役立たず

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昔とった、杵柄ってやつだろ?」
「ヤらせろよ。これでも、随分、お前に金、使ったンだぜ?」

若い海兵の体を上官らしき男がいやらしい目つきで眺め回している。

海兵は直立不動で、だが、眼差しだけは明らかに戦意剥き出しで、
その男の言葉に怒りを現していた。

「15、6の頃だよな?同期のやつらと、三人で」
「可愛がってやったの、忘れたか?」

その下卑た男の後ろには同じ服装の図体の大きな男が
ニヤニヤ笑いながら 事の次第を眺めていた。

「バラされたくなかったら、大人しく俺達の言う事を聞け。」
「昇進が早いのも、偉いさんのを咥えこんだからだろう、ええ」


蒼い髪の海兵は 唇を噛み締めていたが、
「自分には身に覚えの無い話しです。」
「これ以上、下らない話しに付合う義務はありませんので、失礼します。」と
憮然と、だが、三人の上官へ礼を欠かない態度と言葉でそう言い放ち、
立ち去ろうとした。

「どんな風に俺がお前を玩具にしたか、言ってやろうか。」


この上官は、蒼い髪の海兵の昇格により、辞令の下る明日には、
もう、同じ肩書きの同僚となる。
自分よりもはるかに早い昇進、上司からの信用、部下達からの信頼、
戦闘能力、どれをとってもそれは当然の事なのに、

この男は 彼に嫉妬した。
そして、卑しい言葉で彼を呼びとめた。


そして、翌日。
本来なら、少尉から、中尉への昇進を交付される筈の場所と時間に、

「ヒナ、がっかり。」と長年、ずっと 自分を鍛え、
目をかけてくれた 最も尊敬し、信頼している上司に大きな落胆の
溜息をつかせてしまった。


「規律違反で、半年の減俸。自宅謹慎。」


先輩で、しかも 違う部隊の少尉と殴り合いの大喧嘩。
しかも、数人対、彼一人。

にも、関わらず、彼には殆ど外傷がなく、
喧嘩相手だった海兵達は皆、全治1ヶ月以上の大怪我を負わされた。

だが、喧嘩両成敗。


「ミルク准尉、謹慎中は官舎から出ないように」と言われて我慢できず、
「身よりの家で謹慎する」との申請を出した。




本当は、身寄りなどない。


はっきり言うと、行くところも金もない。


謹慎中だから、賞金首を狩ることも出来ない。
剣を奮う以外になにも取り柄がないので 職も探せない。


(腹減ったなア)


ミルク伍長と海軍では呼ばれている若者が 街角に座りこみ、
空を茫然と見上げた。

官舎を出てから もう4日。最後に食べ物を口にしたのは、
(もう、一昨日か。)
まる二日、水しか飲んでいない。

悪い事に、ここは冬島だった。
分厚い上着で寒さは凌げるし、体は丈夫なので、
この寒空の下、野宿しているのに風邪も引かない。

が、空腹からくる寒気に ライはブルブル震えた。


市場の側に座っていると露天の店から食欲を刺激する美味そうな匂いがしてくる。




(腹減ったなア)と頭に浮かんでくるのはその言葉だけだ。

眼を閉じると、夜の闇に浮かんだ炎に炙られた肉や野菜、
溶けたチーズの乗ったパンが目に浮かぶ。

(サンジさん、どうしてるかな。)

忘れようとしても出来ない、
生きて行くことの目的、ずっと、想い続けている初恋の人の事を
ライはまた、思い出す。

辛い時につれ、嬉しい時に連れ、思い出さない日はないのだが。


「おい、ボウズ、金持ってンだろ」

ライは人のざわめきの中、自分が座りこんでいる場所の反対側に、
温かそうな上着に身を包み、大きな籠を抱えて歩いている、

年の頃、10歳くらいの少年が いかにも 凶悪そうな青年に
金をせびられている様子に気が付いた。

「持ってないよ。」
少年が抱えている籠には、たくさんの食材が入っているようだ。

「嘘付け。さっき、市場で船まで運んでくれってオヤジに金を渡しただろう。」
「あの時、てめえのサイフの中にぎっちり金が入ってたじゃネエか。」

恐喝か。
あいつ、セコイから、きっと賞金首なんかじゃないだろうな。
いいなあ、ガキ相手に恐喝出来て。

と、ライは空腹の余り、一瞬、金が手に入るその乱暴な青年を
羨ましく思ったが、
慌てて、

(は!腹が減ってるからってあんまり卑しいぞ。俺)と思いなおす。

「大人しく金をださねえと痛い目にあうぞ。」と言うがいなや、
青年は少年の頬に拳を撃ちこんだ。


が。


吹っ飛んでいったのは、少年ではなく、青年のほうだった。

「どっちが?」と青年の腹に蹴りを打ちこんだ少年がクス、と小さく笑う。

「このガキっ・・・。」逆上した青年は胸ポケットから
小さな銃を取り出した。

(なんだ、あのボロい銃は・・・)
あれは暴発する、とライは思わず立ちあがった。

少年は、籠を放り出し、成年に向かって行く。

(あ!)食材がバラバラと空中ではじけるように籠から飛出した。

ライも体はデカイが動きは早い。
ガラスのビンや、熟した果物、地面に落ちたら使い物にならない食材を
全て 体全体で、

鳩尾にビン、両手に瓶詰めの食材、腕を丸めて、この地方独特の
冬桃(ウインターピーチ)を地面に身を滑らせて、器用に受けとめた。

殆ど同時に、少年が、銃を青年の腕から弾き飛ばしていた。
ライが 少年へ向けられている殺気を感じて 咄嗟に視線を回りに巡らせる。

すぐに食材を籠に手早く戻して、その殺気の出所へ身を翻す。

青年と同じ年頃らしい、青年が少年の背中を狙ってボウガンを引き絞っていた。
その男をライは拳で殴り倒す。

ライは戦闘中、絶対に声を出さない。
だから、その少年は 自分がライに助けられた事に 暫く気が付かなかった。



「ありがとう、おにいさん。」



少年は、まず、食材の無事を確かめた。
ライに礼を言ったのは、助けてくれたことよりも、
食材を傷めないで拾ってくれた事の方に重きが置かれているらしい。

(素直そうで、賢そうな子だな。)
ライは子供が好きだ。子供時代に、子供らしく遊んでいない所為か、
子供と遊ぶ時、完全に子供と同化して遊ぶ。
その事で、日々、殺伐とする気持ちを人間らしく、
温かな物として繋ぎとめていた。

でないと、一体、何人の海賊を殺したか、その罪深さに気がつき、
その海賊にも家族が、恋人があっただろうに、と思うと居た堪れなくなり、
そして、その苦しみから逃れる為に
人間らしい気持ちがやがて消え失せて、
海賊を、人間を殺す事になんの躊躇いもなくなる。

命を、命と思わなくなる。

そういう、海兵を、あるいは賞金稼ぎをライはたくさん見てきた。

だから、自分がそうならないように、無垢な子供と無垢な気持ちで
遊ぶ事で 命の愛しさ、生きる事の美しさを忘れないように、
自分の罪深さから目を逸らさないようにしてきた。

本当なら、自分の子供が欲しくて仕方ない。

「君、いくつ?」とライはその少年に尋ねた。

その途端、ライの腹がとんでもない音を出した。

ギュ〜〜〜。グルルル〜〜〜。


雑踏の中でもはっきりと、笑えるくらいに大きな音だった。

少年はそのあまりに大きな空腹音に呆気にとられ、すぐに腹を抱えて
笑い出した。

「おにいさん、すごくお腹空いてるんだね。」

ギュ〜〜〜。グルルル〜〜〜。


雑踏の中でもはっきりと、笑えるくらいに大きな音だった。

少年はそのあまりに大きな空腹音に呆気にとられ、すぐに腹を抱えて
笑い出した。

「おにいさん、すごくお腹空いてるんだね。」
「実は、4日も禄に食べてないんだよ。」とライは苦笑した。


「いいよ、食べたい奴には食べさせろ、って俺の師匠の口癖だから。」
「助けてもらったお礼もしたいし。」

少年はにこやかに ライの手を引っ張った。
「ね、俺の師匠が船で待ってる。ご馳走するからおいでよ。」

人懐こい子だな。

ライは なんだか恥かしかったけれど、
とにかく、腹を満たせるならなんでもいい、と思った。



港には、帆があざやかな蒼の色の布の小型の帆船が停泊している。

少年に手を引かれて、ライはその船に向かって小走りに走っていた。

「僕はライ、君は?」
「ジュニアだよ!」

走りながら、二人は名前を教えあった。


そして、船に向かって ジュニアは 舳先で出航の準備をしている
人影、恐らく、彼の師匠の名前を大声で呼んだ。


それを聞いて、ライの体の全部の細胞の動きが止まった。

(え?)
(今、なんて?)


「ジュニア君、」

思わず、ライは繋いでいたジュニアの手を離した。
ジュニアは少し走って先を行ったけれど、ライの挙動に驚いて、振り向く。

「どうしたの?ライさん。」
「君の師匠って。」



「ジュニア!」


舳先からジュニアの名を呼ぶ、声。
忘れるわけもない。信じられない。
ライは目を凝らした。が、冬島のどんよりとした薄曇で、
その上、雪まで降っていて、はっきりと姿を捉えられない。
必至で目を凝らす。

「サ」名前を呼びたいのに、喉になにかが詰って声がでない。

驚きと喜びの余り、空腹だったことなど全く忘れた。
足を進めることさえ、思いつかず、立ち竦んでただ、前をむいて息を飲む。


「サンジを知ってるの、ライさん?」




ジュニアに引っ張られて、ライは船に近づく。

上からサンジが



髪が肩よりずっと先まで伸び、胸元にまで長い。
けれど、体つきも、蒼い目も、口に咥えた煙草も、
何一つ、ライの記憶と変わらない佇まいの


サンジが


港から船を見上げるライを見下ろしていた。


「ライ?」


数秒、じっとライを見ていて、サンジは自信なさそうに呟いた。

「ライか?」
「お前、ライか。」


ライが答えより先に、ジュニアが答えてくれる。
「そうだよ。知り合い?」

サンジは ジュニアに向かって、からかうような笑顔を向け、
「俺の恋人だった奴だ。」と言った。

それを聞いて、ライの顔に全身の血が一気に流れこむ。
覚えていてくれた。あんな、些細なことを。



船のキッチンでジュニアが食事を作ってくれる。
その間、ライとサンジは思い掛けない再会に驚き、そして
喜びあった。


サンジはライをテーブルにつかせる前に 胸が合うほど
近寄ってきて、ライを見上げた。

「育ちすぎだろ。」と唖然としていた。

(変わってネエな。)と照れくさそうなライを見て、サンジは
温かな気持ちになる。

もう、10年以上に経つのに、ライは少年の時と
全く変わらない瞳の輝きだった。
なにより、サンジはそれが嬉しい。

自分の生き方を自分で選んで、歩いていった少年の
その道が間違っていなかったことをその瞳の輝きで知る。

それにしても
(ここまで育っちまうか。驚きだな。)と自分の背丈をやや、
越えていることには驚いた。
胸板も厚い。

ゾロとよく似た体型になっている。
恐らく、ゾロと同じように、日々、厳しい鍛錬を自分に課してきた結果だろう。

「あの子は?」とライは ジュニアの素性を尋ねる。
「ウソップの息子だ。」とサンジは簡単に答える。


「お前、今日は休暇か?」とサンジがライに向き直った途端、
また、腹の中でカエルが絞め殺されるような音が鳴った。

今度は鳴り止まない。
美味そうな匂いがキッチンから流れ込んでくる所為か、
ライの胃腸がぐるぐる激しく食物を求めて鳴き続ける。

「お前、かわらねえなあ。」とサンジはジュニアと同じように
ケラケラとあかるく笑った。

ずっと昔、初めて出会った時も、ライは腹を鳴らしていたのだ。

「よし、じゃあ、俺がちょっと一品、作ってきてやるよ。」

サンジは笑いながら ライをテーブルにつかせ、自分は
キッチンへと歩いて行く。

動くたび、金色の髪がさらさらと揺れる。
耳もとには、見覚えのあるピアスが光っているのをライは見逃さなかった。

(ロロノアさんとまだ、)恋人同士なんだな、と
ライは 少し がっかりすると同時に 安心した。

「俺が作ってるんだから邪魔しないでよ!」
「うるせえな、ちょっと貸せっつってんだよ!」と
キッチンからはジュニアとサンジの賑やかな声が聞こえてくる。


暫くして、サンジが皿に出してきたのは、
ただ、炙ったパンにチーズを乗せただけの物だった。

うわあ、と思わず、ライは舌なめずりをしそうになる。
そして、テーブルの側で満足そうに佇む、サンジを見上げた。

「ま、後から来る、ジュニアの料理に比べりゃ、クソみてえなツマミだけどよ。」

おまえにとっちゃ、特別だろ、と悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


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