第26回全国町並みゼミかしはら・今井大会 第11分会・高田会場「町並みとまちづくり」 第4回夢咲まちづくりセミナー&座談会(コーディネーター、片寄俊秀) |
| 今回は全国町並みゼミの一分会として、まちづくりセミナーを開くという少し変則な形。町並みゼミ自体は三日間あり、初日はかしはら万葉ホールでの開会セレモニー。基調講演や奈良県指定無形文化財の国栖奏、そして各地からの報告などがある。こちらにも参加したが、基調講演は正直何を主張したいのかよくわらないだらだらとしたお話でしかない。国栖奏は民俗学としても非常に興味あるところたが、やはり舞台の上で演奏よりは、やはり神社の境内でされるべきものであろう。見世物として加工されたものではないので、舞台の上ではその意味合いを見出しにくいだろう。各地からの報告は時間の制限もあり、上手く表現しきれないものばかり。全体の輪郭がつかめずに面白みを見出す手前で終わってしまうという感じ。まぁ、初日は序章といった感じであくまでも概論程度のものであろう。 そして二日目。本番の分会のある日。当日は朝から今井での高田分会参加者の受け付け。その後、午前中は、高田分会の参加者とともに今井の街を散策。学生のボランティアで参加した人たちとも一緒で、各地から参加している人たちと話をしながら、街を見てまわる。今井の街は当然何度も歩いたことがあるが、古い町並みが好きな人たちと歩くのは、どんなところに反応するかなども見ることができ、非常に面白くまわることができる。 その後、昼食に弁当を食べてから、参加者を連れて、会場の高田へ。あいにくの雨で、高田の町並みをゆっくりと見てもらうことはできなかったのが、少し断念。会場の専立寺に入り、パネルトーク開始。コーディネーターは関学の片寄俊秀先生。パネラーとして御所新町世話人代表山本陽一氏、高取むげん塾会長的場照之氏、港まち神戸を愛する会天川佳美氏と夢咲塾から代表の中山雅子といったメンバー。片寄先生から出されたテーマは「いまひとつパッとしない町のまちづくり」。言いえて妙であり、最初に出された「だいたいパッとする必要があるのか」という問いかけには非常に重要な意味があるだろう。そもそもパッとするとはどういう意味なのか。あるいは、何のためにまちづくりをしようとしているか。夢咲塾自体は非常にバラバラな団体であると思う。非常に小さな町にも関わらず、住んでいる場所や自分の仕事や立場の違いによって、それぞれの理想の高田はおそらく食い違いを見せる。でもそれがかえっていいのかもしれないと思う。各自の抱く高田を愛する気持ちが原点だ。「パッとする」とはおそらく「愛することができる」だろう。僕らは高田に生まれ育ったから、あるいは高田に住んでいるから高田を愛している。そして、だからこそ他の人たちにも高田を愛してもらいたいのだ。それがおそらくパッとするということ。高田を愛する人を増やしたい。ここでは目指すべき具体的な姿が違うことなど瑣末な問題だ。 片寄先生の話は、その後、パッとしない町がパッとして例を紹介し、さらには陸前高田・豊後高田などの他の高田市との交流を提案する。そして結局、話のまとめは「ほどほどのまちづくり」。「ほどほど」とはおそらく、消費され尽くさないということ。ブームではなく、長く愛させる町。具体的な方策はなくても心構えがそこにはある。片寄先生の話術もあってか非常に面白いと思ってしまう。その他のパネラーの話は、時間の問題もあり、パネルディスカッションとは言い難い、報告程度に終わってしまったが、少なくとも片寄先生の話だげても、それなりに成功ではなかった化と思ってしまう。愛することそれが原点であることを確認できればそれだけでも意味がある。 分会の後は、懇親会。奈良には美味しいものがないといわれるが、それでも精一杯のもてなしをする。地酒・地ビール。あるいは高田を愛してくれるミュージシャン脇秀樹の歌と、場は非常に盛り上がったといえるだろう。遠くから来てくれた人たちに、高田を愛してもらうために、それなりのことはできたのではないだろうか。此処で出会ったのが、幸いだ。今度は彼らの住む町を訪れたいと思う。(2003.09.20) |