「ナミさん!」無意識にそう叫んで飛出した甲板には、見たこともない
生き物が蠢いていた。
(・・・なんだ、こいつらっ・・!?)それが実は人間だと、サンジが悟るのに、
数秒掛った。

人間の体には、赤い血管と青く濁った色の血管、それが皮膚の下を網の目の様に走っている。サンジには皮膚も、髪も見えず、ただ、何もない空間に血潮の流れる血管が
人間とそっくりの動作をしながら、武器を手に暴れ、移動している様にしか見えない。

誰が誰なのか判らない。
何度瞬きをしても、とても現実とは思えない映像は、ブレる事も霞む事もなく、
くっきりとサンジの目に映る。
大勢の人間の殺気の篭ったわめき声、何かが砕かれる音、銃声が全身を戦慄かせる。

人間として目に映らない、血管だけの生き物としてしか見えない。
そんなおぞましいヤツらに好き勝手船を壊されて堪るか。
そう思った途端、全身の血が一瞬で沸きたった。

「ダメよ、コックさん!」と叫ぶ、ロビンの声にサンジは振り向く。
けれど、どこからか漂ってくる血の生臭い匂いと、それから、目の前には
くねくねと気味悪く動く、宙に浮かんだ血管があるだけで、ロビンの声はどこから
聞こえてくるのか、判らない。人間の形を模った血管はサンジに何か叫びながら
近付いて来る。
恐怖なのか、おぞましさなのか、サンジの皮膚は粟立ち、腹の底から殺意が吹き出した。

脇腹の傷の痛みなど気にしていられない。
ナミやロビンを、ゴーイングメリー号を、この得体の知れない化け物から守らなければ。
「失せろ、化物!」そう言い様、サンジは自分の一番側にいた一体を蹴り飛ばす。

キャ、と言う女の悲鳴のような気がしたが、どうでも良かった。
自分がロビンを蹴り飛ばしたなど、夢にも思わない。
そのまま、何体いるのか、確認出来ない程大勢の血管人間達の中へ踊り込み、
見境なく蹴り潰した。

「ウソップ、チョッパー、こっちよ!逃げて早く!」
ナミはすぐに自分達を襲う海賊達の中から逃げ出し、ウソップやチョッパーにも
そう指示した。
(今のサンジ君には私達と、敵の区別がついてない)と本能的に察知したのだ。

「ロビン、大丈夫か!?」サンジに蹴られて、キッチンの壁が大破する程の勢いで
吹っ飛んだロビンだったが、ウソップに抱き起こされ、顔を顰めながらも、
「・・・なんとか生きてるけど・・・余り大丈夫じゃないかもしれないわ」と
肩を押さえた。
「能力が発動しないの、あの子には能力が通じない」とだけ言うと、また、
「・・でも、早く止めないと・・・」と立ち上がろうとする。
「あたしたちがなんとかするわ。チョッパー、ロビンをお願い」とナミは
甲板で海賊達が次々とサンジに襲いかかり、そして、喉笛や頭蓋を蹴り砕かれ、
倒れた後も、内臓を蹴り砕かれて、無残な骸になっていく様子を唇を噛んで、
キッチンのある上の甲板から見下ろした。

「なんとかって、一体どうするの?」
「もう、コックさんは私達の判別も出来てないのよ?」
「サンジ君がああなったのは、私を庇ったからよ」ロビンの困惑した言葉を聞いて、
ナミはきっぱりとそう言った。
「ウソップ、これ」ナミはそう言って、見覚えない短剣をヌっとウソップに突き出した。
「な、なんだよ、これ」ウソップはナミの思い詰めた様な顔に怯えてそう尋ねた。
だが、声が震えている事で、ナミが一体何を自分にさせようとしているのか、
既に悟っている様だ。
「あたしが囮になる。サンジ君の注意があたしに向いてる間に、」
「これでサンジ君を傷つけて」
迷っている暇はなかった。自分達を襲った海賊を殺しきって、全て殺し終わったら、
サンジは、いや、サンジの姿をした化物は、すぐに自分達を殺しに来る。

自衛の為ではない。
ルフィ達が帰ってくるまで何があっても、サンジの魂を守りぬく、と約束した
その約束を守る為に、ナミとウソップは我が身を危険に、狂い掛けたサンジの前に
晒した。

「サンジ君、私よ、ナミよ!」ナミは咽返りそうな血の匂いと、見たこともない
悲惨な死体を前にして、息を飲んだが、それでも、勇気を振り絞って
サンジに呼び掛ける。
(サンジ君がこんな風に人を殺すなんて・・・)
喉笛を蹴り砕かれた者はまだ綺麗な方だ。顔面を真ん中から蹴り潰された者は
顔が陥没し、顔中血まみれで、陥没した頭蓋から眼球が飛出して、もとの人相など
全く判らない有様で、腹を踏み抜かれた者は人間の骨の構造を全く無視した姿勢で
背骨から捻れて、息絶えている。誰もかれもが死んでいて、命乞いすら出来なかったに
違いない。
剣や銃などで虐殺したのではなく、サンジは自分の体だけを使って、おおよそ、
20人から30人の人間を僅かな時間で、皆殺しにした。なんの躊躇いもなく。
ナミはその事実をしっかりと噛み締めた時、自分に対して悔しさが込み上げた。
(私を庇った所為で)サンジを化物にはしたくない。こんな形のない、得体の知れない者に仲間を奪われるのは、イヤだ、としっかりとサンジの真っ赤な目を見据えた。
「サンジ君、しっかりして!飲み込まれないで!」
「私達のところへ戻ってきて!」

ノミコマレナイデ。ワタシタチノトコロヘモドッテキテ

そんな音がサンジの耳に入り込んでくる。
目の前には、無傷な血管がゆらゆらと揺れて、自分に近付いて来る。

(これは、)気配と声でそれがナミだとサンジには判った。
(ナミさんだ。俺の頭がおかしくて、こんな風に見えているけど、これはナミさんだ)
そう思ったら殺意などなくなる筈、だが、サンジの心の中には相手を選ばない、
無差別な殺意が澱んでいて、体が勝手にナミを殺したがる。

ナミさんであるものか。
これは化物だ。

自分の声が自分の頭の中で木霊して、そう煽った。
体と心がバラバラになり、さっきまで鳴りを潜めていた、あの不気味な脈動を
今度は全身に感じた。

自分の手、腕をサンジは初めて見て、愕然とする。
皮膚には、あの傷口の周りおぞましい血管と同じモノが無数に浮き出ていた。

サンジに警戒心を抱かせる事無く、殺戮に駆り立てる為に 海賊達が襲ってきた当初、
呪いの意志はサンジの体の中で息を潜めたのだ。
そして、サンジがナミやウソップ達を守る為とは言え、殺戮を始めてしまった時、
呪いの意志はサンジの体を支配しようと一気に力を解放した。
だが、今、サンジがそれを悟った所でもう遅い。

「・・う・・うわっ・・・」なんとか、自分の意志で奪われた体の制御を取り返そうと
した途端、脇腹の傷に激痛が走った。だが、何も変わらない。
痛みを感じたくないだろう、ならば体の自由をよこせ、と言う警告だと言う事は
はっきりと判ったけれど、悶絶するだけで何も出来ない。

「サンジ君!」「ナ、・・・ナミさん、こっちに・・・」こっちに来ちゃだめだ、と
言いたいのに、赤一色の風景の映像と、現実の色の映像とか点滅するかの様に交互に
見えている自分の異常な目の動きを見て、正気を取り戻し掛けていると判断し、
それでも戸惑いながら近付いて来るナミに、サンジは必死で訴えたが、
喉が何かに締められたように上手く言葉が話せない。

突き飛ばすつもりでナミに伸ばした手、それがナミの細い首に掛った。
「航海士さん!」「ナミ!」とどこからか、チョッパーとロビンの悲鳴が聞こえたが、
体が勝手に動いて止め様がない。
「さ、サンジく・・」腕に力を入れまいとすれば、腕に太い針を無数に刺され、
筋肉を刺し貫かれた様な痛みが走る。けれど、その抵抗を止めれば、ナミを
くびり殺してしまう。額に前髪が張りつき、着ていたシャツがズブヌレになるほど、
激痛と緊張で汗が吹き出た。
「サンジ、悪イ!こらえてくれ!」ウソップの声がした途端、腰に焼けつく衝撃が
走った。
皮膚を流れる血の温もりを感じた途端、全身から力と言う力がすべて抜ける。
立っている事さえ出来なかった。
モノを見ることも、聞く事も、話す事も。
意識を保つ事も出来ず、サンジはナミの首に手を掛けたまま、真っ暗な穴の中に
吸い込まれるように、昏倒してしまった。

ロビンの肩の骨は砕けていた。
ナミの首にはくっきりとサンジの手の跡が残っている。
(いっそ、あの時の記憶が無くなってくれていたら)どうとでも誤魔化せるのに、と
死体を片付けながら誰もがそう思ったが、きっと、そう甘いモノではないだろう。

サンジが目を覚ました時、一番側にいたのは、ウソップだった。

(なんて言やあいいんだ)といつもと何も変わらないサンジの寝顔を見ながら
ウソップはずっと考えていた。嘘をつくのはとても得意な筈なのに、
ナミの首の痣、ロビンの傷を見た時、仮に何も覚えていないとしたら、一体、
どんな嘘をつけばサンジは騙されてくれるだろうか。

頭の中に色々な事がゴチャゴチャと混沌としていて、そのどれもまともな答えが
一つも出せない。

仲間であるサンジの腰に短剣を突き刺した。そうしなければ、仲間二人を同時に
亡くしてしまう、と思うと必死だった。けれど、今になってウソップは自分の手を
見つめると、もう、4、5時間は経っているのに、まだ手が震えている。

少し、工具で手を切っただけでも痛いと思うモノなのに、
(こんな短剣でいきなり腰を刺されたら、痛エよ)と溜息をついた。

「目が覚めて、まだ正気じゃなかったら、俺、お前をもう1回刺さなきゃならねえのか」とウソップは思わず呟いた。

縫合する事も、消毒する事も、鎮痛剤を打つ事も出来ない傷を、助かる方法が
見つかる日までずっと、繰り返し、正気を無くす度に何度でも。
そう思うとウソップの心は泥を詰め込まれたかの様にずっしりと重たくなる。

「・・・悪イな」
「多分、痛みに負けて俺がもうこんな体いらねえって思うのを」
「・・・俺の腹の中でずっと待ってるんだ」

ウソップの呟きが聞こえたのか、サンジはうっすらと意識を取り戻した。
聞いた事も無いくらいに弱々しく、耳を側に近付けなければ聞き取れ無い程だ。
自分の体を取り返そうと、傷の痛みを受けとめ、それだけでなく相当、意識の上でも
抗って、サンジは疲れきっている。ウソップの目からはそう見えた。

「仲間の体、刺すなんて辛エ事させるハメになっちまって」
「ホント・・・悪イ」
ウソップは切れ切れに言うサンジの言葉を聞いて、胸が詰まった。
(一番辛いのはお前だろうに)としか思えず、咄嗟に言葉が返せない。
だが、何も言わなければ、きっとサンジは自分の気持ちを思い遣ってもっと
辛い想いを抱える。そう思ってウソップはフン、と鼻を鳴らして胸を張った。
「これは貸しだからな。カタがついたら、思いっきり美味エもん作れよ」
「このキャプテン・ウソップが大満足するくらい、とびっきりゴージャスで、
「デリーシャスな超豪華料理だぞ」といつもと変わらない、横柄な口調で
そう言うと、サンジは目を細めて少し微笑んで、深く頷いた。



お詫び・・・・・

ここまで読んでくださってありがとうございました。
ここから先は、イベント、プライベートなどで多忙になりまして、
更新が止まってしまいました。

そこで、いっそ一度に読める方がいい、と思い、
オフセットの本として出しました。

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