民俗学を愛するなら、歩こう。ふらりと旅に行こう。
時には車で、時には電車に揺られて、あるいは心地よい風の中を自転車で。
いろいろな速度で眺める風景は、どんな世界が広がっているのだろう。
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今年の夏もドライブ、山口(8/9〜8/12)
  昨年の夏と同じく今年も友人3人とで車で出かけました。山口、広島、岡山と寄ってきましたが、岡山と広島は、神社めぐりやいつもの古本めぐりといったぐらいなので、今回は山口だけを簡単に。
 出発は、深夜の12時で、とりあえず西向いて。何処まで行くかは今回も決めずにひたすら中国道を走りました。眠くなったところで、安佐S.A.に停まり少し睡眠。9時に起きてさらに西へ。結局、山口で降りることにしました。
 山口市(8/9)
   山口市は、中世に大内氏によって作られたまち。西国街道から少し山にはいった山口盆地につくられ、まさしく山の口といった場所。萩往還や石州街道が通る街ではあるが、山陽道から外れるといったことが、山口の発展に少し微妙な影響を与えたようだ。また、江戸時代は、毛利氏が周防・長門二国を領有し、萩に居を構えたので決して中心地ではなかった。明治になり、毛利氏が萩から移ってきたことにより、後に県庁所在地になったという経緯で、現在、平成の大合併を経た上でも全国都道府県庁所在地の中で一番人口が少ないまちである。県内でも下関の方が人口は多く、なかなか山口県の中心地という感じのまちではないようだ。
 高速を降りて山口に入ると先ずは雪舟ゆかりの常栄寺による。雪舟については、中世の水墨画家ということぐらいしか知識なかったが、大内氏に呼ばれてこのまちに来たそうである。常栄寺には雪舟によって作られたといわれる庭園が残っていて、入園料は300円で少しくつろぎゆっくりするには悪くはないと思う。その後は、香山公園・曹洞宗瑠璃光寺に行く。こちらも大内氏によって作られたそうで、国宝の五重塔がなかなか素晴らしい。全国の五重塔の模型や資料を集めている資料館もあり、五重塔をいろいろと比べて見ることができて、なかなか面白い資料館だと思う。公園には、長州藩の墓所である香山墓所やうぐいす張りの石畳などもあり、それなりにゆっくりとすることができる場所だと思う。その後は、市街地郊外にある湯田温泉へ。湯田温泉は、白狐によって発見された伝説があり、まちには白狐の像がある。また中原中也や種田山頭火といった人のゆかり地で文学のまちであるといえる。足湯が五ヶ所あり、中也の生誕地や詩碑、山頭火の句碑などを見て周り、足湯に浸かるのはなかなか情緒があるものだと思う。
  足湯につかりゆっくりした後は、山口市を離れ、防府へ。途中、風呂にも入り、防府に入ったのは、日が暮れて完全に夜。
 防府市(8/9)
   防府は名前が示すように周防府中であり、古代周防国の中心地。国衙跡や国分寺があるが、結局夜ということもあり、いろいろとまちを見てまわることはできませんでした。少し見た感じではそんなに大きなまちではない感じ。日本で最初の天満宮といわれる防府八幡と桑山公園で夜景を少し見た程度で、結局、その日はもう寝ることにしました。
  で、朝からは周防一宮玉祖神社など神社めぐりを少し。結局そのまま防府を離れ、徳地、鹿野をまわった後、徳山へ。
 周南市徳山(8/10)
   徳山は、現在、新南陽などと合併をし、周南市になっているが、周南という名称か適切なのかは、少し疑問に思ってしまう。徳山は長州藩の支藩の徳山藩の城下として発達したまち。旧海軍のあったまちでもあり、人間魚雷「回天」の基地があったところでもある。現在は記念館などもあるが、結局、そちらには寄ることはできませんでした。駅前には立派な商店街がひろがり、それなりに繁栄しているように見える。少し歩いてみたが、シャッターの閉まっている店はそんなにはなく、郊外のショッピングモールに客を取られているといえども、まだまだ元気な感じがした。個人的な感覚では、山口市よりもしっかりとしており、やはり山口県は、大きな一つの中心があるのではなく、数ヶ所のまちがつらなった感じの県なのだろう。
  結局、徳山も駅前を歩き、飯を食べた程度。そのあと、車で、下松、光駅前などを少し見たが、その後は、雨なども降り出したこともあり、予定していた神社めぐりは中止し、室津半島スカイラインをドライブ。予想外の山道だったが、風力発電の風車を傍で見たりと、とりあえず、瀬戸内海の風景を楽しみました。最後は岩国にも少し寄りましたが、ほとんど街は見ずに、広島向いてすぐに出発。あとは、広島・岡山とより、岡山ではいつものように古本屋を巡った後、ゆっくりと関西に帰ってきました。山口県には、またゆっくりと来て、まちを歩かないといけないなぁと少しばかり心残りのある旅でした。
 
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