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ボクらの歴史[2009年04月の歴史]
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2009年04月12日(日)
■音楽の午後■
ここのところ週末にあまりのんびりしていない気がする。
しかもお仕事でなくプライベートの用事があるので!!
なんてことだ、もとい、すばらしいことだ。

先々週末はこちらにも書いた通り、飯田線ライド&浜名湖ライド。
先週末はノーマルな?飯田線旅行。
 # 飯田線に二週連続で行ったのなんて何年振りだろう。

そして今日は明石にライブに行ってきました。
 # もっとも、昨日の土曜は会社のレイアウト変更で肉体労働だったのですが…。
 # 週休2日はどうした。

「春風ライブ2009in明石」。
例によって皆谷尚美さんのライブです。
大久保駅近傍の青空堂にて。
 # 明石やお隣の加古川はほとんど仕事でしか行った事がないので微妙に変な気分(苦笑)
 ## 鍵っ子的には明石といえば「planetarian」のイエナさんなのか。

窓などが大きくとってあり、自然光が明るい会場。
その明るさもあり、妙に(いい意味で)アットホームな雰囲気。
他にあまりない会場やもしれません。

ライブのは2月に発売になった新アルバム「冬灯」の曲が中心。
実は私はバタバタしていたのでまだ買っていなかったのですが。ファンにあるまじき。
もっとも、ほとんどの曲を既にこれまでのライブで聴いているので問題が無いかも。

会場の雰囲気故ということもあったのやもしれませんが、
非常にのんびりゆるゆるでアットホームなライブでした。
「良かった」よりも「面白い」あるいは「楽しい」感じ。

来週末も鳴門でライブをされる由。
時間があれば足を運びたいところ。

■最後の皿回し■
1月に生産が終了したレーザーディスクプレイヤー。

私の手持ちの映像ソフトは未だに2/3がLD。
さすがに再生手段がなくなっては痛いので生産終了アナウンスと同時に確保に走りました。
もっともなかなかお店には在庫がなく結局は通販で、だったのですが。
そして先日ようやく届きました。最終4機種中一応の最上位モデルのDVL-919


皿回し

最近のDVDプレイヤー/レコーダーと比べると
そのまわす皿の巨大さ故の図体の大きさがステキッ!!
………もっとも、まだ現在使用中のLDプレイヤー(型番忘れた…)が
一応元気なので箱からは出していないのですけれど。

個人的には露骨にカチカチなデジタル画質のDVDよりも
LDのソフトでいて密度の高いアナログ画質が好きなのですけれど、
時代の流れ故の淘汰はやむなし、といったところでしょうか。
 # そもそもDVDからして既に後継のBlue-rayという存在があるわけですが。

大事に使わなくちゃいけませぬ。


2009年04月19日(日)
■淡路島ライドvol.9(旧淡路交通鉄道線跡)■
一夜明けて19日。
今日は淡路島を走ろうかと。

鳴門駅前9時12分発の淡路交通バスで出発。
大鳴門橋を渡り9時半には淡路島南IC着。
ここからは自転車で走ります。

ルートはこちら

ちゃっちゃと組んで9時50分頃に出発。
まずは福良の町を目指します。

……が、いきなりの急坂。
降りて押しこそはしませんでしたが
最序盤から体力を削られてしまいました。

とはいえ、10分も走るとサミットに達します。
ここからは福良までは下り坂。
途中の休憩所(なんだか鉄条網?で囲まれていましたが…)では
遠く後方に大鳴門橋が望まれます。

下り坂を快調に飛ばして10時半頃に福良着。

淡路交通の鉄道線はここ福良から洲本を結んでいた23.4kmの路線。
昭和41年には廃止されていますので既にそれから40数年が経っています。

淡路高越の廃線跡はこれまでも何度か
ポイントポイントでは訪ねているのですが
全線を通して辿るのは今回が初めて。

まずは旧福良駅。
淡路交通の福良バスセンター跡にあたります。
以前は旧駅舎をそのままバスの待合室に使っていたのですが
現在は新しい建物に建て替わっています。

福良駅から次の御陵東駅までの軽い峠越えの廃線跡は
国道28号の拡幅用地として転用され痕跡は全く残っていません。
道路としてはゆったりめのカーブが廃線跡っぽいといえばそうかも?

峠を越えた八幡交差点辺りが旧御陵東駅。
築堤が若干残されており、そこから先の農道は廃線跡をほぼトレースしたもの。
途中の賀集駅跡は辺りが少し開けておりそれと分かります。

賀集駅を過ぎると廃線跡はゆったりと左にカーブ。
その周辺は住宅や田畑に紛れて少し辿りにくくなっていますが
一部の空き地でそれと分かります。

廃線跡は国衙東交差点辺りで国道28号と交差し、北東に。
しばらくはほぼ国道に沿いますが、三原あたりで北西にターン。
そのまま北東に真っ直ぐ洲本に抜ける国道と別れを告げます。

この辺りの区間は痕跡らしい痕跡は何もありません。
ですが、一面にひろがるタマネギ畑は
恐らく当時とさしてかわりはないのでしょう。

廃線跡転用の道路は旧自疑島駅跡に建てられた
榎列小学校に遮られ一旦途切れます。
迂回して三原川を渡った辺りからしばらく廃線跡は歩行者自動車道路として残存。
神戸淡路鳴門自動車道をくぐった先、成相川の両岸には橋台の跡が残ります。
「当時のまま」というものとしては恐らくもはや唯一でしょう。

空き地として残る旧掃守駅から先の峠越えの廃線跡は再び道路敷地に転用。
以前に来た際には貧弱な路盤跡がひょろひょろと残っていたのですが
その後の高速道の建設やなんやでほぼ全滅の憂き目に。
ただ、静かな山あいの道に鉄道当時の雰囲気が偲ばれるのみ。

峠を越えた淡路広田駅辺りには明らかにそれと分かる築堤跡が残ります。
そこから先、旧山添駅付近まで点々と廃線跡が残りますが
まだらに民家敷地になっており真っ直ぐ辿れないのがちょっとストレス。

そこから先は以前にはそこそこ路盤跡や遺構が残っていたのですが
その後のバイパス工事やなんかでほぼ全滅。
先山〜下加茂の築堤跡も下加茂駅のホーム跡、
宇山駅の橋台跡も今はなし。
40年の時の流れはかように残酷か。

と、終盤が少々盛り上がりに欠けましたが、
洲本に辿り着いたのは14時過ぎ。
25km弱を3時間半程で。廃線跡を辿りつつにしては上の部か。

一便の船も発着しなくなり、
もはや場外競艇券売場の付属施設以外のなにものでもない
ポートターミナルビルでおうどんをすすってお昼ごはん。
店内のTVでは数時間前にバスから見下ろした鳴門競艇場での
レースの模様が流れています。

洲本出発は14時半過ぎ。
ここからは岩屋の「たこフェリー」の乗場まで30kmを
淡々と国道28号を辿るのみ。

洲本のおうどん屋のおっちゃんの話通り
ETC1000円効果なのか県外のへっぽこ乗用車が多くて少々走りにくい。
飛ばすなら飛ばす、ゆるゆる走るならゆるゆる走るで
はっきりしてくれた方が道路の端を走る自転車にはありがたいのですが。

何カ所か海が見下ろされ景色のいい区間もあるのですが
それよりむしろ気になるのは町々の廃れ加減。
本四架橋開通による影響で船が着かなくなった「港」の数々、
国道沿いに点在する活況を呈する大規模商業施設、
その一方で旧道沿いに目立つ廃業したお店。

島内の西側やしまなみ海道沿いの町と比べるとまだましですが、
私が淡路島を初めて走った10年ほど前と比べても随分な惨状。

10年前の明石架橋完成当時、
地域振興の決め手と思われたであろう橋も
要するに「淡路島を踏み台にしたぁ!?」なだけですし。
交通の便が良くなるということは
昔からの「交通の要衝」が不要になるということ。

そんなこんなで少々淋しい気分で16時半岩屋に到着。
前半のほぼ倍のペース。淡々と走ると全然違います。

たこフェリー岩屋港17時5分発の便で明石へ。

自転車持ちで何度も乗っていますが
自転車料金を払って乗るのは実は初めて。
なにしろこれまではいつも折りたたんで
「荷物」として持ち込んでいましたから。

明石からは真っ直ぐ山陽〜阪神〜近鉄で帰宅。
乗り換えは尼崎と生駒のみ。なんとも感無量。
「阪神なんば線」様々であります。



大鳴門橋遠望


旧福良駅周辺


旧御陵東駅付近築堤


旧賀集駅付近


賀集〜神代間


旧自疑島駅跡


自疑島〜掃守間


成相川橋台跡(左岸)


成相川橋台跡(右岸)


旧掃守駅


掃守〜長田間


掃守〜淡路広田間の峠越え


旧淡路広田駅付近築堤


淡路広田〜山添間


岩屋港着



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