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ボクらの歴史[2006年12月の歴史]
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2006年12月07日(木)
■いっかいやすみ■
その後、おしごとがなんだか更にすごいことになってきています。
拘束24時間の現地調査の仕事が先週〜来週に三つだとか。
その分、内勤は一段落している感じではあるのですが。

5-6日が24時間でこの週末9-10日と来週12-13日がまた24時間、ということで、
今日は疲れをとる&英気を養う、ということでお休みを頂きました。
丸一日目一杯お休みかつずっと家でのんびり、なんて何ヶ月ぶりかしら。

というわけで、色々放置気味になっていることをやろうと思っていたのですが
結局なんだか一日中ぼけぼけと過ごしてしまいました。
いえ…やろうとは思ったんですよ?
でもこう…気が付くとぼ〜っとしちゃってる。もしくは寝てる。
いやぁ〜、大丈夫だとは思っていたんですが、
ここしばらくのハードなおしごとで結構身体は疲れているようで。

■年末に向けてのTo do List■
さて、そんなわけで、おしごとでいっぱいいっぱいな毎日なので
せっかく受かった冬コミ向けの準備がさっぱり進んでいません。

とりあえず先日書いていた年末の切符は無事手配できたので
行って帰ってくることはなんとか出来るのですが、
肝心行った先での準備がさっぱり…。

まずはWA新刊。
「コミケ初売り」ということになれば、前回のCity大阪での新刊はあります。
とはいえ、せっかくのコミケ、やっぱりきっちりと新刊は出したいんですよね。
一応通勤中やなんかにHandHeldPCのキーボードを叩いてプロット(のようなもの)を書いてはいるんですが、
なかなかそれをきっちりとした文章にブラッシュアップしているまとまった時間がない。
とりあえず、来週中になんとか目処をつけたいところ。

コミケ関係だともう一つは当日の売り子さん。
一応お知り合いさん一人には声はかけてはいるんですが、
まだ仕事やなんかの都合で当日来られるか微妙、との由。
それにRPGとかはあまり分からない人なので微妙かな〜と。

というわけで、冬コミ1日目どなたかお手伝いお願いできませんか〜?
出来ればRPGとか分かる人で。
 # ここで書いても手を挙げてくれる人いなさそうな気はしますが(苦笑)

もう一つ。
これはどちらかというと一般人風のネタ。
そう、「年賀状」です。

今回は「就職」したということでその報告がてらきっちり出したいと思っています。
そして、毎年やっているように今年も干支の木版画で、と思っているので
これも結構まとまって時間がいる。

というわけで、ざっとの予定。

  • 第2週( 3- 9日)&第3週(10-16日) : 冬コミ向け新刊
  • 第4週(17-23日) : 年賀状
  • 24-25日: 皆谷尚美 眉山ライブ
  • 28日 :「状況」開始
  • 29-30日 ; 冬コミ
てなところかしら。
全然具体的じゃないですがッ!!
■NHK時代劇フリークス■
NHK木曜時代劇「慶次郎縁側日記3」第10話「蝮の恋」。

NHKの時代劇は結構好きです。
「大河」は言うに及ばず、木曜時代劇(もしくは前身の「金曜時代劇」)も。
民放の時代物の様な派手な殺陣やなんかはありませんが、
その分非常に緻密で丁寧なキャラ描写、心情描写が光ります。

この「慶次郎縁側日記」シリーズも一作目からお気に入り。
ドラマから入って原作もちょびちょび読んでたりします。

「人が人を裁くこと/救うこと」という非常に重いテーマを
毎回少しずつ違う角度から描いており、
毎回しっかり観ていると正直疲れます(苦笑)
ですが、観ている間はホント目が離せない。
一つ一つの台詞、俳優さんの表情の移ろい...etc...
その一つ一つが心に染みる感じ。

かといって重さ一辺倒でもなく、
懸命に、でも明るく生きる市井の人々の描写もいいです。
特に好きなのは慶次郎と佐七のかけ合い漫才、かな。

で、今回の「蝮の恋」。

奥田瑛二演じる蝮の吉次と彼の元女房おみつの因縁話の続き。
原作にはない話で脚本家オリジナルということで
ちょっと他の話と毛色が違うかな?という感じはしましたが
なかなかに面白かった。特に終盤の吉次とおみつの対峙が。

他の人が入り込めなさそうな二人の間の微妙な緊張感と
でもその裏側で通じ合っている二人の関係が台詞の一つ一つに見え隠れして。
最後の手を握り合うところとかはー、なんかこうッ!!エロいねッ!!
「PATLABOR2」のしのぶ&柘植のラストのシーンを彷彿とさせられました。

こちらも後二話ですか〜。

■嗚呼ッ!!我が青春の日々ッ!!■
2日に彦根であった学部の頃の鉄研のOB会に行ってきました。ええ、仕事の前に(苦笑)

在学当時はそれほど感じていなかったんですが、
学部時代はなんというか…青春時代?(何故に疑問形…)でした。

彦根という世間一般では「田舎」とカテゴライズされるであろう街での4年間。
しかも生まれて初めての一人暮らし。
そして、基本的には親からの「仕送り」という名のパイプライン供給に支えられて
日々の生活の維持には気を病む必要もなく、ただただ自分の為に安穏と暮らしていけばいいだけ。
今から振り返るとなんとも幸せでのんきで平和な4年間でした。

卒業以来、彦根にはあまり足を運べていませんでした。
確か最後は卒業直後の秋の大学祭辺りだったかと。都合5年くらいになりますね。
鉄研のOB会も毎年この時期にやっているのは知っていたのですが
公私ともに色々と忙しい時期なのでなかなか参加できず、今回が初めての参加。
設立者なのになんてことだ(苦笑)

久し振りに彦根を訪ねるにあたって不安だったのはずばりその「時の移ろい」。
先述の通り楽しく過ごした彦根の街が変に変貌を遂げてしまってはいないか、と。
実際日本各地で彦根程度の規模の街では中心市街地の商店街がすっかり空洞化し、
郊外に正直美しいとは言い難い大規模小売店舗が雨後の筍の如く立地、
街そのものがある種の「崩壊」の憂き目にあってしまっています。
彦根もそうは成り果ててはいないか、と。それが不安でした。

ですが実際に足を運んでみたところどうもそれは杞憂だった様です。
無論、全く在学当時のまま、ということはありませんでした。
ちょこちょこ店が建物が潰され、真新しい馬鹿でかいマンションやビルなんかに
建て替わっていたりはしましたが。ですが、メインの「佇まい」はあまり変わっておらず一安心。

何よりも私の青春の住まいたる、近江伊那小沢、もしくは滋賀大鉄研初代部室な
私の下宿の建物が未だに健在だった、というのはなんとも嬉しいこと。
なにぶん、築50年とも60年とも噂されている建物ですし、
恐らくは卒業後に取り壊されているのではないか、と思っていたもので。
同じ様な築年数だと思われるオーミケンシの社宅も今では取り壊され
大規模ホームセンターに成り果てていますから。
ところがうちの下宿は未だに建っているどころかちゃんと今でも人が住んでいる様子。
私が当時愛知環状鉄道八草駅前で拾ってきた赤いポストがしっかり元気でしたとも。

もっとも、変化が激しいであろう郊外部に行ってはいませんので
そういう物を見かけなかっただけ、あるいは目に見えないところで
変化が進んでいるのかもしれませんが。

そして、近江彦根といえば井伊直政、佐和山は石田三成ッ!!
まさにこのところ楽しみまくっているNHK大河「功名が辻」に縁の地の一つ。
相変わらず街から見える彦根城天守や駅裏山佐和山の姿がなんとなしに
違って見えました。

地元の奈良も然りですが、高校の大和郡山に学部の彦根、と
なんだか「歴史の舞台」を転々としていますね、私(笑)
大学院の神戸の西の方も「鵯越」とかありますしね。
んでもって今は「大坂城」の近傍、と。

さて、肝心のOB会についてですが、なかなかに楽しかったです。

まず前祭として駅前の平和堂6Fのライブリースペース「和」さんで鉄道模型運転会。
この「和」さんがなかなかにすごい。
もともとは催し物の為のスペースだったらしいですが、
結構広いスペースにNゲージとHOゲージの巨大なレイアウトがドンッ!!と鎮座。
まだまだ製作中の様で未完成の部分も目立ちますが、
それをさっぴいてもその規模に圧倒されます。

私自身は残念ながら車輌の持ち込みはしなかったんですが、
(というか直接おしごとなので持っていけなかった、が正解)
他OBや現役会員の車輌が走るのを眺めつつ、みんなと思い出話や近況を
話せて楽しかったです。

そして1次会は彦根城外堀端のポム・ダムールさんにて。
去年に新たに出来たお店らしくて、なんというか…彦根に似つかわしくないオシャレなお店でした(失礼ッ!!)。
時間の都合で1時間ほどしかいられなかったのですが、
久し振りに当時の仲間や後輩達と顔を合わせ、
一緒に話をして、酒を飲めたのはホント楽しかった。
次回はもう少し時間をかけて訪ねたいと思います。

そして、20時過ぎの新快速で大阪へとって返します。
で、その足で南部の都会の荒野(ということにしておこう…)で24時間の測定のおしごとに。
ボクがんばったよ…ねッ!!

ともあれ、久し振りの彦根、楽しかったです。


2006年12月08日(金)
■4年振り■
コミケ「61」とか「62」辺りでやっていた「状況」計画を久し振りに作ってみました。
とはいえ、ここの閲覧者も、現地で会う人も、減ったり傾向が変わってしまったりしているので
どれだけの需要?があるのかは分かりませんが。
■4日振り■
今日は月曜以来4日振りに会社に。
火-水と現地で木曜日はお休みを貰ったので。
といっても、ほとんどが明日からの現地調査の準備に忙殺されていたわけですが。


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