「傷を見せてくれ」と言われて、サンジは戸惑いながらも、タカヤの父、
タイガに脇腹の傷口を晒した。

その傷を沈痛な面持ちでじっと見て、それからタイガはゾロにその面持ちと
同じ気持ちの篭った視線を送る。ゾロも酷く険しい顔をしていた。
(なんなんだよ、一体・・・?)
サンジは只ならぬ二人の表情と、父親にずっと取り縋ったままでずっと震えている
タカヤを見て、いい様のない不安に駆られる。
一体、自分の身にこれから何が起こると言うのか、二人は知っていて、
それを口に出すのに躊躇っている。そんな風に見えた。
(らしくもねえ、判る様にキッチリ話せってんだ)と強がって見ても、不安は拭えない。

「この刀でつけられた傷が治ったら、サンジは死ぬ」
「人を殺す事しか出来無エバケモノになっちまうんだ」とゾロは言った。

それは刀に操られていたゾロと一体なにが違うと言うのか。
ゾロは刀を手放せば、正気に戻った。だが、例の刀で傷つけられた人間が狂った時は
どうすれば正気に戻ると言うのか。

「バケモノってなんだよ」とサンジは、タイガとゾロに向かって、強い口調でそう尋ねる。
二人とも、じっと沈黙したまま、お互いの腹を探る様に視線を交わし合っているばかりだ。
その様子にイラつき、「刀に操られる事とどう違う・・」

「すまん、堪えてくれ、」とサンジの言葉が最後まで終らない内に、息子のタカヤを
突き飛ばして、ゾロの刀を目にも止まらぬ早さで手に取ったタイガがそう言って、抜き様にばかりのサンジの脇腹に再び、刃を一閃させた。
「うっっ!!」驚きと痛みで、サンジは咄嗟に声も出せない。
刀の走る煽りを食らって、無様に背中から甲板にぶっ倒れる。
が、目だけははっきりとゾロが、目をきつく閉じ、顔を逸らしていたのを捉えた。

(・・っえ?)斬られた痛みよりもゾロのその反応の方にサンジは驚く。
どんなに辛い事があろうと、決して目を逸らさず見据えて来たゾロが、現実から目を
逸らす様に、唇を噛み締め、顔を逸らしたのだ。
(なんでだ・・・っ?)
「なにするのよ、おじさん!?」慌てて、ナミがサンジに駆けより、抱き上げながら
怒鳴った。が、タイガはさっきと同じ、とても辛そうな表情を浮かべたまま、
「彼が」とタイガは目線だけでゾロをさし、「言っただろう、この刀でつけられた傷が
治ったら、バケモノになってしまう、と」と言った。

「だから、バケモノって」と聞き掛けたサンジは、はっと自分の体の違和感に気づいた。
痛みを感じたのはほんの数秒だ。今は痛みよりももっと違う感覚が傷口付近に強く感じる。

まるでそこに心臓があるかのような。自分の心臓の鼓動とは明らかに違う脈動。
「サンジ君、それって・・・」自分の傷口を見つめるナミの顔がみるみる青ざめて行く。

サンジの体を浸食するかのように、サンジの脇腹あたりの血管が皮膚を持ち上げるほどに
膨れ上がった。そしてそれはあっという間にサンジの半身に広がって行く。


「傷が浅いからだ」とゾロが搾り出すように呟いた。
「バケモノって、これが全身に広がるのか。傷が深ければ深いほど、呪いが達成されるまでの時間が稼げるって事かよ・・」サンジはおおよその事情が飲み込めてきた。

呪いを解く方法はない。

やっとルフィとウソップが帰って来て、これからどうすべきかを話し始めた時、
タイガはそう言った。
「どうしてそう言いきれるの?」とこの状況でもまだ冷静な口振りでロビンがそう
タイガに尋ねる。
「この剣とこんなところで出会うハメになったのも宿命なのかもしれん」と前置きし、
タイガは話し始めた。

この刀はもともと、私の国の者が作った。
ただ、ついほんの少し前、もうその国は滅んでしまったが、
その王に頼まれて作った、その王家を守り、未来永劫の平和を維持出来る様にと、
邪な念を跳ね返す為の「呪」を掛けた刀だった。

平和を守る為に、国を守る為に、民を守る為、と掛けたその「呪」は、
敵と見なした人間を殺す「呪」へと変わり、やがて、それが「人間を殺す」為の
「呪」へと形が変わってしまった。
どんなに離れた場所にいても、「呪」を掛けた巫女には、それが恐ろしい怨念の仕業だとわかったが、その時点で、もう何もかもが遅かった。
刀の所在はわからなくなり、その「呪」を解く事が出来る程の力を持つ巫女ももう
この世にはない。

そして、タイガはその刀の血塗られた歴史を全て語った。
最後の一人は、自分の首さえも掻き切って死んだ事も。
この刀の所為で、どれだけの人間が、どんなに悲惨な末路を迎えたかと言う事も、
包み隠さず、全てサンジを初め、麦わらの一味の全員に話した。

「呪いを解く方法はねえのかよ」とウソップがタイガに詰め寄る。
タイガは黙って目を伏せる。それは「無い」と答えているのと同じだ。

「いくら深く傷付けても死なないって言っても、仲間の傷を広げるなんて出来ないよ」と
チョッパーも必死だ。
「里に刀を持ちかえれば・・・何か判るかもしれない」と低くタイガは答える。

「判らなかったら?」
キッチンに急ごしらえの寝床を作ってそこに無理矢理寝かされていたが、
サンジは黙っていても不安を消す事が出来ずに、そう尋ねた。
タイガに詰め寄っても仕方が無い。誰が悪いワケでもない、ただ、運が悪かっただけだ。
だから誰も責める気はないが、それでも、やり場の無い不安と苛立ちは無意識に
ぶっきらぼうで投やりな口調に篭ってしまう。

自分が取り乱したり、早々と絶望に打ちひしがれた様を見せれば、ずっと押し黙って
辛そうな顔を隠す事も出来ないゾロがもっと辛くなる。
出来る限り、飄々として、これくらいの事なんでもない、と言った風を装いたいと
思っているのに、それすらも出来なかった。

「首をぶった切られるか、全身に油ぶっ掛けられて誰かに焼き殺されるしかねえのか、俺は」
こんな言葉を言いたくないと思うのに、口が勝手に動いてしまう。
経験した事のない、自分が自分でなくなってしまう、内側から何かに食い尽くされてしまうと言う恐ろしさを、サンジははっきりと体感していて、感情を押さえると言う余裕など
どこにもなかった。自分でもそれがはっきりと判る。
見苦しい、と思っているのにどうしようも出来ない。

「そんな事、させねえ、させてたまるか」

サンジの自虐的な言葉を聞いて、ゾロが急に立ち上がった。
「大丈夫だ、サンジ。お前は死なねえ」
「助かる方法ぐらい、絶対エ見つけてやる」とルフィはいつもどおりの鷹揚な態度でニ、と歯を見せて笑った。

(お前は死なない)と言うルフィの言葉に「なんの根拠がある」と食い下がっても無駄だ。
だが、そう言ってルフィが笑っているのなら、きっと大丈夫、とサンジは自分に
言い聞かせる。いつもなら、絶対的に信じられる筈なのに、それすら今は出来無い。

「里に行って、サンジが助かる方法を聞いてくる」
「お前ら、しっかり留守頼むぞ」

ゾロ、ルフィ、タイガ、タカヤが刀と共に彼らの里を目指す。
そして、ナミ、ロビン、ウソップ、チョッパー、サンジはそのまま港に停泊している
ゴーイングメリー号に残る事になった。

「もしも、傷が完全に塞がっても、またどこか体を傷付ければ一時的に正気に戻る」
「絶対に、傷から目を離しちゃダメだ」とタイガはそうチョッパーにきつく言った。
「オッサンだって、病み上がりなのに・・・」とチョッパーはまだ、肩腕を無くして
間も無いタイガの体をも気遣う。
「なに、自分達のしでかした過ちを漱ぐ為だ。自分の体の事なんて言ってられ無い」と
タイガは笑った。

「必ず、助かる方法を見つけて帰って来る」
「俺達を信じて、待っててくれ」

慌しい出立で、サンジとゾロは禄に話しが出来なかった。
だが、ゾロの眼差しが自分にそう告げているとサンジには判る。

(信じよう、)とサンジは強く、強く、自分に言い聞かせる。
こんな所で、こんなバカげた死に方をする程、俺の運は悪く無い筈だ。

最も、早くここに帰って来るのに、おおよそ、1週間。
それまで、自分が自分でいられる様にどれだけ体を傷つけれても、どんな事があろうとも、耐えなければ、とサンジは唇を噛み締めた。

その夜。
ゴーイングメリー号は海賊に。
タイガ達の里を目指すルフィ達は、盗賊に襲われた。

「コックさんは絶対にキッチンから出てはダメよ」とロビンは只ならぬ外の気配を
いち早く察知して、サンジにそう言った。
「でも・・」船に残った者の中で、ロビンに次いで、サンジが戦闘力が高い。
脇腹の傷は最初にゾロに斬られた時よりも深く、タイガに斬られて、確かにいつもよりは
戦闘力は幾分落ちてはいるが、ウソップやナミよりは戦える。
それに、ロビンやナミが戦うのに、自分がキッチンでじっとしているなどとても出来ない。

「あなたの体に巣食ってる「呪い」がどう動くか、全く予想出来ないのよ」
「人を殺す所を見た途端、いいえ、もしもあなたの体で人を殺してしまった途端、」
「歯止めが効かなくなったら取り返しがつかないわ」

「大丈夫だよ、まだ全然正気だし」そう答えて、サンジはわき腹に無意識に手を添えた。
さっきまで感じていた脈動がまったく感じない。
薄いシャツごしに皮膚を触ってみても、薄気味悪く浮き出ていた血管の感触も無い。
まるで、呪いに体を浸食されていたなどと、夢を見ていたかと思う程、なんの痕跡もない。
ただ、タイガに斬られた傷が痛むだけだ。

(どう言う事だ?)と思った途端、甲板で大きな炸裂音とナミの悲鳴が聞こえた。
「ナミさん!?」
思わず、サンジはキッチンを飛出す。
「ダメよ、コックさん!」ロビンが血相を変えてその後を追った。

一方、ルフィ達は。
不穏な気配を感じた、と思った時には既にモウモウとあがる真っ白な煙に取り囲まれていた。

三人は、丸くなり、その中心にタカヤを置いて、相手の出方を待つ。
「長く吸うとやべえ煙かも知れねえ」と、ゾロは刀を持ち替えた。

「吹き飛ばすぜ」とルフィとタイガに目配せをする。
ルフィが前を見据え、タイガがタカヤをしっかりと抱いた。

その時。前方の煙から一瞬、凄まじい殺気を感じた。
ヒュ、と音がする。ゾロは思わず刀を払って、飛んで来た針を弾き飛ばした。
それに気を取られ、タイガの横を風の様に獣が擦り抜けて行くのを止められなかった。
「あ!刀が!」とタカヤの甲高い声がして、それから猿の鳴声が真夜中の森に
響き渡った。

「ゾロ、大変だ!刀を盗られたっ・・・!」とルフィは怒鳴り、すぐに刀を持って
逃げて行く、首輪を着けた猿を追い駆ける。

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