西中国地方2泊3日の旅
全走行距離:1,223km
(ARさんと交代運転)
ARご夫妻と出かけた。
「長門市仙崎の金子みすゞ記念館」を必ず訪れるという唯一の条件を基に、旅程を3案ほど作成し、最終的に下記行程で2泊3日の旅を楽しんだ。
2004.5.16(日)〜18日(火)
1日目
生駒市自宅→第二阪奈・阪神高速等→高石市AR宅→阪神高速湾岸線・第2神明道路等→竜野西IC→山陽自動車道→福山IC→
尾道市(人気ラーメン店朱華園で昼食)→尾道IC→山陽自動車道→(広島市)→廿日市IC→国道2号線→宮島口→JR連絡船→宮島(厳島神社観光)→JR連絡船→宮島口→国道2号線→宮浜温泉・宮浜グランドホテル(泊)

2日目
宮浜温泉→国道2号線→大竹IC→山陽自動車道→岩国IC→国道2号線→
錦帯橋観光→国道2号線→岩国IC→防府西IC→国道262号線→萩市観光・昼食(がんこ庵・蕎麦)→国道191号線・県道56号線→仙崎・金子みすゞ記念館→国道316号線→長門湯本温泉・ホテル枕水(泊

3日目日目

共同浴場・恩湯入浴
→長門湯本温泉→県道34・38号線→俵山温泉入浴→県道34・38・号線→長門湯本温泉→国道316号線→県道31・32号線→秋芳洞観光→県道32・31号線→小郡IC→山陽自動車道→宮島SA(昼食・広島風お好み焼き)→山陽自動車道→阪神高速・湾岸線等→高石市(ARご夫妻下車)→近畿自動車道・阪神高速・第二阪奈道路等→生駒市

1日目
山陽自動車道、最初の休憩は吉備SA
尾道はラーメンが有名。朱華園の「中華ソバ」460円瀬戸内産の小魚のダシをきかせた醤油味の豚骨鶏ガラスープと背脂。美味しかったけれど、同じ醤油味でも東京ラーメンよりかなり脂っこかった。
山陽自動車道はトンネルの連続
宮島口から連絡船で対岸の宮島へ。すぐに厳島神社の大鳥居が見えてくる。この鳥居は海中に埋められていないで、自分の重みだけで立っている。
安芸の宮島、古くは島そのものがご神体として崇められ、平清盛など時の権力者達に手厚く保護された。1996年、海上の厳島神社は、その背後の弥山原始林とともに世界文化遺産として登録された。
さすが日本三景の一つ、門前の土産物屋の多さに驚く
宮島から国道2号線で10km、宮浜温泉・宮島グランドホテルに到着する。部屋の窓からは、500mの狭い大野瀬戸を隔てた対岸に宮島の西端が見える。
今回の旅行で最初の入浴は宮浜温泉。泉質は弱アルカリ性・単純弱放射温泉。
2日目
ARご夫妻

教訓:

宮島を観光する場合、あらかじめ満潮時間を確認してから日程を組むことをお勧めする。
この日は干潮だったため、海上に浮かぶ厳島神社を見ることが出来なかった。
岩国は吉川(きっかわ)氏6万石の城下町。町のシンボル、錦帯橋は山口県最大の河川・錦川に架かる江戸時代・延宝元年(1673年)建造の木造五連アーチ橋。平成13年11月から半世紀ぶりに架け替え工事が行われ、今春竣工したばかりだったので、渡橋したとき芳しい木の香りが漂っていた。
翌朝、宮浜温泉から20km、時間節約のために山陽自動車道に乗って錦帯橋に向う。
山陽自動車道、岩国ICから周防ICに向う。
北九州までわずか134kmの表示、、このまま九州の名湯に行きたいと思った。
周防ICで下り、国道262号線に乗り換えて一路日本海側に向って北進。萩まで54km、津和野まで56kmの地点。
津和野にも行きたいが時間が許さない。計画通り萩へ。

慶長5年(1600年)、関が原の戦いに敗れた毛利輝元は、徳川家康により萩へ移封された。その後、萩は毛利36万石の城下町として発展した。萩城跡の外堀周辺は当時の姿をとどめ、武家屋敷や町屋敷が軒を連ねている。
幕末には、吉田松陰が現われ、主宰した松下村塾からは、伊藤博文、木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞、山形有朋ら数多くの英傑を輩出した。

中学・高校時代から歴史が好きだった私は、江戸幕末、維新に向けて活躍した桂小五郎(後の木戸孝允)や高杉晋作が登場する小説を胸躍らせて読んだものだ。東京から関西に移り住んで30年、近くなった山口だが、それでも萩まで500km、この歳になってようやく彼らが生まれ育った町を訪れることが出来た。
金子みすゞ記念館
こころ

おかあさまは 
おとなで おおきいけれど、
おかあさまの
おこころは ちいさい。
だって、おかあさまは いいました、
ちいさい わたしで いっぱいだって。

わたしは こどもで
ちいさいけれど、
ちいさい わたしの
こころは おおきい。

だって、おおきい おかあさまで、
まだ いっぱいに ならないで
いろんな ことを おもうから。

松蔭神社
松下村塾、松蔭神社境内にある。小さい建物にビックリ。ここから幕末の英傑が輩出した。
松下村塾内部
萩城城下町の木戸孝允(桂小五郎)旧宅
奇兵隊創始者・高杉晋作誕生地
萩焼は、約400年前、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、毛利輝元が陶工を連れて帰ってから始まった。
萩焼の特徴はやわらかな風合いとしっとりとした感触。器の表面には細かいひび割れがあり、ここから茶等が染み込み、使うほどに色合いが変化してくる。
これを萩の七化けという。

市内には数十のギャラリーと窯元が点在する。
AR夫人は長男・次男夫婦のために、いろいろと見立てておられた。
市内の家々のいたる所で、店では見かけなくなった夏みかんが植樹されている。
江戸時代、藩が個々の家で栽培することを奨励した歴史があるからだ。家内が毎年作る夏みかんジャムのためにまとまった量を買い込んだ。
買物をした陶器店の方から推薦あった木戸孝允旧宅前の蕎麦屋「がんこ庵」で昼食を取った。蕎麦にはうるさい私も満足できるものだった。この店のご夫婦は萩焼きに詳しく、供された容器について情熱的に語ってくれた。
萩市内で観光とショッピングにたっぷり時間を費やした後、25kmほど西の長門市仙崎に向った。
童謡詩人・金子みすゞ

1903年(明治36年)山口県仙崎生まれ。20歳のころ下関に移り住み、童謡を書き始める。
西条八十は彼女を「若い童謡詩人の巨人」と評したが、結婚後、26歳の若さで命を絶った。
金子みすゞ記念館は生誕100周年を記念し、平成15年春、みすゞが子供時代を過ごした書店・金子文英堂跡地に建設された。
館内には、512編の作品を載せた遺稿集、日記や写真などの資料が展示されている。
右・金子文英堂、左・休憩棟、奥に展示場の本館がある。
念願の記念館に来られてご満足のAR夫人
本館・展示室
奥方達に先立つこと30分前に館内から出てきたARさんと私。時間を持て余したARさんが見つけてきた蒲鉾の製造直売所「大市蒲鉾」。ここは明治14年、金子みすゞ生家の隣で創業した。両家ともここで蒲鉾を市価より格段に安い値段で10個購入した。、プリプリと弾力のある美味しい蒲鉾だった。
二日目の観光をすべて終えて、仙崎から7km、本日の宿泊地、山口県の名湯・長門湯本温泉に向った。
長門市街から約5kmほど南下した音信川(おとずれがわ)河畔に600年の歴史を有し、山口県を代表する(長門)湯本温泉がある。
川の両側には近代的な大型ホテルから、古風なたたずまいをかたくなに守る和風旅館まで、12軒が点在する。
嬉しいことに大型ホテルも外観に派手さがなく、自然に恵まれた景観と調和して、しっとりとした温泉情緒を漂わせている。
ここには、現在も二つの共同浴場が残り、唐破風の外観を持つ「恩湯」ともう一つの「礼湯」は、いずれも源泉掛け流し、低料金で朝6時から入浴できる。
音信川沿いの旅館街
宿泊した「ホテル枕水」
大浴場
満足の私
海が近いので新鮮な刺身
3日目
外湯(共同浴場・公衆浴場)の数・質は温泉地評価のバロメーターの一つ。
長門湯本温泉には源泉掛け流しの外湯が二つある。
早朝、その一つ
「恩湯」に出かけ、地元の人達に混じって入浴した。入浴料はたったの140円だった。
朝食後、すぐに長門湯本温泉を発ち、10kmほど離れた日本一の湯治温泉、俵山(たわらやま)温泉に向った。
俵山温泉
長門湯本温泉から車で20分ほど、周囲を低い丘陵で囲まれた狭い谷間に、旅館が40軒ほどが、車がやっと通れる狭い道の両側に立ち並んでいる。
そのほとんどが木造・2〜3階建てで部屋数10前後、、内湯を持つ旅館が数軒しかなく、宿泊客は浴衣姿で、2つの外湯に出かけて入浴する。
ここには、明治・大正さながらの外湯文化・湯治文化が、まるで時間に取り残されたように現存している。
これだけ大きな温泉街で温泉場形成の基本形がいまに息づいているのは、日本中でここ俵山温泉だけだ。
ARさんと私は、外湯の一つ、「町の湯」に入浴した。
加温していない39度の源泉は温め、湯舟から惜しみなくあふれ出ていた。全国屈指、PH9.7の強アルカリ温泉のため、肌にまとわり付くようなヌルヌル感があった。
俵山温泉からいったん長門湯本温泉に戻り、国道316号線で南下、途中で県道31号線に乗り換えて中国地方有数の観光地、秋芳洞に向った。
秋芳洞
帰路へ
秋芳洞は想像していた以上に豪快な鍾乳洞だった。
日本最大のカルスト台地、秋吉台。もともとはサンゴ礁であり、何億年もの年月をかけて日本列島に組み込まれ、この地下には400ヶ所以上の鍾乳洞が存在している。
その最大のものが秋芳洞である。
総延長は約10km、このうち片道1kmが観光用に整備・開放されている。
地下から染み出た水が水量豊かな川となって流れる洞窟内を歩く。薄暗い照明が当てられた「青天井」「百枚皿」「黄金柱」といった水滴に含まれた石灰文が気の遠くなるような長い間をかけて作り上げた鍾乳洞・鍾乳石の奇勝を約1時間かけて探勝した。
洞窟内から流れ出る地下水は川となって流れ出る。
石灰を大量に含んでいるため灰色の川だ。
鍾乳洞への入口
洞内の地下水が川となって勢いよく流れる河床に設けられた廊下を歩いて内部に入る。
内部から見た入口。高さ20m、幅8mある。
洞窟内、最大の奇勝・黄金柱。高さ15mの巨大な石柱。
この前に高さ25m、幅35mの巨大な石灰岩の地底宮殿「青天井」がひろがるが、フラッシュが届かず撮影不能。
秋芳洞探勝をもって、すべての観光が終了した。そこから小郡ICまで南下し、500km先の大阪への帰路を取るべく山陽自動車道に乗った。
行きは「尾道ラーメン」、中日は蕎麦、帰りは宮島SA内で「広島風お好み焼き」を昼食とし、有終の美(!?)を飾った。水で溶いた小麦粉を薄く広げて焼き、中にはたっぷりのソバやキャベツを詰めて両面を鉄板で焼いて供される。
今回の旅は片道600km近くあり、長いドライブを要したが、中国地方を代表する観光地、尾道(ラーメン食べに市内を走っただけだが)、宮島・厳島神社、錦帯橋、萩、仙崎、秋芳洞等、短期間で主要観光地をゆったりと時間をかけて周ることが出来た。
温泉は、宮浜・長門湯本(2ヶ所)・俵山と3ヶ所だけで、温泉中心に考えると甚だ非効率な旅だったが、今回は日頃お世話になっている奥様方への孝行旅なのでもって良しとすべしだろう。
旅館は私の温泉巡りの基準、12,000円からもう3,000円オンすれば、部屋も食事もよくなるということが分かった。
俵山温泉街
町の湯
宮浜温泉
長門湯本温泉