過去の旅 2003年8月
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岡山・広島方面ドライブ(8/13〜8/15)
  例年なら8月は1週間近くの休みがあり、長期の旅行に出かけるのだが、今年は、諸都合で2日ほどの旅行を2回に別けて行くことに。で、最初の旅行は友人と二人でふらりとドライブに。何処に向かうかは当日の朝まで決まっておらず、合流してから、結局、行きなれた岡山に行くことに。岡山は年に少なくとも1回は必ず行くよく知った町。出発が少し遅れてしまったので、渋滞に捕まってしまい、だらだらと運転するのみで、岡山についたのは、もう夕方近く。で、とりあえずいつも通り古本屋に向かい本を買い込んだ後、とりあえず、その日のところは、温泉に浸かってゆっくりすることに。で、岡山市内は特に見るべき所はもうないので、山の方へ行くことにする。で、夜のうちとに湯原温泉まで移動。湯原につく頃には雨が降り出す。雨の中、温泉に浸かってから、車の中で寝ることに。次の日は、湯原界隈の神社を巡るつもりだったが、雨が止まないので中止し、とりあえず勝山まで移動。車を停め、雨の中、勝山の町を歩いてまわることに。
 勝山町(8/14)
   勝山は旭川沿いの城下町で、古い町並みが今も残る雰囲気のいい町。中世の城である高田城は本丸の如意山と出丸の太鼓山を合わせた形でつくられ、その麓に、近世の城下町が発達している。また、姫路から出雲大社に向かって続く出雲街道の宿場町としても栄え、町を横切る形で出雲街道が通っていたようである。また旭川沿いの舟運もあり、河口の岡山へは高瀬舟で輸送が行われ、交通の要所であったことがうかがわれる。
 とりあえず、勝山郷土資料館の駐車場に車を停め、資料館、さらに近くの武家屋敷館と見てまわった後、町を歩いて見てまわる。雨が降っていたので、気分爽快とはいかないが、ゆっくりと歩くにはなかなかいい町だと思う。町の中には水路が通り、天気がよければ、爽やかな心地よさがあるのかも知れない。また、町にはのれんをかけた店が多くある。勝山の新しいシンボルとして「のれん」の町として城下町にあった雰囲気作りが行われているらしい。雰囲気のいい手作り雑貨の店があったので、ふらりと入ってみる。店先でコーヒーを飲めるようになっているので、コーヒーを注文し、お店の人にいろいろと話を聞きながら、くつろいだひとときを過ごす。彼女は外から勝山にやってきて、店をしているらしい。「ものづくり」という言葉を使い、この町でものを作りながら生きているという。店自体の売上がどれほどあるかは分からないが、職人として田舎町で生きて行くスタイルがあっているのかもしれない。他にも都会から戻ってきて店を始める人なども多くいるらしく、昔から地元で生きる人たちと共に町を盛り上げようとしているようだ。町のアイデンティティーでもある「のれん」も、数年前にある店が始めたのは、皆が真似をし出して拡がっていったものらしい。町の人とのひとときの会話はくつろぎを与えてくれる。少し幸せな気持ちで店をでる。
 その後、先ほどの店で教えてもらった近くの蕎麦屋に入る。町を流れていた水路が店の中を通り、涼しさを与えてくれる。おそらく自然の冷蔵庫としても利用しているのだろう。で、あとは、その店で昼食をとってから、勝山を離れることに。
  当然、次の行き先も決まっておらず、未だに雨も降り続くという状態。取り合えず、倉敷までもどり、結局、いつものパターンで古本屋に行く。で、その後、ふと尾道に行ってラーメンを食べようという話になり、一路、尾道へ。
 尾道市(8/14)
   尾道をはじめて訪れたのはもう10年以上前。そのときは九州からの帰りに立ち寄っただけなので、商店街を少しだけふらふらと歩いた程度。さらにしまなみ街道が出来た時に、友人と自転車で愛媛まで渡ったとき尾道の駅に降り立ったが、そのときは駅前を少し歩いただけで、ほとんど町を見ていない。ということで、尾道の町をちゃんと歩くのはほとんどはじめてと言った感じ。しかし、尾道についたのは、これまた夕方近くになってしまい。今回もあまりゆっくりと歩くことは出来ませんでした。
 瀬戸内海、尾道水道に面する尾道は自然の良港として平安時代以来、港町として栄えてきた。平地部は非常に小さく坂の町としても知られている。数多くの古寺はその歴史の深さを物語っている。江戸時代は広島藩の支配下であったが、経済的には自立をしていて、特区のような扱い、独自の商業圏を築いていたようである。また大林宣彦監督の尾道三部作をはじめ映画のまちとしても有名でおのみち映画資料館などもある。町自体は本当に小さい。歩いてみるのが一番いい町だと思う。車を停め、以前来た時にはあるかなかった古寺めぐりのコースを少し歩いてみる。既に夕方で時間があまりなく、ゆっくりとは出来なったが、映画「転校生」で有名な御袖天満宮の石段などをみてまわる。少し高台になった場所から眺める尾道の込み合った町並みの風景は素敵だ。計画された綺麗な町でなく、乱雑に立ち並ぶ古い家がなんとも言えない雰囲気をかもし出している。本当に時間があれば、ゆっくりと歩きたいと思う。
 で、商店街の方にもどり、駅までの道を歩いてみる。この道は以前にも通った道。なんとなく商店街の風景は覚えていて、思い出しながら歩くといった感じ。そして、商店街の中ほどにある雑貨屋を見たときに、忘れていたものがここにあったと思う。その店は以前風呂屋だったものを改装して、サ店蒹雑貨屋として営業している。この店ははじめて尾道を訪れた時も僕は立ち寄っている。実家が風呂屋である僕は、そのとき風呂屋のこんな使い方があるのかと感心したものだ。それ以後、この店を何処で見かけたかは忘れていたのだが、風呂屋をいかに使うかということでなんとなく頭の片隅にあった店。それが此処で再会できた。建物をいかに活かしていくか。自分自身の問題としても考えるべきことは多いようだ。少なくともこの店−もと大和湯だったところ−は、10年は続いているのだろうから、上手く活かしているのだろう。
 であとは目的の尾道ラーメン。雑誌で見た朱華園がよさそうと思っていたが、時間が遅すぎたようで、ちょうど店じまいになったところ。その他の店も、店じまいのところが多い。どうも売り切れると店じまいという店が多いらしく、町をゆっくり歩いていたのが、失敗だったようだ。まぁ、とにかくそれども尾道ラーメンと銘をうった店でラーメンを食べ、とりあえず満足。千光寺公園などまだまだ行けなかったところはたくさんあるが、後ろ髪を引かれながらも尾道を後にする。
  あとは、帰路。途中、温泉に浸かり、ゆっくりと疲れを取ってから、深夜車を飛ばし、ひたすら帰る。高速を使わなかったので、大阪についたのは明け方と、何だか車の中にいたほうが長かったような旅行でした。
青春18ふらり北陸(8/16〜8/18)
  ドライブからもどり、一日家でゆっくり過ごした後、次の日の朝、さて残りの二日間は何処に行こうかと考える。いろいろと行きたいところはあったのだが、どうも身体の疲れが取れていないようで、行動が鈍くなってしまう。昼食を食べた後、とりあえず家にいても仕方がないと、大阪まで出かけて、そこから何処に行くかを決めることに。で、ちょうど大阪のチケット屋で青春18切符の3枚残りの券を見つけたので、それを購入。で、何も考えずにとりあえず、ドライブは西だったので、逆に東に向いて出発。で、途中北陸方面に行こうと思い、米原から北陸本線に。さて、後は降りる駅を何処にするか。時間的にはその日の内に富山まで行けそうだったが、高岡で降りることにする。
 高岡市(8/16〜8/17)・氷見市(8/17)
   現在の高岡市中心部は、小矢部川と庄川に挟まれた地域にある、二代目加賀藩主前田利長が築いた高岡城の城下町。城自体は一国一城の制で廃城となるが、その後も商工業の町として発展をし、現在でも富山県第二の都市である。濠などはそのまま残っており、その城跡を中心とした区画整理は、城下町らしい雰囲気がある。それに対し、5キロほど離れた河口付近の二上山麓の高台・伏木あたりは、古代の越中の国の中心地で国衙があった場所。この地もまた古代と近世で、中心地が移動しているようである。
 高岡に降り立ったのはもうすぐ日付が変わろうかとする頃。とりあえず、まちの雰囲気だけでも味わおうと自転車であたりを走ってみる。夜の街はそれなりに賑やか。とりあえず、ファミレスで時間を潰して明け方まで待って、明け方から神社めぐりでもしようと思っていると、ちょうど5時ごろから雨が降り始める。少し迷ったが、とりあえず自転車で氷見の方に向かって走り出す。
 小雨の中、神社を1ヶ所だけよった後、氷見の駅前に来る。駅前には商店街が続き、その先には氷見港がある。漁港である氷見の町はなんだか淋しい感じがした。北陸本線からそれてしまった町は、少し取り残された感じがする。雨宿りで駅のベンチに座りながら通り行く人々を見る。電車で高岡まで出るのだろうか。終点の駅にいつもあるなんとも言えない雰囲気が漂っていた。能登国が越中国の一部であった頃は、此処が能登に向かう入り口だったのだろうけど、現在では石川県と富山県と分かれてしまいなんだかその先がないような錯覚に陥ってしまう。もちろん中世・近世を通じて海上交通などにより、つながりは確実にあった筈である。先がある筈なのに先がない町。近代交通はもしかしたら何処かいびつなのかも知れないと思ってしまう。雨さえ降っていなければ、もう少し氷見の町も見てまわるのだが、雨の鬱陶しさとあいまって、小雨になるのを見計らって、早々に氷見の町を立ち去る。
 高岡に戻る途中、雨は激しくなり、銭湯があったので、雨宿りに立ち寄って、風呂に浸かることにする。雨のせいでほとんどこの町をまだ見ていない。なのに雨の中、自転車をこぎ、どうも身体だけは疲れているようだ。結局、風呂上りにビールを飲み、ひと寝入り。昼過ぎに目覚めて、ちょうど雨が上がっていたので、気持ちよく、再びサイクリングを開始。
 とりあえず高岡に来た最大の理由である越中一宮気多大社だけは見ておかなければと、高岡市伏木に行く。このあたりが、古代の中心地。二上山にでも上れば綺麗な風景が見れるのだろうけど、それは諦めて、高岡万葉歴史館による。伏木の町は中世以降も港町として栄えたようで、近世には北前船の水運があり、数寄屋造りの建物なども残されている。北前船の資料館があったが、あいにく時間が遅かったので、入ることは諦める。
 で、再び高岡の中心部にもどる。こちらは城下町。古い町並みが残された場所があり、そのあたりを少し見てまわる。一つは、北陸街道沿いになる守山町、木舟町、小馬出町あたり。土蔵造りの家が何件か残り、商業の中心地であったことがわかる。もう一つは、金屋町で、高岡鋳物の発祥の地で千本格子の古い町並みと石畳が残っている。町並みを眺めながら歩くのは気持ちがいい。相変わらず、空模様は良くなかったが、さらに城跡公園を見てまわってから、夕方に、帰路につくことにする。
  あとは電車にひたすら揺られる。今日中に何処まで帰れるだろうかと思いながら。最初は、名古屋か岐阜にでも行こうかと思っていたが、電車の連絡がよく、大阪まで戻れることがわかり、結局大阪まで。明け方まで町で過ごしてから、朝一で家に帰る。雨のせいでなんだかすっきりしない旅でした。
 
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