一体、なにがどうなって、何故、この男は自分に刃を向けるのか、
サンジには理解出来ない。「ちょっと待てよ、オッサン!」と最初のうちこそ、
理由を尋ねようと喚いて見たが、だんだんそんな余裕さえ無くなって来た。

躊躇いのない切っ先が体スレスレに走る。遂にその切っ先はサンジの体に
僅かに届いて、薄いシャツを切り裂いた。細く焼け付くような痛みが左脇腹に
感じて、サンジはその男が間違いなく、(本気だ)と悟った。

避けるだけとは言え、サンジの体さばきはゾロのスピードに匹敵する。
それに刃を届かせてくるのだから、男の腕前はゾロに僅差で劣るか、
あるいは互角と言えそうだ。

(なんでだ)躊躇い無くサンジに向かってくる男とは対照的に、
サンジは自分の脇腹に傷を負いながらもまだ、戸惑っている。
それが、サンジの動きに迷いを生んでいた。

剣士相手に戦う時、サンジが狙うのは手首か、頭、あるいは足だ。
ゾロと比べれば、剣戟も軽く、隙は殆ど無いとは言え、ゾロほどではない。

何度か、ここぞ、と言う瞬間があった。
だが、本能的に攻撃に転じよう、とする体をサンジは理性で止める。
自分がこの男に再起不能になる程の怪我をさせたら、どうなるか。
幼い子供が飢えてしまう。空腹の惨めさ、辛さは誰よりも知っている。

そう思うと、この男とは戦えない。
それなのに、激しい攻撃から、背を向け逃げる事すら出来無い。

(・・クソ、オッサンの癖に早エ・・・)
避けて、受けとめ、弾き返し、そうするうちに徐々にお互いの呼吸が乱れてくる。
「・・・なんで俺を襲う?用ってなんだ」と切れ切れの呼吸を整えながら、
サンジはそう尋ねた。
「お前サンには恨みは無い」
「ただ、物乞いをするよりは自分の腕で欲しいモノを手に入れたいと思うだけだ」
「欲しいモノ?」サンジは男の言葉を聞き返す。
だが、男はそれ以上、語る事はない、とばかりに唇を引き結ぶ。
「物乞いはしなくても、これじゃ追剥と一緒だぜ、オッサン」
「それとも、追剥の方が物乞いよりはマシなのかよ」とサンジは怒鳴った。
だが、そのサンジの声など耳にも止めないで、男は再度、サンジに斬りかかる。

本気を出せば倒せる相手だ。
だが、手加減できる相手ではない、本気を出せば間違い無く、致命傷を
与えてしまうだろう。それでなくても、サンジは生身で戦っている。
本気で相対する気になれば、避けるだけではなく、相手の懐深くまで踏み込まなければ
ならない。大きな打撃を与えるには、大技を出す必要があり、それは、
逆に大きな隙を相手に見せる事にもなり、サンジの体にも今の状態とは比較出来ない程大きなダメージを受ける事になる可能性が大きい。

(どうすればいい?)
自分の体が傷付くのを怖れているのではない。
この男を傷付ける事無く、この場を回避し、何故、自分を襲うのか、その訳を知りたい。

(足の1本くらいへし折ってやるか)狙いを足だけに定めてサンジは腹を括った。
足を封じれば、速度はかなり落ちる筈、圧倒的な立場に立てば、この男も
観念して口を割るだろう。

そう思い、後ろずさってばかりいた足の動きを一瞬、止めた。
頭に振りかざし、振り下ろした男の剣戟は、サンジを懐に誘う為の布石だと
判っている。そこに踏み込んだところを下から掬い上げるように上へと
斬り上げる気だと、今まで数々の戦闘経験の中からサンジは見抜いていた。
そこを敢えて、踏み込む。男の目論み以上に早く動く自信があるからだ。

擦れ違い様に男の足を払う。
バランスを崩した男がよろめいて、地面に倒れた。
すかさず、サンジは男の脛を蹴り折ろうと足を振り上げる。
男はそれを剣で避けようとしたが、一瞬、サンジから気を逸らした。

本来なら、またとないチャンスだ。
だが、サンジはその男の視線の先に自分も目をやってしまった。

幼い子供が作ったらしい、小さな紙細工を男は剣を持たない方の手で握り締めるように拾う。そしてすぐさま、サンジの胸あたりに刀を横へと一閃させた。

言うまでも無いが、刀は巨大な包丁でもあり、鉄の棒でもある。
それで胸を強打されたのだから、当然、サンジは吹っ飛んだ。
もちろん、胸の皮膚はザックリと斬れた。
うずくまったサンジの胸からはボタボタと血が地面に零れ落ちる。
その傷を庇う様にサンジは自分の腕でその傷を押えた。

「・・オッサンの勝ちだぜ。欲しい物があるんだろ、やるよ」そう言って、
サンジは顔は俯きながら、けれど、目だけは男を睨みつける。
「お前サンの、その首飾りだ」男はサンジに近付き、やんわりとした手つきで
サンジの胸にぶら下がっている「海の雫」の鎖を引き千切った。
「正当な持ち主が生きていたら、いずれ持ち主に帰ると言う」
「それなら、持ち主を殺せば、この首飾りは行き場を失って一所に収まるだろう」
「そんな訳で、私はお前サンを殺さなければならないんだ」
「ある方に頼まれてな・・・許してくれ」

そう言って、男はサンジの首根に刃を添わせた。
(冗談じゃねえぞ、殺されるってんなら、話しは別だ!)
胸の肉を切り裂かれたぐらいで、観念したのは、ただ、理由が知りたかっただけだ。
その理由が判って、あまりの身勝手さにサンジは唖然とするより先に
まず、腹の中が煮え繰り返った。
これくらいの傷なら、まだまだ、動ける。

そう思って、男を突き飛ばそうとした時だった。

「そいつから手を離せ」
空気が凍りつくほどの殺気にサンジまで息を飲む。

男はすぐに剣を取りなおし、立ち上がった。
剣を一旦、鞘に収め、声のした方へと向き直る。

腕に覚えのある剣士同士の遭遇は、まるで、密林で虎と虎が鉢合わせしたような
緊張感を漲らせ、辺りの空気を震わせる。

「そいつの首を掻っ切りたかったら、まず、俺を倒すんだな」
「俺は、そいつみたいに甘くはねえぞ」

相手が自分よりも格が上だと判っていても、挑まれたら退けない。
そして、相手の格が下だと知っていても、決死で挑んでくる以上、
手加減はしない。
そんな剣士達の誇りなど、サンジには理解出来なかった。

サンジと違って、ゾロには一切の迷いも戸惑いも無い。
そして、男も、ゾロ相手に退けを取る事も無く、殺気以上に闘気を滾らせて、
ゾロと対峙する。

「殺すな、ゾロ!そのオッサンを殺すなよ!」
そう言ったサンジの声にゾロはちらりと一瞥をくれただけで、刀を咥えて引き絞った
口からはなんの答えも無い。

サンジの頭にいつかのゾロの言葉がよぎった。
アスカ島で、マヤ達を庇って訳の判らないうちにゾロに腕を斬られた時の事だ。

剣士と戦う時は殺す気で戦え、でないと死ぬ。

今もゾロがそのつもりなら、力の差から言っても間違い無くゾロは
(・・・オッサンを殺す気だ)と思った。
サンジは止めようの無い戦いを目の当たりにし為す術もないまま、呆然と見守る事しか
出来無い。

ゾロの刃が空気を切り裂く音がそして何かが地面の上にボトリと転がった。

男の右腕、その付け根から血が噴き出ている。
ドウ・・・と地響きを立てて、男は地面に倒れた。
息は飲み込むばかりで声が出せない。
サンジの目は無意識にこれ以上無い程見開かれた。
その映像は嫌が応にもサンジの目にも、脳にまでも焼きついた。

「オッサン!」サンジは思わず、男に掛けより抱き起こす。
「まず、血を止めてやれ、でないと死ぬぞ」ゾロはそう淡々と言い、自分の
黒い手ぬぐいをサンジに手渡す。
「ここにいろ、チョッパーを連れて来る」

「てめえ、それでも人間か!」

チョッパーを呼んで来るつもりで歩き始めていたゾロに、思わず、サンジはそう怒鳴った。
訳の判らない悔しさや、理不尽な悲しみが心の中に吹き出して、それに飲み込まれる。
目の中が熱くて痛くて、それでもサンジは胸の中に込み上げてくる言葉を
弾丸の様に吐き出す。
「誰が助けてくれって頼んだ、なんでこんな事をした!?」
「何も知らねえ癖に、なんでオッサンの腕をぶった切った!?」
「他にやりようがあった筈だ、なんでこんな事をして、平気でいられるんだよ!?」

自分がどんな顔をして、ゾロを見ているかなど考える余裕はまるで無かった。
余りに理不尽で、非道で、非情で、冷酷だ。
ゾロがこんな男だったなど、信じられない。
こうだ、と確固たる自信を持って信じていたものの全てが崩れて行く事に怯えて
悲鳴を上げている事にすら、自覚がなかった。

「お前には判らねえことだ」とゾロは呟いた。
自分に向けられたその緑色の瞳に、どんな感情が篭っているかなど、
激しい感情の渦に飲みこまれて動転しているサンジに判る筈が無い。

サンジには、抑揚の無い、感情のまるきり篭っていない、ただ、ただ、冷たいだけの
瞳にしか見えなかった。

「ああ、わからねえよ」
「てめえの事なんか、これっぽっちもわかってねえよ!」
「こんな酷エ事して平気な面してるヤツの事なんか、分かりたくねえよ!」

早く血を止めて、早く縫合すれば、命は助かる。そう思って急いで立ち去って行く
ゾロの背中にサンジの声が爪を立てる。
自分の言葉にゾロが傷付く事も今のサンジには感じようがなかった。

(剣士なんて禄でもねえ)自分を訳のわからない理由で襲ってきた男にも、
その男に一切の理由も聞かず、剣を向けた、ただそれだけで情け容赦なく
その腕を斬り飛ばしたゾロにも、サンジは震えるほどの怒りを感じて
押えられなかった。(理解できねエ・・)と男の傷口を自分の服を裂いた
布でしっかりと縛りながらサンジは唇を噛む。

理解出来ない事、それを言いなおせば、「信じられない」と言う事だ。

すぐにチョッパーが駆けつけて男の傷口を治療してくれたが、一度切断された
腕は2度と男の体には戻らなかった。


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