学会聴講 2003年
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近畿民俗学会(第32回年次研究大会、2003年1月19日、於エール予備校)
 

 発表内容は以下の通りでした。


 研究発表
   原泰根「民族芸のにおけるつくりものの表象 −その意味するところ−」
   森成元「伝統文化の保護・保存について」
   本庄眞「『川と人々のくらし』の教育実践から」
   奥沢康正「きのこを副食とした地方のかかわり −きのこの方言から−」
   今木義法「奈義町滝本の面芝居」
   村井信美「ササラについて」
   大森惠子「盆踊りにおける歌舞伎の影響について−鈴木主水を中心として」
  公開講演
   村井市郎氏「河内音頭−その来歴と特色−」


 特に面白かったのは、やはり公開公演。河内音頭に関しては、学部の先輩が卒論にとりあげていたこともあり、少し興味があったのだが、少しの興味どころではなく、すぐに話しに引き込まれていく。話の途中に混ぜられる河内音頭の歌声が素晴らしく、それ自身が河内音頭の奥深さを示しているのだと思う。交野節や平野節と呼ばれる河内音頭の源流やLP販売された鉄砲節、さらには現在の洋楽器を取り入れたものまで、大まかな歴史的な流れを知ることができ、さすがにその筋の第一人者といったところだ。もう少し自分に音楽に関する知識やセンスがあれば、もっと話が面白く聞けたのではないかと思う。微妙な節の違いが聞き分けれなくて、少し悔しく感じる。
 その他の研究発表で気を引いたものは、本庄眞「『川と人々のくらし』の教育実践から」と今木義法「奈義町滝本の面芝居」に大森惠子「盆踊りにおける歌舞伎の影響について−鈴木主水を中心として−」。本庄さんは題に「教育実践」あるように、小学校の教員で、子どもたちを連れて、環境問題を中心とした聞き取り調査を実践しているらしい。教育の問題として、教室での勉強だけでなく、自分で川の汚染程度を調べたりといった直接体験をすることは、問題への関心度を高めるために非常に有意義であるのは、言うまでもないが、特に重要なのは、民俗学としての子どもたちを連れた聞き取り調査であろう。市役所への調査をはじめ、地元の古老への聞き取り、さらにはダムに沈んだ町の人々に対する聞き取りなど、非常に多岐にわたる聞き取りを、子どもとともに進めることは非常に困難であると同時に、意味深いものだと思う。そこには世代を超えた「人とのかかわり」があり、それこそが、民俗学が考えるべき問題であると思う。
 今木さんの発表は面芝居と呼ばれるまさしく民俗芸能と呼ぶにふさわしい岡山県奈義町の芸能について。非常に素朴な手作りの面を会場で見せてもらったが、美としての芸術ではなく、民衆の生活の中から発生する民俗芸能の感覚をよく伝えていると思う。問題は、その面芝居がすでにすたれてしまったものであるということと、再興への動きがあるということ。民俗の変容や町おこしなど多くの問題がそこにはあるのだろう。
 大森惠子さんは確か以前ひとつ論文を読んだことがあった筈で、どんな人だろうと密かに楽しみにしていた発表でした。非常に早口で迫力のある女性で、もちろん発表内容も非常に面白いものでした。盆踊りを固定的なものと見ずに、その変化を特に流行として捉え、何故流行したのかを考えることは確かに面白いと思う。また、盆踊りがレクリエーションとして変化していくことも、逆に宗教的に面白い話だと思う。

近畿民俗学会例会(2003年2月16日、於大阪歴史博物館2階第2会議室)
 

市川秀之「河内の餅なし正月」

 市川さんとは随分前に、偶然お会いしたことがあるのだが、具体的にどういう研究をしているかは知らなかったので、非常に楽しみでした。若手の研究家としてがんばっているなという印象があり、期待していました。表題をみて「餅なし正月」とあり、意外とオーソドックスなことをするのだなと単純に思ったのですが、どうもそれは僕の早とちりというか、いわゆる民俗学が扱ってきた餅なし正月とは少し違った話でした。もちろん餅なし正月は餅がない正月のことで、民俗学的に非常に多くの事例があることは、いうまでもありません。ポイントは農村地帯ではなく、河内という平野部の餅なし正月であるということ。市川さんの主張は、今まで言われてきたように、餅なし正月を畑作文化の中で語ったり、はるか縄文時代まで起源をさかのぼらすと、平野部における餅なし正月を捉えることが出来なのではと言うことで、18世紀後半にこの起源を求めたいという主張でした。市川さんが提示した河内の餅なし正月は、地域ごとどころか、家ごとにその風習は違い、特に、地主などの裕福な家の伝承であるとのことでした。また単に餅のある/なしではなく、もちを「つく・食べる・供える」と分類した上で、ある/なしを考えるべきだとのことでした。
 創られた伝統といってしまえば、あまりにも陳腐に聞こえてしまうのですが、社会変動の中で、旧慣保存というよりは、その家の地位を示すために、他と違いを示すために餅なし正月という習俗が生まれたのではという主張でした。すなわち米・餅といつた前提の上で、ある種都市的要素として生まれたのではないかということです。米に対するアンチテーゼとしての畑作文化があり続けたのではなく、もっと複合的であった。特に平野部においては、家意識や伝統を求める中で、そこに焦点が絞られ習俗になるという考え方です。
 餅なし正月というと単純に田舎の古い習俗であると考えていた僕には、非常に刺激的で、楽しかったのですが、同時に自分の不勉強にも恥じいりました。
 そして、発表の後の質疑応答も、原先生の資料の扱い方に就いての質問などなかなか興味深いやりとりがありました。また、市川さんの原型主義を否定する立場は、どうも他の人々には違和感があるようで、近世・近代の変化、あるいは都市の問題など民俗学がするべき課題は、まだまだあるような気がしました。

近畿民俗学会例会(2003年3月16日、於大阪歴史博物館2階第2会議室)
 

前野雅彦「南大河原の寒施行」

 南大河原とは京都府の南山城村の中心地。特にこの地域の寒施行が変わっているという別ではないのだろうが、特色としては黒住教の影響があるとのこと。寒施行に関しては基本的な知識すらなかったので、いまいちよくわからないところもあったのですが、基本的には施行というよりは、呪術儀礼なのであろう。この地域では、カミオロシなどもするようで、稲荷信仰に様々な民間信仰が重なっているようである。また、質疑応答で原先生が指摘された三角と丸、赤と黒というのは非常に面白い問題だろうと思いました。狐が三角で狸が丸。狐が赤で狸が黒。どういう意味があるのかはわからないが、形や色にたくされているものがあるのだろう。

福持昌之「豊満神社下之郷の「特殊神事」」

 特殊神事とは、神社固有の古伝祭祀を言う語で、あくまでも政治的な制度用語だそうだ。国家神道化されていない従来の神事をさす言葉で、決して特殊な行事ではないらしい。確かに誤解を招く言葉だと思う。しかし、逆にどうして未だに国家神道によって生まれた言葉で従来のものを指すようなことが行われているのだろうかと疑問にも思う。同時にそれに携わる人々はこの言葉をどう感じるのだろうかとも知りたくなる。
 まぁ、その辺りは置いておいて、初午の神社頭(びしゃとう)が、その特殊神事らしい。近世の資料が残っているのが、非常に価値があるようだ。基本的には春告祭らしくいが、愛知川の水利に関わる祭祀組織の問題も重要だと指摘されている。その辺りは今後の課題らしいが、こういった祭りから部落間の力関係を見ていくことも非常に重要なのだろう。非常に面白い発表だと思った。

近畿民俗学会例会(2003年6月15日、於大阪歴史博物館2階第2会議室)
 

和田光生「水と祭 −近江の井堰灌漑地域を事例として−」

 灌漑、水の問題は現在の感覚ではわからなくなってしまっているが、昔の人々にとっては死活問題であり、それを中心に民俗が形成されていったのであろう。用水の利用が生活サイクルに対応してるというのが、発表者の意見で、用水をせき止めての漁撈の話などは面白く思う。そこで取れた泥鰌と鯰で馴鮨をつくり神饌として神にささげられたそうだ。特に面白いと思ったのは、現在ではその漁撈も行われなくなり、神饌の魚は購入をするということ。その漁撈が行われていた日も現在では宮掃除の日に当てられているという。やはり水の重要性が変化していったということだろう。そしてその形が残るとき金銭によって代替される。文化の変容、価値観の変化。非常に面白いと思う。

柏原夫佐子「紙衣の話」

 古い知識の深さを純粋に感じることができる発表だったと思う。紙衣と言われてもピンっとこない世代からすると、まったく違う世界の話。紙衣をはじめ実際にいろいろな手作りのものを回してくださって、手にとって見ることが出来たのは、いい体験だ。単純な構図だが、大量生産に対して、手作りのもの。大量生産の商品に囲まれて生きているものにとっては、それだけで味わい深く、暖かさを感じてしまう。本当に単純に話し口や素朴な感覚が新鮮で楽しかった。

近畿民俗学会例会(2003年7月20日、於大阪歴史博物館2階第2会議室)
 

奥村隆彦「五来重『佛教と民俗学』佛教民俗第一号」

 発表者の奥村先生は。近畿民俗が活発に活動していた時期をしる人物で思い出話なども交えながら非常に面白い発表でした。五来重の佛教民俗学をトーバ(塔婆)を中心に解説。トーバの様々な種類の解説や、源流諸説の紹介と基本的なことを丁寧に説明してくださり、非常にわかりやすく聞けた。佛教民俗というときには、経典などにより仏教理論と庶民の持っていた仏教感との乖離が問題なのだろう。その点五来重が「日本佛教の創始者は庶民であった」と言っているのは、非常に重要なことなのだろう。仏教の研究となるとどうしても、経典をはじめとする文献資料に頼ってしまうのだろうが、この発表で取り上げられたトーバなどの物質資料をないがしろにするわけにはいかないだろう。物質文化の重要性を忘れてはいけないのだろう。

近畿民俗学会例会(2003年9月21日、於大阪歴史博物館2階第2会議室)
 

馬場寛「住吉大社『埴使』神事と米粒状土製品について」

 発表者の馬場さんは考古学出身ということで、民俗学とは少し違った視点からの発表。「米粒状土製品」という言葉ははじめて聞いたが、米粒程度の土で出来た小さな粒だが、非常に不思議なものだと思う。実物も見せてもらったが、これが住吉大社の神事のためにわざわざ畝火山口神社までとりに行くというのだから、一体何のために、こんなものを創るのかという疑問でいっぱいになる。しかしながら、発表の結論としては、実際は意図的に創られた製品ではなく、虫の糞であるらしい。発表自体は、民俗学出身ではないということもあり、これは一体何かということに始終していたが、そうするとかえって、虫の糞に意味を見たい出したことの理由が気にかかるとこである。神事としてどういった意味があるのか、非常に面白いテーマであると思う。

浦西勉「都祁水分神社のオコナイと秋祭りの資料から」

 民俗学というと、すぐに民俗調査を中心に考えてしまうが、文献資料読解の重要性を指摘する発表。宮座のあり方を4つの時期に分類した上で、中世から近世にかけての宮座のあり方を探ろうという試み。当然、そのうなると資料読解が重要であることは言うまでもないが、問題は、歴史研究との接続ということだろう。文献資料から見えてくること、逆に文献資料だけでは見えてこないこと。時の流れに鈍感な民俗学としては、民俗資料と文献資料を如何に組み合わせて行くかということが、問題となるのだろう。

近畿民俗学会例会(2003年10月19日、於大阪歴史博物館2階第2会議室)
 

石原悟「『作庭記』における禁忌について」

 『作庭記』は庭づくりに関しては基本文献になるのだろうが、やはり民俗学としてはさほど重要視してきた文献ではないだろう。そういった文献を民俗学的関心にひきつけながら読んで行くということは非常に重要なことだろう。特に石に関しては磐座・生石といった信仰の問題もあり、如何に石が扱われてきたかを考えるのは非常に大切だろう。まさしく神が宿るものあるいは霊そのものとして、石は特別な存在であろう。日常では見つけにくいものをこういった文献で確認して行くことは必要な作業であろう。

柏原夫佐子「災害の語り伝え」

 阪神大震災においても痛感したが、災害はライフヒストリーにおいて非常に重要なメルクマールになることは確かだろう。そしてそれはまさしく語り伝えるべきことだ。自分の人生において如何に重要なことであったかを語る必要があるだろう。で、そうなると同時にどう語り伝えるべきなのかが問題となる。例えば戦争の体験を私たち日本人は語り伝えることに失敗したのではないかという不安があるる。語る快楽がある話のみを消費するだけではいけないのだろう。語られた言葉を文字にすることだけが、民俗学の役目だとは思わない。如何に語るべきなのか、語りの現場に問いをなげかける必要もあるだろう。

近畿民俗学会第33回年次研究大会(2003年11月24日、於大阪歴史博物館4階第1研修室)
 

研究発表・公開講演は以下のとおりでした。

研究発表
 田野登「水と大阪をめぐる景観と民俗」
 奥山芳夫「近世における家島三ヶ浦の利権について」
 長谷川嘉和「近江竜王登拝行事について」
 森成元「南横山の笹踊りの復活について」
 定義夫「和泉市南横山の笹踊り」
 堀部るみ子「同族による先祖まつりと宮座」
 岩坂七雄「祭礼、宮座行事の現在」
公開講演
 小川直之「折口信夫と民俗学」

 いつもの例会とは違い一度に多くの発表を聞くことが出来る年次大会はそれなりにききごたえはある。「マチとムラの民俗の現在(いま)」とテーマがもうけられているが、どれだけそのテーマにあったものであるかは少し疑問だが、多くの人が集まり、様々な意見が交わされること自体に大きな意味があるのだろう。そしてやはり今回一番面白かったのは、公開講演の小川直之「折口信夫と民俗学」であったのは間違いないだろう。小川先生はちょうど30年前の第3回年次研究大会で発表して以来の30ぶりの近畿民俗での発表だそうだ。現在國學院大學折口博士記念古代研究所において、折口信夫に関する資料を整理・研究されているそうである。講演はその折口に関する貴重な資料などをスライドを交えて行われ、非常に面白く聞くことができる。講演の最初の方で、講演の題を「折口信夫と民俗学」にするべきか、「折口信夫の民俗学」にするべきかを悩んだとおっしゃられたが、これはまさしく講演の本質かかわる問題であろう。すなわちそれは折口が究極的に何をしようとしたかということであろう。折口の初期の作品である「三郷巷談」や「髭籠のはなし」を採りあげて、小川先生は話を進めて行く。これらの作品は、単に、民俗学という手法、すなわち文献学ではなく聞書きによる口承伝承をあつめたものではないという。多くの巷談をあつめることによって社会システムの解明、文化原理の究明という目的があったのだという。すなわち、あくまでも折口は民俗学をひとつの手法として取り入れたということができるのだろう。民俗学で何ができるかといった民俗学が最初にある思考ではない。その点は、柳田が民俗学の確立を目指していたのとは対照的であろう。また、小川先生は折口の特徴として三次元的発想を指摘する。折口の書いたスケッチとそのスケッチと同じ場所の写真をあわせて紹介することにより、折口の空間把握の能力がよくわかるように示される。確かに民俗学者にとっては、ないがしろにされがちかもしれないが、この空間把握能力は非常に大切であろう。人々が生活をしているその空間を描き出す大切さ。空間、あるいは物質といったものの大切さを改めて感じることが出来た。小川先生としてはまだまだ語り足りないことがあったように思われたが、とにかく折口を丁寧に呼んで行く必要性を感じる非常に楽しい講演でした。

近畿民俗学会例会(2003年12月21日、於大阪歴史博物館2階第2会議室)
 

原泰根「「エビス神」の信仰について」

 エビス信仰に関しては非常にたくさんの事例・報告があるので、それをまとめるのは非常に大変な作業だろう。多くの例をあげての報告で、二股大根の話などいろいろと知らないことがあり、基本的な知識がぬけていて、人文自身の勉強不足を感じてしまう。とにくか、こういった民俗学の基本のようなところをついてくる発表は非常に個人的にためになって楽しく聞くことができる。

伊藤廣之「淀川の川猟師」

 淀川で漁などというとそんな所でしているのかと不思議な感じがするのだが、現在でも何人かの人は行ってるらしい。そういった人、何人かからの聞き書きということで非常に面白い発表だった。漁の方法、占有、秘密の場など非常に興味をひく話が多くある。時代的な変遷、そして今後の継ぐものがいるかなどを考えると非常に重要で面白い研究だと思う。

 
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