「おい、雑用!」
「雑用!」
「雑用、ちょっと 来い!」


海軍でもそうだが、「雑用」と呼ばれる間の仕事は本当に
煩雑で、それでいて、取るに足らない仕事ばかりの割りに
忙しい。

ライは、それでも、黙々と働く。
普段から、器用だし、一度 言われたことは間違わずに手早く済ませる。

夜の営業が始まる、ほんの数十分前、
一旦、仕事が始まると煙草が吸えなくなるので、煙草を吸うコック達が
一斉に休憩を取る。

客席からは見えない甲板で、おのおの好きな場所で ぼんやりしながら、
数時間ぶりの煙草を口に咥える。

このレストランの料理長も例外ではなく、
サンジは 癖で咥えっぱなしだけれど、厨房では火の着いていない煙草を
咥えているだけなので、

その時間は、ゆったりと味わうように煙草を吸う。

サンジは、まだ、誰とも、雑談さえ交わしていないライを伴い、
沈む夕日を見ながら 口から紫煙を吐き出していた。

「今日から営業再開だから、特別忙しいぜ。」

水平線には、このレストラン目指して遠路はるばるやってきた、
数隻、大きな客船の姿が見える。

「レストランの雑用、お前、案外向いてるじゃねえか。」と
ライを向き直って笑う。

「有難うございます。迷惑掛けない様に頑張りますよ。」と
ライは 無難に答えるが、慣れない仕事に少し、疲れてはいる。

「もう、家に帰れ。これから 厨房も殺気だって来るし」
「慣れねえ雑用にウロウロされちゃ、却って邪魔だからな。」と
ライの表情から疲労を悟ってくれた様にそう言った。

「あの、サンジさん。」

ライは、少年の頃から 賞金稼ぎとして育てられ、
15歳で 海軍に入隊し、色々な修羅場をくぐってきた。

その間に、何か、不穏な「匂い」を嗅ぎつける 勘を知らない間に
見つけたようで、
今朝、ビルと言うコックと目が合った時から、彼に対して
なんとも 言いがたい違和感と言うか、
ライの意識を妙に刺激するモノを彼から感じた事を サンジに
伝えようと口を開いた。

「ビル・・・さんって、どんな人です。」
「ビル?パティシエの?」

サンジはライの言葉を聞きなおした。

「さすが、エリート海兵さんだな。」とライを茶化すように
また、ニヤリと笑う。

「もと、賞金首だからな。」そう言うと、まだ 半分ほどしか吸っていない
煙草を口から出し、新しいのを咥え直して火を着けた。


「お前の役に立ちそうだったから、拾ってきたぞ。」

この前、ゾロが帰ってきた時、そう言って連れて来たのがビルだった。

ゾロが海賊船を襲った時、その船のコック兼戦闘員だったビルを
海軍に突き出さずに、サンジの所ヘ連れて来たのだ。

「もともと、客船に乗ってたコックだったんだが、」
「その船が襲われて、最後まで抵抗した腕っ節を買われて」
「海賊になったそうだ。」

ビルは コックの腕もさる事ながら、ナミのような 棒術の達人だった。
性格は、海賊向きではなく、どちらかと言えば、大人しい方で、
海賊になったのは、ただの成り行きに過ぎず、
出来ることなら、一介の料理人として生きたいと 願っていた。

だが、それでも一度海賊になり、海軍と戦い、略奪に参加している間に
自分の首に賞金が掛っていることに 引っ込みがつかなくて、
海賊を続けていた。

ゾロに襲われて、仲間がほぼ、全滅した時、
ゾロの恋人、オールブルーのサンジにどうしても、自分を会わせてくれ、と
取り縋った。

「俺は料理人なんだ、きっと、あんたの恋人の役に立って見せる。」

こいつは俺に命乞いをしているんじゃない、とその時のビルの
懸命な眼差しを見て ゾロはそう思った。

料理人として、サンジがオールブルーと言う夢の海に憧れ続けた様を
ずっと 側で見て過ごした。
だから、ビルが どの程度の腕を持っているか、ゾロが計るべくもないが、
オールブルーと言う 海で生きる料理人なら誰でも憧れる、
その場所へ想いを馳せる気持ちは良く判った。

「でかい、拾いモノをしてきたもんだ。」

ゾロがビルを拾ってきた時点で、サンジの店には
サンジ自身は当然だが、充分に腕の良いコックが揃っていた。

ただ、デザートを作るパティシエが 海賊との小競り合いで
腕を折って、サンジがメインとデザートの両方を作らねばならない状態だったから、

ビルはいきなり やった事もないデザートを作らなければならなくなった。

それでも、サンジのレシピノートを見たり、自分でも営業前、営業後と
寝食を忘れて努力して、
もともと、そう言うセンスも持っていたのだろう、
すぐにレストランのデザートは、女性客に大好評になった。

「口数は少ないし、でも、誠実で、良い奴だ。」
「根っからの料理人だぜ。海賊やってたのが よっぽど不自然だったと思うが。」

ビルがどうかしたのか、とサンジは ざっと ビルと経緯を話し終わり、
最後にライにそう聞いた。

「いいえ。別に。多分、手配書を見た記憶があったから気になっただけでしょう。」と
ライは曖昧に笑った。

なんだろう、あのビルの、自分に対して縋る目つき。
その答えが判らないまま、ライはサンジに言われた通り、
その日は、先にサンジの自宅に戻った。



その夜は、よほど、忙しかったのか、
ジュニアも、サンジも なんだか ボロボロになって戻ってきた。
それと入れ替わりに、ライは厨房の掃除に行かねばならないので
二人とはすれ違いだ。

二人が疲れ切って帰って来る事を予想しているのか、
アトリは まず、ジュニアに風呂を勧め、サンジに軽いアルコールを用意していた。

「あれ、ライは今夜もソファで?」とサンジは
リビングに入って来るなり、夕食を温め直しているアトリに尋ねる。

今日もサンジは忙しく、アトリはついに 聞きそびれて
また、ライの寝床をソファに用意していたのだ。

「半年はここにいる事になるでしょうから、部屋を用意してやってくれませんか。」
「お部屋って。」

サンジの自宅は、二階建てだ。これは冬、雪が積もって一階部分が
埋もれてしまうから、二階が居住部分なのだが、
サンジの部屋、ジュニアの部屋、リビング、台所、風呂、
ゾロが来た時だけ使う、訓練のための道具を置きっぱなしの部屋しかない。

一階はレストランで使う調味料の倉庫とワインセラーがある。

離れには アトリと息子のサムが住んでいて、
ライが使える部屋、と急に言われても、アトリは すぐにどの部屋のことか、
判らず、首を傾げた。

「ああ、ゾロの道具をこいつに片付けさせれば使えるでしょう。」
「いいんですの?」

もしも、急に帰ってきた時、自分の部屋を違う誰かに占拠されていたら
「私だったら嫌ですけど。」とアトリは 素直に自分の考えを口にする。

「帰ってきやしないよ。」とサンジは アトリの心配を一笑に伏した。

アトリとライには 何気ないサンジの口調にも、
普段と変わらない表情からも、寂しさなど 全く感じられない。

けれど、感じていない訳がないのも、二人とも知っているから
何も答えられず、なんとなく、ライとアトリは顔を見合わせた。


それから、数分後。

誰もいない、レストランの厨房のごみ箱を、ライは
洗い上げている。

「あれ?」

食材を極力、無駄にしないように注意を払っている筈なのに、
いくつかある、ごみバケツの中身を見て、ライは 思わず声を上げた。

「今日のデザートだよな、これって。」

なにに 問題があったのか、綺麗にデコレーションされていただろう、
今日のデザートが一人前、まるまる ごっそり捨てあったのだ。

なんだろう、とライは 無意識にそれに手を伸ばして、
一欠けらだけ、口に含んで飲みこんで見た。


海軍は、海賊と戦う。
それが当たり前なのだが、少ない兵力で海賊を追い詰めて行く時や、

神出鬼没だったり、海賊の背後にいる、別の勢力の存在を探る時、
ライ達は、海賊の懐深く潜入して、情報を探り出す事がある。

そう言う時には、どんな些細な事柄でも
自分の知識と勘を信じて なにか、"感じる"ものがあれば、
そこから 情報を手繰り寄せる為に、行動を起こす。

ライがごみ箱に捨てられていた、デザートの残骸を口に入れたのは、
ビルと言う男に対する違和感と その残飯が

なにか、不穏な事柄の匂いを
ライに教えていたからだった。

美味い。
ただ、そう思った。

けれど、ビルに対する はっきりとはしない、
曖昧な不信がライの心から消えなかった。



掃除を終え、ライは真っ黒な海の上の桟橋を渡り、サンジの家に帰る。
まだ、冬の気配が残る空には、降ってきそうで思わず、
目を見開いてしまうほどの星が 輝いている。


「あれ、まだ起きてたんですか。」
「ああ、ご苦労さん。」

ライが 今夜も狭い ソファで眠ろうとリビングに行くと、
サンジがテーブルいっぱいになにやら 書類を広げていた。

ライを見て、眼鏡を外して立ちあがる。

「サンジさん、目が悪いんですか。」
初めて見る、サンジの眼鏡を顔を見て、ライは 知性的に見えるだけでなく、更に 
(なんか、すげえ)色ッぽくて、驚いた。

「いや、良過ぎてクソ疲れるからかけてるだけだ。」と
キッチンへ歩いて行く。

ライはなんとなく、その後を着いて行く。
「座ってろ。コーヒー入れてやるから。」と 邪魔そうに言われたので、
ライは、慌てて、

「俺、雑用でサンジさんに雇われてるんだから、コーヒーは俺が入れますよ。」
と サンジの手元に手を伸ばした。

「いいって、お前が入れたら不味いだろ」
「コーヒーは、いつも、上司の分を入れてますから大丈夫ですよ。」と
取り合いになった。

「「あ」」


蓋をライが、本体をサンジが持って、お互い引っ張ったら
中身が全部、床に ぶちまけられる。

「バカ野郎、余計な事するからだ!」と ライは怒鳴られた。

「すみません。」と謝った後、
結局、ライが サンジと自分にコーヒーを入れる。


サンジは、コックの給料の計算やら、予約の確認やらの
書類を整理しながら、ライがコーヒーを入れてくるのを待っていた。


キッチンでカップの割れる音が響く。

(あのバカ、落したな)と サンジは舌打ちしながら
作業を一旦止め、キッチンの動向を伺った。

が。


「ライ」


床に落とした、カップの破片を拾っているにしては、動き回る音がしない。
サンジはそれに違和感を感じて ライを呼んだ。

なんでしょう、とすぐに帰って来る筈の声が返って来ない。

「おい、どうしたんだ。」とサンジは訝しく思って立ちあがり、キッチンを覗く。

「すいません、ちょっと眩暈がしたもんで。」とライは
苦笑いを浮かべて、床にしゃがんでいた。

「眩暈?」サンジは、ライの言葉を聞きとがめ、同じように床にしゃがむ。
「いえ、対した事じゃないです、眠い時間ですし、」と
言うライの額に サンジは掌を沿わせた。

「熱なんかないですよ。」
昔、こんな風に何度も熱を測ってもらったなあ、とライは 
思い出し、逆に顔が火照った。

「そうみたいだな。」もう、コーヒーはいいから、寝ろ、と
サンジは言って立ちあがった。

「俺はまだ やらなきゃならねえ事があるから、俺の部屋で寝ろ。」
ライはそう言われたけれど、サンジの側のソファで横になった。
ゾロとサンジが休むベッドの上でなど、穏やかに眠れるわけがない。

ライはずっと、薄明かりの中、真剣な面持ちでペンを握り、
煙草をふかしながら 作業を進める 眼鏡を掛けているサンジを見ていたかった。

けれど、酷い眩暈が治まらず、胃がチクチクと痛い。
考えられるのは、あの残飯だけだ。

余計な心配をサンジに掛けられない。
ライは、静かに目を閉じた。



翌朝。

アトリの作った朝食が全く、喉を通らない。
「ライさん、顔色が悪いよ。」とジュニアが心配そうな顔をして
ライを見ていたが、

「慣れない仕事で疲れたのと、ずっと空腹だったところに美味いモノを
詰め込み過ぎて 腹がびっくりしただけさ。」と なんとか、
無理矢理 笑ったものの、どうにも、気分が悪い。

結局、サンジとジュニアが出掛けて行った後、
アトリに申し訳ないと思いながら、全部、吐き出した。


(これって)最初の夜の、サンジさんと同じじゃないか、とライは
気がついた。
吐瀉した後は、気分が治まっている。

それでも、胃はまだ、キリキリと弱い痛みを感じているが、
我慢できないと言うほどでもない。


ビルがデザートに、客に出す分ではなく、
試食でサンジが口にする分にだけ、毒物を入れたのではないか。

あの、ゴミ箱に捨てられていたのは、サンジの試食分だけれど、
毎日毎日、試食する訳ではなく、新作を出す時や、
その料理を作るコックの腕前に サンジが不安を持っている時だと
ジュニアが言っていたから、

(昨日、サンジさんは デザートを試食しなかったんだ。)と
ライは憶測してみる。

やっぱり、ビルだ。
それしか考えられない。だとしたら、何故だ。

それに、もう一つ、ライに 疑問が沸く。

昨日来たばかりの部外者の自分でさえ、
すぐに気がつくような事を あのサンジが 気がつかないのは おかしい。

とにかく、ビルだ。
ライは ゾロの道具部屋を掃除した後、店に行こう、と
桟橋に向かって歩いていた。

「ミルクさん・・いや、ライさん。」と 
後から呼びとめられる。振り返ると、そこには ビルが思い詰めた顔で
立っていた。

「あんたが出てくるのを今朝からずっと待ってたんだ。」
「あんた、今でも、海兵なんだろ?中尉なんだろ?」

ライが何も答えない間に、ビルは ずんずんとまっすぐ歩み寄ってくる。

「今夜、店を掃除するとき、厨房で待ってる。」
「その事は、誰にも言わずに、来てくれ。」

人の気配に怯えるように回りに目を配りながら、
すれ違い様、ライにそう言うと、ビルは何事もなかったように、
桟橋を渡って、店へと 歩いて行った。



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(続く)