夢咲塾イベント 2003年7月
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第2回夢咲まちづくりセミナー&座談会(ゲスト、矢部章)
  今回のゲストの矢部氏を僕自身は知らなかったのだが、大和高田にあるさざんかホールの前館長で、現在は関西舞台文化懇話会理事長をしているらしい。出身は大阪の船場。読売テレビで、番組制作に関わってきた人で、よみうりホールのホール部長をしていたこともあるそうだ。大阪というそれなりの中心地で文化を発信してきた人で、大和高田にもかかわりがある人物が、一体大和高田をどのように見ているのかが非常に気になるところ。座談会としては、さざんかホールの館長をしていたということもあってか、「劇場プロデュースを通してのまちづくり」という題で、劇場、あるいはイベントあり方を考えるという企画。ただしここでいう劇場とはホールなどの具体的な建物としてのハコだけではなく、さまざまなパフォーマンス、イベントを行う空間で、ストリートや広場といった野外を含む。そういった劇場をうまくプロデュースしていくこと、つまりまちづくりの団体らしくそこに人が集まることを考えていきたいというわけである。人が集まるとはどういうことか。何故人は集まるのか。しいては、何故まちができるのか。
 座談会の前半は、矢部氏に歩いてきた人生を振り返り語ってもらい、ものづくり、文化のあり方を考えるというもの。しかし、矢部氏の流暢なしゃべりにより、とりとめもなく話はどんどんと拡がっていき、なかなかものづくりのあり方といった本質的な話になってこない。矢部氏自身は『梁塵秘集』の有名な「あそびをせんやとうまれけん」の一節などを紹介しながら、マニュアルよりも遊び心をと主張していたが、それが間違っているとは思わないが、そこからさらに踏み込んだ何かを聞くことは、結局出来なかった。
 そして、後半。前半の時間が押したせいで、時間が十分にとれなかったが、後半は具体的に大和高田で何ができるかという話。それなりに具体性があり、前半よりは面白く聞くことができた。矢部氏から発せられる高田の話は、結構否定的なことばかり。といっても、決して的外れではなく、それなりに正しい。少なくとも高田の歴史から何かをひらって劇場プロデュースみたいなものに還元していくというのは、インパクトがどうしても弱くなるのは仕方ないことだろう。問題は、だったらどういった劇場都市がありえるのかということだが、結局、それは時間が足らないこともあり、語られることはなかった。一つ重要な矢部氏の指摘は、高田市自体が高田駅と高田市駅という二つの場所を中心とする2極化に陥っていて、なにをするにも難しさがあるということ。この2極化は日頃から僕自身も感じていたことだが、これは交通というキーワードで考えていくことが必要だろう。分散されているものをいかにつなぐか。二つをつなぐ交通はどうすればありえるのか。しかし、逆にその交通の流れを作るためにこそ、ストリート的な劇場を考えていく必要があるのではないだろうか。劇場という問題意識は、交通にもリンクされる。高田のストリートには誰がいるのだろうか。ストリートにいる人々は何を望むのだろうか。
 そしてさらには世代間の乖離の問題。矢部氏は誰も彼もを相手するのではなくターゲットを絞るしかないと発言する。確かに、誰もが参加できる劇をプロデュースするのは難しい。奇しくも矢部氏は高田の天神まつりのような皆が参加するものと言った。しかし、その天神まつりにすら、どれだけの大学生が来るのだろうか。やはりこの町には若者はいない。誰が何処にいるのか、何処に行こうとしているかを考えなければいけない。
 どうも問題点の指摘という否定的なことばかりで始終していまったような座談会だったが、逆にいうと考えるべきことが見えてきたというべきではないだろうか。まだまだ高田の知らないことが多すぎるようだ。 (2003.07.26)
 
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