おかげ祭り |
| 今月は特に夢咲塾としてのイベントはありませんでしたが、高田の秋祭りである「おかげ祭り」におかげどころというものを出し、夢咲塾として祭りに参加するという形です。 おかげ祭りは、もともと高田にあった神社の秋祭りに、数年前に行政がてこ入れをして「おかげ祭り」命名したもの。まさしく「神なき時代の祭り」で、高田にある天神橋商店街・本郷通り、片塩商店街といいった商店街を中心にいろいろなイベントが行われる。但し、神が全くいなくなったかというと、決してそうではなく、古くからあるだんじりが出て町をまわるので、昔からの祭りの雰囲気もわずかながら残っている。10年ぐらい前に古くからあった「宮元」という名のだんじりがなくなり、少し淋しく思っていたが、数年前に「大和だんじり保存会」として新しいだんじりが加わる。「大和だんじり」は岸和田からだんじりを購入したこともあり、引き方も伝統的な高田の引き方ではなく、岸和田流。高田のだんじりは現在ものこる「本町」などのだんじりに見られるように、勢いよく走るのではなく、お囃子にあわせてゆっくりと引いて行く。太鼓と鐘とお囃子が聞こえてくると幼い頃はワクワクしたものだ。今年からはもうひとつのだんじり「市町」が「高田だんじり保存会」と名称を変えたらしく、掛け声も、「いちまちいちまち・・・」というものから「たかだたかだ・・・」と変わっていて少し驚き。現在の町名には残っていない伝統地名である「市町」の名がここでも失われたことに少し寂しく思う。 祭りは、天神橋・本郷エリアと片塩エリアに分かれており、今年から「おかげ祭り」に本格的に参加することになった本郷通に、おかげの発祥となった「おかげ絵馬」の写真を飾る「おかげどころ」をもうけ、夢咲塾はそこの手伝い。「おかげ」とは施行のことで、伊勢街道沿いにある宿場町の機能もはたしていた高田は、お伊勢参りに行く人々にいろいろな施しをしたのが始まり。「おかげ絵馬」自体は大和高田市にある唯一の式内社ではある竜王宮(石園坐多久虫玉神社)に奉納させたもの。「おかげおどり」なるものも考案され、その踊りでパレードする行事もある。 本郷通りでは、初日12日には、「お七うどん」と銘をうち、七種類の具の入ったうどんを安く販売をする。お七とは、かの有名な「八百屋お七」のことで、高田の本郷には、お七が本郷の人であったという伝承があり、近くのお寺には墓も残っている。そのお七から名をとった「お七うどん」は予想以上に評判で、昼過ぎには完売してしまう。初日の夜には本郷通りにある唯心院、佛願寺、キリスト教会、中央温泉といって古くからある建物をライトアップ。二日目の13日は佛願寺でのバザーや片塩小学校金管クラブによるマーティング演奏、さらにはスタンプラリーなどの行事があり、本郷通としては、予想以上の人出で、とりあえず成功といったところか。もちろん「おかげ祭り」自体は本郷通り以外でもいろいろな行事が行われているが、そちらに関しては、足を運ぶ時間がなかったので、どれぐらい盛り上がったのかは判らないが、初参加の本郷どおりは十分の成果があったといえるだろう。ただし、問題はこれは「祭り」でしかないということ。寂れてしまった昔の商店街に住む人々が、どうやってこの街で生きて行くかを考えることが、本当に必要なことだろう。そして、そのきっかけがこの祭りであったなら、それで初めて成功と言えるのだろう。(2003.10.12〜13) |