第6回高田夢まちシアター「横田丈実監督作品上映会」 |
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今回は、来る7/18に初上映される「大和川慕情」の上映会のためのプレイベントとして、「大和川慕情」の横田丈実監督の2作品の上映会と監督を交えてのトークショー。横田監督とは「あかりの里」の上映会をして以来の付き合いだが、「あかりの里」は、灯心引きの映像があり映像民俗学という視点でも考えさせられるなかなかいい作品だったので、今回の実験的二作品も個人的に非常に興味をもって期待をしていた。上映作品はドキュメント映画の「極楽寺、燃えた」とサイレント映画「月光」。二作品とも単純なエンターテイメント作品ではなく考えさせられる映画であり、簡単には面白いとはなかなかいえない作品。しかし、横田監督という人物を知るには、なかなか興味深い対照的に二作品だったように思う。 一本目の「極楽寺、燃えた」は民俗学的にも非常に興味深い作品だった。焼けてしまった極楽寺とそこにすんでいたお坊さんのことを、いろいろな人にインタビューをしながら、真実を探していくというスタイルの作品で、インタビューが進むに連れ、なくなった筈のお坊さんがまだ生きていると証言する人が出てきたりと、逆に真実がどこにあるのかわからなく混沌としていくという作り。上映の後のトークショーでも監督が言っていたが、亡くなったのを知っていながら、そのインタビューを撮ったそうで、そういった事実と食い違うことも含めた様々な証言の映像を切り取り、つなげあわせることで、物語が混沌とし、真実はどこにもないことを見せたかったそうである。しかし、僕自身は、映画を見ながら逆のことを考えていた。すなわち、「ここにこそ真実がある」と。確かにいろいろな人がいろいろなことを証言し、いったい何が真実なのかまったくわからない世界を描き出してはいるが、インタビューに答える人、その人にとっての真実がそこには映し出されていた。いい人だったと証言する人、変わり者だと言う人、様々な人がインタビューに答えているが、その人にとっての真実が確かにそこには生き生きと映し出されていた。そのお坊さんの客観的な人物像が、ぼやければぼやけるほど、乱反射するひとつひとつの光の中に、しっかりとした真実があるように思えてくる。人々の語り、それこそがやはり民俗学だ。名も無き人の語りが積み重なって作り出された総体、それこそが民俗だ。この映画もまた超一級の映像民俗学だと、しみじみと思った。 二本目の作品は、聾唖者たちと若夫婦、そしてピアノを弾く先生といった三者のちょっとしたふれあいを描く30分ほどのショートムービー。陳腐なものいいになってしまうが、完全なサイレントとではあるが、そこには音があふれていた。映画の中で奏でられるピアノの音は、聾唖者の視点を通すことで、少しずつ膨らみをもち、さらにそれを聞く夫婦のレコードとともに引き出される思い出が重なることにより、どんどんと大きな音になっていく。音の無い世界で奏でられる音。本来は音楽という音で表現されていた月の光だった筈が、逆にバケツの中に映る月の光がその聞こえない音を美しく聞かせている。共通感覚。人の五感は独立したものではなく様々に結びついている。そんなことを改めて感じさせてくれる映画だった。(2009.07.05) |
第7回高田夢まちシアター「大和川慕情」 |
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待ちに待った「大和川慕情」の初上映会。どれぐらいの人が関心を持って見に来てくれるかと少し不安ではあったが、さすが地元高田で撮られた映画ということもあり、お客さんの入りは、予想以上に多く、二回目は立ち見になるほどの盛況だった。個人的な都合で監督・出演者の舞台挨拶は見れなくて、出演者の思いなどを聞けなかったのがすこし残念だが、昨年の撮影をすぐ横で見ていたものとしては、どういう風に出来上がっているかが気になるところで、あの場面が、ああいう風に映し出されている、あのシーンがこんな感じになるのか、と改めて映像の凄さ、怖さといった力を感じてしまった。いつも見慣れた風景が、こんな感じに映し出されているとか、そんなことばかりに目がいく。すこしばかりストーリーを追いかけるのがないがしろになった感もあるが、今現在の高田のまちを映像に残してくれていることには少なからずの価値があるだろう。物語としては、父と子の微妙な確執といった人間模様を描くものだが、非常に微妙な表現が多く、横田監督らしく、見る側に考えることを強いるところがある。それはそれでいいのだが、高田が舞台であるということばかりを考えながらみていると、どれだけの人が理解を示してくれるか少し不安になってしまう。それとやはり注目なのが、製氷屋の風景。あくまでも役者が演じているので、生の仕事風景を映像におさめたわけではないが、その仕事場、氷作りという仕事を描くことはそれなりの意味があるのだろう。あと、同じような意味合いで、風呂屋の風景。フィクションという枠内ではあるが、それなりに面白い映像ではないかと思う。 とにかく、高田のまちで撮られた映画、それが一番の意義だろう。映像で伝えるこのまちのあり方。そんな魅力をしっかりと教えてくれる作品であることは間違いないだろう。(2009.07.18) |