学会聴講 2010年
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日本文化研究会AI 創設記念公開講演会(2010年12月19日、於同志社大学寧清館5F)
 

 近畿民俗学会に顔を出さなくなって久しい。忙しさにかまけて行かなくなり、足が遠のいたままで、誰かの発表を生で聞く機会も失われたままになってしまっている。また学会に参加していろいろな刺激がほしなぁと思っていたところ、夢咲塾で白拍子舞の先生としてお世話になっている村山左近先生から「新しい研究会を立ち上げるので良かったら聞きに来てください」と夢咲塾に話があり、これはいい機会と、早速出かけて話を聞いてきました。

 

基調講演 山内久司「日本人の失ったもの ―日本語と日本人の精神構造―」

 まず最初は、もと朝日放送のプロデューサーで必殺シリーズなどを手がけた山内久司さんの基調講演で、この会の立ち上げのいきさつなどの話。また会の名前にあるAIとは何ぞやということも話されました。日本文化研究会という名のものは日本中にはいて捨てるほどあり、基本的には区別するためにつけただけのものらしく、何の省略であってもいいらしいが、つけた山内さん本人としては「アンチイデオロギー」という風に意識したらしい。例として行き過ぎたフェニミズムをあげていたが、ひとつのイデオロギーからしかものを見ることが出来ないことを厳しく批判して、この会は何でもありの研究会にしたいとのこと。正直アンチイデオロギーといった仰々しい言い方はどうなんだろうかとは思うが、学問が自由であることは、何をおいても必要なことであろう。もちろんある種の型が必要であるというこも否定はしないが、自由な批判精神がないと学問でなくなると言ってもいいとおもう。会の始まりの基調講演でこういったことを声高に叫ぶことは、確かに意味のあることなんだろうと話を聞きながら思った。全体としては、いろいろなところに話が飛び、まとまった内容があるというわけではなかったが、この会のあり方を決める最初の言葉としてそれなりに楽しく聞くことが出来た。

 

鈴鹿千代乃「傀儡子芸の本質」

 傀儡子の本質はさすらうこと。簡単に話をまとめてしまうとそういうことになるだろう。もちろんこんな簡単にまとめてしまうと語弊もあるだろうが、確かにそのとおりだと思う。定住民的な発想ということになるのだろうが、定住民はさすらうことを媒介として神を考える。そして媒介者は芸能という形で、定住民との距離を保つ。傀儡子に限らず、芸能者は、ある種の徴付であり、ひとつの場に縛られることはなく、常に移動とう状態に身を置かねばならいなのだろう。また、話の冒頭では、一人の男性への愛を守り抜く女性とすべての男性を受け入れる二つのタイプの女性を紹介されていたが、これもまた、さすらうということの一形態なのだろう。妻という一般的な女性とは違うところに身を置くこと。そこにこそ意味があり、芸能の発生がそこにあると言えるのだろう。なかなか面白く話を聞くことができた。

 

白拍子舞 村山左近「島の千歳」

 題の島の千歳とは白拍子の元祖の名前。明治37年に作られた鳴り物の家元の襲名披露のための祝賀の曲であるらしい。踊りのことは正直分からないことだらけだが、学会の発表の間に、こうして白拍子舞がまわれるのは、なかなか面白いものだ。神社での奉納のように本来白拍子舞は神にささげた舞であろうが、ここに直接神がいるわけでもない。それでも何かしらこの場で神の存在を考えるならば、その神の目は、人々の目によって支えられているのではないかと思う。人は神を感じるために様々な工夫をする。日本文化を考えるという場には必要なものだといえるだろう。第二回でも「筑前琵琶」の演奏が行われるそうで、次回も期待をしたい。ちなみに、白拍子舞は、全国で様々な形で舞われていると思うが、現在、大和高田では、夢咲塾が村山先生とともに、高田の白拍子舞を育てて行こうとしている。あくまでもまちづくりの一環ということになるが、高田で舞うとうこと自体は、ある種の意味を持つだろう。「場」という問題が、芸能にはついて回るのではないかと思う。

 

丸山顕徳「日本文化の古層」

 題名は少したいそうだが、テーマは、始祖男女二伸のあり方。沖縄の文化・説話の中に日本の他の地域では見ることのできない形が残っているということで、先人の学者たちが唱えた説を鵜呑みにしてはいけないという話でもある。まぁ、ある種のイデオロギー(的なもの)批判ともいえるが、一つの枠の中でもかものを見ていないと、見えるものも見えないということだ。それでは、そこにある説話の意味を、多くの説話の中に埋もれさせて、理解できなくなってしまう。また、自分の足でしっかりと説話を集めることの意味を改めて感じることもできた。似たような話を集めて、ただ量だけが増えていくだけのようにも見えることがあるかもしれないが、そこには意味のある説話が埋もれていることもある。とにかく、しっかりと資料を読み解くことこそが重要で、改めて学問のあり方を考えさせられた。

 
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