2007年 一覧


(60)沖縄密約
   (西山太吉)
(59)明日の記憶
   (萩原浩)
(58)ウェブ炎上
   (荻上チキ)
(57)「改憲」の系譜
   (共同通信社 憲法取材班)
(56)凍える牙
   (乃南アサ)
(55)不動産は値下がりする
   (江副浩正)
(54)空中庭園
   (角田光代)
(53)それから
   (夏目漱石)
(52)こころ
   (夏目漱石)
(51)「慰安婦」問題とは何だったのか
   (大沼保昭)
(50)西の魔女が死んだ
   (梨木香歩)
(49)総員玉砕せよ
   (水木しげる)
(48)人道的介入
   (最上敏樹)
(47)点と線
   (松本清張)
(46)草の根の軍国主義
   (佐藤忠男)
(45)指揮官たちの特攻
   (城山三郎)
(44)戦争倫理学
   (加藤尚武)
(43)三四郎
   (夏目漱石)
(42)中流の復興
   (小田実)
(41)硫黄島に死す
   (城山三郎)
(40)「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう
 (神戸女学院大学 石川康宏ゼミナール)
(39)チェチェン やめられない戦争
   (アンナ・ポリトコフスカヤ)
(38)検証 戦争責任U
   (読売新聞 戦争責任検証委員会)
(37)落日燃ゆ
   (城山三郎)
(36)チェチェンの呪縛
   (横村出)
(35)僕はパパを殺すことに決めた
   (草薙厚子)
(34)生まれる森
   (島本理生)
(33)異人たちとの夏
   (山田太一)
(32)観光コースでない韓国
   (小林慶二)
(31)歴史にみる日本と韓国・朝鮮
   (鈴木英夫・吉井哲)
(30韓国の中学校歴史教科書
   (三橋広夫 訳)
(29)戦争で死ぬ、ということ
   (島本慈子)
(28)結婚の条件
   (小倉千加子)
(27)ぼくのボールが君に届けば
   (伊集院静)
(26)核大国化する日本
   (鈴木真奈美)
(25)殉死
   (司馬遼太郎)
(24)湛山除名
   (佐高信)
(23)黒猫/モルグ街の殺人
   (エドガー・アラン・ポー)
(22)竹内好「日本のアジア主義」精読
   (松本健一)
(21)ブラフマンの埋葬
   (小川洋子)
(20)大川周明
   (松本健一)
(19)観光コースでない東京
   (轡田隆史、福井理文)
(18)日本の失敗
   (松本健一)
(17)ドナウよ、静かに流れよ
   (大崎善生)
(16)ノモンハンの戦い
   (シーシキン他)
(15)不動心
   (松井秀喜)
(14)象は鼻が長い
   (三上章)
(13)主語を抹殺した男 三上章評伝
   (金谷武洋)
(12)朝鮮半島「核」外交
   (重村智計)
(11)硫黄島 栗林忠道大将の教訓
   (小室直樹)
(10)クリスマス・キャロル
   (ディケンズ)
(9)慰安婦と戦場の性
   (秦郁彦)
(8)従軍慰安婦
   (吉見義明)
(7)名張毒ブドウ酒殺人事件六人目の犠牲者
   (江川紹子)
(6)スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」
   (小澤徳太郎)
(5)手紙
   (東野圭吾)
(4)密約 外務省機密漏洩事件
   (澤地久枝)
(3)日記の魔力
   (表三郎)
(2)万里の長城 
   (カフカ)
(1)改革の虚像 裏切りの道路公団民営化
   (櫻井よしこ)
読書のコーナー:2007年
  最近読んだ本を紹介します。

                                            トップページへ戻る
◆今年(2007年)読んだ本
 (◎お奨め  ○良い  □普通  △あまり良くない  ×つまらない)
   ・・・5段階に変えました(4月17日)

(60)□沖縄密約(西山太吉:岩波新書):2007.12.31
   1971年に調印された沖縄返還協定において米国が日本に支払うことになっていた
  米軍用地復元補償費を日本側が肩代わりするという「沖縄密約」があった。
  当時 毎日新聞記者だった西山氏は外務省事務官の女性から極秘電信文を入手し、
  社会党の横路議員に渡して国会で追及させた。
  密約問題は、その後、機密漏洩問題にすりかわり、事務官と西山氏は逮捕された。
  裁判では、事務官は1審で有罪(確定)、西山氏は1審では無罪だったが、2審で
  有罪となり最高裁で確定した。
  その後、密約を裏付ける米公文書が見つかり、当時の外務省アメリカ局長も密約を認めた。
  しかし、政府は一貫して密約を否定している。

  本書が沖縄密約を事件の当事者としてどう関わったかについて書いてあると思って
  読んだのだが、実際はそうではなく、最近の日米軍事再編を中心に書いている。

  費用の肩代わりの他に、緊急時核持ち込みに関する密約が沖縄返還交渉であった。
  それが今なお影響していることが本書にも先に読んだ(57)「改憲の系譜」にも書かれている。
  今、日米の関係は日米安保の範囲から大きく逸脱してきている。

  大きな問題があることはわかっているのに国民全体が考えないようにしている。
  今後の日本の進路で一番重要なのはアメリカとの関係をどう変えていくかだ。
  今のままで良いと思っている人はおそらく誰もいないだろう。


 (メモ)
  ・1967年日米首脳会談(佐藤・ジョンソン)
    ロストウ大統領特別補佐官の提案
    →佐藤首相による米国のベトナム戦争を支持表明演説
  ・1968年3月 ジョンソン大統領 北爆停止を発表。大統領選への不出馬宣言
  ・1968年11月 琉球政府行政主席に屋良朝苗氏当選
           (基地撤廃を掲げて即時無条件返還を訴えて当選)
  ・1969年 極秘合意議事録 (緊急時の核再持ち込み)
           (佐藤・ニクソン署名)
  ・日本側支出は積算方式でなく、つかみ金方式。
   →グアム移転経費でも同じ方式
  ・沖縄返還時の日本支出は6億8500万ドル
   旧植民地に対する賠償ともいえる対韓国経済協力無償3億ドルの約2倍
  ・1997年 日米防衛協力のガイドライン
    「周辺事態」の概念を「地理的なものでなく、事態の性質の着目したもの」と規定
    基地使用の対象領域の拡大、自衛隊が後方支援するという枠組み
  ・1999年 周辺事態法
  ・2003年 武力攻撃事態対処法制(有事法制)
  ・2005年 「日米の共通戦略目標」の中間報告
  ・2006年 最終報告採択
  ・中国の外貨準備は世界一になった。米国債の最大の引き受け先
  ・日米軍事再編での日米一体化のシンボルが米陸軍第一軍団の座間進駐
    ・・・・第一軍団の行動範囲はアジア・太平洋全域から中東を含むインド洋に及ぶ

(59)□明日の記憶(萩原浩:光文社文庫):2007.12.17
   少し前に渡辺謙、樋口可南子出演で映画化され、話題になった作品の原作である。
  50歳の広告代理店部長である佐伯(渡辺謙)は若年性アルツハイマーと診断される。
  作品では妻(樋口可南子)との関係、仕事での混乱など、診断後の半年間の症状の
  変化を描いている。
   私自身、人の名前が出てこないことが頻繁にあり多少心配しているので、他人事
  とは思えない気分で読んだ。
   ただ、主人公佐伯の心の苦しみはあまり伝わってこない。涙を流しているようなの
  だが、文章からは伝わってこない。淡々とした話にしたかったからか、作者の力の問題
  かはわからないが、もう少し深みのある心の描写があってよいのではないかと思った。


(58)□ウェブ炎上(荻上チキ:ちくま新書):2007.12.8
   インターネット上で起こる現象の多くはインターネットがない時代でもあった現象で
  ある場合が多いが、インターネット上では過剰に現われてくることが多い。特にウェブ
  上の特定の対象に批判が殺到する「炎上」現象を中心に、さまざまなキーワードを
  用いて説明している。
   ウェブ上だけでなくそれ以外での議論の場でもあてはまる記述もあり、参考になる。

  (メモ)
  ・ソーシャルブックマーク :サイトのURLを登録しておく「お気に入り」をネットワーク上に
     保存し他のユーザと共有できるサービス
  ・インターネットの特徴を「可視化」と「つながり」という概念で見る。
     限りない数の情報を目に見えるようにし、情報と情報をつなげていく。
  ・サイバーカスケード :サイバースペースにおいて各人が欲望のままに情報を獲得し議論や
     対話を行なった結果、特定の(たいていは極端な)言説パターンに集団として流れ
     ていく現象
  ・エコーチェンバ :(本来)音の反響効果を人工的に作り出す部屋や装置のこと
     自分に都合の良い言説を選択し、多くの人と同調しあうことでその声を大きくすること
  ・集団分極化 :集団で討論を行う際、異なる意見へと歩み寄るよりは、もともと持ち合わ
     せていた性質を強化する傾向があり、討議を終えると人々は当初の意見の延長線
     上にある極論へとシフトしていく可能性が高くなる現象
  ・米グーグルの検索結果ページを閲覧するときの視線を調査した結果によると、
     3番目までは100%、6位以下は50%以下、10位は20%に落ち込む。
  ・グーグル八分 :検索エンジンに表示されない状態
  ・中国でグーグルが政府の「検閲」に同意。
     中国版での検索結果と米国版での検索結果は大きく異なる。
   →アーキテクチャーが重要な役割を果たす。
  ・2004年4月に起こったイラクでの日本人人質事件でのバッシングにおいて、議論内容は
   匿名、顕名、実名で大差なかった。
  ・流言の量は、問題の重要性と状況のあいまいさの積に比例する。
  ・混乱した状況にもっともらしい理由を与えようと努力するのは、それ自体デマの一つの
   動機になっている。
  ・認知的不協和 :人がある認知と矛盾した認知に遭遇した際、心の中に生じる不協和
  ・カスケードによって議論の枠組み自体が固定化されてしまう =争点のカスケード
  ・カスケードを「中和」する取り組み
     論点を整理する「まとめサイト」作成と、グーグルでの上位ランキング化
     既存カスケードに対する対抗カスケード
  ・カードスタッキング :自らに都合のいい事柄を強調し、都合の悪い事柄を隠蔽するタイプの
             イカサマ
  ・ウェブ上ではいくらでも過剰に振る舞うことができる。
  ・動機の語彙 :動機に関する類型的な語彙 ・・・本当の動機かどうかは別
  ・批判の語彙 :上記と同様に、その言葉で批判したからと言って本当にそれを信じて
     いるかは別。
  ・討議を豊かにするアーキテクチャ
     マスト・キャリー・ルール :反対派へのリンクを義務付け
     「はてなダイアリー」における「はてなキーワード」や「おとなり日記」
     グーグル以外の選択肢


(57)□「改憲」の系譜(共同通信社 憲法取材班:新潮社):2007.12.3
  米軍再編の問題を知りたくて読んだが、そういう本ではなかった。
  内容的には知っているはずのことが多いのだが、忘れていることや頭の中で
  整理できていないので、そういうこともあったなあ、というレベルで思い出すこと
  が多い。
  本書には時系列ではないが歴史的経緯がいろいろ書かれているので、うまく
  自分の中で整理できれば役立つ本だと思う。


  (第1章:9条を超える同盟)
  ・「(湾岸で出した)130億ドルはlittleではなかった。国際平和を守るのに
   能動的でなければならない、というのが湾岸の教訓だ」柳井駐米大使
  ・2001年9月21日 横須賀から出港する米空母キティホークの前後を海上
   自衛隊の護衛艦2隻が伴走。
   防衛庁は「調査研究に基づく警戒監視」と説明。
   後藤田正晴が防衛事務次官佐藤謙に電話で批判
    「そこに漢和辞典があるか。調査研究を引いてみろ。どこに護衛と書いてある」
  ・1987年夏 外務省審議官栗山尚一 イラン・イラク戦争で掃海艇派遣を力説。
   後藤田反対
  ・1991年4月 海自掃海艇ペルシャ派遣
  ・2001年11月 イージス艦派遣を検討(中谷防衛庁長官)→反対で実現せず
  ・2002年12月 イージス艦をインド洋への派遣決定
 
  ・2001年9月 米中央司令部そばの駐車場にトレーラーハウス(イーグル・ビレッジ)
   各国派遣の連絡官が事務所として使用(2003年3月には49カ国)
   日本も2002年8月から使用
   コアリアクション(有志同盟)で自主的参加となっている。
   アフガン村の隣にイラク村もできた。
  ・2003年2月24日 国連本部で国連監視検討視察委員会(UNMOVIC)会議
   ハンス・ブリクス委員長「大量破壊兵器があると確定的に言えない」
   あと数ヶ月あれば正しい結論が出るかもしれない、と発言
  ・3月6日 ブッシュ大統領 国連決議なしの武力行使も辞さない姿勢
  ・3月7日 ブリクス委員長 イラクの姿勢を積極的と評価
  ・3月20日 イラク攻撃開始
  ・12月19日 ミサイル防衛導入決定

  (第2章:制服組の台頭)
  ・防衛庁の従来組織
   防衛庁長官--副長官--長官政務官(ここまで政治家)|
    --事務次官--防衛参事官(複数)--長官官房、内局、3幕僚監部・自衛隊
  ・参事官は背広組、内局:背広組、3幕僚監部・自衛隊:制服組
  ・シビリアンコントロールは本来「政治による軍の統制」を指すが、
   日本では官僚優位が定着し、文官統制を呼ぶようになった。
  ・2003年6月 有事関連3法(武力攻撃事態法など)成立
  ・2004年6月 有事関連7法(国民保護法など)成立
  ・2000年夏から自民党本部で国会開催中に週1、2回行なわれる早朝の
   国防会議に数名の制服組出席

  ・1991年4月24日 海自掃海艇ペルシャ派遣(海部内閣)
  ・1991年4月26日 出航
    母艦はやせ、掃海艇4隻、補給艦1隻
    機雷処理に参加した国の中で唯一護衛艦を伴わなかった。
  ・渡辺美智雄「90億ドル出しても誰も感謝しないが、掃海艇を出すだけで
           感謝される。どれだけ安上がりか」
  ・以降使える自衛隊へとかじを切る
  ・1992年6月 PKO協力法案成立
  ・1992年9月 自衛隊カンボジアへ

  (第3章:兵器商戦)
  ・1952年 航空機・武器の製造禁止解除
  ・1956年 三菱重工が生産開始(ライセンス生産)
  ・1971年 国産ジェット練習機T2初飛行
  ・1976年 次期支援戦闘機(FSX)国産計画
   →1987年 日米共同開発(開発費日本負担、日本技術は米に提供、
                    米の飛行制御ソフトは供与なし)
   →2000年完成 1機120億円(当初予定より40億高)

  ・正面装備契約高
   (1990年)1兆727億円 (2003年)7630億円 (2004年)7088億円・・ミサイル防衛除く
  
  (第4章:改憲の水脈)
  ・1960年 秘密討論記録
    「核の持ち込み(イントロデュース)は、日本領土への配置や設置を意味し、
     核武装した艦船や航空機の立ち寄りはこれに当たらない」

  (第5章:同盟の島、沖縄)
  ・元京都産業大学教授 若泉敬 「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(1994年5月出版)
    日本側が米側から沖縄返還時の核兵器の合意を取り付けた裏で、日米両首脳が
    米軍による緊急時の核再持ち込みの密約を取り交わしていたことを暴露
  ・1964年 佐藤内閣発足 沖縄施政権返還を新政権の目玉に
  ・1965年2月 米軍 ベトナム北爆
  ・1967年11月 日米首脳会談 
     佐藤首相 ジョンソン大統領のベトナム政策全面支持を表明
  ・1967年12月 米軍死者1万5千人を超える。南ベトナム米軍47万8千人
  ・1968年3月 ジョンソン大統領 北爆停止を発表。大統領選への不出馬宣言
  ・     11月 琉球政府行政主席に屋良朝苗氏当選
           (基地撤廃を掲げて即時無条件返還を訴えて当選)
  ・     11月 B52爆撃機 嘉手納基地で墜落
  ・1969年5月 極秘NSDMB (緊急時の核再持ち込み)
  ・    11月 72年に核抜き本土並み返還決定
  
  ・1995年9月 沖縄米兵少女暴行事件
       10月 県民総決起大会
  ・1996年1月 橋本政権発足
       2月 クリントン大統領と首脳会談。 普天間返還を要望
       4月 日米政府 普天間返還に合意(県内移設が条件)
       9月 「撤去可能な海上ヘリポート」構想 ・・・橋本首相
          (名護市辺野古沖が候補地に)
  ・1997年3月 橋本首相 大田知事に地元説得を求めるが、
           知事は海兵隊削減なしに説得できないと返答
  ・1998年2月 大田知事 海上ヘリポート反対を鮮明に
       7月 橋本首相 参院選敗北で退陣
       11月 大田知事 知事選で稲嶺に敗れる。
  ・1999年 沖縄県は移設先を辺野古沖に決定
  ・2002年7月 謙は埋め立てによる軍民共用空港建設の基本計画に合意
  ・2004年8月 沖縄国際大学構内に米軍大型輸送ヘリコプタ墜落
          →1995年のような反基地運動は盛り上がらず
  ・2004年9月 小泉首相 ブッシュ大統領と会談
           「米軍基地の整理縮小と並行し、代替機能として自衛隊に
            一層の責任を負わせる」と非公式に伝える
  ・2005年2月 日米政府 共通戦略目標に合意
       10月 一部埋め立て施設建設の折衷案で折り合う。
  ・2006年5月 稲嶺知事 普天間代替施設をキャンプ・シュワプ沿岸部に
           建設する案を協議していくことで合意

(56)△凍える牙(乃南アサ:新潮文庫):2007.11.14
  ファミリーレストランで突然一人の男から炎が上がる。その犯人を警視庁機動
  捜査隊の音道貴子と警視庁立川中央署の滝沢保が追う。
  初めは非常に緊迫感がありその後の展開に興味が湧く。しかし、中盤になると
  少し弛緩してきて、話の流れもおおよそ見えてくる。終盤は緊張感はまた生じて
  くるが、犯人を全く描こうとしないので、話が深まらない。最初に男が燃えた事件
  の扱いが最後には非常に軽くなってしまって、無理やりストーリーにしたような
  違和感が残る。
  文章には力を感じるので多分他に良い作品があるのだろうが、これが96年の
  直木賞受賞作品とは信じられない。


(55)□不動産は値下がりする(江副浩正:中公新書ラクレ):2007.10.27
  建築基準法の改正等によって高層ビルの改築・新築が増加し、都市の床面積は
  どんどん増加している。郊外でも規制緩和により住宅となる土地が増加している。
  このような状況でありながら、低金利によって住宅需要は高い状況にある。今後の
  金利上昇によって住宅需要は下がり、住宅の供給過剰が明確になってくるので、
  郊外を中心に不動産は値下がりする、というのが主な主張である。
  前半は東京近辺を中心に、どういうふうに床面積が急増しているかが具体的に
  記されている。後半は不動産投資信託(REIT)などを例に金利との関係が書かれ
  ている。
  そして、最後には、「東京は魅力を増し続け人口は増え続ける」という項目で終えて
  いる。東京は一流の料理店が多くあり、美術展、オペラ公演も多い。そういう場所を
  離れて田舎暮らしなどする人は少数派だろうと書いている。都会の便利さは確かだ
  ろう。でも江副さんのようなお金持ちが東京で住み心地が良いのと、ごく一般の人の
  感覚とは大いに異なっているのではないか。お金持ちはうらやましい。でも、普通の
  人から乖離してしまうのは寂しいことではないのかな、と他人事ながら思った。


(54)×空中庭園(角田光代:文春文庫):2007.10.26
  この小説は一体何が言いたいのだろう。仲が良さそうに見える家族も一人ひとりが
  何を考えているかはわからない、と言いたいだけなのだろうか。
  最後まで読めば何かあるかも、と思って我慢して最後まで読んだが結局何もなかった。
  あまりの希薄さに腹立たしさだけが残った。 


(53)○それから(夏目漱石:新潮文庫):2007.10.14
   「それから」を読むのは多分3回目だと思う。1回目は高校の頃、2回目ははっきり
  思い出せないが30歳の頃だろう。読みにくいという印象はなかったのだが、今回、
  特に前半部分は文体に馴染めず、少しずつしか読めなかった。とはいえ、後半は
  話の流れに乗って一気に読んだ。
   以前に読んだ全集の解説には「高等遊民」という言葉があった。主人公の代助の
  ように、お金を目的とした仕事をせず、文化的(高等な)生活を送る人を指している。
  当然、財産がなければそういう生活はできないので、あくせく働く人から批判を受ける。
  私はこの小説の影響かどうかはわからないが、お金を稼ぐ仕事をしながら、好きな本を
  読んだり講演を聴きに行ったり、という両方が充実した欲張った生活をしたいと思って
  いる。どちらかだけになると精神的に苦しくなるので、両方を逃げ口に使いつつ当分は
  生きていこうとしている。

   さて、本書にも歴史という点から興味深い箇所があった。
  ・軍神広瀬中佐(広瀬中佐は旅順港閉鎖に参加、部下を探して退避が遅れて戦死)
   「広瀬中佐は日露戦争のときに、閉塞隊に加わって斃れたため、当時の人から偶像視
    されて、とうとう軍神とまで崇められた。けれども、四五年後の今日に至ってみると、
    もう軍神広瀬中佐の名を口にするものも殆どいなくなってしまった。英雄の流行廃は
    これ程急激なものである」
  ・幸徳秋水(本作品は明治42年掲載、幸徳秋水は明治43年逮捕、44年刑死)
    「平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主義の人を政府がどんなに恐れているかと
     云う事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人ずつ昼夜張番をしている。
     一時は天幕を張って、その中から覗っていた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。
     万一見失いでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現われた。今神田へ来
     たと、それからそれへと電話が掛って東京市中大騒ぎである。」
 
  また、父の言葉に次のようなものがある。
   「そりゃ今は昔と違うから、独身も本人の随意だけれども、(以下略)」
  漱石の小説を読むと、明治という時代は普段思っているより、現在に近い。


(52)◎こころ(夏目漱石:角川書店):2007.10.8
   私の実家には角川書店の漱石全集があった。高2の頃に主な小説は読んだように
  記憶している。「こころ」はたしか高校の教科書にも載っていた。今年NHKで姜尚中氏が
  漱石の作品を紹介する番組があり一部を見た。取り上げた作品に先日読み直した「三四郎」
  や今回読み直した「こころ」があった。手元に「こころ」はなかったので、先日実家に行った
  時にその中の「こころ」を借りてきて、おとついの晩から読み出した。
   読み始めると、話の中に引き込まれた。最近は小説とそれ以外の本を並行して読むことが
  多かったが、とても他の本を手に取る気にならなかった。

   「K」と「先生」の2人の死がこの小説にある。以前読んだときは「K」の年齢に近く、「先生」は
  ずっと年上だった。でも40代半ばになった私は「先生」に近い年齢のはずだ。
   (漱石は本書を48歳の時に書き、50歳で亡くなっている)
  しかし、現在の私の感覚は「先生」とは離れている。むしろ昔の方が近い感覚があったように
  思える。

   「先生」の死の理由は言葉で記せるほどにはわからない。「K」の死につながる自分の罪の
  意識が常にあったことと、乃木将軍の死に触発されたことは確かだ。
  でも「先生」は「私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように」と書いているように
  乃木大将の死を言葉のうえで理解していた訳ではない。むしろ、その時期に死ぬという気分を
  強く共有していたようだ。明治の終わりは、明治天皇の死よりも、乃木大将の死によって、
  国民に強く感じられたのかもしれない。

   では本作品は明治という時代でしか成立しないものなのだろうか。決してそうではないだろう。
  人の心の奥という簡単には見えないところに、その人の本質が秘められていることを知らしめる
  力が本作品にはある。その力のために本作品は非常に強い力で読者を引き寄せるのだろう。


(51)□「慰安婦」問題とは何だったのか(大沼保昭:中公新書):2007.10.5
  本書で著者が言いたかったことは「はじめに」の中の下記の文章に尽きる。
    『「慰安婦」問題へのメディアとNGOのかかわり方には重大な問題があった。それは、
     メディアとNGOの担い手たちに、みずからが政治に関与する主体であり、政治では
     結果責任が問われるという意識が希薄だったことである。多くのメディアとNGOは、
     政府の政策を批判するという伝統的な役割をはたすにとどまり、限られた政治資源と
     選択肢のもとで最大限なしうることを追求するという政治の責任を引き受けることを
     回避した。』

  私は、「慰安婦」問題は日本が責任を明確に認めて解決を目指した貴重な例だったと
  思っている。これが戦争責任問題の解決のある種の手本となっていく可能性もあった。
  しかしながら、うまくいかなかった。(本書ではうまくいったことが報道されていない、とも
  書いているが。) 

  うまくいかなかった理由は謝罪を受け入れる側にあったように私は感じていた。つまり、
  個人に対して謝罪された場合は受け入れやすいが、「元慰安婦」という社会的立場で謝
  罪を受け入れるということは非常に難しいということである。また、他国からの謝罪は国を
  代表する立場で受け入れることにもなり、さらに困難さが増す。これが「アジア女性基金」の
  償い金を多くの韓国の「元慰安婦」が受け入れなかった理由と考えていた。

  本書では、その困難さを先導したのが「慰安婦」支援団体であり、マスコミだったと主張
  している。
  この問題については、本書の指摘は正しいと私は考える。もちろん、それまでに行なって
  きた支援団体の行動を否定するわけではなく、「アジア女性基金」からの償いに関する点に
  関してだけだ。今後の支援の仕方は、やはり被害者優先でなくてはいけない。当たり前だが
  思い入れが強いほど難しいことだ。

  なお、本書の主張には賛同するが、著者は「アジア女性基金」に直接関わった経緯から
  よほど腹立たしかったのか、同じ批判が繰り返し書かれ過ぎのきらいがある。NGOはどこ
  までのことは主張しても良かったがどこからは誤りだったか、などをもう少し指摘すべき
  だったと思う。そうでなければ、常に妥協すべきというような極端な主張との境界が見えて
  こない。


(50) △西の魔女が死んだ(梨木香歩:新潮文庫):2007.10.4
   中学に入ったばかりの「まい」は学校に行けなくなる。ママは学校を休ませ、おばあ
  ちゃんのところに預けることにする。おばあちゃんの自然の中の生活に入りこみ、時々
  もめながらも生きていく力を取り戻す。
   平易な文章ではあるが、なかなか続けて読むことができなくて、細切れに読んでしま
  った。そのせいか、話の流れがつかみにくかった。また、テーマの中に「死」があるようだが、
  中途半端に終わっているような気がする。


(49) ○総員玉砕せよ!(水木しげる:講談社文庫):2007.10.3
   「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる氏が書いた実体験に基づく戦争の漫画である。
  ニューギニア島の東にあるニューブリテン島の一つの大隊の玉砕をテーマにしている。
  この漫画では、大隊長が自分の死に場を求めて玉砕を決意し命令する。しかし、1回目の
  玉砕後、数十名が生き残り、別の警備隊のところで留まっていることが判明する。
  大隊全員が死んでいなければならないと考える参謀長は、参謀を派遣し玉砕を強要する。
  その結果、将校は自決し、残りの兵士は突撃して命を落とす。
   解説によると、実際には1回目の玉砕後に将校が自決させられた後には、戦闘の機会が
  なく兵士は生き残ったそうだ。
   この玉砕について隣の地点を守る連隊長は「あの場所をなぜ、そうまでにして守らねば
  ならなかったのか」と言った。悲しいことに玉砕の多くは意味がなかったのだろう。
   玉砕に美しさを見る人もいるだろうが、多くの人はそんなことをしたくなかったはずだ。下の
  兵士の視点を決して忘れてはいけない。


(48) □人道的介入(最上敏樹:岩波新書):2007.10.1
   文章はわかりやすいが、内容は決してわかりやすくない。それは扱っている問題が
   単純ではないからだろう。
   本書には過去の介入の事例がいろいろ示されている。これらを一つ一つ丹念に見ながら、
   考えを深めていくしかない。

  [内容メモ(人道的介入)]
 

(47) △点と線(松本清張:新潮文庫):2007.9.11
   初めて松本清張を読んだ。約50年前の作品で、推理小説に社会派という新風を吹き込
  んだと帯に書かれている。発表当時は非常に新鮮味があったのかもしれない。ただ、今
  読むとかなり物足りない。最後の20ページの終わり方はすごいのだが、迫力に欠ける。
  もっと内面が見えるように書いてあると期待していただけに、少し期待はずれだった。


(46) ○草の根の軍国主義(佐藤忠男:平凡社):2007.8.31
   敗戦の時14歳の少年兵だった著者が経験した日本の軍国主義について書いた本。
  日本の軍国主義は特定の強烈な指導者によるものではなく、国民の間に草の根の広がり
  を持っていた、と書いている。選挙民主主義が強まっている現在、国民の間にできてくる
  雰囲気というものに対する抵抗力が一層弱くなってきているかもしれない。草の根の広がり
  というのは必ずしも良いことだけが広まるのではないことに注意しておかなくてはいけない。
    
  [内容メモ](そのままの引用ではありません)
  ・敗戦時、班長が本隊からの伝達として、村人が暴動を起こして軍隊を襲うかもしれない
   ので外出するなと言われた。しかし、それは全く的外れだった。国民も軍隊と一緒に戦
   意を失っていた。一方でそれまでに戦争を止めろという暴動やテロも無かった。苦痛を
   強いる軍隊や政府におとなしく従っていた。
  ・天皇は神だなんて誰も信じていなかった。それなのに信じたフリをしていた。恥ずかしげ
   もなく堂々と信じているフリをできるものほどいばっていることができた。

  ・「忠」を昔の日本人の最高の徳目と思いがちだが、江戸時代までそうではなかった。
   (農民は年貢を納めるだけで、直接には領主の臣下ではなかった)
  ・「孝」は家庭生活の自然のあり方に根ざした観念として古くから農民は身に付けていた。
  ・教育勅語以来、「忠」が第一、「孝」が次となった。
  ・(忠と孝の矛盾などを)議論する自由が保障されている限り、道徳は生き生きしたものに
   なるが、一方が絶対となると、道徳は教条になる。
  ・愛国心教育というものは、単に自国を愛したいというにとどまらず、他国に対する侮蔑と
   組み合わせになりやすい。
  ・(1932年上海事変での爆弾三勇士:自爆攻撃)なぜ、新聞や映画がそれほどまでに昂
   奮したか。正義の確信のない戦争をやっていると、人は正義の代りになるものを求めず
   にはいられなくなるのではないか。そして、自爆攻撃のような異常なまでに大まじめな
   行動は正義の代りに見えてくるのではなかろうか。

  ・日本兵の捕虜はよく偽名を使ったらしい。戦争中に捕虜になった人たちは自分が生きて
   いることを故郷の人々に知られたくなかったのだろう。
  ・民衆の軽薄な気分が捕虜は自殺しろという圧力になって軍人に押し付けられた面も小さ
   くない。

  ・戦意をかきたてたのは新聞であり、ラジオだった。 
  ・熱狂的な軍国主義者でないと書けないような記事ばかりだったが、そういう新聞がよく
   読まれて、冷静な新聞はあったとしても読まれなかったのではないか。
  ・(1941年の日米交渉で)アメリカの要求を受け入れて中国から撤退を軍・政府が決めたと
   したら、当時の日本人は平和になってよかったと喜んだだろうか。
むしろ反乱が起こったか
   もしれない。
   誰も支那事変に敗北したことを認めて、小国日本にもどろうと言い出すことはできなかった。
  ・

(45) □指揮官たちの特攻(城山三郎:新潮文庫):2007.8.26
   神風特攻隊第1号に選ばれた関行男大尉と、最後の特攻攻撃に出た中津留達雄大尉に
  ついて書いている。
   関大尉が出撃したのが1944年10月25日、23歳だった。
   中津留大尉が出撃したのは1945年8月15日の夕刻である。後部席に宇垣纏第5航空艦隊
  司令長官を乗せての出撃だった。玉音放送が流された後であり、米軍の空母や戦艦を
  発見できず米軍キャンプ左の岩礁に突っ込んでいる。
   著者は次のように想像している。
  中津留は出撃してから戦争が終わり攻撃中止命令が出ていることを知る。しかし同乗している
  司令長官は突入を命じる。中津留は突入すると見せかけ寸前左へ旋回し岩礁に突っ込んだの
  ではないか。
  もし米軍キャンプに突っ込んでいれば、通告無しに真珠湾を攻撃して戦争を始めた日本は、戦争
  終結後に米軍基地に突入したことになり、世界中の批判を浴びて戦後体制も変わったかもしれ
  なかった。それを瞬時に避けたという解釈だ。
   実際のところはわからない。ただ、そういうふうに捉えたいという気持ちはわかる。
   なお、特攻隊も突入に際しては電信を送っており、敵発見時、突入体勢に入った時にそれぞれ
  の信号を送った後、最後に長音符が続き、音が切れたときが体当たりの瞬間ということだ。中津
  留大尉の突入時は長音符が長かったらしい。


(44) △戦争倫理学(加藤尚武:ちくま新書):2007.8.25
   戦争について考えるうえでの論点を示したと、前書きに書かれている。たしかに様々な
  点について書かれてので勉強になる。しかし、どうもわかりにくい。一貫した著者の考えが
  見えてこないのである。あとがきの一番最後に次のように書いてある。
  「私には新書版を書くための時間的な余裕がないことはよく分かっていたが、書くことは
   私の使命であるという気持ちで、依頼を引き受けることにした。しかし、時間が絶対的に
   足りない。やむを得ず私は自分が過去に書いた戦争についての論述を再編集して、
   加筆・修整して、一書とすることにした。」
  満足な出来ではないけれど一般庶民にはこの程度で良いだろう、と言わんばかりのコメント
  に怒りを覚える。これが一生懸命読んだ人に対しての言葉であろうか。当然かもしれないが、
  倫理学を論じるからといって倫理的に優れた人とは限らないのだ。

  [メモ]
   ・世界中の世論が戦争に向かって走り出した時に、自分こそ正気だと言えるために、自分
    自身の位置を測定できる羅針盤を持たなくてはいけない。それが戦争倫理学である。
    (ガリバー旅行記と機関銃)
   ・戦争倫理学の基本的枠組み:戦争目的規制(開戦条件規制)と戦争経過規制
   ・戦争目的規制の3つの立場
     @絶対的平和主義 :いかなる軍事行動も行なうべきでない
     A限定主義 :
     B無差別主義 :戦争は主権国家の権利で、いかなる規制もない
   ・中世には「正義の戦争」の概念は確立されていた。教会が正義を決められるという前提
    国家と教会の地位が逆転し、最高の決定権を持つ国家間の戦争のどちらが正しいかを
    決めるものがない。→無差別主義へ
   ・ロールズの原爆投下批判:一般市民は極限的な危機の場合を除いて直接の攻撃を
                    受けることがあってはならない。
   ・第2次大戦で「非戦闘員の殺傷」を当然と見なす風潮が生じた。
    ゲルニカ空爆(1937)は世界中の憤激を呼んだが、都市への空爆は戦術となった。
   ・昔の戦争は傭兵と呼ばれる職業軍人が行なった。
    フランス革命により軍事行動の身分的限界が撤廃された。
   ・カントの「永遠平和のために」以来、民主主義国は平和的という誤解がある。
   ・ヘーゲルにとって、共和国はそのために死んでも良いと思うような普遍的献身の対象
    だった。
   ・慣習法を主体とする法体系の下での裁判官には、裁判官が「法を作る」という考えがある。
    大陸法の感覚は異なり、適用不能な場合は法律を制定した上で適用する。
    東京裁判での英米の考えと対立したパル判事は、どうして戦勝国にのみ法を作る
    権利があるのかと問う。
   ・手続き的な意味での「無罪」を、実体法的な「無罪」にすり替えているのが、いわゆる
    「日本無罪論」である。
   ・パリ不戦条約(1928)で違法とならないケース
     @国際的立場に立つ安全保障措置
     A不戦条約に違反し武力行使した国への武力行使
     B自衛権
    「全ての武力行使は不正である。それは武力行使によって止めさせなくてはならない」と
     するから矛盾が生じる。武力行使に対する平和的手段があれば解決する。
    (すべての国の軍縮を)
   ・正当防衛が成り立つ条件は「急迫性」
    フォイエルバッハの正当防衛 :開始されてまだ終了していない行為に対して正当防衛が
    成り立つ。 (相手がピストルを抜いて実際に撃つまでの時間)
   ・1837年カロライン事件:緊急性がなかったことを英国が認め米国に陳謝
   ・アメリカのアフガニスタン攻撃は正当防衛か?
   ・現憲法に自衛権について明記されていない。もし、自衛権を放棄できないなら明記すべき。
    さらに自衛権を所持するなら、その内容、限度、発動条件の記載も必要。

(43) ◎三四郎(夏目漱石):2007.8.18
   「三四郎」を一番最初に読んだのは高校の時で、いくつかの本の中から読書感想文を
  書く宿題があって読んだのだろうと記憶している。その後、何回か読み直し、私の一番
  好きな小説になっている。ただ、この15年くらいは読んでいなかったようだ。
   本作品は日露戦争から3年経過した明治41年に書かれている。今回は時代も少し
  意識して読んだ。意味がよくわからない箇所も相変わらずあるが、全体にすきがなく
  非常に充実した作品であることを再確認した。

   熊本から上京する三四郎と同じ汽車に乗った女とじいさんが最初に出てくる。2人の
  汽車の中での話によると、女の夫は日露戦争では旅順に行っていて戦後は大連に
  出稼ぎに行ったが半年前から音信不通となっている。女は里に帰る途中。じいさんの
  息子は戦死している。’大連に出稼ぎ’というのが気になる。明治の終わりにすでに
  満州方面の方が稼ぎが良かったのだろうか。

   次に汽車の中で出会うのが広田先生だ。富士山より他に日本に自慢するものがないと
  言う広田先生に、三四郎がこれからはだんだん発展するでしょう、と弁護すると、「滅びるね」と
  返される。さらに
  『「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
   この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本に
   いた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。』
  個人主義とは自分勝手ということではなく、その時の社会の雰囲気に「とらわれ」ない
  ことなのだろうと思う。

   運動会を見に行く場面がある。運動場に日の丸とイギリス国旗が交差してある。
  『三四郎は日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟と大学の陸上運動会とは、
   どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。』

   広田先生が見た夢の話を三四郎にする場面が終盤にある。
  『「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。・・・僕は高等学校
   の生徒であった。・・・体育の教師が・・道ばたへ整列させた。我々はそこへ立ったまま、
   大臣の柩を送ることになった。』
  そこで広田先生は12,3歳のきれいな娘に出会う。会っただけで何も起こらない。
  結婚したくない人の話を、たとえば、という言葉に続ける。父が早く死に、母親の下で育った
  とする。母が病気になり息を引き取る前に、自分が死んだら誰某の世話になれと言う。それが
  誰かを聞くと、お前の本当のおとっさんだとかすかな声で言う。
  『「すると、その子が結婚に信仰を置かなくなるのはむろんだろう」』
  『「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」』

   三四郎と里見美禰子との関係が本作品の中心にある。最近亡くなった作詞家の
  阿久悠が「女」でなく「女性」を描こうとしたと話していたが、この小説に出てくる
  美禰子は間違いなく女性だ。
  『その時三四郎はこの女にはとてもかなわないような気がどこかでした。同時に自分の
   腹を見抜かれたという自覚に伴なう一種の屈辱をかすかに感じた』


(42) ○中流の復興(小田実:生活人新書):2007.8.3
   7月30日に亡くなった小田実氏が4月末に書き終えた本である。小田氏の話は2004年に
   大阪の中之島公会堂で開かれた「9条の会」で聞いたことがある。
   (満員になったので、外に設けられたスピーカ前で聞いた)

     広島、長崎に原爆が投下された後、日本はスイス・スウェーデンを通して、ポツダム
     宣言受諾の用意ありということを連合国に伝えた。その結果、8月12日、13日は
     空襲がストップした。
     米国の当時の新聞を見ると、8月11日には戦争が終結し、天皇は残すことになりそうだと
     書かれており、翌12日には天皇は残すことに決定したと書かれている。
     それにも関わらず、正式なポツダム宣言受け入れがなされないため、軍事的圧力を
     加えるため、最後の空襲を大阪に加えた。この時、B29 600機が参加した。
     この空襲により、多くの人が命を落とした。では、この人たちは何のために死んだのか。

   これが小田氏の考えの根底にあり、この話は繰り返しいろいろなところでされたようだ。
   本書では、戦争で強烈に記憶に残っていることとして、「死体の臭い」を挙げている。

   本書にはこれ以外に、市民運動に関連した記述に興味深い箇所がいくつかある。
   小田氏は、何でも選挙を通じて行なう、または民主主義を選挙だけだと考えて
   しまう「選挙民主主義」を狭い民主主義として批判している。ヨーロッパでは民主主義を
   もっと広く捉えられていて、デモなどの直接民主主義的な行動がある。日本ではビラを
   配っただけで逮捕されており、直接的行動の制約を許してしまっている。これは特殊な
   民主主義国かもしれない。小田氏は小さな人間の行動を重要視し、期待もしている。
   市民が行なう政治的行動にもっといろいろな形があって良いとする小田氏の指摘は
   私にとって心強い。自分たちで可能性を狭めることなく、さまざまな試みを行なうことが、
   日本の民主主義の可能性を高めることになるはずだ。


(41) ○硫黄島に死す (城山三郎:新潮文庫):2007.7.31
   著者の戦争体験を踏まえた7つの短編から成っている。敗戦間近の日本軍の様子を
  垣間見たように思う。

  「硫黄島に死す」
   ロサンゼルスオリンピックの馬術で優勝した西中佐が優勝から12年後に硫黄島で自決する
   までを描いている。映画「硫黄島からの手紙」でも西中佐は描かれていて、その姿は共通
   している。栗林中将も西中佐も西欧社会をよく知っていて、少し異質な面はある。しかしながら
   最終的には日本的な形で死んでいくのだ。そこに空しさとともに重みを感じる。
  「草原の敵」
   満州の最前線の守備隊を描いている。最前線だが戦車1台すらない。そこに日本に宣戦布告
   したソ連の戦車がやってきて一蹴される。そこにいて全滅した部隊も特攻隊も死に向かっている
   という点では同じだ。多くの人々に絶望を与えた戦争を繰り返してはいけないという思いを強くした。
   なお、小説の中に、慰安所に日本人と朝鮮人がいたが戦局の悪化に伴い閉鎖されたことが書か
   れている。本書は昭和43年の出版なので、当時から慰安所は広く知られていたようだ。
  「軍艦旗はためく丘に」
   20年6月に満州から予科練に入隊して日本に戻った若者がいじめのような訓練を受けたり、
   船で輸送される途中に米軍機の攻撃を受け多数の死傷者を出す様子が書かれている。
   予科練は最年少で14歳で入るらしく、この話の中でも子供のような14歳の若者が出てくる。
   こんなことが2度と起こらないようにしなければいけないと思った。


(40) □「慰安婦」と心はひとつ 女子大生はたたかう (石川康宏ゼミナール:かもがわ出版):2007.7.22
   今年2月の「第4回平和に関する市民勉強会」で、神戸女学院大学 石川康宏ゼミナール3年の
  学生さんに「慰安婦」に関する問題提起の話をしてもらいました。石川先生の話は2005年に2度
  京都自由大学で聞いたことがあります。そこでの話について質問をメールで送ったところ丁寧な
  返事を頂きました。そういうことがあったので、学生さんに話をしてもらう依頼をしたら、ひょっとして
  受けてもらえるかも、と思ったのが話をしてもらうに至ったきっかけです。
   石川ゼミでは今までに2冊の本を出していて、そのうちの1冊「ハルモニからの宿題」は以前に
  読みました。今回の本は、私の勉強会を含め多くの講演活動を行なった学生さんの取り組み、
  彼女たちの感想を中心にまとめたものです。
   書物・ビデオ等で学び、現場に足を運んで当事者と話をする体験をし、帰ってきてから考えを
  整理して講演等で人に伝える、というのは非常に良い経験になったと思います。私自身がやって
  みたいと思っている方向と似ているかもしれません。
   私の勉強会に来てくれた方も一人で来られたし、他の方々も一人で行くことは珍しくないようです。
  その度胸はすごいと当時から感心していました。個人情報うんぬんが盛んに叫ばれる中、本書に
  登場する学生さんは実名、写真入りです。実名入りはやはり力が違います。


(39) ◎チェチェン やめられない戦争 (アンナ・ポリトコフスカヤ:NHK出版):2007.7.22
   アンナ・ポリトコフスカヤはチェチェン問題を追い、プーチン政権を強く批判していた。2002年
  10月のモスクワ劇場占拠事件では、チェチェンの武装グループから交渉役に指名され、ロシア
  側との交渉を行なった。彼女はロシア人であることから、そういう役を担える唯一の人だったのかも
  しれない。
  彼女は戦争下のチェチェンに入り、そこで生活するさまざまな人たちに取材をしている。ロシア軍が
  掃討作戦と称して、本来は武装ゲリラを見つけ出すのが目的のはずなのに、民衆を連れ出し
  身代金を要求する様子も本書に書かれている。石油パイプラインを利用して儲ける人たちについても
  書いている。
   そして、昨年10月自宅のあるアパートのエレベータ内で彼女が射殺されているのが発見された。
  犯人はわかっていない。

   全体を読み、彼女が亡くなったことを知りつつプロローグを読み直すと、自分自身に返ってくるものがある。
   1999年夏、バサーエフがダゲスタンに侵攻し第2次チェチェン戦争が始まる前後から、彼女は毎月、
  チェチェンに通う。「掃討作戦」「拷問」「誘拐」、生きていれば奴隷取引、死んでしまえば遺体取引、
  非国家的テロに対する国家テロ。ワッハーブ武装勢力も資金調達のために村々を襲撃。そんなチェチェンの
  情勢を西側の人々に訴えても、「お行儀よく」拍手で応えるだけ。
   この世界状況を彼女は「人道に対する世界の裏切り」と書いている。
   チェチェンの映画を上映しても何が変わるわけでもない。もう一歩踏み出すくらいで何かを変えられるの
  だろうか。


(38) ○検証 戦争責任U (読売新聞 戦争責任検証委員会:中央公論新社):2007.7.2
   この本は昨年10月に購入した後、数ページ読んでそのままになっていた。「落日燃ゆ」を
  読んだ影響で、戦前、戦中に関する知識が欲しくなり、まだ読んでいなかった本書を手に取り
  広田弘毅を意識しつつ読んだ。
   「検証 戦争責任T」と同様にわかりやすく書かれている。また、最後には責任の重い人物を
  明確に書いている。ここをスタート地点として議論できる本として評価できる。

   本書を読んで、ポツダム宣言について、非常に重要なことを今まで知らなかったことが
  わかった。ポツダム会談はトルーマン、スターリン、チャーチルの3人で行なわれていたにも
  かかわらず、ポツダム宣言に署名しているのは、米英と蒋介石である。ソ連は署名していない。
  会談は1945年7月17日に始まったが、前日にアメリカの原爆実験が成功しており、アメリカの
  トルーマン大統領はソ連外しの動きに出た。ソ連はポツダム会談・宣言によって日本への宣戦
  布告をできると考えていたようだが、原爆実験成功でソ連の力が不要になったと考えるアメリカは、
  宣言の討議からソ連を完全に締め出したらしい。
   ソ連が署名していないというような重要なことを私が知らなかったのはなぜなのだろう。教わら
  なかったのか、教わったけれど完全に忘れてしまったのか。また、これは一般常識なのだろうか。
  これを知っただけでも本書を読んだ意味はあった。


(37) ◎落日燃ゆ (城山三郎:新潮文庫):2007.6.30
   戦後の東京裁判で死刑になった7人のうち、ただ一人文官であった広田弘毅元首相の
  生涯を描いた作品である。本作品では外務省官僚、外務大臣、首相として、戦争回避に
  努力した姿が描かれている。広田はどんな時でも外交交渉を通して関係改善をしようとした。
  それは関東軍、陸軍が独走している中のことである。ただ、それが現状追認の姿勢に見え
  ないことはなく、戦争回避という面からは力不足だった。
   東京裁判では、欧米諸国が統帥権独立によって政府が軍を抑えられないという構造を
  理解できず、軍人以外の文官を戦犯に加える必要が生じたようだ。広田自身は戦争を回避
  できなかった責任を感じ、裁判では全く証言しなかった。
   首相、外相を務めていたわけだから、戦争を行なった責任が無いわけではない。ただ、
  統帥権の独立から政府が軍に口出しできなくなっていたことは事実として認識しておく必要が
  ある。広田の力不足は、民主主義の力不足だった。しかし、統帥権を口にする関東軍は、
  全く軍司令部の方針に従っておらず、天皇の意向に沿って動いてもいない。そんな非論理的
  な行動を認めてしまったということは、単に明治憲法だったからでは説明がつかない。
  ということは、現憲法下でも同様のことが起こらないとはいえない。
   私は本書を読んで、今年防衛庁から防衛省に格上げしたことは、外交努力で解決するという
  日本の方針が、外交交渉不成立の際に軍事的行動を取るという可能性をわずかでも持つよう
  に方向転換する一歩になるのだと思った。今からでも防衛庁に戻すことを考えるべきではない
  だろうか。

   ・1878年(明治11年) 石屋の長男として誕生
   ・1903年 大学2年の時、外務省 山座円次郎からの依頼で、ロシアへ調査旅行
   ・1907年 清国公使館付外交官補として北京在勤
   ・1909年 ロンドン在英大使館赴任
   ・1914年 通商局第1課長として本省に戻る
   ・1919年 ワシントンの駐米大使館 
   ・1920年 帰国。情報部課長(一種の閑職)
   ・1923年 欧米局長に抜擢
          対ソ関係改善に取り組む。日ソ基本条約締結、国交回復
   ・1927年 オランダ公使 単身赴任
          「風車、風の吹くまで昼寝かな」
   ・1928年 母親タケ死亡
          張作霖爆殺事件、排日運動
   ・1929年 佐分利駐支公使 ピストル自殺(他殺の可能性有り)
   ・1930年 次男忠雄自殺
          11月14日 駐ソ大使赴任のため東京駅にいる時、浜口首相刺される
   ・1931年 満州事変・・・・関東軍と外務省出先との対立深まる
          東支鉄道輸送問題、日ソ漁業協定
   ・1932年 帰国、待命休職。湘南海岸鵠沼で暮らす(数え55歳)
          5・15事件
          斎藤実内閣、内田外相(満鉄総裁)、満州国承認
   ・1933年9月 内田外相健康上の問題で辞任。外務大臣に。
          (高橋是清蔵相、荒木貞夫陸相、大角海相を含めた5相会議5回)
          軍部強硬派の意見を論破 →荒木陸相辞任、林銑十郎陸相
          諸外国との親善増進に動く。対ソ東支鉄道買収問題(1935年3月交渉成立)
   ・1934年7月 帝人事件で斎藤実内閣倒れる。岡田啓介(海軍大将)内閣:広田、林、大角は留任
   ・1935年1月議会 「私の在任中に戦争は断じてない」「協調外交」
        5月 在華日本代表を公使から大使に昇格。他国も倣う。→国民政府地位高まる
        軍部の妨害工作:土肥原賢二少将指揮の関東軍特務機関が中国とトラブル
                   板垣征四郎少将も内蒙古で工作、岡村寧次少将、磯谷廉介少将も
        「広田の対支三原則」
   ・1936年 2・26事件
         広田内閣発足(永野修身海相、寺内寿一陸相)・・・軍の組閣への関与
          軍の大規模な処分と人事刷新
          陸軍からの「軍部現役大臣制への復帰」認める
          同時に、陸軍大臣候補は陸軍3長官の一致した推薦に限るという内規を外し、
          現役将官から総理が自由に選任できるようにさせた。
         「国策の基準」3省の主張の寄せ集め
         11月 日独防共協定 ;イギリス等のも呼びかけようとした。吉田茂駐英大使動かず
   ・1937年 1月国会 寺内陸相発言、閣内不統一を理由に内閣総辞職
         鵠沼に戻り、恩給生活
         後継首相に宇垣一成陸軍大将奏薦。陸軍が大臣を出さず、組閣断念
         林銑十郎内閣。議会解散、軍部バックアップの昭和会ふるわず、林内閣総辞職
         5月 近衛文麿第1次内閣、広田外相就任
         7月 盧溝橋事件
            以降、現地解決を目指すが、陸軍の動きにより戦火広がる
         8月 停戦協定案作成・・米英独を通しての交渉を目指す。
            南京入城まで進み、停戦協定条件が国民政府の受け入れられない内容に。
            南京虐殺
   ・1938年 1月 近衛「帝国政府は爾後国民政府を相手とせず」
             和平交渉の望み消える。
         5月 広田外相辞任、宇垣一成外相
   ・1945年12月2日 広田に戦犯逮捕令
   ・1946年1月15日 巣鴨拘置所に入る
           ’統帥権独立の名の下に、軍部が独走し、政治や外交がそれに引くずられていくという
            構造が検事側には飲み込めないようだった。’
           ’検事団は文官からの犠牲者を求めて’おり、それが広田に向けられた。
        5月3日開廷
        5月18日 妻静子 鵠沼で服毒自殺
           広田はその後も獄中から家族へ送る手紙は、静子宛としていた。
        6月27日 松岡洋右病死
        7月1日以降、満州事変の立証に入る。田中隆吉陸軍少将の証言
   ・1948年4月16日 審理終了
        11月4日 判決
        12月23日 死刑執行

   福岡市の中心部にある水鏡天満宮の南の鳥居に掲げられている「天満宮」の文字は
   広田弘毅が小学生の時に書いたもので、今もそのまま残っているそうだ。


(36) ○チェチェンの呪縛 (横村出:岩波書店):2007.6.22
   7月15日にアムネスティ奈良グループ主催で「踊れ、グローズヌイ」というチェチェンの
  映画上映会を行なう。その上映会の最初に10分程度チェチェンの簡単な説明をする役を
  引き受けた。といっても、もちろん、チェチェンについて詳しいわけではないので、それ
  までに3冊本を読んでおくことにしている。1冊目は3年前に読んだ「チェチェンで何が
  起こっているのか(林克明、大富亮)」で、これは部分的に読み返した。2冊目が本書で、
  3冊目は今取り寄せ中だ。
   チェチェン人が起こした事件で、有名なのは、2002年10月の「モスクワ劇場占拠事件」
  (死者 人質129名、武装ゲリラ41名)と2004年9月の北オセチア小学校占拠事件(死者数
  不明。1400名とも言われる)である。本書を読むと、北オセチアの事件は、単に事件と
  呼べない。人質が1000人以上いる学校にロシア軍が戦車で砲撃を行ない、武装グループも
  人質を見せしめのために殺害している。2002年の事件の時にはまだわずかでも交渉しようと
  いう姿勢があったのに、2004年には全くその気配が見られない。
   チェチェンでは名前の知れた人が次々に殺害される。傀儡政権のカディロフ大統領は2004年
  5月に殺され、独立政権のマスハドフ大統領も2005年3月に殺された。さらに、本書にも登場
  するロシア人のジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤも今年暗殺されたらしい。
   現在のチェチェンはロシアが手を引こうとしており、チェチェン紛争をチェチェン人同士の争い
  として押し付けようとしている。武装勢力の指導者バサエフはアフガニスタンで訓練を受けており、
  アルカイダとの関係もあるかもしれない。チェチェン紛争は独立を目指してロシアと戦っていた
  時期から大きく変わったようだ。この状態はどうすれば変えられるのだろうか。チェチェンやロシア
  だけで解決できないのは確かだ。国際社会が関心を持ち、国際的枠組みの中で解決を目指さ
  なくては、この悲惨な状況からは抜け出せない。


(35) ○僕はパパを殺すことに決めた (草薙厚子:講談社):2007.6.19
  副題は「奈良エリート少年自宅放火事件」である。
  ちょうど1年前、田原本町で東大寺学園高校1年生が自宅に放火し、継母、妹、弟が焼死した。
  事件直後から、父親による厳しい教育によって追い詰められていたことが報じられていた。
  本書は警察の供述調書を入手し、そこから引用する形で、父親の暴力行為を強調している。
  確かに異常な父親だ。小学校低学年の子供に、4時から7時まで塾に行かせ、その後7時半
  から9時まで自分で教えている。高学年になると、8時まで塾で、9時から12時まで自分で指導
  したことになっている。中学以降も自分で見ていて、問題ができなければ暴力をふるっていたらしい。
  でも、暴力を除けば、このような生活をしている子供は他にもいるのだろう。私は特に小学生の
  長時間の学習は失うものが大きすぎると思っており反対だ。本書が異常な教育への警鐘となる
  ことを期待して評価を○とした。
  ただし、父親は確かに事件の原因を作ったが、死んだ3人と犯人の肉親であり、哀しく苦しい
  生活を送っているはずだ。弱くなった人をさらに痛めつける行為に対して、評価を○にして良い
  のかどうか今も迷っている。
  なお、本書を私が知ったのは、妻が娘の同級生の母親から本書について聞いたことと、妻が学校
  での人権講演会に参加した時に講演者の方が触れたことからだ。奈良県に住む私の周りには
  本書はかなり知れ渡ってきているようだ。本書には通っていた塾の名前や塾にとって痛手になる
  かもしれない記述もあるので、この近辺ではいろいろな面から今後も話題になるような気がする。

(34) △生まれる森 (島本理生:講談社文庫):2007.6.14
  大学生の「わたし」は、高校時代に20歳以上年上の予備校教師と恋愛に近い頼り
  なげな関係を持っていたが、卒業前に破綻を来たす。その後、大学に入るがそこから
  抜けきれずに過ごしていた。夏休みに帰省する友人から帰省中だけ部屋を借り、一人
  暮らしをする。その期間に付き合うようになった高校時代に同級生だったキクちゃん、
  兄の雪生たちとの関係を通して、少しずつ変化が訪れる。大雑把に言えばそんな話だ。
  島本理生が20歳の時の作品で、芥川賞を取った綿矢りさ、金原ひとみと同じ学年らしい。
  この小説自体はそれほど大した作品とは思わないが、最近の作品をもう1冊読んでみたいと
  思っている。


(33) ○異人たちとの夏 (山田太一:新潮文庫):2007.6.9
  後半は面白かった。ただ、48歳の主人公が巡り合った30歳代の夫婦が何十年も
  前に死んだ主人公の両親という設定は、僕としてはあまり好ましく思わなかった。
  もちろんフィクションだから構わないのだが、現実に近い領域での話を期待していた
  ので、フィクションを意識させてしまう設定に違和感を持った。それだけに留まらず、
  この人も・・・、という展開だったのでなおさらそのように思った。


(32) ◎観光コースでない韓国 (小林慶二:高文研):2007.6.9
   本書は、韓国の歴史の現場に足を運び、写真と文章で紹介している。非常に興味
  深かった。本書を読んで韓国に行ってみたくなった。
   最も印象に残ったのは、朝鮮総督府の写真である。朝鮮総督府は1916年着工、1926年に
  完成している。場所は李朝時代の王宮 景福宮の中である。併合した国を支配する役所を
  相手国の王宮をつぶして建設するというのはどういうことだろう。日本でいえば皇居の一部を
  破壊して中に作ったことに相当する。ここに、人の想いを全く想像せず繊細さを欠いた日韓併合
  の性格が代表されている気がする。韓国としては当然だろうが、1995年に旧朝鮮総督府の
  建物はつぶされた。建物はなくなったが、朝鮮総督府の過去の写真を覚えておくと今後の
  過ちを防ぐ力になるのではないかと思う。


(31) △歴史にみる日本と韓国・朝鮮 (鈴木英夫・吉井哲:明石書店):2007.6.9
   下記の歴史教科書だけでは日韓関係がわかりにくいと思って、以前に買って途中で
  止まっていた本書を韓国教科書と併読した。本書は高校歴史の副読本として書かれて
  いるので位置付けとしてはちょうど良く、それなりに役立った。
   本書の記載では、私の住む橿原市の隣の高市郡は8世紀後半、百済系渡来人が
  人口の8〜9割を占めていたそうだ。7世紀の百済との交流などについて、もう少し詳しく
  知りたいと思っている。


(30) ○韓国の中学校歴史教科書 (三橋広夫訳:明石書店):2007.6.9
   6月10日の第6回勉強会のテーマが「日韓の歴史教科書と相互理解」なので、韓国の
  歴史教科書を事前に読んだ。教科書の記述云々以前に、韓国の歴史を知るという意味で
  非常に勉強になった。
   下記ファイル「韓国の歴史」に、朝鮮の歴史をまとめてみた。13世紀に元の侵攻を受けて
  から、豊臣秀吉、清の侵攻と続き、さらに、19世紀後半になっての日本と、次々に外国の
  侵入に苦しめられている。外国を見る時の意識は日本と異なっていても不思議はない。
  外国勢力に抵抗してきた朝鮮と、抵抗という意識の薄い日本との違いが、日本人、韓国人の
  相互理解を阻んでいるのかもしれない。
   
  なお、朝鮮の人名を漢字とフリガナで書いてあるが、なかなか漢字とカナが結びつかない。
  今後、日韓の理解を深める上で何とかならないかと思った。

     韓国の歴史

(29) △戦争で死ぬ、ということ (島本慈子;岩波新書):2007.6.1
  知識を伝える本ではないので評価が難しい。「戦争で死ぬということ」について考えが
  深まったとは言えないことから、評価を△にした。
  本書を読んだのは、3日に島本さんの話を直接聴く機会があるので、それ以前に目を
  通しておこうというのが第1の目的だった。3日の話を聴いた後で、補足したい。

   @大阪大空襲:
     ・最後の大空襲は1945年8月14日、小田実
   A伏龍特攻隊
     ・「伏龍」は機雷を棒の先に付けて持ち、潜水服を着て海底に配置される。米軍上陸用
      舟艇の攻撃を目的とした。実戦で使われることはなかったが、訓練で50名くらい亡く
      なったとも言われる。
   B戦時のメディア
     ・むのたけじ:昭和15年の時点で軍の撤退を主張するにはチラシしかなかった。
   Cフィリピンの土
     ・フィリピンで日本軍兵士は50万人死んだ。フィリピン人の犠牲者は住民虐殺を含め
      100万人を越える。
   D殺人テクノロジー
     ・広島への原爆投下7ヶ月以上前に、日本の新聞に「原子爆弾」という言葉が書かれている。
      同盟国のドイツが使用したのでは、という記事
     ・日本も原子爆弾の開発を行なっていた。
   Eおんなと愛国
     ・死が抽象化されてしまう。
   F戦争と労働
     ・人を殺すということを意識せずに、毒ガス工場で働いていた。
     ・現在においても、労働者が抵抗なく兵器生産に協力する下地は出来上がっている。
   G九月のいのち

(28) ○結婚の条件 (小倉千加子;朝日文庫):2007.5.30
  単純化しすぎだろうとは思う。しかし、本書の内容を全く知らずして少子化・晩婚化は語れない。
  そんな気にさせる本だった。

   [少子化、晩婚化]
   ・少子化の最大原因は晩婚化。既婚者向けの保育所の充足は関係ない。 
   ・妊婦は「ものすごく若い(10代)妊婦」と「ものすごく年のいった(40代)妊婦」に二極分化している。
    (平均出産年齢が28歳だからといって、28歳の妊婦が一番多いわけではない。
   ・30歳直前の駆け込み結婚はなくなり、40歳直前に未婚女性は焦燥を感じる。(10年延長した)
   ・30代前半の未婚率は、女性27%、男性43%
   ・未婚女性が結婚しない理由の第一は、「適当な相手にめぐり合わないから」
     (仕事に打ち込みたいから、は15%)

   [最終学歴と結婚意識]
   ・高卒女性で地方在住者は比較的早く結婚する。結婚して初めて食べられる(結婚は「生存」を意味
    する)。そのため、30歳をすぎて未婚であることは、その地方に住みづらいことになり、多くは都会に
    出てくる。高卒未婚女性はじりじりと生活が苦しくなる。半数は生涯未婚者となり、生活苦と孤独苦の
    二重苦が待ち受けている。
   ・短大卒女性の専業主婦願望は強烈。結婚は「依存」を意味する。
   ・4年制大学を出て専門職として就職した女性は、結婚によって自分が変わることを恐れている。
    結婚に求めるものは、「保存」

   [結婚した女性の身分]
   ・@夫の稼ぎで食べられる女
    A妻も働かなければ食べられない女
    B妻が夫を養う女
   ・女性の夢は、結婚で勝つか仕事で勝つかであり、どちらにも入らない谷間が夫の稼ぎを補うために
    働かなければならない妻である。不思議なことにフェミニズムはこれを自立した女性の生き方として
    称揚している。

   [女性の生き方]
   ・「東京ラブストーリー」(1991年)の赤名リカを支持した視聴者は、結局リカのようには生きなかった。
   ・大学生の時に何の雑誌を読んでいるかで、10年後の生き方はある程度予想できる。
    「non−no」派、それとも「JJ」(光文社)派?
   ・学生時代「JJ」派だった女性は、結婚で階層上昇を狙う女性偏差値重視派で、女性として生きる
    覚悟ができている。
   ・「non−no」派は、思い切りが悪いか、策略に欠ける。
   ・光文社系で育った女性が30代で「VERY」に行く。「VERY」は三浦りさ子の雑誌。
    コンセプトは「結婚しても現役」
    40代で「VERY」から「STORY」に。
   ・専業主婦でいようとした女性の多くはパート主婦になったが、働かなくてよい専業主婦がまだ
    存在する。働いて家計費を稼がなくてはならない2等主婦の上に、働かなくても好きな洋服を
    買える1等主婦がいて、さらにそのうえに、働くことにお金を消費できる特等専業主婦がいる。
   ・女性の「成功恐怖」

(27) ○ぼくのボールが君に届けば (伊集院静;講談社文庫):2007.5.28
  短編9編から成っている。短い話なのに複数の登場人物がいて、しかも少し捻ってあるので、
  すんなりとは理解しがたいところがある。気楽に読むつもりだったので、その意味では期待
  していたものではなかった。しかし、読み直すとなかなか良い作品が多い。

  「ぼくのボールが君に届けば」
    7歳のトオル、父ミツル、再婚相手サチコ、サチコの母、ミツルの上司の善さん、病気の
    ソウ君とソウ君のおねえさん、そして若い警察官。誰が中心がわかりにくいが、最後は
    サチコとトオルの関係で終わっている。「ママ、ボールを取ってよ」
  「えくぼ」
    夫と息子と孫が既に亡くなっている68歳の吉乃は、孫の母親のユキコを憎んでいた。ただ、
    ユキコも既に亡くなっている。医師から気がかりなことがあるのでは、と問われ、ユキコを
    思い出しユキコの墓参りに行くことにする。そこで、孫にえくぼがあったことをふと思い出す。
    誰にもえくぼがなかったが、と思い、ユキコの写真を見直すと、そこにえくぼがあった。
     「こんな美しいものをこの人は孫にくれていたのか」
  「どんまい」
    野球のうまい少女が出てくる漫画的な話。
  「風鈴」
    時代屋の女房を思い出させるが、さらに切なくやるせない作品。もっと違った終わり方に
    して欲しかった。
  「麦を噛む」
    紫外線が当たってはいけない難病の息子を、失った父親の話。とても哀しい。
   

(26) ○核大国化する日本 (鈴木真奈美;平凡社新書):2007.5.7
  核の平和利用と言われる原子力発電があるからこそ、核拡散が進んでいるという考えに
  立って「核」を見ている。私は核兵器廃絶こそ日本が国を挙げて取り組むべき問題だと
  思っているが、原子力発電についての考えは曖昧だ。代替できる発電があれば良いが、
  石油の無い国だから火力発電の比率はできるだけ下げたい。すると、現状では安全性を
  高めながら原子力発電を継続するしかないのではないかという程度しか考えていない。
  しかし、本書を読むと、放射性廃棄物の処理は埋める以外に有効な方法が無く、再処理
  工場といっても廃棄物の容量は逆に大幅に増えるようだ。このまま原子力発電を続けて
  いって良いのかを考えないといけないようだ。本書だけでは説明がわからないところも多い
  ので、物理の原理的なところも含めて勉強して考えてみたい。

(25) △殉死 (司馬遼太郎;文春文庫):2007.5.2
  先月東京に行った際に、乃木希典元陸軍大将の旧居を見学した。なぜ自殺したのかを
  知りたくて本書を読んでみた。
  前半の「要塞」は乃木希典の人生全般を取り上げている。詩人としては優れているが軍人
  としては無能だと繰り返し書いている。なお、日露戦争に関する部分は以前読んだ「坂の
  上の雲」の記述とほぼ同じだった。
  後半の「腹を切ること」が自害について書いているものだ。司馬遼太郎は乃木希典が劇的な
  死を渇望していたことを随所で強調している。でもそれがなぜ「殉死」という形なのかがまだ
  わからない。
  本書を読んで一番に思ったことは、なぜ司馬遼太郎は乃木希典について書いたのだろうと
  いうことだ。一人の実在の人物について書くということは、その人物に対する思い入れがある
  はずだ。しかし、本書から乃木希典に対する強い思いは全く伝わってこない。ひょっとしたら、
  これを書いた昭和42年ごろには乃木希典を賞賛する風潮があって、それを覆したかったの
  かもしれない。それにしても、対象とした人物への愛情や関心があってこそ書く意味がある
  のではないのだろうか。何か司馬遼太郎の底の浅さを感じたような気がする。

(24) ○湛山除名 (佐高信;岩波現代文庫):2007.4.30
  石橋湛山は1921年に「大日本主義の幻想」を書くなど、日本帝国主義に反対の姿勢を
  取り続けたジャーナリストだった。戦後、政治家になり、1956年に首相になるが病気のため
  わずか2ヶ月の短期政権に終わった。しかも、引き継いだのが岸信介だった。非常に皮肉な
  ことだ。
  石橋湛山が書いていることは基本的な視点がぶれていないので、今でも十分通用する
  内容が多いように思う。「小日本主義」は新党さきがけに引き継がれていったが、現在の
  民主党にはあまりこういう考えは感じられない。非常に残念なことだ。
  本書を読んだのは、松本健一の「日本の失敗」を読んだ後で、石橋湛山についてもう少し知り
  たいと思ったからだ。少し情報量は増えたけれども、さらに深く知りたいと思っている。

(23) □黒猫/モルグ街の殺人 (エドガー・アラン・ポー;光文社古典新訳文庫):2007.4.28
  8つの短編が収められている。「黒猫」「アモンティリャードの樽」「告げ口心臓」は気味悪い情景
  の中で人間の持つ異常さを描いている。
  してはいけないという理由でしてはいけないことをする’ひねくれた精神’について書いた「邪鬼」は、
  苦痛の中の快楽について書いたドストエフスキーの「地下室の手記」を少し思い出させるところが
  ある。ただ、ドストエフスキーが希望を見出そうとしていたのに対し、ポーは気味悪い状況を見せるに
  留まっている。
  「早すぎた埋葬」はポー自身の暗闇への恐怖心を形を変えて書いているようだ。
  「モルグ街の殺人」は推理小説の元祖と言われているそうで、それなりに興味深い。

(22) ○竹内好「日本のアジア主義」精読 (松本健一;岩波現代文庫):2007.4.19
  竹内好が1963年に発表した「日本のアジア主義」を全文紹介した後、松本健一氏が「アジア
  主義は終焉したか」と題して現代との関連について述べている。
  松本氏が書いている部分の前半は先に読んだ「日本の失敗」に書かれている。

  ・岡倉天心の「ヨーロッパの栄光はアジアの屈辱にほかならない」という20世紀初頭の認識、
  ・孫文の1924年神戸での演説「日本がこれからのち、・・・西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の
   王道の干城になるのか、あなたがた日本国民が良く考え、慎重に選ぶことにかかっているのです」
  ・中野正剛がアジア人が白人の奴隷のような状況に落ち込んだ「罪」はただ弱かったことと捉えた
   こと、犬養毅が日本帝国主義的に変化したことの批判と中野自身の転向
  ・重光葵が作成した「大東亜共同宣言」において、戦争の目的をアジアの解放とすることで戦争
   終結に向けた和平工作のきっかけにしようとしたこと

  後半は現代との関係が書かれている。東京オリンピックが行なわれた1964年頃に社会が変化した
  と松本氏は捉えている。
  ・1965年に司馬遼太郎が日本人の理想像として坂本竜馬を提出。それまで日本人は西郷隆盛を
   一番好んでいた。西郷隆盛に理想像を求めなくなったのは、西洋の文明を超えるアジア的な
   革命に惹かれなくなったことかもしれない。
  ・東京オリンピックでは、明治以来の「ヨーロッパ対アジア」の対立構図の意味が失われていた。
  ・100年に及ぶ近代化(脱亜入欧)の過程が終わり、「近代日本」という枠組みを脱した時期になる。
   「近代日本」とは遅れたアジアから脱しつつ西欧近代を追いかける構図によって成り立つ社会
  ・屈辱のアジアが終焉し、アジアの繁栄、アジアの世紀と呼ばれるようになった。


(21) □ブラフマンの埋葬 (小川洋子;講談社文庫):2007.4.18
  小川洋子の作品は読者に緊張を強いる面がある。本書は何かよくわからない生き物が登場
  するなど柔らかい雰囲気があるにもかかわらず、死や埋葬という言葉が各所に出てきたり、
  雑貨屋の娘と電車でやってくる男との関係もどこか切迫したものを感じさせるなど、油断なら
  ない。だから悪い物語ではない。でも、今まで読んだ小川洋子の本から予想できる範囲の話
  だったのでまだ不満がある。小川洋子の全身全霊をかけた作品というのを読んでみたい。


(20) ○大川周明 (松本健一;岩波現代文庫):2007.4.17
  (18)と同様に4月8日勉強会の事前勉強用に読み始めたのだが、少し遅くなり1昨日読み終えた。
  (18)の本も松本健一氏の著書だったので本当は違う人の本を読みたかったのだが、今入手しやすい
  昭和初期の思想関係の本は多くが松本氏が書いているようだ。本書は(18)に比べると流れがわかり
  にくいが、それでもなかなか勉強になる。

  ・(1922年頃)大川にとって、レーニンとガンディーとは来るべき世界革命の2通りの本質を開示していた。
   ガンディーの「魂」を原理とした革命を理想と考えた。(暴力革命の対極)
  ・アジアの屈辱的な現実に対する認識が、ただちに「復興」さるべき「アジア」という観念に結びつい
   ているが、日露戦争後、日本も西欧の仲間入りをしているという自省が大川には希薄。
  ・(1925年頃)東洋文明と西洋文明は歴史的に対抗すべき宿命にある(東西抵抗史観)。
  ・「アジア」というのは、近代以後の日本にとって恐ろしく不人気な言葉だった。(P31)
   日本人はアジア人を好きなのか。欧米人の方が好きなのではないか。
 

(19) ○観光コースでない東京(轡田隆史、福井理文;高文研):2007.4.16
  読んでいる時はあまり面白く思わなかったが、書いてあるところに行ってみようという気に
  なる箇所がいくつかあり、実際に4月14日から16日まで東京に行った際に参考にした
  ので評価は○にした。
  (日比谷交差点から靖国神社までの散策、乃木希典旧邸宅見学をした。)
  なお、同じシリーズの「観光コースでない満州」という本を以前読んだ。そこには時代背景
  の説明がかなり詳しく書かれていた。本書はそのあたりの掘り下げがあまりない。このた
  め少し物足りなさを感じる。


(18) ◎日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」 (松本健一;岩波現代文庫):2007.3.31
  4月8日の勉強会で昭和初期の思想を取り上げることになっているので、事前勉強用に
  何冊か本を選んだ。その中の1冊が本書である。
  大川周明、北一輝、吉野作造、石橋湛山、孫文、中野正剛、石原莞爾、中江丑吉、スチムソン、
  鳩山一郎、斎藤隆夫、西田幾多郎など、たくさんの人物の考えを紹介しているにもかかわらず、
  話を発散させずにまとめきっており、非常に優れた本である。勉強会までの1週間で読み直して
  みたいと思っている。


(17) ○ドナウよ、静かに流れよ (大崎善生;文春文庫):2007.3.30
  大崎善生氏の小説は数冊読んだことがある。そこそこ面白いのだが、どれも雰囲気が
  似ていて、しかも到達している地点がいつも同じレベルのように感じている。そのため、
  しばらくは大崎氏の本は読まないだろうと思っていた。しかし、書店で小説だと思って
  たまたま手に取った本書の裏表紙にノンフィクションと書いてあり、非常に意外な気が
  して本書を買ってしまった。
  著者は2001年8月の新聞に小さな記事を見つける。それは「邦人男女、ドナウで心中 
  33歳指揮者と19歳女子大生 ウイーン」という見出しだった。その記事に捉えられ、調
  べていく。指揮者は自称指揮者にすぎないことや、死に至るまでの足跡が明らかになるが、
  著者によって何か大きな新たな事実が発見されるわけではない。このため、びっくりする
  ような展開はない。
  また、著者がたどり着いた19歳の女性はだまされたのではなく、自分の判断で男性を
  愛したのだという結論は少し美しすぎるような気もする。しかし、そこに真実の一部は存
  在しているのだろう。
  何が真実かは本人たちも含めて誰にもわからない。ある人間の一生を考える時、真実の
  一部だけでも見つけ出すことが非常に重要であることを強く感じた。


(16) ○ノモンハンの戦い (シーシキン他;岩波現代文庫):2007.3.21
  本書にはシーシキン大佐による「1939年のハルハ河畔における赤軍の戦闘行動」と
  作家シーモノフによる「ハルハ河畔の回想」が収められている。前者は関東軍とソ連軍の
  戦いをソ連側から記述した戦闘記録で、何を読み取ることができるのかよくわからなかった。
  後者は、作家シーモノフがソ連軍に取材に招かれ、回想録として書いたものである。最初は
  あまり興味を惹かないが、停戦後の日本兵の屍体処理の様子や、捕虜交換後に帰ってきた
  負傷兵の頭に袋がかぶせられた様子は今まで聞いたことがないもので記憶に残った。
  ちなみに袋がかぶせられたのは、捕虜になったものが顔を見られて恥ずかしい思いをしない
  ようにということだったらしい。

(15) ○不動心 (松井秀喜;新潮新書):2007.3.20
  最近、スポーツ選手の中で、感情を表に出す選手が良いように思われているところがあり、
  あまり面白くない。その中で松井は特に感情を表に出さない選手だ。そういうところに関心が
  あったので本書を買った。
  「悔しい思いは口に出さない」 「言葉として口に出すと、気持ちがエスカレートして」しまい、
  「感情を口や顔に出すと、その感情に負けてしま」うと書いている。この部分が非常に印象に
  残った。彼には昔から浮ついたところが見られない。ずっと良い指導者にも恵まれ、そのよう
  に教えられてきたのだろう。

(14) ○象は鼻が長い (三上章):2007.3.17
  題名からすると初心者向けにわかりやすく書いてありそうに見えるが、私には難しかった。
  それでも、「ハ」の力が強いゆえに誤読しやすくなる例など参考になる箇所は数多くあった。

  1.「ハ」は「ガノニヲ」を代行する ・・・「ハ」の兼務と呼んでいる
  (例文)
  ・父は、この本を買ってくれた。・・・父がこの本を買ってくれた
  ・カキ料理は、広島が本場です。・・・広島がカキ料理の本場です
  ・日本は、温泉が多い。 ・・・日本に温泉が多い
  ・この本は、父が買ってくれた。・・・父がこの本を買ってくれた

  2.「ハ」の本務
  「Xハ」は文末までかかる。それだけでなく、次の文まで及ぶことも珍しくない。
  (例文)
  ・個人的な愛欲を主題とした小説は、書きたいという興味が起こらなくなりました
  ・私は議論をして勝ったためしが無い。必ず負けるのである。相手の確信の強さ、
   肯定のすさまじさに圧倒せられるのである。


(13) ○主語を抹殺した男 三上章評伝 (金谷武洋):2007.2.25
  大学2年の時に、予備校の英語の先生だった表三郎氏の講演会がたしか立命館大学で
  あった。全体の内容はすっかり忘れてしまっているが、一つだけ覚えているのは次のことだけだ。
  「日本語で ”私は”と言う場合、これは主語ではなく ”私について言えば”という意味だ。これに
  ついては三上章という人がくろしお出版から本を出している」
  その時以来三上章は気になっていたが、20年以上放置してきてしまった。最近新聞の書評欄に
  本書の紹介があり、三上章の名に惹かれて読んでみた。
  三上章は数学教師として勤務しつつ、日本語文法の論文や書物を書いていた。しかし、学者の
  多くは三上の主張に反論しないだけでなく、無視したらしい。ただ、知人に桑原武夫、金田一春彦
  がいて、彼らは高く評価していたそうだ。桑原武夫は「第二芸術論」で徹底した俳句批判を戦後
  すぐにしているくらいだから、権威に頼らない考えが好きだったのだろう。三上は60歳を越えてから
  大学教授になるが、体調と精神状態がすぐれず、うまくいかなかった。数学教師として働いていた
  時は時間に制限されていたが、その時に優れた仕事ができ、専念できる環境ではうまくいかなかった。
  もちろん、年齢のこともあっただろうが、彼には数学教師としての時間があったからこそ、日本語
  文法で独自の考えを生み出せたような気がする。

  彼の考えをよく表す文章に次のようなものがある。ここに出てくる”は”を主語と捉えられるだろうか。
  ”象は鼻が長い”
  ”二階は、先生に貸しています”
  これについては、現在、三上章自身の本を読んでいるので、また、紹介したいと思う。


(12) ○朝鮮半島「核」外交 (重村智計):2007.2.17
  主張自体にあまり賛同できなかったが、経済規模、原油輸入量についての記述は非常に
  参考になった。

  (本書から)
  ・北朝鮮2006年10月9日核実験。”米国の軍事攻撃”と”体制崩壊”への過度の恐怖
  ・北朝鮮の核開発を放置した責任は、圧力をかけなかった中国、韓国、ロシア
   日本も2002年に核開発を放棄しなくても日朝正常化に踏み切ろうとした責任がある。
  ・米国は、核兵器を保有していない国に対しては核攻撃しないと繰り返し明言している。→本当?
  ・2005年9月からの米国の金融制裁で外貨不足に直面。
   資金不足のため、金正日総書記から幹部への贈り物がなくなり、幹部に動揺が走った。
  ・中国は安保理決議に対し、台湾問題以外では拒否権を発動しない。
   1国で拒否権を行使すれば国際社会で孤立してしまうことを知っている。このため、駆け引きに
   使ったとしても実際には拒否権は行使しない。
  ・2002年9月の日朝平壌宣言には外交文書で最も拘束力を持つ「合意」という言葉がない。
   日朝正常化交渉は、日米に共通の敵を無くすので、日米同盟を崩壊させる。
  ・北朝鮮の原油輸入量は、50万トン程度(日本は2億3000万トン、韓国1億2000万トン)
   6カ国協議で話の出る原油供与50万トンは、現在の全輸入量に相当
   北朝鮮は戦争できるほどの石油を持っていない。
  ・一人当たりの国民所得は500ドル程度(韓国1万4000ドル)
  ・儒教の価値観は経済人を差別した。また、親への「孝」を重視し、父親の権威は絶対。
   この価値観を徹底しているのは、韓国と北朝鮮だけ。韓国は朴正煕大統領が変えた。
   儒教思想が金日成を父とする「孝」の意識と結びついた「儒教社会主義」になっている。
  ・「文明の衝突」(サミュエル・ハンチントン)と「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)の理論に
   従えば、北朝鮮が歴史の中で消え去るのは間違いない。
  ・外交駆け引きの極意は、相手が嫌がることを実行すると思わせ、譲歩させること。
  ・金正日が軍中心の「先軍政治」に踏み切ったのは、党が腐敗し機能しなくなった現実に気づい
   たから。

(11) ×硫黄島 栗林忠道大将の教訓 (小室直樹):2007.2.12
  先月、妻と一緒にクリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島からの手紙」を見た。重い感覚が
  最初から最後まで続いていて、つらかった。映画では栗林中将の死で全てが終わったように
  描いていた。しかし、前にNHKの番組で見たのでは、36日間の戦闘が終了したとされた際、
  まだ、1万人の日本人が生存していたらしい。この硫黄島の戦闘では約2万人の日本兵が死亡し
  生存者は約2千人とされているので、死者の約半分はその後に死んだことになる。
  本書の「教訓」に、このあたりのことが当然書かれていると思って買ったのだが、全く違っていた。
  本書は、硫黄島で栗林中将がアメリカに対して日本のすごさを思い知らせたから、アメリカは
  本土決戦を恐れて原爆で早期決着を図り、日本ともう戦わなくて済むように日米安保条約を
  結んだということを強調している。しっかり調べて説明するならまだしも、調査して書いたとは
  思えず、先ほどの主張が単に繰り返されているだけだ。
  昨日アルルの書店に硫黄島関係の本が3冊並んでいて、栗林忠道自身の手紙の本と、本書の
  どちらを買うか迷った末、これを買ってしまった。完全な失敗だ。ワック出版の本なんて買わな
  ければ良かった。
  (なお、栗林中将は、死の約10日前に大将になったらしい)

(10) △クリスマス・キャロル (ディケンズ):2007.2.12
  けちで人付き合いの嫌いな商人スクルージが、精霊とともに過去や将来の姿を見て回るに
  つれ、自身の優しい気持ちを思い出し行動を一転させるというお話。途中から大体の流れが
  予想されるのであまり面白く感じなかった。
  なお、光文社から古典新訳文庫として出版されたものを読んだ。内容はともかく読みやすい
  ことは確かだった。値段も普通の文庫本と同じで非常に良いと思う。この文庫は注目に値する。

(9) ○慰安婦と戦場の性 (秦郁彦):2007.2.11
  本書は「従軍慰安婦」について非常に詳しく書かれていて、参考になることが多い。その分、
  ページ数もかなり多くなっている。ただ、前半は冷静に書かれているのだが、後半になるに
  つれ、慰安婦の方への冷たい視線が目立ってくるのが気になる。
  元慰安婦の方の証言におかしなところが多いことは、吉見氏の本にも書かれており
  吉見氏は慰安婦寄りに捉えている。一方、秦氏は、証言全体の信憑性がないように
  捉えていることが多い。どちらが正しいかはわからない。しかし、例えば、業者に騙されて
  慰安婦になった場合、それが直接軍に騙されたのでなくても、軍も黙認していた場合が
  ほとんどだろうから、慰安婦の方にとっては同じことだろう。
  つまり、日本政府にとっては直接の責任があるかどうかは重要なことだが、慰安婦の方の
  立場では似たことだと私は思う。そうであるなら、日本による補償は、国家賠償という形で
  なく、「アジア女性基金」という民間補償でも構わなかったのではないか。韓国の慰安婦の
  方が国家賠償にこだわって受け取りを拒否されたのは、軍が直接連行したかどうかに議論
  を集中させることになり、いっそう解決を難しくしてしまったように思えてならない。
  
  本書の内容

(8) ○従軍慰安婦 (吉見義明):2007.2.9
  2月4日の勉強会のテーマが従軍慰安婦になったので、1月中旬から1月末までに
  関係する2冊の本を読んだ。それが、吉見義明氏と秦郁彦氏の本である。
  慰安婦問題については、問題の大きさの認識具合にかなりの程度の差があり、大した
  問題でないという考えの人もいるようだ。この2人は本を書いているぐらいだから、問題と
  捉えていることに違いはないが、かなり温度差はある。
  2つの見方がある場合、両者の考えで共通認識となっている部分を最初に知っておく
  必要がある。そのうえで、慰安婦の証言の見方・強制連行の捉え方など、違う考えの
  領域を考えてみることが大切だと思う。
  そういう意味で、この本を読んだ場合は、秦氏の本も読んだ方が理解が深まると思う。

  本書の内容

(7) ◎名張毒ブドウ酒殺人事件 六人目の犠牲者 (江川紹子):2007.1.28
  「名張毒ブドウ酒殺人事件」は1961年に起こった。三重県と奈良県の境目に位置する葛尾
  という人口140人くらいの小さな村での事件である。公民館での村人の宴会でブドウ酒を飲
  んだ女性17人が次々に倒れ、そのうち5人が死亡した。事件から数日後、同じ村の奥西勝氏
  が犯行を自白したということで逮捕された。しかし、奥西氏も取り調べ最後には犯行を否認し、
  物証も乏しいため、村人の証言が重要となった。ブドウ酒はA氏が購入後、B氏宅に届けた。
  B氏宅から公民館まで運んだのが奥西氏だ。B氏宅にブドウ酒があった時間が長ければB氏
  宅にあった時に毒が入れられた可能性もある。ほとんど無ければ公民館でしか入れる機会が
  ない。奥西氏がブドウ酒を公民館に運んだのは17時過ぎである。当初、ブドウ酒をA氏がB氏
  宅に届けたのは14時すぎと証言された。しかし、3週間後、関係する人々が17時になるように
  証言を変えた。江川紹子は警察が村人を集め、証言のすり合わせを行なったと考えるのが自然
  と書いている。
  奥西氏は第1審では無罪だった。証言の矛盾からブドウ酒の到着時刻が5時とは言えないとし
  ている。しかし第2審では一転し死刑判決となった。1審無罪となり自宅で過ごしていた人間が
  急に死刑判決を受け拘束されたわけだ。上告したが最高裁で棄却され死刑が確定となった。
  しかし、再審請求を何度も出し、新証拠の提出もあり、第7次再審請求が認められ2005年に
  再審開始が決定された。ところが、検察が異議申立をし、昨年12月26日再審開始が取り消さ
  れた。本事件に関しては、本書以外にも、1987年に東海テレビが「証言」という番組で証言の
  変化の不自然さを取り上げるなど問題が指摘されており、冤罪の可能性が極めて高い。
  「疑わしきは被告人の有利に」という言葉は、実際には適用されていない。

  なお、本書は1994年に出版され、2005年に文庫版が出た際に追記している。江川紹子が
  1995年のオウム事件で有名になっても非常に落ち着いた態度を保てるのは、それ以前に本
  書のような批判書を書く力を持っていたからこそなのだろう。

(6) ○スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」 (小澤徳太郎):2007.1.27
  格差社会を変えたいと望んでいるものにとって、北欧のスウェーデンは一度は学ばないといけ
  ない国だろうと思う。本書はそう感じていた私にとって適当な本だと思って読むことにした。
  本書にはスウェーデンの優れたところがたくさん書かれている。優れたところばかり書かれて
  いるため、本当に優れたところばかりの国なのか、日本より劣っている面は無いのか、という
  疑問が生じてくる。1冊の本だけで全て分かるはずはないのだが、良いところが書かれすぎて
  いて、逆にどういう状況にあるのかがイメージしにくくなっている。本書を補う意味でも他の本を
  探して読んでみる必要を強く感じている。

  (内容)
  [スウェーデン概要]
    ・国名 スウェーデン王国 (立憲君主国)
    ・国土 日本の1.2倍
    ・人口 約900万人
    ・宗教 87%がルーテル派のプロテスタント
  [特徴]
    ・1813年ナポレオン戦争以来、190年以上戦争に参加していない。
      第2次大戦後、非同盟・武装中立
      湾岸戦争、イラク戦争でも軍隊派遣なし(ノルウェー、デンマークはイラクへ軍隊派遣)
    ・1960年代末に、核兵器の開発と保有の権限を放棄
    ・240年にわたる情報公開の歴史
     195年のおよぶオンブズマン制度(行政の不正や独走を防止する国会の制度)
    ・男女平等の立場から第一子に王位継承の最優先権を認めた世界初の国
    ・世界初の個人情報保護法(1973年)
    ・議会に占める女性議員の割合 45.8% 
    ・一般国民年金法1913年(日本は1961年)
  [スウェーデンの方向]
    ・人間を大切にする「福祉国家」を、人間と環境を大切にする「緑の福祉国家」へ転換
    ・国際自然保護連合(IUCN)の国家の持続可能性を示す「健全性指数」ランキング一位
     (日本は24位。スウェーデンは1位だが持続可能性有と判断されているわけではない)
    ・世界経済フォーラムの環境持続性指数(ESI)は3位 (日本は62位)
    ・スウェーデンは予防志向の国。国際機関への提案多い
     (日本は治療志向、国際機関からの勧告多い)
    ・例:CO2税(スウェーデン1991年導入)
      CO2税を導入 ⇒スウェーデンの産業界は国際的に不利だと主張
      ⇒スウェーデンは国際機関にCO2税の導入を提案
      ⇒国際機関が提案を検討し、妥当と判断すると加盟国に勧告
      ⇒1999年イタリア、ドイツ導入 2001年フランス、イギリス導入
      (日本は効果に疑問という経済産業省の理屈で導入に反対)
  [バックキャスト]
    ・バックキャスト・・・将来のあるべき姿を想定し、それに基づいて、今何をすればよいかを判断
    ・フォアキャスト・・・現在から将来を見る。
  [スウェーデンの年金制度]
    ・日本の民主党の年金案は、1999年までのスウェーデンの年金制度と似ている。
     (2階建て)
    ・1999年に新年金制度に移行。1階部分の国民基礎年金を廃止し、所得比例年金に一本化。
     ただし、低所得者に対しては税金を財源とする最低保障年金を設けた。
     (納めた保険料総額が同じなら年金受給世代になって受け取る給付額が同じになった)
  [日本の環境政策との違い]
    ・日本の環境問題への対応は、1960年以来、公害への対処の域を出ていない。
     日本は「表面化した現象面(地球温暖化、オゾン層破壊など)」への個別の取り組みとなって
     おり、「環境問題の原因(経済成長を求める経済活動の拡大)」への取り組みでない。
    ・「ひとり一人ができるところから始める」という日本の取り組みは誤り。
    ・スウェーデンでの認識は、「経済活動の本質は資源とエネルギーの利用であり、経済
     活動の拡大の結果必然的に生ずるのが環境問題」
    ・「最終エネルギー消費をいかに抑えたか」を省エネの目安にすべき。
    ・1990年から97年に15基の原発が稼動した。この間に日本のCO2排出量は10%強増加
     した。原発と化石燃料の置き換えがほとんどなされていない。
    ・スウェーデン:「今日の製品は、明日の廃棄物」
     日本:「分ければ資源、混ぜればゴミ」


(5) ○手紙 (東野圭吾):2007.1.10
  2人兄弟の剛志と直貴は両親を失っている。剛志は弟の大学進学資金を手に入れようとして
  盗みに入り、そこで老女を殺害して逮捕される。剛志は無期懲役が確定し刑務所から毎月弟
  の直貴宛てに手紙を送っている。直貴は「殺人犯の弟」ということにより、高校生活、音楽活動、
  恋愛、就職というさまざまな場面で苦しめられることになる。終盤、就職先の社長からの言葉か
  ら影響を受けて、直貴に2回変化が生じる。1回目の変化は苦しい中でも繋がっている人との
  関係を大切にして少しずつ社会性を取り戻すということで、わかりやすい変化だ。しかし、2回目
  の社長の言葉とその言葉による直貴の考えの変化を僕はよく理解できなかった。結果として直貴
  は兄剛志との関係を断つことを決めた。そして、ラストシーンを迎える。この場面は先の2回目の
  変化を否定するものなのか、一貫したものなのか、どちらなのだろうか。終盤は決してわかりやす
  くないが何かがあるように思う。残念ながら今の僕にはそれが何かはわからない。

(4) ○密約 外務省機密漏洩事件 (澤地久枝):2007.1.8
  1972年の沖縄返還に先立ち、前年6月に沖縄返還協定が調印された。この協定では日本から
  アメリカに支払うお金とアメリカが日本に支払うお金があった。このうちアメリカが支払う400万ドル
  を日本が肩代わりする密約があるのではないかと問題になった。社会党が密約文書を入手し国
  会で追及するが、当時の佐藤内閣を追い詰めることができなかった。逆に、密約を示す外交文書
  を女性外交事務官が毎日新聞記者に渡していることが発覚し、問題が2人の男女関係へとすりか
  えられていった。そして国家公務員法の機密漏洩で起訴され、裁判では、1審では記者無罪、事
  務官有罪。記者に対する無罪を不服として検察が控訴し、2審有罪。記者側は上告したが最高裁
  上告棄却で有罪が確定した。
  著者は、密約を結んだ側が本来裁かれなければならないのに、その密約があったかどうかも明確
  にされないまま、男女関係へと焦点をずらされ、しかも有罪となってしまったことに憤りと無力感を
  感じている。さらに、裁判中で弱く受身の女性を演じる外交事務官に関しても徐々に許せない感情
  を強くする。
  本書は1978年に書かれ、昨年岩波現代文庫として再刊された。再刊時のあとがきの最後に著
  者は次のように書いている。「本質を見抜けず、すりかえを許した主権者の責任は、現在の政治情
  況の前に立つ私たちに示唆と教訓をのこしているはずである。」 しかし、主権者の責任を意識して
  いる人は非常に少数だ。

  なお、沖縄返還に伴い日本から支払ったお金は次の合計3億2000万ドル
  @琉球電力、琉球水道、琉球開発金融の3公社の有償引継ぎ・・・1億7500万ドル
  A米軍基地に働く労働者の退職金など労務費・・・7500万ドル
  B核兵器の撤退費など・・・7000万ドル
  日本はアメリカ施政下で生じた対米請求権を原則的には放棄したが、復元補償費は最後まで主張
  した。復元補償費とは1950年7月1日以前に米軍軍用地として形質変更された土地で、1961年
  7月1日から復帰前日までに解放された土地に対する土地の原状回復のための補償である。1961
  年以前の解放分には既に復元補償費が支払われていたため除外されている。この以前の復元補
  償費を支払う際にアメリカ政府は議会に対し、今後沖縄返還に際し支出は一切しないと説明したこと
  から、密約の必要が生じ上記Bの費用に上乗せした形にした疑惑に繋がった。つまりアメリカは議会
  との関係で対応してきたのに対し、日本は議会に説明しない方針としたことになる。議会に説明しな
  いということは国民に説明しないことだ。これはおそらく今も変わっていない。


(3) ○日記の魔力 (表三郎):2007.1.6
  駿台予備校に通っていたときの英語主任が表三郎先生だった。当時42歳くらいで、自信満々で
  授業をしていた。英文解釈の授業の3分の2の時間は英語と直接関係ない話をして、最後に少し
  英語の説明をして訳を読み上げるというような時間配分だったように思う。前半の話は非常に興味
  深く、毎回予習をしながら、この英文を材料にしてどんな話をするのだろうと期待していたことを思い
  出す。話をメモしたノートを捨ててしまったことを残念に思う。ゲーデルの話もあり、当時の駿台予備
  校には大学よりアカデミックな雰囲気があったような気もしている。
  表氏は2003年に「答えが見つかるまで考え抜く技術」という本を出版され、私は同年に読んだ。そ
  の後、2004年に本書を出されていたがつい前日まで知らなかった。たまたま、予備校時代のことを
  思い出していてインターネットで検索していて本書を知りすぐ購入した。本自体は先に出版したもの
  と同じで、文字間隔も広く1時間程度で読めるものだ。
  さて、本書は日記を奨めているが、いくつかポイントがある。一つは行動記録を残すこと。これにより
  本当の自分を見出せる。ありのままの自分を受け入れることで、理想的な自分になるために何をす
  れば良いかという課題に取り組める。二つ目は感想を書かないこと。感想中心にすると感想が無い
  日は書けなくなる。三つ目は人生における「問い」を書くこと。また少しでも「答え」がわかったら書く。
  書かないと「問い」自体を忘れてしまう。四つ目は、日記を読み返すこと。
  表氏は昔、「現状突破の価値観を持て」ということを言っていた。本書に出てくる言葉を見ていて
  そのことを思い出した。
   「日記は日々を克明に意識する試み」
   「大人は、もう自分を変えることなどできないと思っている。だが、それは大きな誤解だ。人間はいく
    つになっても変わることができる」

(2) △万里の長城 (カフカ):2007.1.4
  本をしっかり読もうと決めた2002年の最初に選んだのがカフカだった。その時に「城」「審判」
  「変身」を読んだ(「変身」だけ再読)。不可解なことばかりでよくわからなったが、カフカ的な雰
  囲気というのは感じ取ることができた。カフカに影響を受けた作家が数多くいることも知った。
  さて、本書は完成して発表した作品ではなく、ノートに残された作品(途中を含む)を紹介している。
  カフカの研究をしている人には途中段階を知ることができるので非常に役立つ本なのだろうが、
  私には不可解すぎてよくわからなかった。
  ただ、16篇紹介されている中で、大モグラを見たという噂を調査した教師が出てくる「村の教師」、
  勝手に跳ねる不思議なボールが出てくる「中年のひとり者ブルームフェルト」、墓から出てくるも
  のを防いでいる「墓守り」という作品は不可解ながらも惹かれるものがあった。

(1) ○改革の虚像 裏切りの道路公団民営化(櫻井よしこ):2007.1.2
  櫻井氏は道路関係四公団の改革が失敗した原因を3つ挙げている。最大の原因は確信犯
  である小泉首相。第2は行革担当大臣、国土交通大臣としての石原伸晃氏のやる気のなさ
  と無能。第3は民営化委員 猪瀬直樹氏の言動。本書は特に猪瀬氏の問題を取り上げている。
  そして、民営化委員会設置から政府・与党案決定までの山場4回を中心に検証している。

  第1は2002年8月の中間整理まとめ :上下分離方式に。他の委員から不満の声
  第2は2002年12月の意見書まとめ :松田案(機構は10年で解散。民営化会社が機構に払
   うリース料は約40年での元利均等方式)でまとまる。猪瀬氏生き残りのため、勝ち組みに乗る。
  第3は2003年国交省案の提示: 3つの案が提示される。A(民営化委員会に近い) BとC(高
   速道路建設を優先)。猪瀬氏はAとBを評価。
  第4は2003年12月の政府・与党案決定 :B案となる。3人の委員が事実上辞任。猪瀬氏政
   府案を高く評価

  櫻井氏はこの間の猪瀬氏の度重なる変節、議論のすりかえ、対立する論理とデータを認めない
  姿勢を執拗に強い言葉で批判している。
  本書を読むと、委員会の中に優れた人が少数入っていても、全体としての方向を動かすことが
  非常に困難なことがわかる。やはり世論の動きがないといくらでも後退していくものだ。道路公
  団民営化が議論されているときに、しっかり内容を把握していなかったことを恥じる。

  *法律となった民営化
    上下分離方式:道路資産と債務を引き継ぐ機構と、機構から道路を借りて営業する民営化
              会社に分離。
    高速道路建設:民営化会社は高速道路の建設を行うが、資金は自己調達。しかし、高速道
              路が完成した時点で、機構が道路も建設費も全て引き受ける。つまり借金
              返済は最終的に機構が引き受ける仕組み。
              ⇒会社に採算の取れない道路は作らないという規律は働かない。


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