうことに した。その中から52編を選んだのが本書だ。 病気や人の死、深刻な問題は書かないなどの決まりを作って書いたと まえがきにある。だから仕方ないのかもしれないが、残念ながら本書の 中のどの作品も大して面白く思わなかった。 ただ、眉村氏の思いを慮ると、この評価を下すことが躊躇われる。 1778話目、つまり妻死去の日は、下記の文章で終っている。 「また一緒に暮らしましょう。」 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(4) □ 一握の砂・時代閉塞の現状 (石川啄木:宝島社文庫) 2011.1.27 大逆事件に関心を持っているうちに、石川啄木にたどり着いた。石川啄木は1909年3月から東京朝日新聞の校正係として働いていた。 1910年5月に大逆事件が発生。啄木は強い衝撃を感じ、同時に強い関心を 示す。これが下記(3)の中の「日本無政府主義陰謀事件経過及付帯現象」 などに表れている。 1910年12月に歌集「一握の砂」を発表。新雑誌創刊を目指していたが、 1912年4月肺結核で26歳の生涯を終えた。 啄木の歌には素朴なものも多い。技巧を凝らすというより素直な感情を 歌にしているように感じる。 「大という字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰り来れり」 「たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」 「こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思う」 「鏡屋の前に来て ふと驚きぬ 見すぼらしげに歩むものかも」 「何となく汽車に乗りたく思ひしのみ 汽車を下りしに ゆくところなし」 「腕拱(ク)みて このごろ思ふ 大いなる敵目の前に躍り出でよと」 「高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終るすべなきか」 「わがこころ けふもひそかに泣かむとす 友みな己が道をあゆめり」 「きしきしと寒さに踏めば板軋む かへりの廊下の 不意のくちづけ」 「その膝に枕しつつも 我がこころ 思ひしはみな我のことなり」 「君来るといふに夙(ト)く起き 白シヤツの 袖のよごれを気にする日かな」 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(3) ○ 逆徒 「大逆事件」の文学 (池田浩士 編:インパクト出版) 2011.1.25 「大逆事件」(田中伸尚:岩波書店)に書かれていた平出修の「逆徒」を読みたいと思っていた。言い換えるとあまり他を読むつもりはなかった。けれど、どれも時代の 緊張感を強く伝えるもので結局全部に目を通すことになった。 事件について書いた人もいたし、書かなかった人も書けなかった人もいた。そこを 分けるものは一体に何だろうか、まだまだ気になることはたくさんある。 (内容) 内山愚童 「入獄記念・無政府共産・革命」 内山愚童は箱根の林泉寺の住職。この文章は2008年秋に独力で印刷し各地に 千部ほど送付した。小作人はなぜ苦しいかという問いかけから、無政府主義を主張 している。 幸徳秋水 「暴力革命について」 獄中から弁護士に宛てて送った書簡。 無政府主義者だから暗殺者というわけではないこと、直接行動とは労働運動であり 暴力革命ではないことを説明。 また、調書がずさんであることも他の被告の利害のために書いている。 (自身の死刑は確実と思われていた) 菅野須賀子 「死出の道艸」 死刑判決を受けてから死刑になるまでの1週間の日記。 判決の様子や堺利彦らとの面会、届いた葉書の内容、その間のさまざまな思いが 綴られている。 堺は面会で、菅野が「意外な判決で・・」と、多くの人が死刑判決を受けたことを話すと 堺は「幸徳やアナタには死んで貰おうと思って居たのですが・・・」と答えたそうだ。 こういう会話を交わす関係とは一体どんなものなのだろう。 永井荷風 「希望」 1910年の事件後、社会主義の本だけでなく様々な本が出版禁止になっている状況を 佐久間象山らが蘭学を学んだ鎖国時代に舞い戻ったようだと嘆いた後、日本語で書いた ものが発売禁止になるのなら、青年は英語仏語独語で発表しようと思うようになる。 これは日本が世界的になる希望だと書いている。 森鴎外 「沈黙の塔」 危険な書を禁止することを批判している寓話。 パアシイ族が危険な本を読んでいるという理由で殺されている。危険な本とは自然 主義と社会主義である。文芸も学問も少しでも価値を認められているもので危険で ないものはない。その価値が因習を打ち破るところにあるからだ。 石川啄木 「日本無政府主義陰謀事件経過及付帯現象」 「明治44年当用日記、書簡より」 石川啄木は大逆事件に非常に強い関心を示し、新聞等の情報を整理している。 朝日新聞に勤めていたことからの情報と弁護士の平出修からの情報もある。 また、啄木は雑誌を創刊する予定だった。最初は歌で開始し、そのあと政治雑誌に 展開し行動につなげていくことを考えていた。 正宗白鳥 「危険人物」 大逆事件発覚後、警察の監視が付いたという話。「平民社」の発送名簿に名前が あったためらしい。 徳富蘆花 「謀反論」「死刑廃すべし」 徳富蘆花は大逆事件の死刑執行の1週間後、第一高等学校で講演している。 そのタイトルが「謀反論」。 死刑執行を謀殺、暗殺と呼んで強く批判している。また、破門や僧籍剥奪をして 命乞いをしない宗教界に対しても容赦ない批判をしている。 内田魯庵 「自筆本 魯庵随筆より」 随筆となっているが、おそらく生前には出版していない日記。 最後の記載が興味深い。 ○或人が来て曰く、愈々済生會の病院”施薬院”が初まるとコウいう川柳が出来る、 「病人は幸徳さまとソッと云い」。今日でも幸徳様といふ人があろう。昔しなら 幸徳大明神と祭られるところだ。 (本書の注) 幸徳秋水たちに対する死刑執行から十八日を経た1911年2月11日、天皇は 「済生に関する勅語」を発布、150万円を「下賜」して「恩賜財団済生会」が設立 され、大逆事件の「教訓」を生かしたこの「社会政策」によって、各地に「済生会 病院」が開設されることになった。これらの病院は、当初、かつて聖徳太子が開設 したとされる医療施設と同じ「施薬院」の名で呼ばれた。 佐藤春夫 「愚者の死」他 「スバル」に発表した詩 与謝野寛 「誠之助の死」他 与謝野寛(鉄幹)は大逆事件で死刑になった大石誠之助と親交があった。 死刑執行後、「誠之助の死」という詩を発表し、強い感情をぶつけている。 反語調の詩は次のように締めくくっている。 「誠之助と誠之助の一味が死んだので、 忠良なる日本人は之から気楽に寝られます。 例えば、TOLSTOI(トルストイ)が歿んだので、 世界に危険の絶えたよに。 おめでとう。」 大塚甲山 「蜩甲集」より 1911年6月に肺病で死去。 阿部肖三 「歌」 「かにかくに楽しく嬉しこの国の叛逆人をすべて縊れば」 平出修 「逆徒」「発売禁止に就て」 「逆徒」は上記本の30ページほどの短編である。次のような文で始まる。 「判決の理由は長い長いものであった。それもその筈であった。之を約 (ツヅ)めてしまえば僅か四人か五人かの犯罪事案である。」 上記の文から始まり、理不尽な容疑を受けている大阪のブリキ職人三浦安太郎を モデルとした人物の様子や、判決を受けた後の菅野須賀子の発言と様子、それを 見た弁護士の感じたことなどを書いている。 菅野須賀子・幸徳秋水 :平出弁護士への獄中書簡 裁判での弁論に対する感謝の書簡 2011読書記録トップへ 内容一覧トップへ |
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(2) □ 夜は短し歩けよ乙女 (森見登美彦:角川文庫) 2011.1.12 昨年に森見氏の「きつねのはなし」を読んだ。作り話っぽくてあまり好きには |
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(1) □ 宇宙は何でできているのか (村山斉:幻冬舎新書) 2011.1.9 本書はベストセラーになっている。けっして本書を読んだから理解できる |