カニと名湯・冬の旅
2004.223(月)〜2.24(火)

昨年同時期、ARご夫妻と一緒に、同氏の親戚の知人が経営されている浜坂・七釜温泉の民宿に一泊、家内と共に初めてカニのフルコースを満喫した。今年はARさんとAKさんとの男3人旅。宿泊場所は昨年と同じ民宿。温泉は西日本の名湯、城崎温泉(兵庫県)、奥津温泉(岡山県)、それに宿泊した七釜温泉で入浴、AKさんがまだ入浴していなかった湯村温泉にも立ち寄った。

1日目

午前7時30分・奈良県生駒市発→高石市(ARさん宅)→阪神高速→中国自動車道福崎IC→播但連絡道路→和田山IC→国道9号線・県道10号線→出石町(観光・昼食)→国道426号線・県道3号線→城崎温泉(観光・入浴)→県道9・11号線・国道178号線→但馬漁火ライン(山陰海岸国立公園)・余部鉄橋観光→浜坂温泉郷・七釜温泉(泊

2日目

午前9:00七釜温泉発→水産物直売所(買物)→県道47号線・国道9号線→湯村温泉→国道178号線→鳥取砂丘観光→国道29・53・482号線(辰巳峠越え)・国道179号線→奥津温泉(昼食・入浴)→国道179号線→院庄IC→中国自動車道・阪神高速→高石市(ARさん自宅)→阪神高速・第二阪奈→京奈和道路→八幡市(AKさん自宅)→京奈和道路→生駒市・午後7時30分着
全走行距離 : 762km
出石(兵庫県)の皿ソバ
播但連絡道路和田山ICから国道9号線・県道10号線に乗って出石町へ。ここはソバで有名な観光地だ。
豊臣秀吉に仕え、大盗賊・石川五右衛門を捕らえたり、小田原攻めで勲功を上げ、箱根に「仙石原」の名をいまに残す仙石権兵衛の末裔が、18世紀はじめ、信州から移封されてこの地を統治した。このときソバの技術が一緒にやって来たと言われる。
小雨の播但連絡道路中国自動車道福崎ICから和田山ICへ。
贔屓にしている「入佐屋」で昼食
出石のシンボル、辰鼓楼
センター駐車場近くのアイスクリーム屋さん、20種類以上のアイス。なかなか美味しいです。
50軒以上のソバ屋では、この皿ソバ(5皿が基準)にトロロ、玉子がついて800円前後。入佐屋は、あまりに観光地化されて出石ソバの品質低下を恐れる店主の集まりのメンバーだ。
城崎温泉(兵庫県)
出石ソバの昼食を済ませて、城崎温泉へ。
柳がそよぎ、数多くの太鼓橋が跨ぐ川沿いに木造2、3階建ての小さな旅館が立ち並ぶ。浴衣・駒下駄姿で7つの外湯巡り。文句なく西日本一、日本でも草津温泉(群馬県)や銀山温泉(山形県)と並ぶ湯場情緒のある温泉地。ここは小説の神様・志賀直哉の「城の崎にて」の舞台でもある。
城崎温泉のシンボル「玉橋」のAR/AKさん
七つある外湯の筆頭「一の湯」
一の湯入浴」記念写真
外湯の一つ、まんだら湯
柳の緑がないのが残念
但馬漁火ライン(兵庫県)
城崎温泉から国道178号線に入って、山陰海岸国立公園・但馬漁火ラインを進む。折からの低気圧の襲来で、今まで見たことのない日本海の怒涛押し寄せる断崖を横目で見ながら浜坂温泉に向う。
1日目
リヤス式海岸線が続く竹野・香住海岸、大波が断崖を襲う
かなり離れているのに飛沫で車のフロントガラスが曇った。
山陰本線・余部(あまるべ)鉄橋
明治45年3月、当時の最新技術で2年3ヶ月をかけて開通した。高さ41メートル、長さ309メートル、トレッセル式鉄橋では日本一。
昭和61年12月28日、香住発浜坂行の回送列車が突風で転落、乗務員と陸橋下の工場従業員6名が死亡した。
浜坂温泉郷七釜温泉(兵庫県)
民宿あさひ荘に午後5時到着。さっそく近くの七釜温泉公衆浴場に向う。
民宿あさひ荘
公衆浴場七釜の湯、素朴な公衆浴場だが、湯は源泉掛け流しの一級品
名物釜風呂のARさんとAKさん
2日目
心のこもった朝食
ARさんの親戚のおばあちゃまが同行してくれて、地元の魚屋で親戚へのカニを求める。浜坂漁港の証明書つきで送ってくれる。
鳥取砂丘(鳥取県)
国道178号線を西へ。鳥取砂丘は想像していたより広かった。
奥津温泉(岡山県)
国道53号線から国道483号線で雪の辰巳峠を越えて奥津温泉へ私の車はスタッドレスを履いていたので安心して通過した。
湯村温泉(兵庫県)
ARさんと私は昨年、ここで入浴したが、AKさんは初めてなので、一緒に荒湯・夢千代像を見学。公衆浴場「薬師湯」にはAKさんだけ入浴。私達は喫茶店でモーニングコーヒー
源泉の「荒湯」風景
川沿いの足湯に元気なおば様たちがおみ足入浴
美作三湯(湯原・湯郷・奥津温泉)の中で最も鄙びた奥津温泉は小さな旅館・民宿がわずか10軒ほど、吉井川を跨ぐ奥津橋の周辺に肩を寄せ合うようにして立ち並んでいる。
何れも源泉かけ流しの旅館3軒、「奥津荘」「東和楼」「河鹿荘」が隣り合わせに立ち並ぶ。
温泉教授・松田忠徳氏が、著書「日本百名湯」で奥津温泉をその中の一つとして選考、旅館はここ、東和楼を推薦した。

創業は昭和3年、木造3階建て、僅か10室の素朴な温泉旅館だ。詰めてようやく4人が入れる深めの湯舟の岩盤の底から、わずかにラムネ色がかった42.6度のアルカリ性単純温泉が自噴していて、肌にシットリした湯は惜しげもなくあふれ出ていた。
「東和楼」で立ち寄り湯
東和楼の温泉に満足して帰路についた。
カニフルコース、昨年は食べ切れなかったので、このカニの半分は自宅への土産として持ち帰った。