過去の旅 2005年11月
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広島・岡山ドライブ(11/22〜11/24)
  久しぶりの旅行。今回もドライブです。年一度は何故か必ず行ってしまう岡山とすこし足を伸ばして広島まで行ってきました。出発は夜中の3時ごろ。途中、仮眠などもとりながら、ひたすら走り続け、昼前には、とりあえずの目的地、広島県安芸高田市に着きました。
 安芸高田市吉田町(11/22)
   わざわざ安芸高田に来たのは、もちろんその街が高田という名前だという単純な理由から。だからどうだということはないが、とりあえず、どんなまちかなという程度。安芸高田市は昨年3月に旧高田郡が合併してできた新しい街。中国地方は市町村合併の嵐が吹き荒れ、広島・山口などはついに村がなくなるほど。合併がいい結果をもたらすのかどうかはまだまだ先にならないと結論がでないとは思うが、安芸高田市はとりあえずそういう中で誕生したひとつの新しい街である。旧高田郡の合併ということで、分りやすい合併の例ではある。よくあるパターンではあるが、旧町名をそのまま引継ぎ、たとえば旧高田郡吉田町〜ならば、安芸高田市吉田町〜という風に、郡名が市に変わっただけで、何が大きく変わったのかはよくは分らない。市になることで、どのような統一感が出て、どのように進んでいくのか、そのあたりは、すこし訪れただけではわからないことだろうが、合併の意味は本当によく考えないといけないだろう。少なくとも安芸高田市のパンフレットを見る限りは、旧町がそれなりの自己主張をしているだけで、統一された市としてのアイデンティティの形成はまだまだ難しいといったとこだろう。
 まぁ、 そのあたりのことは置いておいて、とりあえず訪れたのは合併の中心である旧吉田町。吉田町は毛利元就の本拠地として有名で、ここを拠点として毛利氏が中国地方を征服していった場所である。江の川沿いの街で、古代には郡衙が置かれた地。古くから開けていた場所であり、中世は毛利氏の山城である郡山城を中心としてその麓は城下町として栄えたようである。先ずは安芸高田市吉田歴史民俗資料館より、その後、現在の街を歩いてみる。城に平行に走る昔の城下町のメインの通りと城に向かう道とが、まっすぐに交差せずにすこしずらしていたりと、防衛を考えられた昔の街のつくりがはっきりと残っている。また、町名からも市が立った場所なども判るし、わずかながら残る内堀の跡や江の川を利用した外堀などを考えれば、中世の街のあり方を想像することができる。街を歩いたあとは、毛利元就の城、郡山城に登ってみる。しかし、気軽に登り始めたものの、大変な山道で旧本城、そして本丸へと行くのは一苦労。そして登りきったところで、見晴らしがいいというわけでもなく、さすが戦国時代の山城といった感じ。中国平定のあと、平野部へと本拠地を移すことなども含め、歴史を感じさせてるれる城だ。麓に降りたあとは、元就の墓や「三矢の訓」の碑などをみる。城登りに時間をとられたので、あまり時間がなく、あとはもう、吉田町をたつことに。 
  吉田町を出た後は、南に下り、神社にすこしよった後、尾道へ。尾道はすでに何度か訪れた街だし、以前にもこのコーナーで紹介しているので、細かい街の説明は省略するが、とりあえず尾道によった理由は尾道ラーメンを食べること。この前より損ねた朱華園は尾道に入るのが遅かったので、やはりすでにしまっていたが、思わず2件ほどラーメン屋をはしごして、尾道ラーメンを堪能する。映画の街である尾道としては、映画「男たちの大和」のロケ地として盛り上がっていたようであるが、そのあたりは時間もなかったので、スルーして隣町の福山に向かう。
 福山市(11/22)
   福山を始めて訪れたのはもう10年以上前になるが、街をゆっくりと歩いたことはなく、駅前の福山城や鞆の街に行ったことがあるぐらい。バラのまちとしていろいろとイベントなども行っているようたが、街の感じは、単純に都会といった感じ。広島市に負けないぐらいのそれなりに大きい街だ。安芸の中心である広島に対して、備後の中心としての自負心もあることだろう。知り合いの福山出身者がいつも広島市には対抗意識をもって福山を主張していたのを思い出す。といっても古代の備後の中心は府中市あたりで、現在の福山市街地あたりは、すべて海の中。穴海と呼ばれ、深い入り江になっていたようである。そして少しずつ芦田川によって三角州が形成され、中世には芦田川河口には、有名な草戸千軒町が門前町として、または瀬戸内交易の津として栄えたようである。そして現在の福山の市街地が形成され始めたのは、近世に福山城が作られ、福山藩10万石が置かれるようになってから。城下町として形成されていったようである。 いずれにしても近世以降発達をとげ、大正期には市制をひくほどに発達していったようである。
 で、とりあえず、福山に着くが、もうすでに夜になっていたということもあり、結局見て回るのは夜の街という程度。すこしBarにもよってみるが、結構疲れているのか、すぐに酔いが周り、眠くなったので、店を出て、もう寝ることに。あまり街を見て回ることができなかったが、まぁ、次回着たときにでもと言うことにする。
  で、次の日は、早朝に起きて、先ずは趣味の神社めぐりで数ヶ所の神社により、その後、古代の中心地である広島県府中市による。
 広島県府中市(11/23)
   府中市という市名は実は全国に二つあり非常に珍しい例。東京都府中市と同日に市制をひくというある種反則技で成立した市である。街自体は、先にも行ったように古代には国衙が置かれていた古いまちである。芦田川沿いの河原町であり、隣町の福山市新市にある吉備津神社の門前町としての性格も持っていたであろう。市街地は決して大きくない。とりあえず、駅前に車を停め、街を歩いてみることに。祭日であった性もあるのか、アーケードのある商店街などはほとんどシャッターをおろしており、人通りも非常に少ない。特に気になったのは、出会う人たちが中高年以上の人たちだけで、子供の姿を見かけることはなかった。市街地は空洞化していて子供たちはいないのだろうか。もちろんこの街のどこで子供が遊ぶのかといわれても、確かにもう子供は郊外にしかいなくなっても仕方ないのかもしれない。街は静かだった。街の中に大きな石灯篭などもあり、田舎町といった雰囲気は僕は嫌いでない。特に見所がいろいろとあるというわけではなかったが、小一時間ほど街を歩き見て回ってから、府中を後にした。
  そして府中をたった後は、やはり岡山に。途中、今回のキーワードはラーメンだと決め付けて、笠岡により笠岡ラーメンを食べる。そして岡山に入る。
 岡山市街地(8/13)
   岡山では、いつものように古本屋をめぐり、そして今回は岡山の夜の街を歩いてみる。岡山はそれなりにBarの多い街で、2件ほどBarをはしごする。どちらもなかなかいいBarで、岡山のいろいろな話を店の人と話をする。話はやはり食の話になり、やはり岡山ラーメンが話題に。そのほかには、オイスターBarや酸素Barが最近できてそれなりにはやっているといった話も。あるいは市町村合併の岡山の現状や街としての岡山の大きさ、路面電車の話など、いろいろと地元の人の街の捕らえ方を聞くことができた。話とともに酒も進み、結構酔ったところで、満足して店を出る。
 で、店を出た後、せっかくだからということで、薦められたラーメン屋をこれまた2件ほどよってみる。何度も訪れている街だが、今回もなかなか岡山の新しいよさを見つけることができて、それなりに満足。やはり後は、そのままダウンし、車中泊ということになりました。
 で、次の日は夕方には仕事があるので、朝からすこし神社をめぐっただけ。ただ今回の旅でゆっくりと温泉に浸かる間がなかったのが、心残りだったが、仕方なく後は帰路に着くという感じで、今回の旅は終わりました。
 
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