「崇高な武器」    


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「空」

くう、と読む。
何事にも囚われない、心を全身に解き放ち、身のどこにも止めない心。

技を極めた人間が辿りつくというその境地。

彼らがそこに辿りつくには、まだ 遥か遠い道のりを歩んでいかなくてはならない。





その男の名前は、「ハヤト」と言った。

固く、こげ茶色の髪、鋭い眼光、逞しい筋肉。
骨ばった顔つきだが、顔立ちは整っている方だ。

彼には、憧れている男がいた。

幼い頃、吾が子に強く有れ、と願った両親が通うように勧めた道場で
その男と出会った。

圧倒的な強さだった。
剣の強さだけではない、その精神的な強靭さも他の追従を許さない。

彼は、何時の間にか道場から姿を消したが、彼の噂はいつも
華々しい勝利の話題ばかりで、せっかくの剣の腕を持ちながら、
賞金稼ぎに成り下がったとしても、その強さは変わらない。

むしろ、聞くたびに強さを増していく。

「ハヤト」は彼に憧れた。

彼のように強く、逞しく、自分の信じた道を歩きたいと願った。

彼の背中を追う。
そう決めて、彼が海賊になったという噂を聞いた時 やはり海に出た。

彼を倒すのが目的ではない。
剣豪・ロロノア・ゾロの様に生きたい。

自分もロロノア・ゾロの様に名を挙げたい。
そして、彼と並び賞されるようになりたい。

そう願って、彼は自分の技を以って、彼も己を鍛えるべくやはり、賞金稼ぎを
生業とした。

ロロノア・ゾロよりも年上でありながら、彼に憧れることを恥とは思わない。
ただ、ひたすら彼を追い、とうとう 手の届くところまで辿りついた。

麦わらの一味である彼は、この大陸にいる。

きっと、会える。
今は、どれだけ強くなっているのか、この眼で見たい。

どれだけ、自分が彼に近づいているのか、知りたかった。

「ハヤト」にとって、ロロノア・ゾロは、神にも等しい存在になっている。
畏れ、敬い、かつ、神聖であらねばならない。

長年の思い込みで、本来のゾロよりも かけ離れたその妄想は、
結局、彼を暴走させる事になった。

剣士として、本来誇り高かった彼が、凝り固まったロロノア・ゾロへの
憧憬に我を見失ったのだ。


ロロノア・ゾロは穢れてはいけない。
絶対に。

ハヤトは、ロロノア・ゾロを追ううち、そのいく先々で噂を聞いた。

彼の傍らには、いつも金髪の男がいる。

その男は、彼の仲間であると同時に、特別な関係を持っているのではないか、と
実しやかに囁かれていた。

そして、それと同じような噂は、「船長」ともその男は関係を持っている、という
噂も耳に入ってきた。

ハヤトは、そんな噂など、信じなかった。
というよりも、どうでもいい事だと思っていた。

その眼で、その二人を見るまでは。



二人は、町で賞金稼ぎを相手にしていた。

金髪の男は、目を見張るほど鮮やかに、軽やかに、賞金稼ぎをなぎ倒し、
血飛沫を上げて倒れる相手を見下ろし、薄く笑っていた。

「ハヤト」は、ロロノア・ゾロよりも、まず、その男に眼を奪われた。
「美しい」と思った。

これが、「サンジ」だとすぐにわかった。

噂では聞いていたが、これほどのスピードと、威力を持って体術を操る
人間を「ハヤト」は見たことがなかった。

ロロノア・ゾロは、長年思い描いていたの期待を裏切ることなく、
二振りの刀をたった一閃しただけで、今だ 挑もうとしていた身のほど知らずの
賞金稼ぎ達を斬り飛ばした。

20人近い賞金稼ぎが、ほんの5分と立たないうちに壊滅する。
人だかりからは、歓声が上がった。

二人は、その騒ぎの中、悠々と人ごみに姿を消していく。

「ハヤト」は気配を殺し、彼らの後を追った。


そして、事実を目の前に突き付けられて、動揺した。


一度、戦闘で火がついた体は、あれくらいの相手を倒しただけでは
消せない。

その高揚感は、そのまま性欲に変換されることなど、珍しいことではない。

戦地で、兵士が性欲を催すのと同じ。


ゾロとサンジを一瞬、見失った、と思った。

注意深く眼を凝らし、耳を済ます。

場所は、少し町から離れた 森の中だった。

サンジの頭を両手で掴み、ゾロはまるで 貪るように激しくサンジの唇を
吸っていた。

されるがまま、サンジもその口付けに応えて ゾロの腰に軽く手を添えている。

急いているのは、どう見てもゾロの方なのに、白い肌が上気し赤く染まった頬や、
ゾロの激しい動きに揺れる細い髪が ゾロを誘って狂わせているように見えた。

ゾロは、唇から頬、瞼とサンジの顔を愛でて、首筋へと唇を這わせる。
その間、何時の間にかサンジのシャツを片手で寛げ、その胸元にも
荒荒しい、忙しない愛撫を施していく。

サンジの唇が何かを囁く。眉を寄せて、一見何か 叱責しているような表情だが、
それも 男心を弄ぶ娼婦のようだと ハヤトは思った。

そして、その姿を嫌悪しながら 美しいと感じ、そんな感覚を自分に与えるサンジへ
性欲が湧き上がってくるのを押さえられない。

あの男は危険だと思った。

ロロノアはあの男に溺れている。

深くなる二人の行為を見て、興奮を沈める事が出来ない自分が彼らに
いや、サンジに汚されていくような気がした。

勝手な思い込みだった。



「・・・誰かが見てるかも知れねえだろっ止めろっ・・・・・」と叱責するサンジを
黙殺し、無理矢理 抱こうとしているのは、ゾロの方なのだ。

溺れている、といわれれば確かにそうだ。

だが、サンジが誘っているわけじゃない。

むしろ、嫌がり、尻ごむサンジをその気にさせることにゾロは
燃えるのだ。

だが、そんな二人のやり取りなど、偏見に凝り固まっているハヤトに
伝わるはずがない。

「・・・見たいやつには、見せてやればいい。」
ゾロはサンジに抗うことをあきらめるよう 促すように囁く。


ハヤトは目が離せなかった。

いつか、気配を殺すことを忘れ、二人の行為を凝視している。

(・・・・誰だ。)
ゾロは、すぐに気がついた。
サンジにそれを悟られないように、激しい愛撫を与えながら、
ハヤトが潜む茂みへと 射抜くような視線を向けた。

ハヤトの眼とゾロの眼がぶつかった。

距離としては遠く、茂みに遮られているのに、ロロノア・ゾロは ハヤトを
視線だけで威嚇したのだ。

(失せろ。)
彼の目はそう言っている。

ハヤトの背中に冷たい汗が噴出した。

縄張りを荒らされた野獣のような眼だった。

第2話


その男の名前は、「ロン」といった。

彼は、サウスブルーでは有名な武闘家の家に生まれた。
彼の家は 独特の武術を編み出し、それを広く人に伝えることを生業にしていた。

しかし、「ロン」の一族の中から海賊になるものが出て、
ついには縛り首に処せられ、「ロン」の家は没落した。

それでも、父と兄は「ロン」を鍛えてくれた。
再び、名誉を取り戻すために。

ロンは、一族全ての期待を背負わされた。
生活の全てはそのことだけに費やされ、ほかの事に目を向けることなど許されなかった。

そして、全ての技を身につけ、一族に見送られ名を挙げるために故郷を後にした。

しかし、長年の根無し草のような生活で 「ロン」は 守るべき誇りを見失い、
勝つことのみを喜びとする武術家に成り下がった。

肉体のみを武器として闘うべき武術家としての誇りよりも、どんな武器で挑まれても
決して負けない無敵の武術家としての名声の方が 今は大切だった。


サウスブルーの自分の家のことなど、どうでも良かった。

せっかく、自由に生きることを許されたのだ。
掟や家訓に縛られる故郷へなど、帰りたいとは思わなかった。

強靭な肉体と鍛えられた技で、賞金稼ぎを生業とすれば
面白いように金を稼ぐことが出来た。

好きなものを食べ、好きな女を抱き、耳障りの良い賞賛の声だけを聞く。
自分ほど、強い男はいないのではないか、と恥ずかしいほど思い上がっていた。


そんな彼の前に、突然飛び込んできた名前が
「ロロノア・ゾロ」だった。

いくら、「ロン」が強くても ロロノア・ゾロには敵うまい。

その噂を聞いてから、自分の取り巻きが心の中で 皆そう思っているような気がして、
「ロン」は 苛立った。

剣豪・ロロノア・ゾロを素手で倒せば、誰もが納得するだろう。
サウスブルーの「ロン」こそ、「無敵の武術家」だ、と。

ロンはそう決心して、グランドラインへと旅だった。

そして、奇しくも とある 大陸で今は海賊の一味であるロロノア・ゾロが
乗っている「ゴーイングメリー号」と遭遇することが出来た。

「ハヤト」と言う男はゾロに憧れ。
「ロン」と言う男は ゾロを超えようと目論む。




「ハヤト」は、日々、サンジへの憎しみを募らせた。

ロロノア・ゾロを穢している男。

肉欲でロロノア・ゾロを狂わせている男。

二人の行為を覗き見ただけで頭が混乱していた。

ロロノア・ゾロだけではない。
あの男は 闘う男の血を狂わせるのだ。



ロロノア・ゾロはただ、鷹の目を倒すと言う目的の為に、
神々しく、猛々しく、あって欲しかった。
そうでなければ、自分が目指してきた意味がない。


今まで積み重ねてきた長い年月が全て無駄になる。

そして、これからの自分の行き方を見失ってしまう。

斬らなければ。

あの穢れた男を斬らねば、自分が狂ってしまう。

あれだけ憧れたロロノア・ゾロの容姿よりも、
「サンジ」の容姿の方が目に焼き付いている。

血に染まる黒いスーツ。
己の動きで起こった風を孕んだ黄金の髪。
冷酷に見下ろされた蒼い瞳。


そして。

ゾロの愛撫で紅潮した肌。


すでに狂い始めているのかもしれない。


あの男の命が欲しい。


そんなどす黒い感情が湧き上がってくる。
そして、それを否定する。

そうじゃないのだ。

ロロノアのためであり、自分の行き方のために
あの男を斬る。

それは、剣士として正当な理由のはずだ。

もし、それでロロノアに憎まれ、返り討ちにあったとしても
後悔などしない。

結果として ロロノアが神にも等しい大剣豪になってくれるなら
歓んで斬られてやろう。

「ハヤト」は そう決心した。

長い旅路の末、辿りついた歪んだ選択だった。

素手の相手を切り伏せることなど容易い。
そして、そんな相手に刃を向けることがすでに 剣士として 許されることではないことなど、考慮の範疇にはなかった。


気配を殺していたつもりだった。
最初にゾロのサンジと遭遇してから、今日で3日目の尾行だ。

毎日、彼らは町に現れ、女子供の買うような買い物をし、賞金稼ぎに囲まれ、
そして・・・・あの 穢れた行為をする。

今日も、そうだった。
「ハヤト」は二人の後をつけた。

ロロノア・ゾロが側にいてはサンジを斬る事はできない。

サンジが1人になる時を「ハヤト」はただ、待っていた。


港へ向かう街道に二人がさし掛った。

なにやら、二人は言葉を交わし、ゾロがそのまま街道へ、
サンジは 近道の山越の方へと 別々に歩き出した。

狙っていた好機が訪れた、と「ハヤト」は思った。

だが、すぐにはサンジを襲うわけには行かない.
天下の往来で 例え海賊であろうと 人を斬るのはあまりに人目につきすぎる.

「ハヤト」は、サンジの強さを目にしていたにも関わらず、負ける気など微塵もなかった.


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