夢咲塾イベント 2006年2月
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第23回地域づくり団体全国研修交流会・沖縄大会
美ら島・シマおこし大会
 前夜祭
  前夜祭会場はおきでん那覇ビル。17時に受付開始。会場には特産品ブースなども設けられており、ひまつぶしに泡盛をはじめとする沖縄の商品をいろいろと見てまわる。17時半には開始までの待ち時間を利用して「総官太鼓」が披露される。迫力のある太鼓がなかなか素晴らしい。沖縄らしさで雰囲気を盛り上げてくれる。そして18時には前夜祭開始。主催者挨拶、歓迎の挨拶、乾杯と続いた後、少し歓談の時間。会場は分科会ごとのテーブルで、僕は参加する第一分科会のテーブル。同じ分科会に参加する人たちがそこには集まっていて、いろいろな人と名刺交換などをしながら話をする。もちろん会場には料理・お酒が用意されており、それらをいただきながらの会話となる。ちなみに言うまでもないが、酒はオリオンビールと泡盛だし、料理には沖縄そばなども用意されている。その後、琉球舞踊や空手などのパフォーマンスなども披露され、沖縄らしさが全開といった感じ。最後には踊りのワンポイントアドバイスがあり、全員でカチャーシーと呼ばれる手踊り。かき混ぜるという意味らしいが、とにかく皆で踊るのが基本らしい。とにかく踊って騒いで閉幕。あとは言われるがままに二次会に流れ込む。(2006.2.9)
 前夜祭二次会
  二次会には用意されたバスで移動し、国際通りの入り口ににある金城(かなぐすく)というライブ居酒屋へ。とりあえず、座った席のあたりには新潟からの団体や輪島から来た人がいて、いろいろと話をする。輪島の方が「夢咲塾なら知ってる」というので、聞いてみると、前々会の石川大会のときに、われらが夢咲の女性陣と会ったとのこと。そのパワーに圧倒されたとも言っていたが、素直にいろいろなところで、人とのつながりが広がっていく不思議さを感じる。そして、それままた素敵なことなのだろう。あるいは店を出るときもそうだったが、主催者側の沖縄の人が、僕の着ている夢咲塾のジャンパーを見て、「夢咲塾の人か」と声をかけてくれる。やはり以前の大会で夢咲の女性陣にあったことがあるらしく、皆によろしくと言ってくれといわれる。
 店自体はライブ居酒屋と言うこともあり、ERRY&CHIHARUという沖縄音楽をうたう女性デュオのライブを楽しむことができる。北部の伊是名島出身の幼なじみ二人組みで、素敵な歌を聞かせてくれる。ライブは非常に盛り上がり、思わずCDも買ってしまうほど、個人的には気に入ってしまう。ライブ中心に盛り上がり、逆にいろいろな人と話す機会はなくなってしまったが、個人的には非常に満足。少し飲みすぎてしまった感もあり、ホテルに戻るとすぐにダウンしてしまう。(2006.2.9)
 本大会
  本大会の会場は奥武山公園にある沖縄県立武道館。分科会ごとの受付となり、先ずは受付へ。そこでいきなり、受付の方に「夢咲の方ですか」と声をかけられる。実は昨年の奈良県大会で夢咲塾は分科会を引き受けていて、そこに名護の方が三人来てくれていて、夢咲のことをよく覚えていてくれたようである。ただし僕自身は昨年の大会のとき、沖縄の方と話す機会がなかったので、顔はよく覚えてはいなかった。今回は、地元の祭りと重なったりで、僕ひとりだけ参加であることを詫びると、「他の皆さんにもよろしくいっておいてください」と言われる。とにかく、夢咲塾のことを覚えてくれている人が多くいることに驚きながら、本大会に参加する。
 ここでも当然、分科会ごとに座ることになり、昨晩は前夜祭に参加しなかった人などとも名刺交換をしたりして話をする。大会自体は、主催者や来賓の挨拶からスタート。この大会は、「いちゃりば、ちょーでー」がテーマであり合言葉。「一度会ったら、兄弟」という意味だそうだが、全国でまちづくりをしている人たちがここで出会って、兄弟のように仲間として、お互いに励ましあえれば、という思いが込められているようである。挨拶のあとは、ここでもやはり琉球芸能を披露してくれる。こうして芸能を披露されると、当たり前に芸能がすぐ傍にある沖縄の文化が少しうらやましくなる。沖縄では歌ったり、踊ったり、あるいは三線をひいたりや太鼓をたたくことが、ごく当たり前のこととして行われる。おそらくそんな文化土壌があるのは、沖縄ぐらいなものだろう。
 その後、ビデオで沖縄の地域づくり活動の紹介。沖縄は本島が北部・中部・南部と三つ、離島部が二つに分けられ、合計五つの広域組合があり、その広域組合ごとに活動が紹介される。僕の参加する第一分科会の行われる名護は一般に「やんばる」と呼ばれる北部。もともと「やんばる」という言葉は、さげすみの感情がこもっていたそうだが、現在では、ニュートラルな言葉として通用しているようである。そのやんばるでは、名護以外にも東村や恩納村で分科会が開かれ、エコツアーやふれあい体験といった観光中心のテーマで分科会を行うそうである。その他にも今大会では全部で17の分科会が行われ、その活動などとあわせて紹介される。本大会の終了は15時。その後は、分科会ごとに集まり、各分科会へ移動ということになる。(2006.2.10)
 第一分科会・一日目
  分科会への移動は用意されているバスであるが、名護までは距離はあり、1時間以上かかる。バスの中でメインの司会をしてくださったのが、名桜大学の院生の女性の方で、昨年高田に来てくださった方。先ずは、分科会の主催者である名護ワイワイ百年夢会議とスタッフの紹介などをする。夢会議は、役所の方や自営業の方など様々な方が参加しているようである。何よりもすごいなと思ったのは、まだまだ若い学生が参加してるということ。大学があるまちというのはやはりいいものである。バスの時間は長いので、他にもいろいろと話をしてくださる。最初は名桜大学の方の那覇のまちの話。那覇は港町である那覇と王城である首里がもとになって発展したまちであるが、首里王朝時代にまちを大きく見せるために道などが作られ、それが現在にもよくわかるように残っているそうである。中国や日本の使節がやってきたとき、那覇の港に着き、そして首里に向かうのであるが、まちを広く見せるために道を広く作り、かつ距離があるように思わせるように、道を曲がりくねって作り、丘を設けてアップダウンをつけることで、距離感を出す。さらに首里城自体は少し低いところに作り、展望して港までの距離を測ることをしにくくする。昔の首里の人の独力のしかたがよくわかる。非常に解りやすい説明で、楽しく話しを聞くことができる。
 少ししたところで、中城のパーキングエリアでトイレ休憩。バスを降りて看板の地図などを見ていると後ろから声をかけられる。振り向くと、この大会のために先週、奈良までいろいろと話を聞きに着てくださった北部広域事務組合の方がいる。挨拶を交わして少し立ち話。先週お会いした印象では、非常に真面目な方だなといった感じだったが、地元ということもあるのか、あるいは迎える側として気を使ってくれているのか、非常に陽気に沖縄のことをいろいろと話してくれる。再びバスに乗り込んだ後は、今度はバスガイド役も変わり、沖縄方言の話などを聞かせてくれる。基本的に沖縄方言は3母音で、「え」は「い」に、「お」は「う」に移動する。だから、僕たちがこれから向かう名護は方言的には「なぐ」と発音される。高速を降りてその名護のまちに近づいたところで、再び最初の名桜大の方に変わり、名護のまちについて話をして下される。名護の地名の由来は、「なごむ」から来ているという説があるそうで、確かに名護の海は穏やかで美しい。名護のまちは漁港で多くの人が海人(うみんちゅ)と言われる漁師で生計を立てていたそうである。ピトゥと呼ばれるくじらの漁が昔は盛んであったそうである。非常に面白く思ったのは、海に地名がついているという話。もちろん名護湾ぐらいの大きさで地名があるのなら、違和感はない。しかし、話によると非常に細かな地区ごとに字名がついているそうである。どういった目印でどういう風に地名をつけているといった説明まではなかったが、昔の名護の人たちが海を愛し、海とともに生きてきた証なのだろう。
 名護につくと先ずはホテルにチェックイン。その後すぐに再集合してまちなかウォークに出発。名護にはまちのシンボルである「ピンプンガジュマル」と呼ばれる大木がある。非常に立派な木で国指定天然記念物でもある。ガジュマルはクワ科の常緑高木で、他の木の周りに寄生するように成長し、「絞め殺し」といわれ、親木を絞めていくように成長する生命力の強い木だそうである。「ひんぷん」とは屋敷の門と母屋の間にある屏風状の塀のことで、近くにある石碑がひんぷんのように見えることから、この木が「ピンプンガジュマル」と呼ばれるようになったそうである(名護方言で「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」に変化することがおおいそうである)。そのピンプンガジュマルのすぐ横の広場には、程順則、徳田球一、宮城与徳といった名護を代表する3人の偉人の像や碑があり、まさしくこの場所が名護のシンボルとなる場所なのであろう。
 そこを出発した後、名護のまちなかにあるいろいろな変わった木などを中心に見ながら、名護の町を歩く。沖縄の家は、赤瓦の屋根やどが有名であるが、驚いたことに、名護ではセメントで、屋根を作ることが多いようである。セメントで瓦様の形に屋根が作られてるのである。また、さすがに沖縄らしく、多くの家がシーサーを屋根や門に飾っている。やはりまちの雰囲気は本土とは随分と違うなという気がする。途中、商店街や市場なども通り、繁華街の雰囲気もそれなりに感じることができる。商店街はやはりシャッターを下ろしてしまっているところも多く、どこのまちも抱えている問題は似たようなもののようだ。
 そしてその後、夢会議の人たちの取り組みのひとつである「大西トンネル美術館」に行き、その様子をみる。トンネルの両側にまちの人々の描いた絵がかけられており、なかなか素敵に仕上がっている。その取り組みは大変だったろうと思うが、落書きの対策としては、非常に成功している例の一つだろう。
 そして最後の到着地点が、泡盛の製造所である津嘉山酒造所。この建物は沖縄で唯一戦前から残る木造の酒造所で、「津嘉山酒屋保存の会」が作られ、その建物の保存に乗り出しているそうである。その建物や外壁すべてを文化財に登録し、老朽化に対して、補修などを行っているようである。沖縄の建築は本土とはやはり少し違い、壁に漆喰などは使わないそうだが、この建物は漆喰を使っている。また、床の間には沖縄では古酒の酒壷を飾るのが普通らしく、ここでもしっかり立派な壷が飾ってあった。説明を聞いた後は、実際に酒造りの現場である工場を見学する。さすがに古い建物であり、工場といっても非常に小さいもの。杜氏さんの話を聞きながら、各工程を見て回る。泡盛の原料はタイ米であるが、昔、日本米でもためしてみたらしい。しかし、やはりうまくできず、タイ米を使うらしい。この違いがやはり、焼酎との大きな違いなのだろう。あの独特の匂いが、窯のふたを開けただけでにおってくる。何週間かねかしたものと新しいものをかぎわけてみるが、やはり独特の匂いがあるものの、寝かしたものは非常にまろやかな感じになっている。
 そして、その後そのまま津嘉山酒造所の部屋で夕食会となる。料理の前に、泡盛の研究家の方の話があり、泡盛の歴史や特性などいろいろな話を聞くことができる。泡盛のルーツはシャム説が今までは有力だったそうだが、その人によると14世紀中期から16世紀にかけての大交易時代のことや、久米人の渡来の話を考えると、それ以外にもルーツを求めることができ、シャム説にこだわって考える必要はないのではとのことである。時代を特定することも難しいらしいが、17世紀の資料には泡盛という言葉自体は出てくるそうである。また、泡盛はタイ米と黒麹菌をつかって作られるのが特徴らしく、3年もの以上が古酒(クース)と呼ばれるらしい。仕次ぎと呼ばれる方法で甕を移し変えながら古酒を作るそうで、この方法による古酒作りは世界でもシェリー酒と泡盛だけだそうである。また、戦前までは200年もの300年ものの古酒もあったらしく、その凄さと同時に戦争による断絶の深さを感じてしまう。
 料理の方は夢会議のメンバーでもある近くのお店の女将が作った沖縄料理で、うみぶどう、ゴーヤー、ラフティー、ミミガー、島らっきょうといった沖縄の食材がいろいろと出される。もちろん出されるお酒は、津嘉山酒造の泡盛。新酒、3年ものの古酒、7年もの古酒といろいろと飲ましてもらうことができる。また、宴会には芸能が付き物であり、琉球舞踊や三線、琴、さらにはクラシックギターの演奏を聴くことができる。料理を食べ終わったところで、せっかくここに皆が集まったのだからということで、皆で甕に泡盛を入れ、古酒作りするという企画ある。そして古酒ができる3年後にまたここに来て、その古酒を味わおうという話。これでまた、このまちにこないといけない理由ができた。まぁ、酒が飲めるのなら何の問題もないので、嬉しい限り。そしてやはり、最後は皆で、カチャーシー。とにかく踊れとのことで皆で踊る。ただし、これはあくまでも中締めということで、ことあとは、そのまま場所を移して、夜なべ談義へと。
 夜なべ談義に移る途中、少し泡盛の話で気になることがあったので、先ほどの先生をつかまえて、質問をしてみる。質問の内容は、「沖縄には伝統的な醸造酒は存在しないのか」ということと、「泡盛以前は沖縄の人は何を飲んでいたのか」ということ。先生によると、やはり沖縄に蒸留酒のみで、一部祭りなどで使うことはあるそうだが、醸造酒は基本的にないとのこと。また、泡盛以前は口かみ酒があっただけだろうとのこと。結婚前の女性による口かみ酒であり、やはり神事におけるものだとの答え。となると泡盛以前は酒を飲む機会はごく限られていたという事になるのだろう。こんなにも酒の強い沖縄の人たちが酒なしで生活をするというのは、奇妙な感じもするが、面白いなぁと単純に思ってしまった。
 そして会場を夢会議の活動拠点となっている場所に移動して、夜なべ談義の開始。こういう常設の拠点があるというのは、非常にうらやましいことだ。会場には、オリオンビールのサーバーが置いてあり、セルフサービスでついで飲むことができる。もちろん泡盛も用意されているが、ビール好きの僕としては、ひたすらオリオンビールを飲んでしまう。ここでも沖縄太鼓が披露され、その後は自己紹介。で、あとはもう無礼講。各地から来た人たちといろいろな話をする。奈良からも僕の他に川上村から三人来ていていたりといろいろな出会いがある。話をほとんどすることができなかった人もいるが、いろいろな人と話ができ、なかなか楽しいひととき。また一番驚いたのは、地元参加で隣町の国頭村から来ていた人が、奥さんが高田の人らしく大和高田に来たことがあるといったこと。高田のローカルな話題なども出て、なかなかの偶然に驚いてしまう。とにかく話はひとところにとどまらず、気がつけば、もう深夜1時という時間。さすがに沖縄の夜といった感じで、やはりとりあえず、ここでカチャーシー。解散となるが、帰りに、もう少し飲みに行こうと傍にいた人から誘われて、地元の人を含めて5人ほどでスナックに飲みに行くことに。名護のまちは、結構元気なようで、この時間でも結構歩いてる人もいるし、スナック街も元気だ。結局、3時まで飲み、ホテルに帰り、そのままダウンしてしまう。(2006.2.10)
 第一分科会・二日目
  分科会二日目の朝は、8時半ロビー集合。7時半に目覚ましを合わせたつもりだったが、それには気づかずに、8時10分ごろに目が覚める。確実に酒が残っていると思ったが、そんなことは言ってられないので、飛び起きて、あわてて支度をする。荷物を散らかしたままになっていたので、急いで鞄に詰めて、部屋を出る。ちょうど8時半にロビーに着いたので、間に合ったと思ったが、まわりに分科会の人は誰もいない。よく見るとひとりだけコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる人がいたので、皆が遅れているのかなっと思ったが、実はそうでなく、皆はもうバスに乗り込んでいるとのこと。やっぱり一番遅かったかと思うと、あと二人まだ来ていないらしい。昨日、あの後飲みに言ったのは、地元の人を除けば、分科会参加者は僕を含め3人。いやな予感がしながら、バスに乗り込むと、やはり昨夜一緒に飲みにいった二人がまだ来ていなかった。あれだけ飲んだのだから仕方ないが、少し他の皆に申し訳ない気がした。まぁ、仕方ないと言うことで、とりあえず、予定のオリオンビールの工場見学に向かう。但し、向こうの都合で、工場の中を見学することはできなくなったらしく、紹介のビデオを見ながら、試飲ができるといった形になったそうだ。いきなりの向かい酒。ソフトドリンクも選ぶことが出来たのだが、どうしてもビールを選んでしまう。「二日酔いには向かい酒がいいよ」と冷やかされながらも、ビールを飲む。美味い。オリオンビールは沖縄ではダントツのシェアをもっているようで、アサヒビールと提携を組み、最近では、東京などの沖縄料理やにも出荷しているらしい。
 オリオンビール工場見学の後は、昨夜の夢会議の拠点に戻り、意見交換会。遅れた二人ともここで合流し、意見交換会開始。「大西トンネル美術館」「名護市街地活性化青年塾」「名桜大学生からみた名護中心市街地とまちづくり」といった三つの事例報告がなされる。大西トンネル美術館は昨日訪れたところで、素敵な場所だと思ったが、それに取り組みだしたいきさつや、これまでの努力がいろいろと紹介された。予想通り資金の問題などいろいろな障害があったようであるが、地元の高校生たちが協力し、トンネルの洗浄・塗装などを行い、2歳から85歳の人の作品が展示てれているそうである。二つ目の発表の青年塾は、まさしくまちづくりのために様々なことを行っているようである。ピンプンガジュマルのライトアップや、光文字の灯火、あるいは程順則などの郷土の英雄に光を当てたりと、様々な角度からまちづくりを考えているようである。中でもピンプンガジュマルについては「願多」といったキャラクターをつくり、広めているそうである。会場にも願多の人形が置かれており、他にもシールなどになって結構浸透しているそうだ。名護でキャンプを張っている北海道日本ハムファイターズの選手が、願多のシールを貼って試合をして七連勝したといった話もあり、願いを叶えてくれる愛嬌のあるキャラクターとして非常に成功してるようである。
 最初の二つの発表は、成功例・報告といった感じだったが、三つ目の発表は、どちらかと言うと問題点の指摘といった発表。発表者は昨年高田に来てくれていたバスの中でガイドをしてくれた名桜大学の院生。院生らしくアンケート資料などに基づく発表だったが、主旨としては、学生がまちの中になかなかおりてこないということらしい。それを聞いて、僕としては非常に不思議な感じがした。学生とは本来まちに住むもの。よっぽど立地条件の悪い大学でもない限り、普通なら学生はまちに遊びに出かけるし、交流する場はある筈だ。キャンパスに閉じこもってしっかりと勉学に励む学生などいるかいないか分からないぐらいの割合の筈だし、サークル活動に打ち込んでいる学生だって、ずっとキャンパスにいるわけではない。もちろんまちづくりの団体などに積極的に関わっていこうという学生はそんなにいるとは思わないが、それなりに触れ合う機会がある筈で、そこからいろいろなものが生まれてくる筈だと思う。しかし実際、分科会には名桜大の学生も手伝いで参加していたが、彼ら自身が「まちのひとたちと触れ合う機会が少なく、もっと積極的に関わっていきたい」という風に述べたりしていた。いったい名桜大とはどんな雰囲気の持った大学なのだろうか。もし学生が本当にキャンパスに閉じこもっているのならば、こちらから大学に出かけるしかない。大学はそれなりに開かれた場所だから、こちらから出向くことも可能だと思う。あるいは、発表者の彼女のような立場の人か積極的に学生に声をかけるものいいことだろう。実際、彼女はこうしてたくさんの学生をこの場に連れてきてるし、こうして参加することによってまちづくりに興味を持ちようになって来ている。こうしたつながりを続けていけば、彼女の不安などはすぐになくなるのではないかと思う。あるいは、逆に彼女が学生に多くのことを期待しすぎているだけのことかも知れない。どちらにしろ、大学がまちにあるというのは、すばらしいことだ。そこに若者がいて、様々なことを考えている。それこそが今後の名護の力になっていくだろう。
 事例発表のあとは、簡単な意見交換。数人の参加者が質問や自分のふるさとでの取り組みの紹介などをする。時間があまりなく、まだまだ話したいい人もあっただろうが、そのあとすぐに昼食の会場に場所を移す。
 昼食の場所は、空き店舗活用事業『e-プラン』から生まれたEPSというお店。手作りによって内装などを仕上げたらしいが、なかなか素敵な雰囲気のお店になっている。日ごろはそば処として名護そばなどをだしているそうで、夜には酒も出し、100人ぐらいのパーティーもできるそうだ。なかなか本格的なしっかりとしたお店になっている。昼食でいただくのもはもちろん名護そば。ソーキそば発祥の地といわれるだけあって、独特の沖縄そばの麺の食感がなかなか美味しい。昼食を食べて雑談をしてるとあっという間に、お別れの時間がやってくる。何人かのひとは友人と合流するなどで、その場で別れるが、ほとんどの人が、那覇までの高速バスのバス停まで送ってもらい、そこで名護のまちお別れとなる。
 バス停に着くとバスの時間までに30分ほど時間があり、その間、すぐに横にたっている名護市役所の建物を見学して過ごす。省エネのために設計されたと言うその建物は、風が通り抜けて涼しくなるように作られたと言う。概観も非常に独特で、見た目からして涼しげに感じされる建物だ。沖縄らしく庁舎の南側にはシーサーが56個もおり、赤瓦とあわせて、沖縄らしい雰囲気もかもし出している。建物の上に登ることも出来、海なども眺めることが出来る。名護のまちを眺めながらこの二日間のことを少し考えてみる。名護のまちはなかなか素敵なところだった。ピンプンガジュマルというシンボルがあり、大学もある。そしてなによりも、古き建物を残す津嘉山酒造やオリオンビールといった美味しいお酒を作るところがある。あの古酒を飲みに来るのは、いつのことになるかは、まだわからないが、確実に僕はまたこのまちにやってくるだろう。なかなか有意義な名護の二日間であったと思う。(2006.2.11)
 
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