過去の旅 2003年10月
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日帰りサイクリング赤穂(10/29)
  今回も十分な時間を取ることが出来ずに、日帰りのサイクリング。日帰りできる距離で、まだ足を踏み入れていない町を選び、始発の電車乗り込む。2時間半ほど電車にゆられて赤穂駅に降り立ったのは朝の8時前。そしていつも通り自転車で町を走りしじめる。先ずは郊外の赤穂温泉のあたり海岸沿いをゆっくりと走る。式内伊和都姫神社が海に向かって建っており、瀬戸内海を望む風景がなかなかいい。で、そのあと赤穂海浜公園をゆっくりと見てまわった後、現在の市街地にもどる。
 赤穂市(10/29)
   塩の町として有名な赤穂は、古代から既に塩作りが行われており、非常に古い町であるのは確かなようだ。古代・中世ではどちらかというと山陽海道沿いの有年あたりが宿場町として栄えていたようであるが、近世に千草川のデルタ地帯に赤穂城が作られ、城下町として、塩の流通などを通して現在の市街地がさかえたようである。赤穂海浜公園にも「塩の国」として塩田や釜屋が復元され、当時の塩作りの様子をうかがうことができる。
 城下町としての赤穂はどうしても忠臣蔵の影響もあり、浅野家が思い出されるが、浅野家以前には池田家が、浅野家が取り潰された後は森家が支配をしており、江戸時代を通じて藩政がしかれた土地である。赤穂城が作られたのは浅野時代。一国一城令以後、城の新築は難しいにも関わらず、築城許可が下り、天守閣は作られなったものの1661年に完成。森時代は石高が減らされた性もあり、城下町の繁栄も次第に衰微していったようである。現在は備前街道沿いなどに古い町並みも残っている。さらには駅前から赤穂城跡につづく道は再開発で、道の拡張工事を行うとともに、その道沿いの建物を白壁にするなどをし、城下町としてのアイデンティティーをまもっていく姿勢が見られる。その道の途中にある花岳寺商店街は近代の商業の中心地であろうが、このあたりは既に寂れてしまっており、地元の経済というよりは、観光収入でもっているようなかんじである。
 城がある町はそれだけで、町の雰囲気がしまるきがする。城跡をゆっくりとみてまわると、いたるところに赤穂四十七士の住宅後の碑があり、流石に赤穂浪士の町だなとおもう。城跡の天主台はそんなに大きくはなかったが、暖かい陽射しが照り付け、心地よさに誘われて思わずその草原に寝転がってしまう。城がある静かな雰囲気はやはり素敵だ。
 で、その後はちかくにある赤穂市立歴史博物館赤穂市立民俗資料館による。で、そうこうしているうちに残りの時間はあと少し。最後はできるだけあちこちを自転車で走ってから帰ることにする。
  滞在時間は6時間ほど。短い時間なので、どれだけ赤穂の町をしっかりと見れたかは判らない。しかし、城跡をゆっくりとみてまわれただけでもそれなりに満足だ。ただせっかくの赤穂温泉に浸かることが出来なかったのが、心残りか。
 
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