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ボクらの歴史[2002年12月の歴史(2)] | |
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2002年12月25日(水) | |
■近況■ | |
姫路で作業をしてみたり、なんとなしに「君望」なんぞをやってみたり、風邪をひいて40度弱の熱で数日間寝込んでみたり、点滴ドーピングをしてみたり、「こだま号」で頑張ってみたり、面影橋で♪り〜くえすとぉ だったり、秋葉原で人 そんな内に気が付くとクリスマスだったりするんですね。やれやれ。 |
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■散財リスト■ | |
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本日のBGM/BGV: | |
2002年12月26日(木) | |
■いもうと■ | |
「君望」。 私は、基本的に遥じぅやぅなので、以前に知り合いに借りてやった頃から遥ルートばかりで、他のキャラは手付かずでした。とはいえ、さすがに自ら金を出して買ったわけですし、一通り他のキャラも攻略しようかな、と。
というわけで、まずは妹萌え…じゃなくて(^^; の茜ルートをば…。 ちうわけで 茜エンド、茜バッドエンド1、茜バッドエンド2 了。 |
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■臨終■ | |
ちびころ。 今朝から大分弱っている様子で、朝のミルクは全く飲まないどころか、湿らせたガーゼで水をやろうとしても飲もうとしなかったんですが、お昼過ぎ頃からいよいよ虫の息といった風情。 まともに動けないのは言うまでもなく、そもそも身体はふにゃふにゃで筋肉が感ぜられない感じ、時折体全体で一生懸命息をしようとするか、おさまりの悪い足の位置を微妙に変えようとする程度。そういう姿を見させられるとあまり食欲は出ないのですが、一応昼飯は食べつつずっと様子見。
そして、14時頃。 享年18年と5ヶ月弱。人間でいうと90数歳、というところでしょうか。別に特に何の病気、というわけでもなく、眠る様な死でしたので、正に天寿を全うした、というやつでしょう。寿命以外の何物でもなく。 ちびころがうちに来たのは今を去ること18年前、私が小学校の4年生の夏休み明けでした。近所の女の子の家で飼っていた柴犬と紀州犬の夫婦が生んだ5匹の子犬のうちの一匹。体のサイズや色、全体の雰囲気はどちらかというとお母さんの柴犬似。ですが、鼻や足の短さ、微妙な体のバランスなんかはお父さんの紀州犬似で、むしろそれ故に柴犬にありがちの表情のキツさが和らげられていて可愛い犬でした。 それから私が中学生になって、高校生になって、浪人して、大学生、大学院生となっていったこの18年間、ずっと家に帰るとあの犬がいました。昔はそれは元気で表情も豊かで正に言葉を喋っているような犬。さすがに大学生になった頃からは徐々に老いが見えてきたもののまだまだ元気でした。その後、耳が聞こえなくなり、2年前の春の手術以降は目に見えて弱りだしました。後足が弱り徐々にちゃんと歩けなくなり、猫や他の犬にも全然吼えなくなり…。 幸か不幸か、私はまだ近しい人の「死」というものには直面したことはありません。母方の祖父が小学生低学年の頃に亡くなっていますが、まだその頃では明確に人の「死」というものが認識できるわけもなく。そういう意味では、犬ではありますが、今回のちびころの「死」というのははじめて直面する「死」なのかもしれません。 明日からは散歩に行く必要もないですし、お昼間に日向で転がしてお腹をこちょばしてやることもない、庭でしてしまったうんこや小便の処理をすることもない、風呂場で洗ってやることもない、納屋の下に入り込んでしまったのを助け出すこともない、あの間抜けな鳴く声を聴くこともない。 やはりこれまで当たり前の様にそこにあったものがなくなってしまうというのは悲しいことです。あれ以上生きていたとしてももはやちびころ自身にとっても恐らく幸せではなかっただろう、とは頭では分かってはいるんです。でも、たとえ一日中寝ているだけでも、場合によってはうんこや小便を垂れ流しになって醜態をさらす様な状況であったともう少しでも生き続けて欲しかった、ともまた思うんです。 息を引き取って瞬間に泣き崩れる、なんてことはありませんでした。でもさっきからこの文章を打ちながら何度か目尻が熱くなってしまいました。人も動物も生きている限りいずれ死を迎えるものです。ですから、月並みではありますが、その生きている間には幸せに生きていきたいですし、幸せに生かしてあげたいと思います。飼い主側の勝手な思いかもしれませんが、ちびころは恐らくはこの18年間幸せにゆったりと自然に過ごして来れたのではないかと思います。安らかに。
# しかし、やっぱりリアルな経験ってのは違いますね。 |
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本日のBGM/BGV: | |
2002年12月27日(金) | |
■失敗は成功のママン■ | |
「状況」開始前にやっておきたいことを色々やっている内にあっという間に夕方。 で、一昨日用意しておいたアップルパイの衣(?)用の生地が冷蔵庫の中に寝かせっぱなしであることを発見。本当は昨日の昼にでも作ろうと思っていたんですが、ちびころの一件でそんなことどころじゃなかったので。 というわけで、あわてて中身の煮込み林檎を作って焼こう…と思ったところ、生地が寝かせ過ぎで既に硬くなってしまっている様子。伸ばしてパイ皿に敷こうとしても折れるわ砕けるわで大変。無理矢理何とか包もうにも生地が足らず上には生地を被せられずオープンカー状態(苦笑)。 おまけに焼きあがってみても皮の不味いこと不味いこと…。ここまで明確に菓子作りや料理でミスをしたのははじめてやも知れず。また余裕があるときにでもリターンマッチといきますか。 |
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■TPO■ | |
そんなこんなでバタバタしている間に、「Gong0より各車」(わけわか)。 22時前に出撃。奈良駅には例によって、微妙に駆け込み乗車の様な、そうでもない様な微妙な按配到着、バスに乗車。発車後暫く、「まわりきる」トカ、「一般列」トカ、「サークル券」トカ「国展駅」トカ言う様な専門用語がふんだんに含まれた会話をを携帯電話で喋りまくるお姉さんがいらっしゃったりしてちょっと苦笑。 | |
■近頃の若いもんは…■ | |
車内。
左後方のお姉さん。
お隣のお兄さん。
右前方のお姉さん。
なんか、夜行バスの乗客のマナーって年々低下している様に思うんですが…。
そんなこんなであまり眠れんでした。 |
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本日のBGM/BGV: | |
2002年12月28日(土) | |
■冬のまんがまつり 1日目■ | |
夜行高速バス「やまと号」。 早朝6時前に新宿高速バスターミナルに無事到着。 先述の様な事情で全く安眠できなせんであした。で、むしろ降りてからの方が眠いという状態はどうかと思うのですよ。んで、バスを降りてから、しばし眠気と寒さから呆然としていると、目の前に見覚えのある方発見(笑)。お知り合いの幻水サークルの方。去年の夏にも同じ様なシチュエーションで偶然会った様な記憶が…。 そんなこんなで、今回も旅は道連れ世は情け、でしばらくご一緒することに。お知り合いと一般で入られるということなので東京駅までではありましたが。 さて、TWR全線開通ということで選択肢は増えているのですが、結局はいつもどおりの、京葉線、TWRのルートで侵攻。が、京葉線は空席だらけ、更にはTWRも堂々と座れてしまってなんだか拍子抜け。思わずベイエリアの朝陽の風景に浸ってみたり。 国際展示場駅の改札で若干混んではいたものの、これまでと比べるとはるかにスムーズに開場入り。なにやら物足りなくてコミケットではない様ですな(苦笑)。 今回の「かふぇ・ぱら」はお誕生日席。しかも「うちゅーせーは」もすぐご近所。なんとも便利でいいのですが、ただ冬コミにお誕生日席というのは寒くて難儀ですな。まだ今の段階ではシャッターが開いていないのでなんとか耐えられますが、シャッターフルオープンとなればえげつないことになりそうな予感が…。 チラシを片付けたり、結局まともに出来なかった「電話帳」チェックを今更しているうちに編集部の方々も到着、開店準備にかかります。まだまだ名ばかりの「か編集長」の私ですので、皆さんが手際良く準備されるのを多少手伝うのみ。
しかし…、もう既にえげつない行列が出来ているのですが…。
10時前。
開始後しばらくはあまりの出足の悪さに戦々恐々。 昨晩はあまり寝られておらず、マッピングがちゃんと出来ていない。その上にこの寒さでなかなか席を立って買いに走ろう、という気分にはなれません。本来、場所的には大通りを挟んだ向こう側がちょうどヤマト島ということで絶妙の位置、にも関わらず、です。あとは先日のちびころ逝去の精神的ショックから立ち直りきれていない、というのもあるのですが…。 とはいえ、お昼過ぎからちらちらとお買い物に出撃。 近場のヤマト島の「水野書店」&「銀河海軍」あたりを中心にレトロアニメ系の島をぶらぶらと…。 東3の「009」エリアものぞいてみようとも思ったのですがどうにも24だの29だの249だのの罠ですごいことになっていそうだったのでパス。せめてFCだけでも顔を出すべきだったやもしれませんが。更に言うと、西の少女漫画やサンデー系(というかゆうきまさみ系)も…とは思ったのですが、結局は東館ひきこもりに終わりました。 実際のところ、あれもこれも…と言い出すとそれこそお金がいくらあっても足りませんし、ある程度一点集中の方がいいわけですが。それに、明日以降のことも考えると今日は控え目にしておくのが無難ですし。 |
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■自明の謎リスト■ | |
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