第5回夢咲まちづくりセミナー&座談会(ゲスト、大原由紀夫) |
| 今回のゲストの大原氏は中学校教師、演劇プロデューサーなどの経歴をもち、現在は歴史作家として活躍しているという異色の人物。現在は東京に在住だが、以前には高田にも6年余り住んでいたことがあり、高田、あるいは奈良県の歴史にも非常に詳しい方である。今回の企画は、特に高田の郷土史家であった堀江彦三郎氏の話を中心に大和高田の歴史を語ってもういうもの。堀江彦三郎氏は1990年になくなられているが、郷土史家として大和高田市史の変遷にも携わり、また『高田の星』をはじめ多くの高田の歴史の本を残しておられる方。また、講演の後には、堀江彦三郎氏が残された「高田郷土文庫」の見学もあり、高田の歴史を考え直すには非常にいい機会であったと思う。 さすがに歴史をテーマにするとそれなりに人は集めることはできるようで、講演自体は50人以上の人が集まり、基本的には成功といった感じであると思う。しかし、問題はこれをいかにまちづくりにつなげて行くかということであり、それには集まった人たちが、年配の方ばかりであったということこそが問題なのであろう。若い人たちに高田の歴史を伝えていく、それこそが重要であり、語ることによって共同体としての高田市のあり方が、見えてくるのだと思う。もちろんそれは歴史だけには限らない。ゴミ問題や交通の問題といった身近な問題から政治のあり方まで、高田についての様々なことを語ること、そして語る場を作ることこそが必要なのだろう。 講演の内容は、片塩浮孔宮や式内社多久豆玉神社などの高田の歴史の紹介などから始まり、話はいろいろな方向へと飛び火する。大原氏の歴史の見方の基本には地名に関するこだわりがあるようである。例えば古代の街道である横大路。現在では「よこおおじ」と読む人が多くなったが、よこうち商店街にその名をとどめるように、古くは高田では「よこうち」と読まれた。大原氏は古くからの地名を大切にしる必要があり、それを読み解くことによって歴史を知ることができるという立場のようである。確かに教科書的な漢字の読み方などは郷土史においては何の意味もなさない。人々がそれをどう呼んだかこそが大事で、どういう文字を当てたかは二次的なものでしかない。文字よりも発音が優位にあるのは、少なくとも地方史においては大切なことであろう。しかし、個人的に違和感を感じてしまうことは、その対応があまりにも原理原則的過ぎするということ。マスメディア、あるいは教育によって、地域で語り継がれる状況は大きく変化をしている。その地方独特の読み方などが、変化して行くこともまた見つめる必要があると思う。現代社会が、話し言葉優位の社会から、書き言葉(文字)優位の社会に変化したということもまた重要であろう。おそらくそれは未来に向かっていかに歴史を語るかということ。確かに地域での呼び方を大切にする必要があると思う。しかし、その呼び方に矯正する必要はないだろう。もちろん大原氏は、本来はこう読む「べき」だと語ったわけではない。しかし大原氏の地名へのこだわり、特に古代地名へ結び付けて考える傾向があるようだが、そのこだわりをよく理解できる分、歴史の語りが現在への縛りになってはいけないと思ってしまう。それはまちづくりの文脈で言うならば、過去の繁栄への回帰が目指す場所ではないということ。歴史を無視するのではなく、歴史を知った上で、未来を見つめるということ。なにげない大原氏の言葉には、その表層以上に考えさせられることがあったような気がする。(2003.11.29) |