第一章 「右手の価値」 1 2 3
船は、ログに示されている島に着いた。
だが、とても小さな田舎島でナミが売り払おうとしている例の剣など、
高価な値段で買い取ってくれそうな店などどうみても無さそうだ。
(食料を少し買い込むくらいしか出来無エ島だな)
その目的で船をおりて、島を当て所なくぶらついているサンジはそう思った。
(次の島に着くまでに食い繋げるもの、小麦粉少しと、それから・・・)と
日保ちのする食材を買おう、とそれらがありそうな店に入る。
たかが、小麦粉と言ってもパンを作るか、麺を作るかで種類が違う。
サンジが欲しいのは、麺を作る為の小麦粉だが、さらに栄養価の高い独特の
モノが欲しかった。
(お、あるじゃねえか)
田舎の島で、品揃えはあまり豊かとは言えないが、恐らく、海賊船だけではなく、
商船や海軍の軍船なども食料を補充する為にこの島に立ち寄る事もあるのだろう。
小さく、粗末な店構えながら、缶詰、瓶詰め、調味料の類は全て、整然と
並べられて、小奇麗にしてあり、サンジも探していた食料品をさほど
骨を折らずに見つけ出す事が出来、目当ての小麦粉を手に取った。
「おい、オヤジ。これ、店にあるだけくれ」
湿気と虫にさえ気をつければ、小麦粉は日保ちがする食材で、
手に入る時に積めるだけ積んでおく方がいい。そう思ってサンジは店の奥にいた
店主にそう声を掛けた。
「ちょっと待て、にいさん」
なにやら帳面をつけていた生真面目そうな店主がサンジに声に気づいて
顔をあげるより先、背中から、そう野太い男の声がした。
サンジは「ああ?」と迷惑げな態度を剥き出しにして振り向く。
「全部にいさんが買い占めちまったら、次に買いに来る客が困る」
「珍しい小麦粉だから、次にこの店に入荷するのはいつかわからん」
サンジが振り向くと、白髪混じりの長い髪を後に一つに束ねた、歳の頃、
40歳がらみの眼光の鋭い男が立っていた。
「そんなの、知ったこっちゃねえ、あんたの小麦粉じゃねえだろ」と
サンジはなんとなく、その男の凛とした風情に敬意を持ち、やや、目上の者相手に
話す口調になっていた。
「そんなに大量に欲しい訳じゃない。あんたが少し、買う量を減らしてくれたら
いいだけの話しだ」と相手の男も海賊であるサンジを前にして引き下がらない。
(このオッサン、やり手だな)
立ち居振舞い、体つきからみて相当に腕の立つ男だ、と
サンジはすぐに見て取った。
だが、そんなに腕の立つ男が一体、何故こんなに小麦粉一つにこだわるのか、
サンジは自分の事は棚に上げて、まず、それに興味を持った。
「この小麦粉じゃなきゃダメな理由があるんだよ、こっちには」と本音は
たかが、小麦粉の一袋くらい、譲っても構わないと思いながらも
サンジは男の事情を知りたくてそう言った。
「私にだってある」「へえ、なんだ」
「栄養価も味もいい。その小麦粉でないと上手いパンが作れない」
サンジの質問にその男はバカ正直に答える。
「どの小麦粉でも焼けるだろ」と言いかえしても、頑として、
「いや、この小麦粉じゃないとダメなんだ」と男は言い張った。
そうして、押し問答をするうちに、素人ながらも、料理に相当造詣の深い人物だと
判ってくる。
「たかが小麦粉買うのに、2時間も押し問答しちまったな」と二人は苦笑いしながら
同時に店を出る。
「料理人じゃなさそうだけど、こだわりは玄人並だよ、オッサン」と
サンジは料理をする、と言う事に対し、普通の男と比べるとかなり入れ込んでいる風な
その中年の男に好意を持った。
「いやいや、あんたこそ、料理人には見えないが、どうもちゃんとした
料理人みたいだな。素人が口を挟んで買い物の邪魔をして済まなかった」と
その中年の男はサンジに頭を下げる。
「珍しいんじゃねえか?料理人でもねえ男がそこまで料理にこだわるなんて」
「趣味ってやつか」
「まあ、そんなところだ」と男はサンジの言葉に笑って答えた。
「どの船に乗ってるか、知らないがどうか、無事な航海をしなよ、
コックの兄さん」と男は人の良さそうな笑顔を浮べ、小麦粉の袋を嬉しそうに
抱えて、サンジに一礼し、歩き出した。
その腰には、ゾロが持っているのと似た設えの刀が挿してある。
それを見て、(あのオッサン、剣術家なのか?)と気づき、
(料理好きの剣術家なんて珍しい野郎もいるもんだ)と思いつつ、サンジはその後姿を見送った。
私には、幼い息子がいる。
不慮の事故で妻を亡くし、今はその息子と当て所無い暮しをしている。
用心棒をしたり、その場凌ぎの日雇いをしたりして金を稼いでいる。
母を知らずに育つ息子が、腹を膨らませるだけの味気の無い食事に慣れてしまわない様、
妻が作っていた料理とその味を思い出し、思い出し、時折、妻を偲んで食べる、
それが今の私の唯一の楽しみなのだ。
(気のいいオッサンだったな)サンジと小麦粉について押し問答をしている最中、
その男はサンジにそう言った。
息子の為に、また、自分が亡き妻を味を忘れない様に、と無骨な腕で、
必死に食材を弄くり回し、額に浮かぶ汗を拭いながら料理を作る、その男の
姿を想像してみる。そして、見たこともないが、その男の幼い息子が
見た目はいかにも素人くさい料理を頬張って、嬉しそうに笑い、
そしてそれを見つめる男の優しげな眼差しを想像してみる。
どういう訳かそれだけでサンジの心は弾んだ。
(また、会えねえかな)とふと、その男と分け合って買った小麦粉を
捏ねて、夕食を作っている時に思った。
どんな味でどんな盛り付けをするのだろう。素人の男が作った料理など、
サンジは今まで食べた事が無いような気がして、偶然でも、この島にいる間、
またあの刀を腰に挿した素人料理人の男に出会ったら、
遠慮無く、「あんたの料理を食わせて欲しい」と頼んで見よう、と思った。
「なんだか、機嫌が良さそうだな」
田舎島で碌な宿がなかった。麦わらの一味は、港に碇を下ろし、舫を繋いで、
夜を自分達の船の中で過ごしている。
ゾロはその夜も不寝番のつもりで見張り台にいて、そして当たり前のように
サンジが夜食を持ってくるのを待っていた。
「そう見えるか?」
夜食を持ってきたサンジに向かって、ゾロは「機嫌が良さそうだ」と話しこむキッカケを作る。それに答えて、サンジは珍しく、口の端をほのかに綻ばせた。
「いい女でもいたのかよ」とゾロが皮肉混じりに言うと、
「そんなんじゃねえよ」サンジはよほど機嫌がいいのか、ゾロの皮肉にも怒りもせず、
話したくてたまらない話しをやっと聞いてくれる相手が見つかって喜ぶ
少年の様に、ゾロが座れ、と言わなくてもそそくさと自分からゾロの真正面に
腰を下した。
「面白エオッサンと会ったんだ」
サンジはゾロに昼間の出来事を話した。
身振り手振りで、ゾロが見た事もないその男の口真似を交え、臨場感たっぷりに
サンジはその時の出来事を再現して見せる。
こんなに生き生きと嬉しそうに、ゾロに話しをするサンジを初めて見て、
話しの内容よりも、片目しか見えていない煌く瞳の美しさや、
感情の露になったサンジの声はゾロの五感全てに心地良かった。
小麦粉を取りあった相手が料理好きな男だった。
ただ、それだけでサンジは嬉しいらしい。何故、そんなに嬉しいのかは
きっと、聞いても判らない。だから、ゾロはそれについて聞きはしない。
ただ、サンジが嬉しい、その様子を見ている自分にも、どこからなのかは
わからないし、何故なのかも判らないが、サンジの体から弾けるように飛び出してくるその感情を受けとめて、やはり自分も嬉しくなっている。
その感情だけは間違いなく確かに自分の胸の中にあると確信出来た。
目指す場所が違う者同士、別々の体を持って生まれた者同士、
何もかもを分かち合え、判り合える事など有り得ない。
けれども、この月の明かりのさえざえと美しい、平穏な夜にゾロは
理由も理屈も判らないのに、自分とはまるきり無関係で興味の無い事なのに、
サンジが嬉しいと思えば、それを受けとめた時、自分の胸の中にも、
サンジが抱えている温かな空気がそのまま、流れ込んで来る事を初めて経験した。
(誰よりも俺はこいつの近くにいる)ゾロはそんな気さえした。
(また、会えねえかな)と思っていても、まさか、探して歩くつもりはなかった。
まだ、ログが貯まるまで数日ある。
サンジは、二回目にその島に上陸した時は、ゾロが一緒だった。
途中で絶え間無く会話していた筈だったのに、サンジが思いつくままに
歩きまわって、興味をそそられる店を覗いて歩いているうちに何時の間にか
逸れてしまっていた。
(ったく、仕方ねエなア)
小さな島だし、逸れたとしても夕暮れには港に停泊している船に戻るだろう、と
サンジはゾロを探す事を早々に諦めた。
一人でまた、(あのオッサン)と会えるかもしれねえ)と思い、例の食材屋に
向かう。
「・・・よお、・・・」
自分の思惑があまりにも、当たり過ぎて、サンジは思わず間抜けな、
少し気の抜けた声で、食材屋の店先に突っ立っている男を見つけて、思わず、
独り言のような声でそう声を掛けた。
男は、数日前に会った時と比べて顔付きが険しい。
髪も乱れて、憔悴の色がくっきりと顔に出ている。
「・・・あんたに用があるんだ。悪いが、付合ってくれるか」
重苦しい声で男はそう言った。(・・・どうしたんだ、このオッサン?)と
あまりの豹変ぶりにサンジは愕然となるが、先に立って歩き出した男に
誘われて、歩き出す。
人通りの全く無い、裏通りに足を踏み入れた時。
男は無言で急に振返った。目にも止まらない早さで腰の刀を抜刀しながら。
サンジでなければ、胸板を、悪くすれば喉笛をその一閃で掻き切られていた、
それほど鋭い一撃だった。
「なにしやがる!」と咄嗟に後にとび退き、サンジはそう怒鳴った。だが、男は
ギラリと刃を光らせ、サンジを黙って見据えている。
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