過去の旅 2008年3月
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ドライブ。新潟へ!(3/27〜3/31)
  春休みということで、友人と軽く新潟までドライブをしてきました。行きは友人と二人、そして新潟で別の帰省している友人と合流し、帰りは3人でという日程。と言ってもやはり決まっているのはその程度で、いつもどおり、細かいことは何も決めずにふらりといった旅でした。
 出発は夜まで用事があったので、高田まで友人に来てもらい、夜の11時前に出発。一路、新潟までひたすら高速を走り続けました。
 弥彦村(3/28)
   明け方には到着、と言っても新潟市内までは行かず、三条燕で高速をおり、弥彦神社による。越後国一宮ということで、なかなか立派な神社。大鳥居は高さ30mとのこで、上越新幹線開通を記念して建てられたそうである。弥彦村は平成の大合併でも周りの市町村が合併をする中、単独で残る道を選んだ村で、小さな村でも歴史ある地としての誇りがあるのだろう。丁度、高校生の駅伝大会が開催されているようで、早朝のまちは、ランナーたちがあちらこちらで走っている。ついでに参拝をしていく人々も多く、清々しい雰囲気で、静かな早朝の境内は、なかなか心地よい空間でした。ロープウェイで弥彦山にも登ってみたかったが、あまりゆっくりもできないので、仕方なく弥彦をあとにしました。
 新潟市(3/28〜3/29)
   その後は、とりあえず新潟市内へ。新潟は、信濃川と阿賀野川の河口に築かれた港町で、その歴史は治水の歴史ともいえるまちである。日本海側に多く見られる地形である潟湖が数多くあった土地で、市中心部のすぐ南には鳥屋野潟、豊栄には福島潟などが現在も残っている。古代には沼垂柵が築かれた地であり、交通の重要地であったようである。しかし、越後国府が置かれたのは、現在の上越市であり、新潟自体はあくまでも港町として発達した地である。幕末の開国のときに5港の一つに指定されたことにより、中心地として県庁も置かれるようになったようである。どちらにしろ、水の町であり、常に港として機能してきたまちのようだ。中世には、「三が津」と呼ばれる沼垂津・蒲原津・新潟津の三つの港があったが、江戸期には長岡藩領の新潟町と新発田藩領の沼垂町が栄え、阿賀野川・信濃川と二つの大河の河口ということもあり、川の氾濫などにより地形が変わることが多く、常に揉め事があったそうだ。幕末には抜荷などの問題で新潟町は天領となり、それが開国での開港につながっていったようである。
 さて、新潟市内に入ったところで、全く睡眠をとっていなかったので、とりあえず、市立図書館の駐車場に車を停めて、そこで少し仮眠をとらせてもらう。で、仮眠していてる間に、友人が新潟に帰っていた方と連絡をとり、直接図書館に来てくれることになてっていて、図書館で無事合流。母親が近くまで行く用事があり、ついでに乗せてきてもらったようで、じゃぁ、ついでに一緒に朝食でもということで、ファミレスで軽く朝食をいただく。で、お母さんと別れたあと、新潟観光となる。新潟に来るのは10年ぶりぐらいで、それもその時は海岸などを見た程度で、あまりまちをちゃんと歩いていなかったので、個人的にはまちをゆっくり見たと思っていたが、今回は一人旅ではないので、友人の希望を取り入れ新潟大学へ。何せ僕以外の二人はあちこちの大学をめぐるのが趣味といった変わった人物。と言ってもうち一人は新潟出身だし、新潟大学にも在籍していたことがあり、その友人の案内で大学構内をいろいろとみて回る。昼食は生協で。まぁまぁの値段設定と味。その後は、大学前に一件古本屋があるとのことでそこにもよってみる。なかなか大学の近くにある古本屋らしい雰囲気と品ぞろいのいい店。ついでに近くにあるブックオフにも寄った後、海岸に行き、少しくつろぐ。前に新潟に来たのは夏だったので、その時は海水浴で人でがいっぱいだったが、この季節はほとんど人はいず、日本海の荒海といった感じ。どちらにしろ、海を見てうれしくなるのは、海のない県出身だからなんだろうか。
 そして、日も暮れて来たところで、新潟出身の友人の家に行へ。彼の家は、旧豊栄市で、平成の大合併で新潟市になった地域。旧新潟市郊外のベットタウンといった感じ。とりあえず、友人の家で少しくつろいだ後、再び電車で新潟駅に行き、軽く飯を食べた後、今回の旅の目的のひとつであったBarに飲みに行く。実は知人が実家に帰ってBarをはじめたということで、一度行ってみようと思っていた店。知り合いの店ということもあり、少しゆっくりとしてしまい、ほかの店に飲みあることもできず、電車の時間もあるとのことで、友人に家に帰り、その日はそこで泊めて貰う。
 次の日の朝はゆっくりと。友人宅で朝食をいただき、11時ごろに出発。先ずは近くにある福島潟へ。ビュー福島潟という観光施設が傍にあり、先ずはそこによる。現在の名誉館長は加藤登紀子とのことで、歴代には三枝成彰や片岡鶴太郎がいるそうだ。ショップでは、自然や野鳥に関する書籍や潟でとれる葦で作った和紙など関連グッズが売っている。4階以上は有料でギャラリーや映像室があるそうだが、そこにはよらず、潟の方へいく。「潟来亭」という葦葺き無料の休憩所があり、そこによってみると偶然地元のカメラマンの人がいて、お茶をいただきながらいろいろと話を聞かせてもらう。このあたりの見所や昔話といった取り留めのない話を方言で聞かせてもらいなかなか有意義なひととき。その後、潟を少し散歩してから福島潟をあとにする。
 新発田市(3/29)
   新潟市を後にして新発田市へ。新発田は中世は佐々木源氏である新発田氏の根拠地。中世末に上杉に反乱を起こし滅ぼされてしまうが、近世はそのちに溝口氏が入城し、新発田藩の城下町として栄え、現在も寺町通りなどが残っている。また、明治に入ると新発田城跡には陸軍が置かれ、軍隊のまちといった性格も持っていた。それは現在も自衛隊の駐屯地としてあり、その雰囲気は残っていると言えるのだろう。
 新発田に入ると先ずは駅前に車を停めて、近くにある市島酒造で行われていた花嫁衣裳展による(実はここで展示をしていることは潟来亭でカメラマンから聞いた)。酒蔵を改造して展示室にしており、他にも市島酒造に関する多くの展示もあった。市島氏はこの辺りの大地主で、本家は福島潟近くにある市島家。福島潟の近くには市島邸も文化財として残っている。市島家は兵庫県市島町が発祥の地で、溝口氏とともにこの地にやってきたそうである。大地主であり、福島潟の干拓事業などに取り組んだようである。市島酒造の方は、その寛政年間の分家で、かつては「諏訪盛」、現在では「王紋(AU MONT)」の銘柄を製造。第四銀行の創設にもかかわったそうである。
 市島酒造のあとは、清水園・足軽長屋といったところによってみるが、入場料が700円と少し高めで、友人が入るのを嫌がったので、外から眺めるだけにする。その後、車で新発田城に移動。本来は新発田城は冬場は公開しておらず、4月1日からの公開であってが、丁度、公開に向けての準備をしている人たちが、わざわざ関西から来てくださったのならということで、特別に中に入れてもらうことができた。あやめ城とも呼ばれる新発田城は現在は、本丸は残っていず、表門、二の丸隅櫓、石垣などが残っている。また、三階櫓と辰巳櫓は2004年に再建されている。さらに全く知らなかったことだが、表門の前に堀部安兵衛の像があり、堀部安兵衛は当地出身とのこと。安兵衛は父とともに当地を去った後(父が城の火災の責任をとったそうである)、江戸に行き、有名な高田馬場の決闘があったそうである。管理の人達がいろいろと説明などもしてくれて、なかなかいい感じでした。
  新発田城をゆっくりと見ることができたおかげで、かえって時間が経ってしまいすでに夕方近く。本来なら、新潟市に戻り、色々とみようと思っていたが、あきらめて、あとはゆっくりとブックオフなどをめぐることにする。途中、夕食代わりに昨夜のBarで進められたラーメン屋による。で、その夜は二日連続友人宅に世話になるのも申し訳ないので、新潟市内の健康ランドに行き、そこで宿泊となる(新潟の友人は普通に帰宅)。
 新潟市(3/30)
   次の日の朝は9時に出発。先ずは二人で、朱鷺メッセの展望台に行き、新潟市内を眺める。朱鷺メッセは2003年にできた国際展示場や美術館のあるコンベンション施設。新潟県庁にも展望台があるとのことだが、こちらの方が眺めがいいらしい。で、実際に登ってみると、確かになかなかいい眺めなのだが、しいて言うなら360度見ることができないのが難点か。実際には新潟のまちをゆっくりと歩く時間はなかったので、その分、上から新潟のまちを眺める。その後は、旧新潟税関にある新潟市歴史博物館みなとぴあへ。前に新潟に来たときは、新潟税関にはよったのだが、当時はみなとぴあはまだできていなかったので、博物館をゆっくりとみる。見終わったところで、昨日家に帰った友人と再び合流し、一緒に昼食を食べる。
 その後は、歴史民俗資料館などにもよりたかったが、そちらは閉館中とのことで、旧横越町にある北方文化博物館へ。横越は江戸時代の一時期は新発田藩の支藩である沢海藩があった地。こじんまりとしたまちではあるが、それなりに風情があるといった感じ。と言っても時間はあまりなかっので、早々に横越をあとにして、上越に向かう。
 上越市(3/30)
   新潟市でゆっくりしてしまい、上越につく頃はすでにあたりは暗くなり、本来なら高田のまちをゆっくりとみて回りたかったが、駅前を少し歩いてみただけで、手ごろな店で夕食をとる。そのほかは、ブックオフによるなどをして時間を使ってしまい、なんだかんだでいい時間になってしまい、仕方なく高田のまちもほとんどゆっくりすることもなしに後にすることに。本来なら、高田のまちをゆっくりとみるというのが、個人的には一番したかったとこだが、そのあたりは仕方ないだろう。高田のまちはいずれまた来て、ゆっくりと時間をかけてみて回ることにする。で、10時過ぎには帰路に着くことに。
  そして再びひたすら高速を飛ばす。帰りは、新潟の友人が免許を持っていることもあり、運転を代わってもらうこともでき、比較的無理をせずに明け方には関西に着くことができました。友人を家まで送り届けた後、家に帰り、あとはぐっすりと熟睡ということになりました。
 
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