第4回高田夢まちウォーク「中世の城址を訪ねて」(講師:吉田栄治郎氏) |
| 大和高田には中世の環濠集落の跡が何ヶ所か残っているが、今回は、その中で有井・岡崎の環濠集落、さらには中世に当麻氏(高田氏)と勢力を競った万歳氏の居城あとを、中世史専門の吉田先生の解説を聞きながら、見てまわるという歴史ウォーク。といっても話は中世だけにとどまらず、古代、あるいは近世へといろいろとところでとんでいく。高田の西部である磐園・陸西といった地域を中心としてあまり知られていない歴史の話が多かったが、非常に内容の盛りだくさんなウォークとなった。 当日は、天気にも恵まれ、参加者も多く、なかなかの成功といった感じ。集合は高田の中央公民館。最初に簡単に先生の方から今日まわるところのポイントの説明があった後、ウォークの開始。先ずは、有井の二重環濠へ。その中心にある正行寺は中世の高田氏の出城のような関係であり、高田の本家は滅んだもののこちらの血筋は現在まで続いているとのこと。続いては万歳城跡。といっても、こちらは現在では正確に何処にあったのかはわかっていない。名倉北池という池がのあり、そのあたりにあったのだろうという程度。その池の堤防に登り、万歳氏についての説明を聞く。非常に興味深かったのは、法隆寺大工の系譜を引く、江戸幕府の大工頭であった中井正清が万歳氏とつながりがあったという話。正確な居城跡がわからなくなるほどに綺麗に滅んでしまった万歳氏ではあるが、中井家につながるというのは、それなりに中世に勢力があったことを感じさせる。意外なところに予想外の歴史が潜んでいることに思わずワクワクとしてしまう。その後、途中、市場の被差別部落の近くをとおり、最近吉田先生が取り組んでいる問題である関係もあり、そのあたりの説明も詳しく聞くこともできた。被差別部落でありながら、比較的裕福であったその部落は今回のテーマから外れるものの非常に興味深い地域である。その後、今回のメインとも言える岡崎へ。岡崎は、この春に夢咲塾で出したまちづくり雑誌『どりいむ7号』でも採りあげており、このウォークをするにあたって基礎になった場所。高田という地名が一番古くに登場するのは『日本書紀』にある「高田丘」という記述で、それがこの岡崎の岡崎稲荷のあたりのことだと言われている。すなわち高田の故郷にあたる地域であるといえる。中世には岡崎城として環濠集落となり、勢力を振るっていた。その環濠は小さくはなってはいるけれど、現在にも残っている。岡崎の集落はその周りはすべて市場という集落であるという非常に珍しい土地。非常に小さい集落でありながら、周りにのみこまれずに存在し続けたのは非常に不思議でもあり、逆にいうとそれだけの力があったということなのだろう。古い家も残り、このあたり一体を公園として整備し、高田の古代を感じることができるよな地域にすることができれば、非常にステキなことだろう。そして最後に昔の高田の町と隣村である大中の境にある大中請所と呼ばれた地域あたりを歩いて、公民館へと戻る。請所とは町場の拡大とともに隣接の村の一部が町側の預かりとなり、年貢などを一括して納めた地域のことだそうだ。そのういった地域を巡ることで町の拡大のあとを知ることができ、非常に面白い場所であるといえる。 今回のテーマは中世ということであったが、吉田先生の話は非常に多彩で古代から近世に至るまで様々なことに焦点があてられた。あまり知られていない歴史も多く、ゆっくりと歩いてみることの意味がよく感じられるウォークになったと思う。小さな高田のまちのさらに小さな地域を歩くだけでこんなにも多くの興味深い話が埋もれている。見知らぬ町も、そしてよく知った町でさえも、まだまだ歩く必要があるんだと、しみじみと思わせる一日であった。(2005.10.30) |