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ボクらの歴史[2008年11月の歴史]
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2008年11月03日(月・祝)
■風雲再起よ我が足となって戦えッ!!ヒヒーーーンッ!!■
奈良->彦根->浜松町->奈良の弾丸遠征からなんとか帰還。
「無事」ではないです、色々と。

とりあえず生きてはいますので。ご報告まで。

こちらも忘れちゃいけねぇ。冬コミは受かりました。ありがたや。
 # お隣は例によって、っぽい

いずれも詳細はまた明日以降にでも。


2008年11月04日(火)
■有明・冬のまんがまつり■
来月(―ッ!?)の冬コミについて。
ありがたいことにスペースを頂けました。
12/28(日)[1日目] 東ニ20b です。
# お隣は例によって例の如くの方のところっぽい。机は別だけど。
# 都合七回目。同時に同じイベントに参加している場合の隣接率実に10割。
# 例によってよろしゅうおねがいしますですよ。
## しかしまぁ、ありがたくはあるのですが、流石に新鮮味がないですよねー。
## お隣さんはどんな人かな〜トカでドキがムネムネ(死語)みたいなのが!!
## 朝の挨拶からして「今日はよろしくお願いします〜」「お願いします〜」トカじゃなくて
## 「よう」「おう」ってな感じだしねぃ。腐れ縁の友達的というか倦怠期の夫婦的というか(苦笑)
## 頼むから他にジェットxヴァージニアなサークルさんが出てきて欲しい(復活でも可)

ともあれ、なにしろもはや1ヶ月半ほどしかないわけで、
年末に向けて公私ともに忙しくなることを考えると
前倒し前倒しで原稿を進めていかないと。

トカ言っていても結局直前に大慌てで書いてるんでしょうけれど。

--
memo;

指定券事前申込11/15〜
12/28-30 宿泊予約済

■霜月旅日記■
この三連休(+α)について。
ちょっと毒入りです。そういうのが嫌な方はスルー推奨。

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10/31(Fri);

仕事はお休みを頂いて母校の学祭の設営の手伝いに。
大嵐セクションで模型を走らせなくなって久しく、
実際の設営やら模型の走行やらのノウハウが伝わっておらずその辺の伝授の為。
……のはずが、なんやかやで色々とアドヴァイスやら提案やらをしてしまいましたとさ。
現役の子に煙たがられてるんじゃないかとちょい心配。
結局晩9時過ぎのデッドラインギリギリ(というかちょっとオーバー)まで。
# にしてもメインで動いてくれたのが1回生ばかりだったってのはちょっとどうかと…

11/01(Sat);

自宅での休養日。

3日の三都用に、以前から少しずつやっている幻水IIIの小説の再録本の編集を
仕上げようと頑張ったのですが結局タイムアップ。
なにしろ元が5、6年前の原稿ですからそのままの再録という訳にもいかず
あちらにもこちらにも加筆修正を!となってしまったので。
冬コミか年明け2月の三都かな。

11/02(Sun);

母校の学祭へ。

が、彦根駅に着いて、ボチボチ大学まで歩こうかと、
まず変わりかけの信号を駆け足で渡ろうとしたところ…左足に激痛が。
どうもアキレス腱あたりを痛めてしまったらしい。
足首を折って腱をのばすと激痛が走る。

とはいえ、常時痛いとか派手に腫れているとかいうわけでもなく
ゆっくりなら歩けるし、右足に体重を乗せれば立っていられるのでとりあえずは放置。
ただ、左足首及び膝が曲げられないので歩きにくくはあるんですが。
例えると初代の1/100ガンダムみたいな(例えが難解すぎ)

で、肝心の後輩の展示。
準備段階で私らOBの助力があったとはいえ、それなりに頑張ってはいたとは思う。
が、一生懸命の子とそうでない子の温度差が激しすぎる。
頑張ってる子に負担が集中しすぎている感が。

その辺りのことを学祭終了後からの新会長辺りに苦言を呈すると
なーんだかもっともらしいことを言ってのらりくらりと逃げるし。
なんていうか「個人」の「資質」と「自由」を逃げ口上にして
サボろうとしているようにしか思えない、新会長が率先して。

能力と経験が豊富で天賦の才に恵まれたガンガンとメンバーを引っ張っていけるような
リーダーでもない限り、基本的に会長/部長なんて尻叩き役、雑用係。

ただ、その「尻叩き」と「雑用」は団体が動いていく上では不可欠なこと。
上手く尻を叩いてみんなでやっていこう、というような、やらなくちゃ、というような雰囲気に持っていくこと。
そして、みんなが動きやすいように道を環境を整える為に要らぬ雑事は自分が片づけておく。
そういう環境整備さえ行き届いていればあとはそれこそ「各自の自由」で活動なんて動きます。

が、彼の発言を聞くに、1点目の雰囲気作りについては、各自が何かをやろうと思うか否かは
あくまで各会員の「個人の資質」と「自由」だから自分が云々出来ることではない、との由。
2点目についても、動きたいか否かは「個人の自由」。
だからその環境整備も「自己責任」でやればいい、との由。

「資質」と「自由」、そして「自己責任」の名の下に
全てを各会員に丸投げ&押しつけしているようにしか思えない。

「自己責任」と言われてしまうと、誰も何かをやろうなんて考えなくなるし、
万が一考えたとしても周りの人の同意と協力を取り付けない限りは果たし得ない。
本来の会長の役目はそういったことをやりやすくする為の
「潤滑油」的なものだと思うのだけれど、違うのかしら?

これが「ゆとり」か……――ッ!!

現役の活動に一旦関わってしまうとこんな風に色々と気になってしまいかねず、
ついついそれに苦言を呈したりしてしまいかねない…、それは予想できたんですよね。
だからこれまでは現役の活動からは敢えて露骨なほど距離を置いていたわけで。

さーて、一旦現状を知ってしまったからにはどうしたものだか…。

学祭終了後は駅前の飲み屋でOB、現役交えてどんちゃん騒ぎ。
OBのアホノリに現役の子は少々呆然。でもそんなノリを羨ましがっていた様子。
ま、サークルなんぞ基本はノリと勢いだからねー。
現役君が多少なりともなにかを学んでくれればいいのですが。

彦根駅前のホテル泊。

11/03(Mon/Hol);

「三都41」に日帰りで参加。

一夜明けても足は回復はしておらず、普段なら数分で歩ける彦根駅までが10分ほどかかり、
痛い足を引きずっての駆け込み乗車なんて羽目に。

新幹線の車内からは久々に富士山の山容が綺麗に望めちょっと得した気分。
なにしろ普段は東海道筋の行き来は大体夜にベッドの中なので〜。

東京についてからがまた大変。
東京駅構内の移動に15分。浜松町駅から都産貿までに30分。
余裕をもって着けるはずだったのに、会場に着いたのは一般入場開始直前でした。
あぶないあぶない。

「三都」は2月の「38」以来だったので楽しみにしていたのですが、
足のことがあったのでうろつくも叶わず、ほとんどスペースにひきこもってました。
ご近所さんの本をちょびっとばかり買っただけ。

終了後もお知り合いさんとご飯でも、という話もあったのですが、
新幹線の予約を変更して、早々に帰路につくことに。

……が、何しろ三連休の最終日。既に軒並み満員。
結局変更出来たのは1時間後の列車。
これならご飯一緒出来たやないですのん。

しかもやってきた列車は車内の臭いと揺れが苦手なN700系。
これまで2回乗って、いずれも酔いに酔い、下車後に派手にリバースしています。

所謂「新車くささ」なのかもしれませんが、
車内に鼻を突く独特の樹脂っぽい臭いがたちこめており、それだけで既に酷い吐き気が。
更に振り子故なのか妙にふんわりした乗り心地がまたよろしくない。
その妙な浮遊感が吐き気を倍加させる上に、すれ違い時の
横にはじき飛ばされる感じの揺れで腹がひっくり返される様な気分に。

今回も酔うことを前提に出来るだけ乗る前の飲食は避けていたんですが、
やはり案の定ダメでした。京都に到着後トイレにこもってケロケロと……。

来年秋には東海道筋の「のぞみ」は全てN700系になるらしいですが
そうなると敢えて遅くなることを承知で300系や700系の「ひかり」や「こだま」に
せざるを得ないのかしら……。困ったモンだなぁ。

そんなこんなで満身創痍気味で21時頃に帰宅。

とはいえ、ポイントポイントでは楽しかったので総合的にはプラスでしたけれど。


2008年11月11日(火)
■せむし男■
ジョン・シルバーの如き歩きで過ごした一週間。

普段は五体満足でいられていることに感謝したくなりますね。
なにしろ健康体ならものの数分で歩ける距離に10分15分とかかるんですもの。

で、立っていること、歩くことという日常生活で「基本」ともいえる行動で「疲れる」というのはなんとも言えないストレスに。毎日仕事を終えて自宅に帰りつくだけでヘトヘトですもの。
 # もっとも、普段からして超!残業でヘトヘトではありますが(苦笑)

ちなみに先週末に負傷?から1週間目にして初めて病院に行ったのですが単純な肉離れでした。なんつーか、もう無理が出来ない歳なのか…orz

とはいえ、1週間も経てばそれなりには回復の兆しも。
まだまだびっこ気味ではありますが、そこそこのスピードでは歩けるようになりました。
普段の2/3程度かしら。

早いとこ治らないものか。

■もはや人の振りを見て我が振り直せないお年頃■
そんな中、先週末日曜日は毎年秋恒例の「正倉院展」に行ってきました。
入場前1時間ほど待ちで中では普段よりは少し短い目の3時間ほど。
さすがに帰宅後はちょ〜っと足が余分に痛んだトカ。

ちなみに正倉院展は昭和21年にスタートして以来、二回の東京での開催を除くと今回で実に60回目の開催。私が足を運びはじめてからでももはや10数回。

で、記念になにか特別派手なものでもあるのか、というとそれほどでもなく。
綺麗なもの、それなりにいいものは出ていましたが、一目見ておぉ〜ッ!!というほどのものはなかったような。

なんやかやで毎年足を運んでいる正倉院展ですが、近年如実にお客のマナーが低下しているような気がします。特に年配の方。じっくり見たいのは分かりますが、ひとつの展示品の前で動かずじ〜っと見ているのはどうかと。ゆっくりでもいいので列が進んでいかないと他の人が見られませんものね。で、若者がやんわりと注意をしたりしても睨んで「邪魔するな」と叫んだり。みっともない。嘆かわしい。

「最近の若者は…」よりも「最近の年寄りは…」とか言われかねませんぞ。

■湖畔のお宿■
そして今(11日23:40現在)は、明日早朝からの大津での交通量調査の為に琵琶湖岸のホテルに。しかもなんだか最上階、しかももろに琵琶湖側の部屋。なんだか普通に琵琶湖に観光旅行にでも来たかのようで落ち着きませんよ。

まぁ、明日の調査の為の現地踏査やら準備やらでチェックインは21時過ぎ、明朝は5時半にはチェックアウトしてしまうので折角の琵琶湖の展望もまともに見ずじまいだったりするのが侘しきかな。

一応展望風呂があったのでせめては…と、琵琶湖の夜景の眺めつつ一風呂浴びてはきましたが。


2008年11月17日(月)
■ひとりぼっちのおまつり■
びっこ引き引き2週間目。
さすがにそれなりに治ってはきているのですが、まだなかなか。

そんな中、火〜水曜日は大津での現地調査。
幸いそれほど歩き回るというものでもなく、移動時も基本は自転車だったのでそれほどのダメージはなく。
とはいえ、翌日には負傷部を庇う為に酷使気味の太股が強烈な筋肉痛になりましたが。
「筋肉痛で動けないので午前休」なんて初めてだ(苦笑)

更に金曜日には何故か平野綾のライブに。
純然たる「声優さん」のライブって何時以来だろうか…。5年とかいうオーダーになりそうだ。

最近ではそっち方面のアンテナもすっかりたたみっぱなしなので
平野綾といっても「とりあえず声優らしい」程度の認識で歌も一曲たりとも聴いたことなく。
会場にいたおにーさん方に言ったらぶち殺されそうですけれど。
ですが、お知り合いさんに「社会見学」だとか「"今"も見なくちゃ!」と誘われ、
半ばこわいものみたさで参加してみた次第。なーんだかお客さんの様子が面白い?らしいので。

結果。

なかなかよかったです。あくまで「ステージ上は」ですが。
バックバンドの演奏のレベルの高さは圧巻でした。メンバー紹介の時やなんかのソロの時は聞き惚れる程。
メインボーカルの平野さんの歌も声量面では申し分もなく、ホントしっかり歌えていて正直ちょっと意外。

が、下馬評…というか前評判通り、お客の方のレベルの低さもまたこれは特筆すべきかと。
今回のツアーの東京よりは「多少」はマシだったようですが、しっかり怪我人やらも出ていたらしい。

振るサイリウムの色も曲調やら雰囲気無視でバラバラ。
バラードなど「聴かせる曲」でも無理に振る、無理に跳ぶ。
使用後のサイリウムやら水の入ったペットボトル、しまいにゃ人が飛ぶ。
アンコールも全然揃わない。無駄に叫ぶ。立入禁止の柵を勝手に動かす…等々。

一昔前(になっちゃったのね……orz)の國府田マリ子だの椎名へきるだの丹下桜だのの頃も
確かに端から見れば思いっきりはっちゃけて弾けて大暴れではありました。
ですが、それはステージ上のアーティストさんや他のお客さん達とともに
ライブを盛り上げていこう!、ライブを作っていこう!という思いによるものだった様に思うんです。
ですからステージ上と客席はもちろん、偶然隣り合ったお客さん同士にも独特の一体感があった。

ところが、今のはっちゃけ方は、なんだか単純に「自分が盛り上がりたいから」だけで
やっているように思えました。周りが全然見えていない。見ようともしていない。
サイリウムの件やアンコールが揃わない辺りに如実に現れていますよね。
なんだかヒステリックな暴動のようでした。

確かにこれはいい「社会見学」にはなりましたね。

とまぁ、そんな日々なので、足も治るような治らないような…(←自業自得です

■宴の前哨戦の宴■
土曜日は学部鉄研のOBやら現役やらと会っていました。
色々と悪巧み進行中なので、その打ち合わせとか色々。

京都九条の上新に寄ってKATOの20系客車7両セットにグラグラ〜〜…………で、倒れた(弱ッ!!
だって、あの深いブルーの美しさとまるまるな車端部の造形の秀逸さには勝てませんよ。
基本的に丸っこい車両好きですし。

その20系も肴にしつつ夕方からは飲み
。 夕方6時から終電ギリギリまで目一杯話し、騒ぎ、叫び、飲みましたとも。
話のネタが最初の頃こそ鉄研のこと、鉄道のことだったのに、
そのうちに萌えだのエロゲだののネタに移行しているのはどうなのよ、と。
一応周囲に聞こえてもギリギリ恥ずかしくない…というか分からない内容だったかな。
というかそう思いたい。

にしても来週のOB会でも飲むのにね〜。

■名も無き者たちのお祭り■
そんなこんなで金・土と足を酷使気味だったので、日曜日は日がな一日つとめて家で休養を。
本を読んだり、(ちょびっとだけ)部屋の片付けを進めたり、冬コミ原稿のプロットをいじったり等々。

そんなことをやりつつ、土日に行われていたAlcotの18禁ゲーム「Engage Links」のヒロイン人気投票なんぞに参加してみたり。

対象はメインヒロイン4人+サブキャラ3人。5分に1度投票が可能で無記名のコメントを残すことも出来るというもの。

そのコメントも、多少は他のヒロインを悪く言うもの、1位のヒロインの投票を「不正投票」と決めつけるようなものもありましたが、概ねは「響子さん好きじゃ〜〜〜!!」的な平和なものばかり。運動会の「エールの交換」的に他のヒロインにもエールを送るようなものもあり。なんともほのぼのかつ当方は赤く萌えている状態でなかなかに楽しい。

基本的に同じキャラが好きなもの同士が集まって投票しているわけですから妙な連帯感のようなものも徐々に生まれてくるんですよね。5分ピッチで誰が発言しているのかもはっきりはしませんが、なんだかチャットみたいな雰囲気。私も途中から興に入ってSSのようなものを書いていたりしました。しかもちょびっと大人向けのを。

たまにはこういうのも楽しいものです。
もっともなかなかこういうものに参加できるほど時間がダラダラとあることはないのですけれど(^^;


2008年11月29日(土)
■飲む阿呆、歌う阿呆■
びっこ生活3-4週目。
さすがにもう概ね治っているのですが、いまだにふとした拍子に痛みが走ったりするので厄介です。

そしてこの土日は大阪市下の某再開発地域で24時間の調査。
もっとも、24時間といってもあくまで拘束時間の話ですから、その実結構暇。
で、こうして日記の更新なんぞに勤しんでみるわけです。

早くも一週間前になってしまいましたが、先週末は学部鉄研のOB会で彦根に。
少し早い目に彦根入りする予定だったのですが、
前日金曜日がいつもどおり(苦笑)の超!残業で
深夜1時の帰宅だったので泥熟睡モード。朝?気がつくと既に11時。
当初彦根入りする予定だった時間です^^;

結局1時半ごろに彦根着。ちょうどお昼を済ませた一行と合流して彦根城天秤櫓に。
せいぜい準備を手伝っていながら未だに展示を見に行っていなかったんですね、実は。

実際の展示を見てみて、色々と感じたこと、考えること、言いたいことはありますが、
何よりもやはりほとんど鉄道模型を知らない後輩達が周りの手助けはあったとはいえ、
あれだけのことをやり遂げたということには素直に賛辞を送りたいと思います。
正直他の展示がどれも貧相に見えたもの。

ただ残念なのは肝心の彼らがその凄さを認識しておらず、
かつ、少なからず「やらさせられた」ことと思ってしまっていること。

この辺りは「みんなで馬鹿やって、みんなで苦労して、みんなで楽しむ」ことが
出来ていればよかったんでしょうけれど、その辺りは以前にも書いたとおり
上回生(特に会長、次期会長)が最初にそういう雰囲気にもっていき得なかった時点で
残念ながら望み得ず。

OBという立場から手を引き、お尻を叩くことは出来なくはないですが、常時それをするは叶わず。
それにやるべきではない(実際現状でも正直でしゃばりすぎですもの)。
やはりそれはあくまで現役のもの同士でなんとかしていかなくちゃならない。
OBは側面援助はできますが、直接の原動力になっちゃいけないから。

ただまぁ、なんやかやでここまで関わってしまいましたから
手を出すか否かはさておいてもう少し若者の様子を見てみたいと思います。

特別展を見た後は駅前に戻り、「和」さんで模型運転会。
持ち込みは14両フル編成の「サンライズ」と買いたての20系客車だけだったのですが、
存分に走らせましたとも。特に「サンライズ」の14両なんて自宅では
滅多なことで走らせられませんから。

そして、嬉々として自分の車両を走らせているOBに感化されたのか、
飯田線にも一緒した後輩君が「はじめてのおかいもの」でC53なんぞにお倒れ。
で、思わずお兄さん?は嬉しくなっちゃって20系を貸すだけで飽き足らず、
ついつい新1号御料車なんぞに倒れて貸し与えてしまったりして。んむ、いい色だ。

存分に模型を走らせたあとは飲みに。
が、当初予約していた店が人数オーバーで変更に。
さらに変更になった店でも丸々ひと区画を貸切状態。
とりあえずなんとか集めたメンバーではじめて13年。
当時の飲みといったら1テーブルに足りるか足りないかがやっと。
それがここまで人数が集まる団体になるとか!なんとも感無量。
その辺の思いは他のOBも同じ様子で、なんだかみんな明るく弾け気味。
もっとも、一部に弾けすぎちゃってモノまで弾けてるのがいましたが。

飲み後はカラオケに。
宿の門限の関係であまり長くおれず少々不完全燃焼気味ではありましたが、
こちらがまた別の意味と方向性で弾けまくり。
件のC53な後輩君と「タイムレンジャー」やら「Gガンダム」辺りで
絶妙のシンクロ具合。周りが微妙に引いていたような気がしないでもない〜。
他の曲もやばめの替え歌だったりして終始ぶっ飛んだノリでした。

結局宿の門限にはちょびっと遅れてしまいましたとさ。

■浪速大阪鉄道彷徨■
先週末の日記の続き。

明けて翌23日(日)。
鉄研1回生有志2人とOB2人で大阪へ。
1回生の子の「鉄道模型デビュー」が目的。
もっとも、片一方は既に前日にデビューしちゃいましたが。

彦根発0855の新快速で出発。
12両編成だし余裕で座れるかしらートカ思っていたのですが3連休故なのか壮絶な混雑。
彦根で乗った時点で既に乗車率100%超。しかも進めば進むほど混んでくるし!!
京都到着直前なんぞ身動きすら取れない始末。

大阪到着後、まず弁天町の交通科学博物館へ。
子供のころから何回となく来ているけれど未だに飽きもせず。

11時からの「ミュージアム探検ツアー」に参加。

交通科学博物館は大宮の鉄道博物館とは違い、
一部の車両以外は基本的に保存車両の車内には入れないのですが、
この「探検ツアー」ではその車内を学芸員の引率で見学できます。
不自由っちゃ不自由ですが、保存車両の保全という点ではいいことではないかと。
実際鉄道博物館の保存車両の状態は目を覆わしむるものあるらしいですし。

12月までの「探検ツアー」は引退直前ということで「0系新幹線バージョン」との由。
先日鉄道記念物に指定されたばかりの0系新幹線のグリーン車、普通車、ビュッフェの見学。
いずれもほぼ初期のままの状態。子供の頃に憧れていた「新幹線」が正にコレ。
遂に0系のグリーン車には乗らず仕舞いでしたから、こういう形ではあるものの
実際に乗れて、座席に座ることが出来て念願が叶ったというもので。
もっとも車窓は流れませんけれど。

あとは展示をブラブラと見て歩きます。
概ねは変わっていませんが「安全な運行」コーナーが新設されている辺り
某事故の影響が影を落としていたりして。

お昼は20系客車の食堂車で。
1回生君はそもそも「食堂車」でご飯を食べるということそのものがはじめて。
確かに彼らが物心ついた頃には新幹線ですら食堂車がほぼなくなっていたわけで。
微妙にジェネレーションギャップを感じてみたり。

その後は資料室に少し寄ってから脱出。
環状線を一駅乗って大正へ。そして徒歩で南海汐見橋駅駅へ。

この汐見橋駅がまたすごい。
難波からの徒歩圏にかくも周囲の街の時間から隔絶されたかの如く
昔のまま厳然としてあるというのは驚嘆に値するのではないでしょうか。
そしてこうしてあるということの裏には様々な事情や人々の思惑がある。
こういうのがある種「歴史」ってもんじゃないかな、と。ちと大げさ?

汐見橋からは南海線、阪堺線を乗り継いで恵美須町へ。
途中、後輩君のB級ドリンクチャレンジが2回行われたことは 歴史として記しておかねばなるまい。

上新ディスクピア6Fで開催中の鉄道模型ショーを冷やかす。
レイアウトが幾つか展示してあるわけですが正直なところ、
天秤櫓で展示しているところのうちのものの方が格段に出来が上。
その辺、ここ数ヶ月あのレイアウトと付き合ってきた現役君たちの口から
「自信」として聞けたのはなんとも心強いこと。

その流れでスーパーキッズランド辺りになんぞ模型でも買いに…
という予定だったのですが、なかなか手頃なものがない。
これが最近の傾向なのか、6両、8両、10両…といった編成単位
(しかも初心者には長い目)でのセット売りばかり。
私らがなけなしのお小遣いを手に
単品売りの車両を一両ずつ集めていった…という様な
買い方は今は出来ないらしい。

結局一人が西バージョンの205系の4両セットにお倒れ。
一方の子は近く再生産されるKATOのC11辺りを買うそうな。

その後は梅田で終電ギリまで飲み。
先週も昨日も飲んでいるというのによくまぁ飽きもせず。

てなわけで、先週末はかようにがっつりしっかりと遊びたおしました。
もっとも、翌週…つまりは今週末以降からの
大多忙の「嵐の前の静けさ」に他ならないわけですが。



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