夢咲塾イベント 2006年7月
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第一回高田夢まちシアター 「あかりの里」  公式サイトあかりの里  
  むかしは数多くの映画館があった高田のまちも、いまは少し離れた郊外のシネコンがあるだけになってしまった。僕の記憶している映画館は3件程度だが、昔はもっといっぱいあったそうだ。たくさんの映画館があったころのように高田を映画のまちにしたい。そんな思いでこんな回の高田夢まちシアターの企画は始まりました。第一回目に選ばれたのは斑鳩でとられた地元奈良の映画。奈良の風景が映画で描かれるのはやりは少し嬉しくもあり、少し期待しながら映画を見ました。上映は2回。上映の前にはこの映画のプロデューサーである長田朱美さんの挨拶があり、地元の皆での手作りの映画づくりの話などをしてくれました。長田さんは個人でしている地元のタウン誌「うぶすな」の編集長。それが映画までつくろうと思い立ち、そして皆の協力を得て、実際に作ってしまうのだから、凄いとしか言いようがない。とにかく、自分のしたいことをがんばってする、多分それがこの映画を完成させた秘訣で、映画や地元に対する熱い思いがそれを支えてきたのだろう。
 奈良の風景を描いた映画、ただ単にそういった思いだけで見始めたのだが、その内容は非常に素晴らしかった。これは民俗学映画と位置づけていいものだろう。物語は職人のあり方やその思い、あるいは芸術のあり方、そしてその周りの思いや日常に生きることを巡りながら、「いの町」といわれてイグサをつくっていた町の古い写真を基に、行灯の芯になる灯芯をつくる「灯芯引き」と言われる職人に行き着く。そこに映し出される老女の職人の技はもう、伝えることを忘れてしまった消え去る運命の技。灯芯のあかりはもう消えていくしか路はないが、その光をこうして映像として伝えることには、大きな意味があるだろう。そこに映る老女の優しさは僕たちの民俗文化が持っていた優しさ。そのあかりの優しさを描き出しただけでもこの映画の価値は十分にある。民俗学はこんな映画の製作にかかわっていく必要があるのではないだろうか。映像民俗学、この分野に携わっている人は数少ない。それも単に民俗を映像に残すというだけでなく、そこにまつわる人々の思いとともに伝えていくのは、たとえ困難であったも民俗学が担うべき仕事なのだろう。そのひとつの例がこの映画と言えるのでないだろうか。
 素敵な映画だった。もっともっとこんな映画を見たい。それがこの映画を見た後の素直な感想。(2006.7.9)
 
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