過去の旅 2003年1月
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三河3・3・SUNフリーきっぷの旅(1/12〜1/13)
 久しぶりの電車での旅行です。といってももちろん折りたたみの自転車を持ち、現地では自転車で走るのですが。とにかく、電車の旅。今回は昨年の夏に一度使い味をしめた南海・近鉄・名鉄乗り放題の3・3・SUNフリーきっぷ。最初は正月だしお勢さんにでも行こうかと思っていたのですが、せっかくのフリー切符、もう少し遠くまで行かないともったいないし、知らないところに行きたいと思い、3時間ほど電車に揺られ豊田市にやってきました。
 豊田市
   豊田はもちろんはじめてくる街。大企業トヨタの街としてのイメージしか持ち合わせていなかったのが、果たしてどんな街なのか。期待をしながら街を見てまわる。先ずはいつも通り趣味の神社を巡る。小さな神社を二つとこの地域では有名大社である猿投神社による。市街地からは少し離れているが、三河の明峰猿投山の山麓にある神社は非常に立派で、古代からの聖地であることがよくわかる。県の無形民俗文化財に指定されている棒ノ手の奉納などの神事もあり、現在でも広く信仰されているようである。
 市街地に戻り街をゆっくりと見てまわる。豊田市郷土資料館を見つけたので入ってみる。無料解放されており、豊田市の簡単な歴史などが紹介されている程度だが、ここで豊田市の中心地である挙母はもともと城下町であったという事実を知る。トヨタ工場の誘致により発展していった街としか認識していなかったぶん、非常に驚きであった。と同時に何故もっと城下町であることを主張しないのかという疑問も沸き起こる。とにかく城跡を見なければと思い、資料館を出る。城跡は2ヶ所。江戸時代初期の矢作川に近い衣城(桜城)の跡と内藤氏が入封してから水害のために遷された少し山の手にある城。ちなみに内藤氏になってから藩名が衣藩から挙母藩に字が変更されたそうである。前者は街中にぽつんと石垣が残るだけで、城跡の雰囲気は全くない。後者は現在は隅櫓が残るだけで、豊田市美術館などが建っている。美術館は無機質な感じのする建物で、展示も近代美術を中心としている。結局、非常に無機質な感じがする街という思いが、拭い去れない。城下町挙母藩の記憶はほとんど消えているようだ。
 最後に矢作川の向こうにそびえるトヨタスタジアムに足を運ぶ。グランパスのショップがあり、中に入ることが出来る。客席がグランドに近い。おそらく臨場感あふれるプレーがみれるいいスタジアムだ。このスタジアムも矢作川にかかる橋も外見はある意味無機質だが、このスタジアムがあるならと思う。そして河川敷。この日、朝からは市の主催で凧揚げ大会が行われていたらしい。残って凧揚げをしている者やあるいはサッカーや野球で遊ぶ子どもや家族連れ、若者たち。ここには人々が集まる。この空間があるのなら、この街の人々は幸せだと思ってしまった。
 もう豊田から離れようかと思って駅に向かう途中、気になる名前の店を見つけ、ふらりと入ってみる。大将は根っからの地元の人らしく酒を飲みながら色々な話を聞かせてもらう。「豊田は一応城下町なんですね」という問いかけには、「旧挙母市の小さな部分だけですから」と、そういったアイデンティティーはないようだった。大将は「豊田にはたいして見るところはないですから」と言う。でもやはり、自分のふるさとである豊田を本当に愛しているようだった。近くの山に茸を取りに行く話、将来何処かの山で農業をしながら自給自足に近い生活をしたいといった話などを近所の常連客などを交えて楽しい時間を過ごすことができる。この店のおかげで、少し豊田の町が好きになる。
 大将がこの時間から泊まれるところは豊田にはないよというので、とりあえず名古屋まで戻り、名古屋泊。そして早朝に出発し、再び三河地方へ。今度は吉良町に行く。
 吉良町
   特に吉良の何処を見ようという気はなく、単に神社を一つよるつもりで吉良にやってきたのだが、吉良町歴史民俗資料館に入ってみると、学芸員の方が丁寧に吉良町の見所を地図で示しながら教えてくれ、せっかくだから教えられた所を見て回ろうという気になる。彼の何がよかったかというと、おそらく言葉。地元の方言が心地よく響く。何処の町でも代わり映えしない民俗資料館もこうして地の言葉で語りかけられると素敵に思える。考えてみれば、民俗学なのだからそこに地元の語りがあるのは当然だ。ただ民具や写真を展示するだけではなく、それらをいかす語りが必要なのではと思う。
 とにかく資料館を出て彼の言う「吉良の見どころ」をまわってみる。正法寺古墳、江戸時代の大地主の邸宅であった旧糟谷邸、尾崎士郎記念館、国宝金蓮寺阿弥陀堂、東条城などなど。吉良といって思い出すのはやはり吉良上野介。忠臣蔵では悪役の吉良もここでは善政をする立派な殿様。吉良上野介の築いた黄金堤と呼ばれる堤防も残っている。その吉良高家の祖に当たるのが東条吉良で、中世東条城に居を構えたらしい。知らなかったのは、吉良には東条吉良と西条吉良があったということ。西条は現在の西尾市になるそうだが、東西ともに家康によって滅ぼされ、吉良高家はその後東条が再興されたものらしい。足利から連なる名家もそれなりにいろいろとあったのだとあらためて思う。とにかく、東条城からの眺めは心地よく、長閑な吉良の町はなかなか楽しい。昨日の豊田とは全く違った感覚が満足をさせる。
 蒲郡市
   吉良を後にし、蒲郡市にやってくる。とりあえず自転車で街を見てまわるが、いまいち見るべきものがない。蒲郡と言って思い出すのは、競艇ぐらい。生命の海科学館やあるいは海辺の文学記念館があり、さらにはアメリカズ杯の基地が蒲郡にあったことを知り、基本は海の町なんだなと思う。と言っても漁業の町ではないようで、一体いつごろどのように発展してきたかはわからずじまい。駅からは少し離れた竹島の方にも行きたかったが、もう夕方になってしまい、蒲郡の町を理解できないまま、後ろ髪を引かれる思いで後にする。
 そしてあとはもう帰路につくだけ。本当はもう一泊してもいいのだが、疲れているので、家に帰りゆっくりと休むことを選択。蒲郡にはもう一度来ないといけないなという思いだけが、残ってしまう。
 
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