第23回地域づくり団体全国研修交流会・愛知大会 |
全大会 |
| 二月の沖縄大会に続いて、愛知大会にも行ってきました。全大会には夢咲塾代表と二人での参加で、朝から八木で待ち合わせをし、近鉄で名古屋、そして名古屋駅からはタクシーで会場のウィル愛知へ。会場に着き、受付を済ませると、すでに特別分科会は始まってた。「地域づくりと映像づくりの幸せな出会」と題し、愛知県で行われている「なごや・まちコミ映像祭」に関する報告とその優秀作品の上映会。「なごや・まちコミ映像祭」は今年で4回目になるそうで、全国から多くの作品が寄せられ、なかなか成功しているようだ。優秀作品として「おらが町のパークゴルフ場」(北海道登別市)「わが町 伊勢河崎の変遷」(三重県伊勢市)「あそび心の町づくり」(大阪市)「親子獅子をもう一度」(長崎市)「風の女たち」(熊本県宇城市)の五作品が上映された。映像自体は、もちろん素人のとったものということもあり、決して凄いものではないのだが、映像を見ながら、まちの風景やそこにいる人々の姿をこうして映像に残すことが素敵なことのように思えた。民俗学の分野でも、映像民俗学という分野にたいする取り組みは始まったばかりで、研究者は少なく、映像の持つ意味を捉え切れていないのが、現状と言えるだろう。まちの風景、職人の技術、何気なく語られる方言の会話など、映像によって生かされるものが多くあるような気がする。技術の進歩によって気軽に映像を扱える現状を考えると、今後、映像という問題はますます重要になってくるのだろう。 特別分科会のあとは、昼食交流会でお弁当を食べながら、全国からの参加者によるPRタイム。いろいろな地域の人のPRを聞きいたり、各地の参加者が持ってきたパンフレットやチラシを見ながら、昼食のひとときを過ごす。昼食交流会のあとが、全大会で基調講演として、愛知江南短期大学学長の中田實氏による「人が輝く元気な地域づくり」というテーマで講演が行われた、そのあとは次回開催地の茨城県からのお知らせ。やたらと「いばらぎ」ではなく「いばらき」だと強調をしていた。「いばらきイメージアップ大賞」という賞をつくり、茨城のイメージアップに努めているようである。確かに西日本に住んでいるものからすると、茨城といううのは今ひとつピンと来ないところ。大賞に輝いたのは「つくばエクスプレスとつくばスタイル」だそうだが、その「つくばスタイル」というのは始めて聞いた言葉で「いったい何?」といった感じ。「都市」「自然」「知」の三つの融合を目指した新しいライフスタイルとのことだそうだが、いまいちピンとこない。今年の夏、鹿嶋には少しよったが、確かに茨城はほとんど行ったことのない土地なので、つくばを含め、茨城を見て回るのもいいだろう。来年度も、都合がつけば、参加しようかと茨城のPRを聞きながら少し考えていた。 全大会が終わったところで、代表とは別行動で、代表は第15分科会で、僕は第12分科会に参加。会場の前に停めてある第12分科会のバスに乗り込み、一路、一色町佐久島へ。(2006.11.10) |
第12分科会・一日目 |
| バスの中では一色町役場の人からこれから行く佐久島、そして一色町自体の簡単な説明を受ける。一色といえば、室町時代の一色氏を思い出す程度の知識しか持っていなかったが、産業としてはやはり漁業の町で、うなぎあるいはえびせんといった食べ物が有名らしい。また農業ではカーネーションの栽培が有名で愛知県下の三分の一の生産をし、全国でも1,2を争う生産額であるらしい。観光としては、これから向かう佐久島が有名らしく、今回の分科会のテーマである「アートの島おこし」が成功をおさめているそうだ。休日には、名古屋などの都市部から、カップルがデートコースとして訪れるらしい。佐久島の人口は2006年11月1日現在で147世帯326人。一色町自体の人口が2万5千人ほどなので、それからすると非常に小さな部分が、まちの観光を支えているという形になっている。佐久島の高齢化率は49.4%で若い人が外に出て行くのは仕方ないことなのだろう。しかし、面白いとおもったのは、島には小学生14人中学生11人がいて、そのうち島外通学者が小学生6人中学生6人がいるということ。学校選択性の導入で、まちの学校に行きにくくなった子ども(ひらたく言えば不登校などなのだろうが)や島の学校に通いたい子が、島の学校を選択し、島の自然の中で教育を受けているらしい。もちろんいろいろな問題もあるのだろうが、そこには非常に何かの可能性があるように感じた。 バスが一色港につくと、そこからは船に乗って20分ほどで佐久島へ。少しあたりが薄暗くなって来た頃に、佐久島西港に到着。そこでは多くの島の人が、もちろんその中には小中学生もいて、幟などをもって元気な挨拶で出迎えをしてくれる。島に上陸し、流れに沿って島の風景を見ながら歩いていると、ふと後ろから、「奈良のお風呂屋さんの人ですよね」と突然声をかけられ、振り返ると、そこには前々回の奈良県大会のとき、高田の分科会に来てくれた総社の人がいて、「その服を見て思い出しましたよ」と話しかけてくる。高田に来てくれていた総社の人たちが、この分科会に参加しているということは知っていたが、突然、そんな風に声をかけられるとは驚きで、よくそんなことを覚えてくれているなと関心する。こうしていろいろな人との出会い、再会があるのが、非常に楽しいことだ。その総社の人と少し話しをしながら歩き、港のすぐ傍にある「佐久島弁天サロン」というところにそのまま入る。そこで早速、分科会及び夕食交流会の開始。まず主管団体や一色町長の挨拶のあと、島の伝統芸能である「佐久島太鼓」の小中学生による披露が行われる。篝火がたかれ、その中で演奏される佐久島太鼓の力強い響きがなかなか心地よい。島の伝統をこうした子どもたちに伝えていくということは、素晴らしいと素直におもう。ましてや、島外から来て、島の子どもと同じようにして、島の伝統を受け継いでいる子もいるわけで、島ならではの教育がそこにあるといえるのだろう。 そのあとは、アートの島おこしというテーマに沿って、もともとは東京人であるアートディレクターの解説とともにビデオ作品「小さな島の旅」を鑑賞する。島では5年ほど前からアートによる島おこしということで、岡崎などの若手のアーティストを招き、島のあちこちに作品を作り置いているそうである。ビデオでは、島外から来た少年が島の精霊に導かれて、アート作品を見て回るという設定で、島の風景とともアートが紹介されている。なかなか面白そうな作品もあり、二日目のアートピクニックと称した島の散策が非常に楽しみになってくる。さらにそのあとは、交流会として夕食の開始。近くに座っていた人たちと名刺交換をしていろいろと話をするが、第12分科会は17ある分科会の中で35名参加で一番参加者が多いらしく結局、最後まで話すことができなかった人も多くいるのが、少し残念。場が少し落ち着いたところで、さらに夜会として島の大人による佐久島太鼓の披露。流石に子どもたちによるものよりも迫力があり、海に生きる人たちの力強さを本当に感じる。しかし、その頃には結構酒がまわってきて、相当眠気が襲ってくる。そのあと、すぐに閉会となり、宿は4ヶ所ぐらいにわかれている各宿に宿の車で向かう。で、宿に着き部屋に入るとあとは眠くてすぐにダウンしてしまう。(2006.11.10) |
第12分科会・二日目 |
| 7時起床。あいにくの雨模様で、午後からのアートピクニックが、少し心配される。同じ宿の人たちと7時半から朝食で、8時半には再び昨日の会場である弁天サロンにいき、分科会二日目のパネルディスカッションの開始。パネリストはアートディレクターである内藤和美さん、アーティストの松岡徹さん、南川祐輝さん、「島を美しくつくる会」の鈴木喜代司さん、そして弁天サロンで働くおばぁちゃんの相川光江さん。司会は町役場の人で、テーマはもちろんアート。海水浴や海釣りなどの観光の島であったものが、それがダメになったあと、如何にアートにたどりついたかの説明などがある。確かにアートを選択する必然性と言われれば難しいところもあるとはおもうが、アーティストたちが島の自然や様々な文化に感化されて、島に溶け込むような作品を作り、逆にそのアートによって島が活気付くというのは、なかなか素敵な相互作用であるとおもう。また、一住民として参加している弁天サロンの相川さんの素朴な語りが、この島に生きることの素敵さをうまく表現しているなとおもう。島にやってくる人たちとの何気ない会話の中が、相川さんの日常の幸せであり、その幸せがなによりも、このアートの島おこしの成功を示しているといえるのだろう。途中、休憩時間に弁天サロンの二階に上がると、佐久島の民話・伝承など、あるいは考古学資料や島の歴史の解説が、パネル展示してあったが、せっかくの展示なのに、もう少しうまくアピールしないと少しもったいないかなと思う。 パネルディスカッションのあとは、とりあえず、雨があがったものの雲行きがよくない中、アートピクニックの開始。さわやかな青空の下でこの島を歩きたかったが、仕方ないことだろう。天気の心配があるということで、少し予定を変更して、すべてのアートを見て回るのではなく、主要なものを中心にということになる。現在のところ、11点の常設アートがあるそうだが、見てまわれたのは、「大和屋観音」「おひるねハウス」「大葉邸」「カモメの駐車場」「佐久島のお庭」といったところ。特に「おひるねハウス」は素晴らしい。非常に人気もあるらしく、参加者皆が、写真を撮りながら、そこにくつろぐひとときのゆっくりとした時間の流れを感じていたに違いない。また、「大葉邸」と言われる空家をそのままアートにした作品もまた素敵なところで、古い家のよさをうまく生かしている。島全体の地図を見ると歩いてるとろこはごく限られた場所で、もっとゆっくりと島の全体を歩ければきっと楽しいものになったのだろうともおもう。アートピクニック自体は、島の西の集落から東集落に向かい、「カモメの駐車場」を見た後、大浦海水浴場の浜辺で、昼食としてお弁当をいただく。海を見ながらの昼食もなかなか心地よく島のよさをいろいろと感じることができたと改めておもう。そのあと、さらに橋でつながった大島の「佐久島のお庭」を見た後は、もう東港に行き、佐久島ともお別れとなる。もちろんその場所にも島の人たちが見送りに多く来てくれている。まだまだこの島でいろいろなものを見てまわりたい気はするが、仕方ない。船に乗りこみ、島ともお別れとなる。 分科会の最後は一色港の「一色さかな広場」の見学。ショッピングプラザとして一色のいろいろな産物が売られている。時間は30分ほどでたいしてゆっくりすることはできなかったが、一色が漁業のまちであることはよく理解できた。で、そのあとは、バスに乗り込み、三河安城へ行き、そこで解散。非常に短い滞在であったが、島の日常、そしてアートを感じることができて、なかなか有意義な時間であったと思う。(2006.11.11) |
第5回高田夢まちウォーク「池尻・藤森の環濠を歩く」(講師:吉村芳倶氏) |
| 昨年の岡崎に続き、高田に残る環濠集落を歩くという企画。池尻・藤森ともに中世に水利を中心に村落防衛をかねて環濠が作られた場所のようで、現在では、その環濠が一部きれいに整理されている。水が流れないでたまっているので、きれいでないのが難点だが、環濠の形がよくわかる集落である。 当日は、降りはしなかったものの曇り空でまち歩きには少しもったいない天気。近鉄高田駅に集合で、神楽を経て、池尻へ。池尻の天神社により、吉村先生による簡単な説明がある。境内の横には役行者の石仏などもあり、なかなか面白い。池尻の環濠は、東側が整備されていて、水利関係の説明の看板なども立っている。さらにそのあとは、藤森へ。こちらでは十二神社の横にある藤森の公民館で少し休憩。公民館の中には環濠の昔の写真なども少し飾られていて、昔の感じも少しは知ることができる。藤森の環濠は逆に西側を中心に整備されていて、くつろぐスペースなども設けられている。藤森では他に観音堂や高オカミ神社などをみる。そして、そのあとは、土庫川を沿いに歩き、土庫の村中に。土庫は高田の当麻家の支城として二重の環濠があった場所で、大和武士が活躍した地。今では城址などや堀はわかりにくい状態になっているが、吉村先生の解説で、その名残を見ることができる。土庫ではさらに弥勒寺、菅原神社などを見る。弥勒寺は結構古い寺のようで、鐘楼や五輪塔など古いものが残っているようである。そして、最後は日之出町の厳島神社による。その横にある六反田池にはある釣鐘は、本郷の馬齢池の浮見堂にあったものをさざんかホールができた時に持ってきたものらしい。馬齢池公園は、小さい頃の僕の遊び場で、その釣鐘はよく覚えており、こんなところに移されていたのかと、少し感動をする。日之出町は旧高田川の水利権などを持つものが移り住んでいるそうで、そういった関係からここに移されたらしい。さらに知らなかったことだが、その釣鐘はもともとユニチカの高田工場の閉鎖にともない寄贈されたもので、ユニチカの工場で働きなくなった人たちのために作られた鎮魂のための鐘であったそうである。こんな傍に小さい頃に親しんだものがあり、さらにそれにはそんないわれがあると知り、改めてまちはいろいろと歩かないなと思う。 で、その後は、高田駅に戻り、解散となる。3時間ほどのゆっくりとした街歩きだったが、それなりに楽しかったと思う。雨模様ということもあり、参加者がさほど多くはないまち歩きであったが、日頃行かない、知らない道を歩くことができたのが、なかなか有意義であった。小さな高田のまちでも知らない場所はまだまだある。少しずつでもいいから、そういった場所をゆっくりと歩きたいと、改めて思うまち歩きであった。(2006.11.19) |