過去の旅 2004年8月
ホーム
旅トップ
旅リスト

前へ  次へ
上下毛野ドライブ(8/9〜8/13)
  久しぶりの長期旅行です。車での一人旅。気の向くままに、行く先は特に何処にしようとは決めずにとりあえず東向いてスタート。初日は朝から少し用事があったので、午前10時出発。高速道路を休憩を挟みながら走りつづけ、昼の3時ごろには諏訪湖に着いていました。
 諏訪湖を眺めながらの休憩。さて、どうしたものか。予想以上に早く着いたので、まだまだ遠くにいけそう。さてどちらに向かおうかと地図を眺めていると、一山越えれば、群馬に入れることに気づく。群馬県は通り過ぎたことがあるぐらいで、ちゃんと見てまわったことがないので、それじゃぁ、群馬県でもまわろうかと決定。
 蓼科高原を抜けて、254号を通り、群馬県へ。群馬に入った頃には日も暮れてしまい、とりあえず、高崎まで行くことにするが、その頃には雨が降り出して、凄い雷も鳴り出す。市街地の少し外れぐらいにBarがあるのを見つけ、とりあえず、そこに避難。
 高崎市(8/9)
   高崎は烏川と碓井川の合流地点左岸の台地に高崎城を中心として発達した城下町。群馬県の中心地といえば、どうしても前橋と高崎の二つになってしまうが、経済的中心は高崎の方だという話はよく聞く。県庁である前橋とは利根川をはさんだ隣町であるが、まぁ、電車の路線などを考えたとき、どうしても高崎が中心になるのは仕方ないのかもしれない。また、ともに城下町でありながら、前橋の場合は、城が壊れて廃藩になっていた時期があることも影響しているのかもしれない。高崎の場合はさらに、中山道13番目の宿であり、宿場町としての機能もあり、やはり昔から交通の要衝であったようである。
 高崎に入ったのは夜で、さらに雷となると、もう街を見てまわることが出来ないので、とりあえずBarで群馬ってどんなところかをいろいろと話を聞くことにする。高崎あるいは群馬って何が有名かと聞くが、「特に有名なものってないですね。いまもなっている雷が有名なぐらいですかね」といった答えが返ってくる。雷が有名とは知らなかったが、それ以外に思いつくものがないというのは、やはり少し淋しい感じがする。いろいろと話を聞くと、どうも僕の故郷に近い感覚を持っているようだ。近くにある大都市がすべての用を足してくれる。何かが必要ならば、東京まで出ればいいわけで、特に群馬という主張がなかかなしにくい感じ。僕の住む街も何かあれば、すぐに大阪に依存してしまうところだったりするので、自慢できるものが少ないということに、却って親近感を持ってしまう。そんな街でも大好きだから、いい街にしたいとはいつも思っているのだが、なかなか難しい問題も多い。こういった街での雑談が何かヒントにでもなればいいのだが。もちろん、まったく見るところがないなんてことはなく、いろいろと話していると、草津温泉があったり、軽井沢があったりと、見所が出てくる。あるいは、水沢うどんが有名で、日本三大うどんらしい。三大うどんと言われても讃岐うどんしか思いつかなかったのだが、まぁ、折角だから、近くに寄れば食べてみようかなと思う。
 で、なんだかんだと長居をしてしまい遅くなってしまい、知らぬ間に日付も変わってしまう。いろいろと話を聞くことはできたので、あとは実際に街を見て回るだけなのだが、高崎の街を見て回るのは、後日にする。で、とりあえずその日は、店を出て、いつものように車中泊を。
  次の日はいつものように、早朝からは趣味の神社めぐり。何ヶ所か見てまわった後、一宮のある富岡市へ。一宮貫前神社によった後、富岡の市街地へ。
 富岡市(8/10)
   富岡といえば、はやり富岡製糸場。養蚕業は江戸期から盛んであったようだが、経済的に繁栄するのは、やはり近代に入ってから。江戸期には七日市藩があったが、財政は非常に苦しかったよう。鏑川と高田川に挟まれた地域が市街地だが、水運も盛んに利用されたようである。
 とりあえず、旧官営富岡製糸場跡を見に行く。丁度、外観解説事業というのをやっていて、説明つきで見学することができる。時間が少し早く着いたので、車を停めて街を少し歩いてみる。何が軽く食べるような店はないかと思いながら歩くが、周りはスナックだとかラウンジといった飲み屋だらけ。後で、富岡製糸場の人に聞いてみると、工場が繁栄していた頃の名残だそうである。あとは、七日市の藩邸跡あたりを歩いて見るが、どうもこれといって、街の中では見るところはないようだ。観光MAPなどをみると山や湖といった自然にはあふれているようだが、見てまわる時間はなかったので、すぐに富岡の街はあとにすること。
  で、次の目的は温泉。草津まで行くのは少ししんどいので、伊香保に行くことに。途中、榛名神社により、榛名山を越えて、伊香保の街へ。
 北群馬郡伊香保町、伊香保温泉(8/10)
   伊香保の地名は万葉集などにも詠まれる古いもので、「厳つ峰」からきたものといわれており、榛名山は伊香保山ともいったそうである。温泉自体は垂仁天皇の頃に発見されたという。街の中心の温泉街は榛名山北東麓にあり、伊香保神社まで続く石段の両側に温泉宿や土産物屋が並び、かなかないい雰囲気だ。石段街は天正年間に形成されたといい、江戸時代には湯治場として栄えたようである。とりあえず、神社の奥にある源泉の露天風呂に浸かる。丁度その日は、温泉の水を誤魔化していたというニュースが流れた日で、僕自身はあとでそのニュースを知ったのだが、まぁ、僕が浸かったのは、源泉なので、だまされたわけではないので、いいだろう。こんないい感じの温泉街なのにイメージに傷がつくのは、もったいないことだ。 そのときは、通りには普通に観光客も歩いており、騒ぎなども見かけず、十分に温泉街の雰囲気を楽しむことができる。風呂上りに、関所跡やハワイ公使別邸などを軽く見てから、伊香保をあとにする。
  で、その日はあと少し神社をめぐってから、一路、栃木県へ。栃木もちゃんとよったことない県なので、せっかくだからという単純な考え。とりあえず、宇都宮市まで行くことに。
 宇都宮市(8/10)
   宇都宮とは二荒山神社別称。鬼怒川中流域に位置し、近世は城下町として発達する。明治にいたり、宇都宮県と栃木県が合併する際に栃木県となったが、のちに県庁が宇都宮に移ってきたようである。街としては非常に大きく、北関東一の街と言われている。
 宇都宮に着いたのはもう夜の9時頃で、この日も何処かのBarにでも入って見ようかと思い、車を停めて歩き出したところ、またもや凄い雨が降り始める。店を探す間もなく、とりあえず、見つけた店に飛び込む。入った店は、非常に落ち着いた感じのお店。若いながらも落ち着いたバーテンダーが丁寧に相手してくれる。聞けば、宇都宮は非常にBarが多い街だそうで、この限られたところに70件ほどあるらしい。カクテルの街宇都宮として売り出しているそうで、毎年オリジナルカクテルのコンテストなども行っているらしい。あとは、宇都宮は餃子の街。何で餃子の街なのかはくわからないが、とにかく、カクテルの街だとか、餃子の街だとか言い張れるというのは、やはりいいことだろう。
 雨がやんだようなので店を出て街を少し歩いてみる。もう12時近くなっていて、商店街のアーケードのある通りは人通りはもうほとんどないが、道をはさんだ泉町に行けば、スナックなどの飲み屋が多くあり、まだまだ人通りは多い。折角だから、さらに一件Barよる。Barがたくさんある街なんて、なんて素敵なんだと思ってしまう。で、あとはやはり車にもどり寝ることに。
  次の日は、早朝から車を飛ばし、日光に行くことに。市街地は通り抜けてしまい、とりあえずは奥日光まで。中禅寺湖にほとりに車を停め、観光と思いきやここで再び眠気が襲ってきたので、少しだけ寝ることに。で、9時ごろに起き出し、各地を見てまわる。
 日光市(8/11)
   日光という地名は二荒を音読したもの。男体、女峰の両山の信仰を中心に天平期にには、勝道上人によって日光山が開かれたという。言うまでもなく江戸期には東照宮が立てられ、二社一寺(二荒山神社、輪王寺、東照宮)の門前町として発展をしてきた。しかし、日光の見所はそれらだけでなく、多くの景勝地にこそあるといえる。というよりは、その自然の大きさ深さを感じたうえで、そこに立てられた宗教施設を理解するべきなのだろう。
 先ずは戦場ヶ原を通り抜け、湯ノ瑚のある湯元へ。湖を望む風景は長閑でゆっくりとしている。また源泉の湧き出す湿原の風景は、まさしく昔は人里はなれた山の中の湯治場だったろうことが理解できる。非常に素敵な空間だと思う。で、当然、温泉に浸かってみる。源泉の湿原を眺めながら浸かれる温泉はなかなかいい感じ。まだ一日は始まったばかりだというのに、ゆったりとして心地よく幸せな気分に。風呂をあがった後は、中禅寺湖までもどり、華厳の滝をみる。こちらも大自然の深さを感じさせるなかないいいところだ。ただし有料のエレベーターを使わないと下まで見に行くことができないのがたまに傷。で、ついでに日光自然博物館にもよっておく。で、あとはいろは坂を下り、日光の市街地へ。
 もちろん市街地での見所は、二荒山神社に東照宮。特に東照宮は観光客であふれかえり、人気の高さがよくわかる。個人的な趣味では二荒山神社の方がすきなのだが、確かにこれだけのものを作ったのだから、江戸幕府の力はすごかったのだろう。で、なんだかんだであっという間に夕方になり、宇都宮までもどることに。
 宇都宮市(8/11)
   宇都宮の街が気に入ったので、この日も宇都宮のBarで飲むことにする。で、折角だから、その前に餃子を何件か梯子して食べ歩いてみる。餃子専門店があるというのは確かにすごいとは思うのだが、何件か食べてみたところ、確かに美味しいのだが、だからなんなんだとすこし思ってしまう。どうも満足感が足らないのは、やはり餃子がサイドメニューでしかないからなのだろうか。本当に何故餃子の街なんだろう。どうも少し納得はいかない気がしたが、そんなことよりも、カクテルの街宇都宮を楽しむことにする。で、この日も2件ほど梯子。何も考えずに適当に入ってみたにもかかわらず、酒・雰囲気・しゃべり、どれをとってもいい感じで、十分に満足して、その日も寝ることに。というよりは、飲みすぎてしまい、車に戻るとすぐにダウンしてしまう。
  で、やはり次の日も朝は神社めぐり。群馬県に戻ることにし、桐生、赤城山ありたによった後、前橋に入る。
 前橋市(8/12)
   古代の上野国の中心地は利根川右岸の現前橋市元総社町から現群馬町にかけたあたり。利根川はもともとは、現在の前橋市街地を流れる広瀬川が本流だったらしく、旧勢多郡と群馬郡の境界が利根川だったようだ。ということは、前橋の街は境界にできた街であり、川原にできた街である。戦国時代の厩橋城が基礎となり、江戸期に前橋藩として発展してきたが、先にも述べたように、前橋城が利根川により崩壊した後は、慶応3年に新前橋城が完成するまでは廃藩状態であった。明治の廃藩置県の際は、最初、県庁は高崎に置かれたものの、誘致運動の結果、前橋に県庁は移るなど、そのころからある種の高崎との対立があったようである。
 先ずは車を停めて、街の散策。前橋公園から広瀬川沿い、そして銀座通りといった繁華街を歩く。時間はまだ10時前と早い時間帯だったので、まだ開いていない店なども多かったが、それなりに大きな街だと思う。どこか店に入るには時間的に中途半端だったので、仕方なく、城跡である県庁まで行き、32階の展望ホールに昇ってみることに。かの宮本常一が父から教わったように、初めてのまちでは高いところから街を見下ろすのは大切なことだろう。展望ホールからはあたり一面が見渡せる。上毛三山(赤城・榛名・妙義)もよく見え、群馬県が一望できるいえる。また、すぐ横を流れる利根川の流れも美しい。こうして群馬県を眺めることができるだけで十分価値があり、群馬の中心地としての機能をはたしているといえるだろう。
 ところで、群馬県では、上毛鉄道や上毛カルタがあるように、今でも上毛という言葉が使われるが、栃木で下毛という言葉を使うことはないようである。ともに古代の毛野氏の本拠地であるのだが、僕がイメージしていたほど、現在では群馬と栃木のまとまりはないようだ。それどころか、両者を結ぶ交通の便はしっかりしておらず、関係ないといった感じなのかも知れない。確かに江戸期でも中山道沿いと奥州街道沿いと交通網としては別のになってしまう。現在では毛野にアイデンティティーを群馬だけなのかも知れない。ちなみに、以前から不思議に思っていたのだが、「上毛野・下毛野」が、漢字では毛が落ちて、「上野・下野」になるのに対して、読みでは、「こうずけ・しもつけ」となるのは何故なのだろう。ましてや、上毛ならは野の字が落ちているわけで、何かしら法則的なものはあるのだろうか。
  前橋を出た後、お腹がすいたので昼食にしようと思ったところ、水沢うどんを思い出し、伊香保町水沢まで食べに行く。これまた決して不味くはないのだが、特に何か特徴があるかと言われると困ってしまうような感じて。いったい何が三大うどんなんだろうかと悩んでしまう。食べるだけ食べた後は、そのまま高崎に向かうことに。
 高崎(8/12)
   ようやく高崎に戻ってきたもののあまり時間は残っていないので、達磨寺だと白衣大観音といった観光地はパスをして、とりあえず群馬県立歴史博物館によってみる。で、後は、車を停めて市街地の散策。ちょうど日が落ちてきたころ。繁華街の様子を見て歩くが、予想よりはそんなに大きくはないといった感じ。とりあえずこの日もBarにでも入ってみようかとおもい、いろいろと歩いて探して見るが、いまいち見つからない。少し外れたところでようやく一件見つけ入ってみる。店の人に聞いてみると、決してBarがないわけではないが、見つけにくいところにあるらしい。で、結構歩き疲れていたので、後はこの店でゆっくりと飲むことにする。明日には帰らないといけないので、結局、旅の締めはこの店。美味しいお酒とスポーツ談義で過ぎる心地よい空間でした。
  で、次の日は夜までに帰らないといけないので、早朝には出発。といっても一日かけて帰ればいいいわけで、時間は十分にあるので、高速を使わずに、下道で、秩父から甲府に抜け、さらに富士川沿いに静岡に抜けるというコースを取る。後は1号線を走り、豊田あたりから高速。一日走り続け無事夜には帰ることができました。とにもかくにも、ひたすら飲み続けた旅行でした。
 
 ホーム//読む/聴く/歩く/見る/語る/創る